【303】2025/7/27 主日礼拝 『一つにされる交わり』 使徒の働き<2:41~47> 斉田基牧師

 

 

教会は、キリストのからだであり、キリストは、教会のかしらです。
ですから、私たちは、イエス・キリストにあって、一つです。
イエス様を私の救い主、私の主として、受け入れた人はみな、神様の子どもです。天の父なる神様を、お父さんとした、神様の家族であり、一つの家族です。

だからこそ、イエス様が、私たち教会に願っていることは、一つになることです。
イエス様は、信じる私たちのために、父なる神様にお願いして、次のように祈り求めました。
ヨハネの福音書 17章20-23節
 わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。
 父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。
 またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。
 わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。

イエス様が、父なる神様にお願いしたのは、弟子たちのためだけではなく、弟子たちのことばによってイエス様を信じる人々・・・すなわち、今、信じている私たちのためにも、イエス様は、父なる神様にお願いしました。・・・イエス様の願いは、信じる私たちが一つになることです。

どのぐらい一つになることを、イエス様は願われたのでしょうか・・・普段はバラバラでも、週に一回ぐらい、集まって礼拝する・・・そのぐらいでしょうか・・・そうではありません。

イエス様と神様が一つであるほど、私たちも完全に一つになることを、イエス様は願われて、祈られました。それは、私たちが一つになることによって、神様が私たちを愛されたことを、この世の人々が知るためです。

信じる者たちが、一つになる、このイエス様の願いを、神様は、かなえてくださったでしょうか・・・その答えが、今日の箇所にあります。
今日の箇所には、世界で、初めて生まれた教会の様子が書かれています。教会とは、神様の家族です。世界で初めて生まれた神様の家族は、一つになっていました。
44-45節
 信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、
 財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。

イエス様を信じた人々は、お財布を一つにするほど、共同体として一つになっていました。彼らは、一緒に生活し、助け合う家族として一つになっていました。しかし、それだけではありません。
46節
 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、

彼らは、家族のように一緒に生活するという外側の行いだけを、一つにしていたのではありませんでした。彼らは、毎日、心を一つにしたのです。

心を一つにすること・・・これが必要です。・・・まず、内側の心を一つにしたので、外側の行いを一つにすることが、喜びになりました。・・・喜びと真心をもって一つになっていたので、民全体から好意を持たれたのです。・・・「ああ、なぜ、この人たちは、一つになることを、こんなにも喜べるのか・・・私たちも、この人たちに、加わりたい」・・・そう願う人が、次々と、加えられていきました。
47節
 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。

皆さん、まず、内側の心を一つにしましょう。内側を一つにすると、外側を一つにすることが喜びになります。しかし、内側がバラバラなまま、外側だけを一つにしようとすると、苦しくなります。

皆さん、考えて見てください。・・・ああ、本当は嫌だけど、赦し合わないといけないから、愛し合って、一つにならなければいけないから、苦しいけど、我慢しなきゃ・・・イライラしながら、外側だけでも一つになろうと努力している・・・そのような人たちを見て、好意を持つでしょうか。
「ああ、私たちも、あの苦しんで、イライラしている人たちに加わりたい。」と思うでしょうか。

皆さん、教会は、この世の人たちが見ても、好意を持たれるところです。
教会の外にいる人たちが、「ああ、あの教会の人たちに加わりたい」と願うほどに、喜びと真心をもって、交わりを持ち、一つになるところ、それが教会です。

教会の外にいる人たちが、見ても分かるほど、教会の中にいた、兄弟姉妹たちは、互いに愛し合う喜びに満たされていました。・・・教会は、神の愛で、互いに愛し合う喜びに満たされるところです。
Ⅰヨハネの手紙 4章12節
いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。

神の愛で互いに愛し合うとき、私たちは喜び溢れます。その恵みを、修練会で、多くの人が体験しました。・・・愛の交わりがあるとき、神様を見たことがない人も、その交わりの中で、神様に出会います。・・・・私たちのうちに愛の交わりがあるとき、神様を信じない人も、「ああ、この人たちの交わりに、私も加わりたい」と願うようになります。
今回の修練会で、スジソンハン牧者教会のカン・デヒョン牧師夫婦、そして、4人のとりなしチームの方々と交わりを持たれた方は、その恵みを体験しました。
彼らは、集会の間中、いつも後ろの方で、私たちのためにとりなし祈っていました。そして、彼らは、私たちが恵みを受ける姿を見ては、自分のことのように、涙を流して喜んでいました。
彼らは、日本に来る、何週間も前から、私たち一人ひとりの名前を呼びながら、断食して、とりなし祈って来ました。
この修練会のために特別に祈る3時間の祈祷会を、何度も持ちました。
また、韓国のスジソンハン牧者教会では、70人の方が、3、4人ずつで、交代しながら、修練会の最初から最後まで、とりなし祈り続けてくださっていました。

修練会の後、カン・デヒョン牧師夫婦、そして、とりなしチームと、交わりを持つ時間を、一泊二日ほど持たせて頂きました。
皆さん、彼らは、驚くほど、仲が良いです。単に、仲が良いと言うのではなく、彼らの交わりには、愛と尊敬がありました。みことばを教えるカン・デヒョン牧師夫婦に対する愛と尊敬がありました。彼らは、みことばの教えによって、一つになっていました。
41-42節
 彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
 彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。

彼のことば、すなわち、使徒ペテロが語った、みことばを受け入れた3千人の人が、新しく教会に加わりました。
皆さん、考えて見てください。この教会に、一日のうちに100人の新しい人が加わるだけでも、もの凄いことです。
しかし、何とここでは、それまで、全く違う生き方をして、バラバラだった3000人以上の人が、一つになっています。互いに愛し合い、助け合う家族として、一つになっているのです。
なぜ、そんなことができたのでしょうか。・・・それは、彼らが心を一つにしたからです。

