【294】2025/5/25 主日礼拝 『福音の力』 マルコの福音書<16:15~20> 斉田基牧師
15-16節
それから、イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。
信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
私たちの救い主、イエス・キリストは、全世界のすべての人に福音を宣べ伝えなさいと命じられました。それは、すべての人が、福音を信じて、救われるためです。
信じる者は救われます。しかし、信じない者は、罪に定められ、滅びます。
信じる者は救われ、信じない者は滅びるというと・・・神様は、信じる者だけを愛して救い、信じない者は憎んで滅ぼす、ように聞こえるかもしれません・・・しかし、そうではありません。
信じる人も、信じない人も、すべての人が罪人でした。信じる人も、信じない人もすべての人が自分の罪のために滅びなければならなかった、罪人でした。
神様は、信じる人も、信じない人も関係なく、すべての罪人を愛しています。神様は、すべての罪人を愛されました。
ヨハネの福音書 3章16節
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。・・・世とは、この世のすべての罪人です。・・・神様は、すべての罪人を愛しています。
自分の罪のために、滅びなければならなかった私たちを、神様は愛して、私たちを救うために、神様のひとり子イエス様を与えてくださった。
イエス様が、私たちのすべての罪を背負って、罪の罰をすべて、代わりに受けてくださったので、私たちの罪は、すべて、赦されました。
私たちの罪のために死んで、地獄に下られたイエス様は、永遠のいのちの力によって復活されました。今も生きておられる、イエス様だけが、私たちに、罪の赦しと、永遠のいのちを与えることができる、救い主です。
イエス様を、自分の救い主として信じて、受け入れる人は、誰でも、罪の赦しと永遠のいのちを受け取ります。
信じる人も、信じない人もすべての人が罪人でした。ただ、イエス様を信じて、受け入れる人は、罪の赦しと永遠のいのちを受け取ることができる。イエス様は、神様が、すべての罪人にプレゼントしてくださった、救いのプレゼントです。
神様の救いのプレゼントである、イエス様を信じて、受け取るなら、救われます。しかし、信じないで、受け取らなければ、滅びます。・・・神様が私たちに、求めているのは、信じることです。
罪人である、私たちが、どんなに善行を積んでも、救われないからです。
自分で自分を救うことができない私たちを、神様は、私たちを救ってくださいました。
あなたを愛し、救ってくださった、神様を信じるだけです。あなたを救うために、いのちまで捨ててくださった神様の愛を信じるなら、あなたは、救われた神様の子どもです。
Ⅰヨハネの手紙 3章1節前半
私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。
神様を信じるだけで救われます。
しかし、信じたくても、神様を、正しく、知らなければ、信じることができません。
私たちを救うために、神様が与えてくださった救い主、イエス様を信じるだけで救われる・・・この福音を、誰かが、伝えてくれなければ、信じることができません。
だからこそ、イエス様は、福音をすべての人に宣べ伝えなさい、と命じました。
ローマ人への手紙 1章16節
私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
福音には、信じるすべての人を救う力があります。
私たちは、かつて、イエス様の福音を聞きました。そして、聞いた福音を信じることを選んだとき、神の力が、私のうちに働いて、罪の赦しと永遠のいのちを受け取り、私は救われました。しかし、それだけではありません。福音の力は、信じる私たちのうちに、今も、働いています。
福音を信じる私たちが祈ると、神様が、祈りに答えてくださいます。
信じる私のうちに、神の力が働いているから、私は、神様に愛される喜びと力に満たされます。
私たちは、自分の力で、福音に従うのではありません。・・・信じる私たちのうちに働く、神の力によって、福音に従います・・・信じる私たちのうちに働く、神の力のおかげで、喜んで福音を伝えることができます。
ある二十代の兄弟が、アルバイトの休憩中に、初めて会った同年代の男性と会話になり、話が弾んで、イエス様を伝えました。
