【312】2025/9/28 主日礼拝 『ディボーションの時間』 マルコの福音書<1:34-39> 斉田基牧師
34節を見ると、町中から、多くの悪霊に憑かれた人や病人が、イエス様のもとに連れて来られて、癒しと解放を受けました。その次の日、イエス様は、朝早く起きました。
35節
さて、イエスは朝早く、まだ暗いうちに起きて寂しいところに出かけて行き、そこで祈っておられた。
イエス様は、朝早く、まだ、暗いうちに、寂しいところで、祈っておられた・・・これが、イエス様のディボーションの仕方です。・・・ディボーションとは、祈りとみことばによって、今日、一日、何をすべきかを、神様から、具体的に教えてもらうことです。
イエス様は、朝早く、まだ、暗いうちに・・・すなわち、一日が始まる、誰にも邪魔されない時間に、寂しいところ・・・すなわち、誰にも邪魔されずに、神様と二人っきりの場所で、ディボーションの時間を持ちました。・・・イエス様は、いつも寂しいところに退かれて、祈っておられました。
5つのパンを増やして、5000人に与えたときも、一人で山に登って、寂しいところで祈りました。バプテスマのヨハネが殺されたと聞いたときにも、1人で寂しいとこで祈りました。
どんなに忙しくても、イエス様は、ディボーションの時間を、絶対に外しませんでした。そのように、イエス様は、ディボーションの時間を持つことを、徹底されました。
皆さん、イエス様が大切にされたように、私たちもディボーションの時間を大切にするなら、私たちも、イエス様のように、神様の御声を聞き分けるようになります。
ディボーションをしなくても、日曜日に教会に通っていれば、大丈夫・・・とりあえず、聖書を読んで、お祈りをしていたら、大丈夫・・・しかし、困難が起こると、「ああ、主よ、助けてください。」・・・困難が過ぎると、また、いつものように生活し、そして、また、問題が起こると、「主よ、助けてください。」
・・・ああ、神様を信じているのに、なぜ、こんなに上がったり、下がったりするのか・・・ディボーションの時間を持つなら、解決します。
イエス様のように、毎朝のディボーションの時間に、今日、何をすべきかを、神様から教えてもらうなら、人生のあらゆる問題が解決します。
36-38節
すると、シモンとその仲間たちがイエスの後を追って来て、
彼を見つけ、「皆があなたを捜しています」と言った。
イエスは彼らに言われた。「さあ、近くにある別の町や村へ行こう。わたしはそこでも福音を伝えよう。そのために、わたしは出て来たのだから。」
朝早く、ディボーションの時間を持っていたイエス様のところに、弟子たちが来て、「皆があなたを捜しています」と言いました。
昨日まで、イエス様に癒してもらったり、助けてもらったりした人々が、「イエス様、今日は、こうしてください。ああしてください。」とお願いするために、イエス様を捜していました。・・・しかし、イエス様は、その人々の願いを、全部、断って、次の町に行かれました。何故でしょうか?
・・・普通、良いクリスチャンは、助けを求めて来る人々を拒むことは難しいです。・・・しかし、イエス様は、助けを求めて来た人々を、振り払ってでも、次の町に行きました。何故でしょうか・・・それは、ディボーションの時間に、神様から、今日は、次の町に行って、福音を伝えるようにと示されていたからです。
もし、ディボーションの時間に、神様の直接の御声を聞いていなければ、助けを求める人々を振り払ってまで、次の町には行かなかったでしょう。
しかし、イエス様は、神様の御声を聞いて、神様の御心を確信したので、神様が、次の町で計画されていた、救いのみわざ、恵みのみわざを行うために、次の町に行きました。
皆さん、多くの場合、私たちが信仰の確信を失う原因は、ディボーションの時間を十分に持っていないことです。
イエス様のように、ディボーションの時間に、祈りとみことばによって神様から、今日、すべきことを教えてもらうなら、今日一日を生きるための信仰の確信を持つことができます。
それだけではありません。神様は、ただ、何をすべきかを教えてくださるだけではなく、そうするための力も一緒に与えてくださいます。
忙しい毎日を過ごされていたイエス様が、次の日も、また、次の日も、力強く、神様の働きをし続けることができたのは、毎日のディボーションの時間に、神様から、力を受けていたからです。
祈りとみことばによって、主の御声を聞いて、主から力を受けるディボーションの時間を十分に持つことができないときに、私たちは、信仰の確信を失い、「本当に、これで大丈夫だろうか」と、不安になったり、神の力を受けることができずに、ついには、疲れ果ててしまうのです。
ヨハネの福音書 14章6 節
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
まず、第一に、イエス様は、道です。イエス様は、神のことばです。・・・神のことばであるイエス様ご自身が、私が今日、歩むべき道です。今日と言う日に、私が歩むべき道は、神のことばを通して示されます。
