【321】2025/11/30 主日礼拝 『信仰のことば』 ローマ人への手紙<10:6-11> 斉田基牧師
6-8節
しかし、信仰による義はこう言います。「あなたは心の中で、『だれが天に上るのか』と言ってはならない。」それはキリストを引き降ろすことです。
また、「『だれが深みに下るのか』と言ってはならない。」それはキリストを死者の中から引き上げることです。
では、何と言っていますか。「みことばは、あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは、私たちが宣べ伝えている信仰のことばのことです。
6節7節では、私たちを罪から救うために、十字架で死んでくださったイエス・キリスト、よみの深みにまでくだってくさったイエス・キリストについて、そして、復活され、天に上られたイエス・キリストについて語っています。
しかし、8節になると、急に、みことばは、あなたの近くにあり・・・と、イエス・キリストがどこかへ行って、みことばが出て来ますが・・・実は、イエス様がどこかへ行ってしまったのではなく、このみことばこそが、イエス様です。・・・イエス様は、私たちの近くにおられ、私たちの口で告白され、イエス様は、私たちの心におられます。
ヨハネの福音書 1章1節
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
ヨハネの福音書 1章14節
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
神であることば、人となって、私たちの間に住まわれた神のことば・・・今や、あなたの近くにおられ、あなたの口とともにおられ、あなたの心におられる神のことば・・・それがイエス様です。
だからこそ、使徒パウロは、「あなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある神のことば」・・・すなわち、イエス・キリストこそ、私たちが宣べ伝えている信仰のことばであり、私たちは、ただ、聖書を教えているのではなく、今も、私たちの心に住んでくださっているイエス様を宣べ伝えているのだと語っているのです。
もし、今まで、イエス様について聞いたことがなかったとしても、次の、聖書の神のことばを、心に信じて、口で、イエスを主と告白するなら、イエス様は、あなたを救う救い主となって、あなたのうちに住んでくださいます。
9-10節
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
本来、罪を犯した私たちが死んで、地獄に落ちなければならなかった・・・それにもかかわらず、イエス様が、私たちの代わりに、十字架で死んで、地獄にまで下られたことによって、私たちのすべての罪を償ってくださいました。
私たちの罪を完全に償ってくださったイエス様を、神様が、死者の中からよみがえらせてくださった・・・
もし、イエス様が十字架で死んで、よみがえられたのは、罪人の私を救うためだった・・・私のために死んでよみがえられたイエス様は、今も生きておられる、私の主、私の神と、心に信じて、口で告白するなら、その時から、イエス様は、私たちのうちに住んでくださる。
ですから、もし、あなたが、イエス様を自分の主として、心に信じて、口で告白するなら、
みことばなるイエス様は、あなたの心に住んでくださいます。
そのように、自分のうちに住んでくださるイエス様に信頼するなら、決して失望させられることがないと、聖書の神のことばは約束しています。
11節
聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」
いや、そう言われても、私はイエス様を信じていますが、失望することがあります・・・そう思われることもあるかもしれません。
しかし、大切なのは、イエス様を、神のことば通りに信じることです。イエス様は、神のことばなので、神のことば通りに信じるのでなければ、実は、本当の意味で、イエス様を信じるとは、言えません。ですから、神のことば通りに、イエス様を、心に、信じることを選びましょう。
神のことばであるイエス様は私の近くにおられ、私とともにおられ、私のうちにおられます。・・・ですから、イエス様に信頼するとは、私の近くにおられるイエス様に信頼すること・・・私とともにおられるイエス様に信頼すること・・・そして、私のうちに住んでくださるイエス様に信頼することです。・・・どういうことでしょうか。
