【337】2026/3/29 主日礼拝 『思い巡らす交わり』 ヨシュア記<1:1~9> 斉田基牧師
3節
わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。
神様は、モーセに約束した祝福は、ヨシュアたちに対する祝福でもあり、その祝福を、すでに与えている、と言われました。
同じように、神様は、聖書の神のことばに約束された祝福は、主イエスを信じた私たちに対する祝福でもあり、その祝福は、すでに、私たちに与えている、と言われます。
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。・・・この約束は、直接的には、ピリピの牢獄の看守に与えられた約束でしたが、主イエスを信じた私たちに対する約束でもあり、家族の救いという祝福は、すでに私たちに与えられています。
しかし、今日の箇所のヨシュアのように、祝福の約束は与えられていても、現実的には、まだ、実現していない、家族は、まだ、救われていない、ということがあるかもしれません。
神様は、ヨシュアに、すでに祝福を与えていると言われましたが、現実的には、まだ、実現していなかったので、現実的にも、その祝福を、ヨシュアに受け取らせるために、神様は、次のようにしなさいと、教えてくださいました。
8節
このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。
ここで、神様が、ヨシュアに、まず、こうしなさいと、教えてくださったことは、
このみおしえの書、すなわち、聖書の神のことばを、口から離さず、昼も夜も口ずさむことです。口ずさむという言葉は、思い巡らすという意味でもあります。
ですから、神様が、ヨシュアに、まず、こうしなさいと教えてくださったことは、一つだけです。すなわち、神のことばを思い巡らし、口ずさみなさい・・・これだけです。
いや、すべて守り行うためってあるから、ただ、神のことばを思い巡らすだけでは、ダメなんじゃないか・・・守り行わなければならないんじゃないか・・・
しかし、神様は、まず、すべてを守り行いなさいとは言われませんでした。神様は、すべてを守り行うためには、まず、神のことばを思い巡らしなさいと言われました。すなわち、思い巡らすことが、ファーストステップです。
最初のステップを飛ばして、いきなり、次のステップに行くことはできません。
最初のステップである、神のことばを思い巡らすことに、不忠実なまま、次のステップである、神のことばを守り行うことに忠実になることはできないからです。
例えるなら、縄跳びで、前飛びも、上手にできない人が、いきなり、二重跳び、三重跳びをしようとするようなものです。
神様が、まず、最初に命じていることは、神のことばを思い巡らすことです・・・神のことばを思い巡らすことに忠実になるとき、私たちがなすべきことと、神様に任せるべきことが分かります。
ルカの福音書 5章3-6節
イエスはそのうちの一つ、シモンの舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして腰を下ろし、舟から群衆を教え始められた。
話が終わるとシモンに言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」
すると、シモンが答えた。「先生。私たちは夜通し働きましたが、何一つ捕れませんでした。でも、おことばですので、網を下ろしてみましょう。」
そして、そのとおりにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになった。
ここで、イエス様が命じたことは、まず、深みに漕ぎ出すこと、次に、網を下ろすこと、最後に、魚を捕ることでした。
しかし、今、この状況で、魚を捕るなんて不可能だと思うと、どうせ、魚を捕ることができないのなら、深みに漕ぎ出し、網を下ろしても意味がないと・・・最初から、諦めてしまいたくなります。
神様の命令には、私たちがなすべきことと、神様に任せるべきことの両方含まれています。
深みに漕ぎ出すこと、網を下ろすこと・・・これは、シモンがなすべきこと、しかし、今、魚を捕るなんて不可能な状況で、魚を捕ることは、神様に任せることでした。
シモンが、「おことばですので、網を下ろしてみましょう」と、シモンが成すべきことをした結果・・・おびただしい数の魚が入った・・・魚の方から網に向かって、入っていきました・・・これは、神様がなさったことです・・・不可能な状況で魚を捕ることは神様に任せることでした。
ですから、神のことばを思い巡らすことは、私たちのなすべきことです。しかし、すべてを守り行うことは、神様に任せるべきことです。
神のことばを守り行うことは、神様に任せて、神のことばを思い巡らすことに忠実なるとき、神様は、次のステップに導いてくださいます。