ですから、もし、神のことばを通して示してもらわなければ、私は、今日、歩むべき道を見失い、歩むべきでない別の道を歩んで、迷ってしまうのです。
第二に、イエス様は、真理です。・・・神のことばを通して、今日と言う日に、イエス様という真理が示されるとき、私たちは、今日と言う日を生きるための、信仰の確信を持つことができます。
真理とは、変わらないものです。人種、文化、生い立ち、環境などによって、影響されて、変わってしまうものは、真理ではありません。
私は、こう思います。私は、こう解釈します、というのは、真理ではなく、私の意見です。
意見や解釈なら、人それぞれ、違います。間違うことだってあります。意見や解釈では、確信を持つことができません。しかし、真理が示されるとき、確信を持つことができます。
ディボーションの時間に、今日という日をイエス様と一緒に生きるための真理を教えてもらうなら、今日を生きるための信仰の確信を持つことができます。
最後に、イエス様はいのちです。いのちとは、生きる力です。
神のことばを通して、イエス様といういのちが示されるとき、私たちは、今日と言う日をイエス様と一緒に生きるための神の力を受けます。
ですから、一日を始める最初の時間に、道であり、真理であり、いのちであるイエス様と交わるための、ディボーションの時間を持ちましょう。
ディボーションの時間に、聖書のみことばを通して、主の御声を聞き分けて、今日、何をすべきかを主から教えてもらうとき、私たちは信仰の確信と力を受けます。
ヨハネの福音書 10章27節
わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。
ディボーションの時間は、今日と言う日に、私を導いてくださる主の御声を聞き分け、一日を通して、主についていくための時間です。ですから、ディボーションの時間を、毎日、忠実に持つなら、その人は、ますます、主の御声を聞き分けて、主について行き、豊かな実を結ぶようになります。
先週、豊田さんのお母様を信仰告白に導いてくださった姉妹の証しを分かち合います。
彼女は、もともと、熱心なクリスチャンでした。毎朝、早天に通い、伝道も熱心にしていました。
しかし、彼女は、イエス様の恵みがよく分かりませんでした。それでも、彼女は、熱心に、奉仕をし、伝道しました。その熱心さのあまり、十分に家族を顧みなかったのかもしれません。彼女の家庭は崩壊しました・・・しかし、それでも、彼女は自分を奮い立たせ、熱心に伝道していました。
そんなある日、彼女が伝道していた人に、「あなたの人生を見ていると、あなたの信じている神様がいるとは思えない。」・・・それを聞いて、ついに、彼女は、燃え尽きてしまいました。・・・教会にも、仕事にも行けなくなり、鬱状態になりました。
そんな時、彼女は、神様の恵みを教えてくれる教会に導かれました。・・・そこで、彼女は、彼女の行いとは関係なく、ただ、イエス様の行いによって、救われる恵みを知りました。彼女を救うために十字架でいのちを捨てるほどに、イエス様が彼女を愛してくださった。
・・・彼女の罪のために、イエス様が死んで、よみがえってくださったことにより、彼女のすべての罪は赦され、今や、彼女は、神様の子どもとして、神様に愛されている。
・・・よみがえられた、今も生きておられるイエス様を、自分の救い主、自分の主として、信じて、受け入れるだけで、救われる・・・この恵みを、彼女は受け取ったとき、鬱状態から解放され、救いの喜びが、彼女に生きる力を与えました。
また、彼女は、ディボーションの仕方・・・すなわち、イエス様の御声の聞き分け方も、教えてもらいました。もともと、彼女は、熱心で、忠実な方だったので、教えられた通り、毎日、ディボーションの時間を持ちました。すると、ある時点から、ディボーションの時間だけではなく、生活の中で、語りかける主の御声が聞こえるようになりました。
ある日、彼女は、そろそろ髪の毛を切りたいと思っていましたが、町を歩いていると、「この店に入りなさい」という声が、心に聞こえました。入ったことのない、知らない店だったので、戸惑いました。正直に言って、入りたくないと思ったので、聞き間違いだと、思いたかった・・・
それで、なかなか入れずに、しばらく店の周りをうろうろしていましたが、やはり、「この店に入りなさい。」という声が、心に聞こえます。
それで、彼女は、その声に従うことにしました。
店で、髪の毛を切ってもらっていたとき、自然とイエス様の話をすることができ、その人は、その場で、イエス様を信じ、信仰告白に導かれました。
その時、彼女は、「ああ、あの声は、聖霊様の声だった。」と分かりました。
その日から、彼女は、聖霊様の声を、ますます、聞くようになりました。
ある時には、声に導かれて行くと、近くの神社から、出て来た老人に会って、会話になり、イエス様を伝えると、彼は、その場で、イエス様を信じました。それだけではなく、肩が痛いというので、祈らせてもらうと、その場で癒されました。