皆さん、イエス様が、あなたとともにおられることには、目的があります。神は、愛です。あなたを愛しておられる神様が、一緒にいたい・・・その目的は、愛です。
ヨハネの福音書 15章9-10節
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛にとどまりなさい。
わたしがわたしの父の戒めを守って、父の愛にとどまっているのと同じように、あなたがたもわたしの戒めを守るなら、わたしの愛にとどまっているのです。
イエス様がともにおられる目的は、私たちにも、神の愛の中に留まって欲しいからです。
神の愛にとどまると言われでも、どうすれば神様の愛にとどまることができるでしょうか。
どうすれば、本当に神様に愛されている、と、神の愛を体験することができるでしょうか。
イエス様は、「わたしのことばにとどまることによって、あなたは、神の愛にとどまることができる」と言われました。
ヨハネ15章7節
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。
神のことばにとどまるとき、「ああ、本当に、私は、神様に愛されている」とあなたが体験するだけではなく、神様も、あなたが神様のそばにいることを本当に喜んで、あなたのためなら、何でもしてあげたくなる、というのです。
ですから、神様と一緒にいて最高に幸せなのは、あなただけではなく、神様もそうなのです。
ある青年が、父母を敬いなさいという、聖書の神のことばに示されて、ああ、これは、お父さんに会いに、実家に行くべきだと思わされました。
しかし、実家までは、電車で数時間・・・かなり離れていて・・・正直、また、今度にしたいと思いました。・・・しかし、お祈りすると、また、父に会いに行くべきだと示されます。
それで、彼は、示された神のことばに従うことを選びました。
お父さんに会いに行き、お父さんと過ごす中で、彼は、お父さんを敬い、従順に仕え、そして、生まれて、初めて、お父さんに対する思いを伝えて、抱きしめました。
お父さんは驚いて、見たことがない表情をして、それから、本当に素晴らしい時間を過ごしました。彼が帰るときには、駅まで送って行く途中で、コンビニに寄って、「好きなものを何でも買いなさい。」と言ってくれたそうです。
実は、彼のうちには、お父さんに対して、何か素直になれない思いがあって、それまで、レストランなどで、「何でも食べてもいいよ」と、言われても、「うちは貧しいから、お父さんも大変だから」と、遠慮して、本当に食べたいものを頼んだことが一度もなかったそうです。
しかし、その時は、生まれて初めて、本当に、自分が好きなものを何でも買うことができました。全部で、7000円ぐらいになりました。
しかし、その時のお父さんの笑顔と言ったら・・・彼は、「ああ、本当に愛されている・・・本当に、神のことばに従って良かった。神のことばにとどまることを選んで、良かった」・・・と心から神様に感謝しました。
皆さん、神のことばの目的は、愛です。それは、もちろん、第一には神様と私の愛の関係が深まること・・・しかし、それだけではなく、私と人との愛の関係が深まることでもあるのです。
皆さん、愛し合う関係が深まると、愛する人に何でもしてあげたくなるものです。
とにかく、神のことばの目的は、ますます、愛の関係を深めることです。
神のことばにとどまるなら、愛の関係は深まっていきます。神のことば、すなわち、イエス様にとどまるなら、イエス様は私たちを失望させることはありません。イエス様は、愛の関係を深めてくださいます。・・・ですから、私たちは、聖書を通して示される、神のことばについて行くことによって、イエス様にとどまることを選びましょう。
イザヤ書 50章4節
神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに私を呼び覚まし、私の耳を呼び覚まして、私が弟子として聞くようにされる。
私たちが、神のことばにとどまるために、神様は、朝ごとに、私たちの耳を開いてくださり、私たちが聖書から、神のことばを聞くことができるように、神様が、してくださる。
神様を信じるとは、神のことば通りに神様を信じることです。
ですから、神のことば通りに神様を信じて、本当に、神様は、朝ごとに私を目覚めさせてくださることを信じましょう。本当に神様は、毎日、私の耳を開いてくださり、聖書から、神のことばを聞くことができるように、神様が、してくださる。と、心に信じることを選びましょう。
神のことばを心に信じることを選ぶとき、祈りと聖書の時間に、神様のことばが、示されるようになります。