ある姉妹は、神のことばを思い巡らし、口ずさむことに忠実になりました。
彼女は、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます」というみことばを思い巡らして、祈りました。
彼女は、ただ、単に、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」という、みことばを、一瞬、思い出して、「家族を救ってください。家族を救ってください。」と祈ったのではありません。
彼女は、この時間は、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも、あなたの家族も救われます」・・・このみことばを思い巡らしながら、家族の救いのために祈ると決めて、毎日、時間を決めて、祈り始めました。
彼女が、みことばを思い巡らしながら、祈っていると、「ああ、私がすべきことは、主イエスを信じること、家族を救ってくださるのは、神様がしてくださること・・・神様、感謝します。お任せします。神様、あなたは、どんな方法で、家族を救ってくださるのでしょうか・・・私は、今日、何をすればいいでしょうか」・・・祈りが、神様との会話になっていきました。
みことばを思い巡らして、祈っていると、あるとき、「お父さんは、3ヶ月以内に救われる」と神様に言われたような気がしました。
それから、彼女は、「主イエスを信じた私も、家族も救われる。お父さんは三ヶ月以内に救われる」と宣言して、祈り続けました・・・3ヶ月後、お父さんは、伝道集会で、救われました。
それだけではありません。彼女には、7年間音信不通になっていた兄がいました。
再婚して名前も変えていたらしく、どこに住んでいるのか、生きているのか死んでいるのかも分からない状態でした。
しかし、彼女が、みことばを思い巡らして、祈っていたとき、神様が、この日までに、兄との関係が回復すると、言われました。
7年間も音信不通で、連絡を取ることもできなかった兄と、どうすれば、関係が回復するのか・・・しかし、彼女は、まず、彼女のなすべきことに忠実になりました。
すなわち、彼女が聞いた神のことばを、信じることを選びました。聞いた神のことばを、信じて、思い巡らしながら、祈ることに忠実になりました。
どんな方法で、兄と連絡を取ればいいのか、見当もつきませんでしたが、神様が、この日までと言われたからには、きっと、何とかしてくださる・・・それで、彼女は、とにかく、信じます。神様、感謝します。・・・感謝をもって、みことばを思い巡らして祈っていると・・・・神様は、次に、兄を赦すようにと、彼女に示されました。
実は、兄との関係はあまり良くありませんでした。それで、彼女は、神様の前で、心から赦すことを告白し、祈りました。
みことばを思い巡らしながら、祈る中で、神様が示してくださる一つ一つのことに、彼女は、一歩一歩ついて行きました。
そして、神様が、この日までと言われたタイミングで、突然、母から、電話がかかってきました。
「ねぇ、聞いてよ。びっくりした。お兄ちゃんから連絡が来たの」・・・しかも、兄の方から、会いたいと言うのです。
・・・神様は、彼女に語られた通り、兄との関係を回復してくださいました。
彼女は、彼女のなすべきことしました。すなわち、彼女は、神のことばを聞いたとき、信じることを選びました。そして、聞いた神のことばを思い巡らしながら、祈ることに忠実になりました。
皆さん、神様が、神のことばを守り行うよりも、まず先に、神のことばを思い巡らしなさいと言われるのは、何故でしょうか。
・・・それは、私たちに、神様がともにおられることを認めて欲しいからです。
神のことばを守り行うことは、ある意味、一人でもできます。・・・律法学者やパリサイ人たちのようになら、神が共におられることを認めないまま、一人でも、神のことばを守り行うことはできてしまいます。
しかし、神のことばを思い巡らすなら、神のことばが、神様が共におられることを、私たちに認めさせてくださる。私たちが、共におられる神様を認めるとき、神様は私たちと交わりを持つことができる。
神様は、あなたと会話がしたい。あなたと交わりを持ちたい・・・愛される喜びで、あなたを満たしたい・・・そのために、神のことばを思い巡らして欲しい。
神のことばを思い巡らすことに忠実になるとき、神のことばが、共におられる神様を、私たちに認めさせてくださる。
9節
わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄々しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたの神、主があなたとともにいるのだから。