・・・バイト先は工場で、彼は兄弟とは別の場所で働いていました。・・・それで、彼は、休憩中だけでは足りないから・・・仕事が終わってから、もっと詳しく聞かせて欲しい、と兄弟に頼みました。それで、兄弟は、仕事の後に彼に、イエス様の福音を伝えました。
すると、彼は、その場で、イエス様を信じ、受け入れ、神様の子どもになりました。
イエス様を信じ、受け入れる祈りをした彼は、聖霊様のバプテスマを受け、異言の賜物が与えられました。
さらに、兄弟から、「何か祈って欲しいことがありますか」と聞かれたとき、彼は、「入院しているお母さんのために祈って欲しい。」と言いました。
実は、その時、彼のお母さんは、何かの数値が悪くて、退院の目途が立たない状況でした。
・・・それで、二人は、お母さんの癒しのために、一緒に祈りました。
すると、その日、お母さんの数値が、急に正常になり、お医者さんは、原因は不明ですが、検査をしても、数値が正常なので、退院させてくれたそうです。
それで、彼は、イエス様を伝えてくれた兄弟が通っている教会に行き、先週の主日礼拝で、「数日前、私は、イエス様を信じて、神様の子どもになりました。」と、喜んで、証ししていました。
皆さん、この二十代の兄弟は、イエス様を伝えなければ・・・という思いで、頑張って、自分の力で、福音を伝えることによって、彼を救ったのではありません。
この兄弟は、自分を愛してくださったイエス様を愛していました。自分を救ってくださったイエス様を喜んでいました。それで、誰かと仲良くなって、話が弾むと、つい、イエス様のことを伝えてしまった・・・心の中で、いつもイエス様を喜んでいたので、つい、イエス様のことを話してしまった。
皆さん、この兄弟がしたことは、彼に福音を伝えたこと・・・そして、彼のお母さんのために祈ったことです。ですから、彼を救ったのは、兄弟ではなく、福音を伝えた兄弟と共に働いてくださったイエス様です。・・・また、彼のお母さんを癒したのは、兄弟の力ではなく、兄弟と共に働いてくださったイエス様の力です。
20節
弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。
ここで、弟子たちがしたことは、出て行って、福音を宣べ伝えた・・・それだけです。
弟子たちが、自分の力で、しるし、奇跡、癒しを行ったのではありません。
弟子たちは、ただ、出て行って、福音を宣べ伝えました。
イエス様が弟子たちに、「全世界に出て行き、すべての人に福音を宣べ伝えなさい。」と命じられた通りに、福音を宣べ伝えた結果、イエス様が、弟子たちとともに働いて、しるし、奇跡、癒しを行い、人々を救ってくださいました。
同じように、私たちも、イエス様に命じられた通り、福音を宣べ伝えるなら、イエス様が私たちとともに働いてくださり、しるし、奇跡、癒しを行い、人々を救ってくださると、信じますか?
福音を伝えるなら、イエス様がともに働いてくださると信じますか?・・・信じる人には、次のようなしるしが伴います。
17-18節
信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、
その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。
信じる人は、主イエスの御名によって悪霊を追い出し、聖霊様によって与えられる新しいことば、異言で祈り、その手で蛇をつかみ、たとえ死に至る毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒されます。と、イエス様が、言われました。
・・・これらのことは、イエス様を信じる人に起こることです。
イエス様を信じるとは、イエス様が、そのことばを語られたなら、必ず、私の人生に、そのことばが実現すると、信じることを選ぶことです。
いや、そんなことは、私には起こらないと信じるのではなく、イエス様が言われたことは、私にも、必ず、起こると信じて、イエス様のことばにとどまることです。
イエス様を信じるとは、イエス様が語られたことばにとどまることです。イエス様が語られたことばにとどまらなければ、本当のイエス様を知ることができません。
ヨハネの福音書 8章31-32節
イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
イエス様のことばにとどまるなら、あなたは真理を知る・・・この真理とは、イエス様です。イエス様は、道であり、真理であり、いのちです。