ある婦人には、ご主人が、実の兄のように慕っている、従弟がいました。
従弟は、82歳になっていましたが、婦人が、朝、お祈りしていると、9月の末頃に、従弟に会いたいという思いが与えられました。
それで、主人に話すと、三年前に会いに行ったきりなので、ちょうど気になっていた、というので、会いに行くことになりました。
しかし、義理のお母さんが骨折したり、従弟の体調が悪くなって入院したり、なかなか調整がつかずに、11月になってしまいました。・・・その間も、彼女は、祈っていました。
従弟に会いに行くように示されたけれど、何のために行くのだろうか・・・祈っていると、救いのためだ、救いのためだ・・・という思いが、日に日に強くなって行きました。
それで、毎日、従弟の救いのために祈るようになっていました。
そして、11月7日、従弟のところに行く当日に、次のみことばが与えられました。
ピリピ人への手紙 2章13節
神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
このみことばを受け取った彼女は、「ああ、神様が、この志を与えてくださり、神様が行わせてくださるんだ」と思いました。
それで、従弟に会いに行きましたが、従弟は、9か月前から、ある施設に入所されていて、しかし、施設で出されたものは一切食べず、毎日、奥様が持参されたものだけを食べている、という状況でした。
そのとき、彼女は、そう言えば、三年前に、会ったときには、従弟は、東大寺というお寺に、ご奉仕に行った、と、嬉しそうに話していたことを思い出して・・・イエス様の救いを伝えても、拒否されるかも・・・と、急に、不安になってきました。・・・それでも、彼女は、伝えるタイミングを待つことにしました。
しかし、いつの間にか、面会終了時間の間近になり、奥様が帰り支度を始めました。
その時でした・・・朝に与えられた聖書のみことばが、急に思い出されました。
それで、彼女は、「志だ、志・・・ピリピ2:13」と口の中で、みことばをつぶやいていると、不思議な力が湧いて来ました。
それで、奥様に、「私たちは、クリスチャンなんですけど、お祈りをしてもいいですか」と、思い切って聞きました。
すると、なんと、奥様はカトリックだったことが分かり・・・ちょっと驚かれながらも、「いいですよ。」と言ってくださいました。
それで、彼女は、もう一歩、踏み込んで、「イエス様の救いを伝えてもいいですか?」と聞きました。すると、今度は、「いいですよ。いいですよ。どうぞ。」
ということで、話し始めると、従弟は、また、三年前のように、東大寺の話をし始めました・・・それでも、彼女は、「いや、でもね。それでも、イエス様に愛されているんですよ。」とお伝えすると・・・「そりゃえらいこっちゃなぁ」・・・
それで、「イエス様を知っておられますか」と聞くと、「知っている」と答えました。
それで、「イエス様が、従弟さんの罪のために十字架にかかって死んでくださったんですよ。」
と言って、続けて福音を伝えると・・・「そりゃえらいこっちゃなぁ」
それで、最後に、「イエス様を信じますか」と聞くと、はっきりと、「はい。」と答えました。
お祈りをさせてもらうと、従弟は、「アーメン」と一緒に祈りました。
皆さん、彼女が、そのように、祈りと聖書の時間に、神様のことばが、示されるようになったのは、最近のことです。
それは、彼女が、神のことば通りに、神様を、心に信じることを選ぶようになってからでした。
神のことば通りに、イエス様は私の近くにおられ、私とともにおられる。・・・私のうちにおられるイエス様に信頼して、イエス様が、今日も、みことばを教えてくださる、イエス様が今日も、神のことばを示してくださると、心に信じることを選ぶようになってから、祈りと聖書の時間に神のことばが示されるようになりました。
ですから、私たちも、ただイエス様を信じるという以上に、神のことば通りにイエス様を信じることを選びましょう。
イエス様は、朝ごとに私たちの耳を開いて、私たちに分かるように、神のことばを聞かせてくださいます。そして、聞いた神のことばにとどまるとき、私たちが神の愛を体験します。
ですから、次の、神のことばを、もう一度、心に信じることを選んで、祈りと聖書の時間に、神様のことばが、示される恵みを受け取りましょう。
イザヤ書 50章4節
神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに私を呼び覚まし、私の耳を呼び覚まして、私が弟子として聞くようにされる。