彼は、彼女の通っていた教会に通うようになり、バプテスマを受けました。
そのように、主の御声を聞き分けるようになる前までは、彼女が、どんなに熱心に伝道しても、一人も救われませんでした。しかし、主の御声に導かれるようになってから、1年半のうちに彼女を通して、100人の人が、イエス様を信じ、救われました。
彼女が、松戸市から、北海道に引っ越すことを決心したのも、主の御声に聞き従うためでした。彼女は、北海道で一人暮らしをされていたお母様の救いのために、引っ越されました。
彼女のお母様の信仰告白は、まだですが、その前に、主の導きによって、先週、彼女を通して、豊田さんのお母様が信仰告白に導かれました。
豊田さんのお母様は、豊田さんと一緒に、三週間前に、彼女に会いました。そのとき、豊田さんと彼女が、初対面であるにも関わらず、主にある家族として、素晴らしい交わりを持っている姿を目の当たりにして、彼女が帰った後で、お母様は、「私も仲間に入れて」言われたそうです。
皆さん、豊田さんとお母様は、血のつながった実の親子です。それにもかかわらず、お母様が、「私も仲間に入れて」と願わずにはいられないほど、素晴らしい交わり、主にある家族の愛の交わりを、お母様は、目の当たりにしたのです。
それが、三周間前の出来事でした。そして、先週、彼女を通して、お母様は信仰告白に導かれ、今では、自分から、「イエス様、イエス様」とお祈りすることを、教えてもらっているそうです。
皆さん、彼女は、最初から、主の御声を聞き分けることができたわけではありませんでした。
教えられた通り、毎日、忠実に、ディボーションの時間を持つようになり、ある時点で、ディボーションの時間だけではなく、生活の中で、語りかける主の御声が聞こえてくるようになりました。
ですから、私たちも、ディボーションの時間を大切にしましょう。
ディボーションの時間は、祈りとみことばによって、主と交わり時間です。
聖書のみことばを通して語られる、主の御声を聞き分けて、今日、何をなすべきかを、主から直接、教えてもらうための時間です。
ディボーションの時間を持つために、大切な準備は、主との交わりを邪魔されないように、時間や場所を整えることです。
今の時代、主と交わりを最も邪魔するものの一つは、携帯電話でしょう。
そのように、主との交わりを邪魔するものを取り除いて、誰にも邪魔されない時間や環境を整えて、祈りとみことばによって、主と交わる、ディボーションの時間を、毎日、持ちましょう。
まずは、聖書を読んで、一つのみことばを、主から受け取りましょう。
一日を通して、掴むべき、一つのみことばです。
皆さん、弟子たちが、イエス様について行くことが困難になった時というのは、ほとんどの場合、みことばを見失った時です。
ペテロが水の上を歩いたとき、最初は、みことばであるイエス様に目を留めていましたが、波風を見た瞬間、沈み始めました。
私たちも同じです。目を留めるべきみことばを見失った瞬間、確信を失います、疲れます、大変になります。・・・だからこそ、ディボーションの時間に、今日と言う日に、私が掴むべきみことば、目を留めるべきみことばを、主から受け取りましょう。
ディボーションの時間は、イエス様と会話する時間なので、聖書を開く前に、「イエス様、このことについて、語ってください。」あるいは、「このことについては、どうしたらいいでしょうか。どっちを選べばいいでしょうか。」イエス様に質問してから、聖書を読みましょう。
そして、聖書を読んでいく中で、教えられたことを、ノートに書いてください。
教えられたことが、抽象的で、具体的に、今日、何をするのかが、分からなければ、「イエス様、もっと具体的に示してください。」と祈ってください。
たとえば、隣人を愛しなさいと語られたなら、「主よ、いつ、どこで、誰を、どのように愛するのでしょうか。教えてください。」と祈りましょう。
今日、誰々を、このように愛しなさい。と具体的に示されても、・・・ああ、それは難しい、ちょっと無理かもしれないと思うこともあるでしょう。
その時こそ、祈りましょう。異言で祈れる人は、異言で祈りましょう。
私たちは、みことば通りにすべきだと思っても、現実の困難という波風を見て、無理だと諦めてしまう弱さがあります。だからこそ、祈りましょう。
道であり、真理であり、いのちであるイエス様が示されるまで、祈りましょう。
「今日、このことをしなさい」と言ってくださる、イエス様の御声を聞いて、信仰の確信と力を受け取るまで、祈りましょう。
皆さん、大切なのは、失敗しても、諦めないことです。
昨日、主の御声を聞き分けられなかったとしても、今日、主の御声を聞き分けるために、ディボーションの時間を持ちましょう。
主にある家族である私たち全員が、主の御声を聞き分けて、最後まで、主について行くことができるように、私たちは、互いのために祈り合い、励まし合いましょう。
私たちすべてが、ディボーションの時間を持って、主の御声を聞き分け、30倍、60倍、100倍の実を結ぶことを、主イエスの御名によって、祝福します。