ですから、イエス様のことばにとどまるなら、私は、真理なるイエス様を知ります。本当のイエス様を知ります。しかし、イエス様のことばにとどまらなければ、本当のイエス様を知ることができません。もし、イエス様のことばにとどまらないで、本当のイエス様を知らないまま、イエス様を信じるというなら、偽物のイエス様を、間違って信じてしまうことに、なりかねません。
ここで、イエス様を信じたというユダヤ人は、イエス様のことばにとどまっていませんでした。彼らの中には、イエス様のことばが入っていませんでした。
ヨハネの福音書 8章37節
わたしは、あなたがたがアブラハムの子孫であることを知っています。しかし、あなたがたはわたしを殺そうとしています。わたしのことばが、あなたがたのうちに入っていないからです。
皆さん、なぜ、イエス様を信じたというユダヤ人の中には、イエス様のことばが入っていなかったのでしょうか。
・・・それは、彼らの中に、もうすでに、別の言葉が入っていたからです。彼らは、イエス様のことばよりも、すでに自分の中に入っている別の言葉を信じていました。
自分が信じている別の言葉を、自分の中にとどめるために、イエス様のことばを受け入れなかった・・・彼らが信じて、自分の中にとどめた別の言葉とは、どんな言葉だったのでしょうか。
ヨハネの福音書 8章44節
あなたがたは、悪魔である父から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと思っています。悪魔は初めから人殺しで、真理に立っていません。彼のうちには真理がないからです。悪魔は、偽りを言うとき、自分の本性から話します。なぜなら彼は偽り者、また偽りの父だからです。
ユダヤ人が、自分の中にとどめた別の言葉は、偽りの言葉でした。なんと、彼らは、イエス様のことばよりも、偽りの言葉を信じることを選んでしまった・・・皆さん、これは、ユダヤ人が、特別に騙されやすかったからではありません。
この世の常識的には、偽りの父である悪魔の言葉の方が、理にかなっていて、信じやすい・・・聖書は教えています。この世全体は悪魔の支配下にあり(Ⅰヨハネ5:19参照)、この世の流れを作っているのは、悪魔だと・・・(エペソ2:2参照)
ですから、この世の常識で考えると、イエス様のことばの方が、偽りに聞こえます。逆に、この世の声、悪魔の声の方が、真理に聞こえてしまうのです。
皆さん、考えて見てください。イエス様を信じる、あなたが、病人に手を置けば癒されます。・・・信じられますか?
イエス様のことばは、いつも、真理です。
・・・しかし、イエス様を信じて、病人に手を置いて祈って見たけれども、癒されなかった・・・ということを何度も経験すると、本当に、癒されるだろうか。非科学的だ、現実的でない・・・そんな言葉が聞こえてきます。・・・その時、そのような言葉よりも、イエス様のことばを信じることを選んで、イエス様のことばにとどまる・・・それが信仰です。
信仰は、私が、信じられるか、信じられないか、で決まるのではありません。
信仰は、私が、信じることを選ぶか、選ばないかで、決まります。
たとえ、自分では、とても信じられないと思っても、イエス様が、そのことばを語られたなら、私は信じることを選びます・・・それが、信仰です。
ですから、イエス様のことばにとどまるとは、たとえ、イエス様のことばが、私に実現するとは信じられなくても、自分の意志で、信じることを選び続けることです。・・・聖書で言う、信じることを選ぶとは、信じたみことばを、心に信じることを選んで、口で告白することです。
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。
家族がとても救われそうにない状況であっても、アーメン。主イエスよ。信じます。私も、私の家族も救われます。イエス様、あなたを信じた私も、私の家族も救われます。ハレルヤ!主よ。感謝します。・・・心に信じて、口で告白し続けることです。
主イエスを信じる私は、主イエスの御名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。アーメン。主イエスよ、信じます。感謝します。
そのように、イエス様が語られたことばを、心に信じて、口で告白することを、選び続けること・・・それが、イエス様のことばにとどまることです。
・・・ですから、私たちは、イエス様のみことばが実現するまで、みことばにとどまることを決心しましょう。・・・・・今日、みことばにとどまる決心をする皆さんに、イエス様が、このみことばを私に実現してくださったと知るまで、みことばに、とどまり続ける恵の力が、豊かに与えられることを主イエスの御名によって、祝福します。