神のことばを思い巡らすとき、神のことばが、私たちに、主を認めさせます。・・・神のことばは生きています・・・思い巡らすとき、神のことばが、私たちに、主が共におられることを認めさせます。
学校や職場に行く時、「あの人会いたくない」という思いに悩まされたとき、神のことばを思い巡らします。
「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。」・・・思い巡らします・・・ああ、そうか、神様が味方だから、誰も敵対できない・・・私は無敵だったんだ。
人や環境は全然変わっていません。しかし、神のことばは、まず、私の心を変え、そして、私の生き方を変え、ついに、人や環境も変えていきます。
ある姉妹が、神のことばを思い巡らして祈っていたとき、「このことについて、お母さんにごめんなさい、と言いなさい。」 と、神様に言われました。
しかし、彼女は、父や母が、ごめんなさいと言うのを聞いたことがありませんでした。
父は、母を、いつもバカと呼んでいました。このバカ、あのバカ、こっちだバカ・・・喧嘩が絶えない家庭でした。
彼女も、ごめんなさいしたこともなければ、してもらったこともなかったので、その時、素直に、ごめんなさいと言うことができませんでした。
素直に、ごめんなさいと言うことはできなくても、神のことばを思い巡らすことはできました。
彼女は、神のことばを思い巡らして祈り始めました。神のことばには力がありました。
神のことばを思い巡らして祈り続けていると、不思議に、ごめんなさいという思いと力が与えられていき、ついに、お母さんに、「ごめんね」と言うことができました。
お母さんは、とても照れて、素直に嬉しさを表現できず、ぎこちない反応でした。
そのうち、お母さんも、ごめんねと言うようになりました。この家庭で、素直に、ごめんねと言えることは、奇跡でした。奇跡は続きました。親子の関係がどんどんよくなり、夫婦の関係もよくなり、ついに、お母さんも、お父さんもイエス様を信じて救われました。
今では、非常に仲の良い家族になりました。
彼女は、みことばを思い巡らしながら、祈る生活の中で、彼女に語りかける神のことばを聞くようになり、思い巡らして祈り続ける中で、神のことばに従う思いと、力を受けました。
皆さん、みことばを思い巡らすことが、始まりの第一歩です。
神様は、みことばを守り行うよりも、まず先に、思い巡らしなさいと命じられました。
思い巡らすとき、私たちは主を認めることができ、主も、私たちになすべきことを一つ一つ示すことができる。
ですから、家族の救いが必要なら、家族の救いについての、みことばを思い巡らします。
病気の癒しが必要なら、癒しについてのみことばを思い巡らします。
何か問題が起こるなら、その問題についてのみことばを思い巡らしながら祈ります。
それが、第一歩です。一歩でやめないで、一歩、また、一歩、主と共に前進し続ける・・・みことばを思い巡らして祈り続けるとき、ある時点で、みことばが、光のように差し込みます。
詩篇 119篇130節
みことばの戸が開くと 光が差し 浅はかな者に悟りを与えます。
みことばの戸が開くと光が差す・・・みことばを思い巡らしながら祈っていると、ある時点で、みことばが光となって、心に入って来ます・・・光の思いが湧き上がってくる・・・箴言4章では、自分が心のただ中にとどめた、みことばから、いのちの泉が湧き上がると表現しています。
主イエスを信じなさい。そうすれば、家族も救われる・・・いや、さすがに、あの人は難しいかなと、初めは、思っていても、思い巡らしながら、祈り続けると、ある時点で・・・神様は約束を守られる真実なお方だ・・・私を救ってくださった神様は、あの人も救ってくださるかもしれない。
・・・ちょっとした変化、なんとなく、少し あ、聖書が言っている通りかも・・・それが、光が差し込んだ、始まりです
・・・そこで、やめずに、思い巡らしながら祈り続ける・・・すると、光の思いがどんどん湧き上がってきます。
続けて、みことばを思い巡らし続けます。
全世界を造り、私のことをも造られた神様は、全能の神様に・・・あの人を救うことは無理? いや、神様にできないことは何もない。
私を諦めなかった神様、私を救うために、ご自分のいのちまで惜しまず捨てた神様は、あの人のことも諦めない・・・そうだ。私に働いた神様の力を、神様は、あの人にも働かせてくださる。
大丈夫、きっと、あの人も救われる。・・・神のことばを思い巡らすとき、どんどん心が変えられていく・・・そのように、神のことばを思い巡らすとき、私の心を変えて行く、神の力が働きます。
今週、一週間、神様が、まず、私たちに命じられたこと、神のことばを思い巡らすことに忠実にな
ることによって、私たちの心を変え、生き方を変え、人生を変える、神の力が働くことを、主イエスの御名によって、祝福します。