皆さん、家族で心を一つにすることは簡単でしょうか。夫婦で心を一つにすることでも、難しいかもしれません。しかし、ここでは、3000人以上の人が心を一つにしています。
なぜ、そんなことができたのでしょうか・・・みことばの力です。みことばの中にある神の力です。

彼らはいつも、使徒たちの教えを守っていました。・・・使徒たちが教えるみことばの教えを守っていたのです。
・・・このみことばの意味は、こういう意味だと、私は信じる。いや、そのみことばは、そんな意味ではなく、こういう意味だと、私は信じている・・・・・そのように、それぞれが違う信じ方をして、違うやり方で、みことばを行うとき、教会は分裂し、一つになりません。
しかし、使徒たちが教えたみことばの真理は、一つでした。
だからこそ、その真理の教えを守ることによって、彼らの心は一つになりました。
彼らは、そのみことばの教えによって、心を一つにして、交わりを持ちました。
みことばの教えによって、心が一つにされていたので、彼らの交わりは、神の愛で愛し合う喜びの交わりになったのです。
46-47節
 そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
 神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。

彼らは、毎日、みことばの教えによって、心を一つにして、宮に集まるだけではなく、家々でも交わりを持ちました・・・これが、家の教会の交わり、小グループの交わりです。
教会だけではなく、それぞれの家庭で、毎日の生活の中で、喜びと真心をもって、交わりを持つとき、主が、その交わりに、救われる人々を加えて、一つにしてくださいます。

その交わりを、私たちは、修練会で体験しました。みことばの教えによって、心を一つにし、互いのために祈り合う、交わりの中で、主の恵みを体験しました。・・・その恵みに満ちた交わりを、家庭の中でも、日々の生活の中でも持つこと、それが、家の教会の交わりです。
その交わりを通して、恵みを受けるとき、私たちの信仰は、ますます成長します。

とりなしチームの一人の姉妹は、かつては、恥ずかしくて人前で祈ることができなかったと言います。・・・それで、聖霊様による祈り賜物、異言の賜物を求めましたが、なかなか、与えられませんでした。・・・しかし、それが与えられたのは、家の教会の交わりを通してでした。
家の教会を導くリーダー家庭には、5歳のお子さんがいましたが、脳性麻痺で、立つこともできませんでした。しかし、その子が、いつも賛美している姿に、彼女は感動したのです。

不自由な小さな体で、神様を賛美する姿を見て、彼女は、その子の癒しために祈らずにはいられなかったそうです・・・その祈りの中で、その子を愛する心で、その子の癒しのために、とりなし祈る祈りの中で、彼女は、悔い改めに導かれました。
・・・それまで体験したことがない、深い、深い悔い改めでした。そのとき、彼女は、聖霊様に満たされ、異言の祈りが与えられました。
・・・祈りが変えられてから、彼女の人生も全く変えられて行ったそうです。

家の教会の交わりの中で、その子に出会ったことが、彼女の人生を変えるきっかけになりました。家の教会の交わりがなければ、彼女は、その子に出会うこともありませんでした。

彼女だけではなく、実に多くの人が、その子の癒しのために祈りましたが、その子は、今も、完全には癒されていません。しかし、その子のために祈ることを通して、多くの人が、彼女のように、恵みを受けました。
その子は、現在25歳になっています。立つことはできませんが、脳性麻痺で、硬直していた手は癒され、ピアノが弾けるようになり、賛美を作曲しながら、主を賛美しています。

また、とりなしチームの、別の姉妹は、家の教会の交わりを通して、夫婦がともに変えられたと言います。
当初、その夫婦にとって、家の教会の交わりに参加することは、正直に言って負担でした。
しかし、リーダーが本当に良くしてくださったので、夫は、リーダーのために交わりに参加し、リーダーのために、毎日、聖書を3章、読むようになりました。

ちょうどそのころ、職場で、苦しいこと、辛いことが、どんどん起こり始めました・・・すると、不思議です。苦しいとき、つらいとき、何故か、読んだみことばが思い起こされ、不思議に励まされる、不思議に力が与えられる恵みを、何度も体験しました。
その結果、それまで、自分から祈ることはなかった夫が、朝、仕事に行く前に、ひざまずいて祈るように変えられたそうです。

皆さん、自分で変わろうと思っても、なかなか変わることができなかった人が、家の教会の交わりの中で恵みを受けることを通して、変えられました。
また、変わろうとさえ思っていなかった人、正直に言って、負担だと思っていた人も、その交わりを通して恵みを受け、変えられました。

家の教会の交わりは、恵みを受ける交わりです。神様の愛で愛し合うことによって、一つにされる交わりです。その交わりの土台、その交わりの中心は、みことばの教えです。

初代教会の聖徒たちは、毎日、使徒が教えた、みことばの教えによって、内側の心を一つにしたからこそ、外側も、喜びと真心をもって、一つにすることができました。

まず、内側をきよめましょう。・・・みことばの水の洗いが、内側をきよめます。
神のことばが、私たちの心を造り変えます。
みことばの真理が、私たちの心を一つにします。

ですから、私たちは、みことばの教えによって、心を一つにしましょう。
そして、みことばの真理を土台にし、中心にして、交わりを持ちましょう。
そのとき、私たちの交わりは、神の愛で愛し合う交わりになるのです。

その交わり・・・神様の愛で、愛し合う、その交わりを、教会だけではなく、家庭でも、日々の生活の中でも、持ちましょう。
みことばの真理の教えによって、心を一つにして、交わりを持つ恵みが、皆さんの家庭に、日々の生活に与えられることを主イエスの御名によって、祝福します。