【293】2025/5/18 主日礼拝 『敬虔の力』 Ⅱテモテへの手紙<3:1~5> 斉田基牧師
1節
終わりの日には困難な時代が来ることを、承知していなさい。
今は、終わりの日です。つまり、世界の終わりは、もうすぐ来ます。
携挙が起こるとき、世界の終わりが始まります。
イエス・キリストを信じて、自分の主としている人たちが、突然、地上からいなくなります。
しかし、イエス様を、自分の主としていない人は、この地上に残され、全世界の罪に対する、神様の怒りの裁きを見ることになります。
ですから、愛をもって、忠告します。・・・携挙は、もうすぐ起こります。
毎日、準備してください。・・・準備とは、毎日、私の主であるイエス様を喜ぶことです。
私を愛し、私を救うために、死んで、よみがえられた方、今も私のうちに生きておられるイエス様と、一緒に生きる、今日という日を、喜び、感謝することです。
そして、今日という日に、私に与えられた神様の使命に忠実になることです。
もう一度、言います。世界の終わりは、もうすぐ来ます。
もし、あなたが、イエス・キリストを主としているなら、恐れる必要はありません。しかし、イエス様を主としていないなら、今日、イエス様を信じて、自分の救い主として受け入れてください。
終わりの日である、今の時代は、困難な時代です。
・・・多くの人々が自分だけを愛するようになります。・・・自分さえよければそれでいい・・・人の愛がどんどん冷えていきます。
高ぶって、自分は正しく、人は間違っている・・・恩知らずで、感謝をしない、恩を仇で返す・・・神よりも快楽を愛する・・・困難な理由は、たくさんありますが、最大の問題は、敬虔の力を否定することです。
5節
見かけは敬虔であっても、敬虔の力を否定する者になります。こういう人たちを避けなさい。
なぜ、敬虔の力を否定することが最大の問題なのか・・・それは、敬虔の力がなければ、人々が真理を知ることが難しくなる・・・敬虔の力がなければ、本当に、その神様が人を救うことができる、本物の神様なのか、分からなくなります。
敬虔の力とは、人を、みことば通りに生かす、神の力です。
ですから、神様を信じていても、敬虔の力を否定するなら、その人は宗教的に生きるしかなくなります。みことば通りに生かす神の力を否定するなら、その人は、人間の力で、聖書の教えを宗教的に行うしかなくなるからです。
しかし、人間の力では、人を救うことはできません。人が救われるためには、神の力が必要です。みことば通りに私たちを救う、神の力が必要です。
南アジアに、特定の部族しか住むことができないジャングルがあります。
そこで、クリスチャンを迫害していたある宗教の、祭祀の家がありました。
祭祀である父親が病気になり、あらゆる神々にささげ物をささげ、あらゆる儀式を行っても、癒されるどころか、どんどん悪化しました。
ついに寝たきりになり、食べることもできなくなり、もう死を待つだけ・・・家族は絶望し、悲しんでいたとき、何と、一人のクリスチャンが、その家に、訪ねて来ました。
特定部族しか住むことができないジャングルです。クリスチャンが入って行くなら、殺されてもおかしくない場所です。
それなのに、そのクリスチャンは、突然、その家に入って来て、家族みんなが驚き、騒いでいる中で、何を言われも無視して、お父さんの上に手を置き、イエス・キリストの御名によって、祈りました。・・・なんと、お父さんは、癒されました。・・・その日、家族全員が、イエス様を信じました。・・・異教の祭祀の家族全員が、イエス様を信じました。
皆さん、なぜ、このクリスチャンは、いのちの危険を冒してまで、どこに何があるかも分からないジャングルに入って来て、この祭祀の家を見つけることができたのでしょうか・・・それは、聖霊様の導きを受けたからです。
使徒の働き8章で、ピリポを、聖霊様が、「荒野にある、あの道に行きなさい。」と導かれ、エチオピアの女王の宦官のところまで導いてくださったように、このクリスチャンも、聖霊様が導いてくださったので、ジャングルの中の、祭祀の家を見つけることができました。
このクリスチャンは、みことば通りに生きる敬虔の力によって、聖霊様の導きを受けました。
このクリスチャンは、敬虔の力を信じていました。みことば通りに、彼を生かす神の力を信じていたので、彼が、信じていた通り、主イエスの御名で、病人に手を置いたとき、癒やされました。
マルコの福音書 16章17-18節
信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、
その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。
そのように、みことば通りに信じ、みことば通りに生きる一人のクリスチャンを通して、異教の祭祀の家族が救われました。
しかし、それから間もなく、その家の息子が、事故に会いました。車に引かれる事故ではなく、牛の群れに引かれる事故でした。牛の群れに踏みつけられ、全身血まみれになって、家に運ばれて来たときには、息子は、昏水状態で、意識を失っていました。
その時には、もう、そのクリスチャンはいませんでした。
しかし、みことば通り、神の力が働くことを信じていた、そのクリスチャンを通して、イエス様を信じた、この家族は、自分のたちのうちにも、神の力が働くことを信じて、祈りました。
家族みんなで、息子のために、イエス・キリストの御名によって、祈りました。
その瞬間、息子は癒され、昏水状態から意識を回復し、立ち上がりました。
・・・その日、その息子は、イエス様に人生をささげました。
皆さん、一人のクリスチャンが、神の力によって、みことば通りに生きた結果、異教の祭祀の家族が、イエス様を信じて、救われました。・・・ただ信じたというのではなく、その家族も、神の力によって、みことば通りに生きる人生に変えられました。・・・これが敬虔の力です。
敬虔の力は、信じる人の人生を変える神の力です。・・・信じる私たちを、みことば通りに生きる者に変える神の力です。・・・みことば通りに生きる者・・・つまり、イエス様のように生きる者に、私たちを変える神の力です。
Ⅱペテロの手紙 1章3-4節
私たちをご自身の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました。
その栄光と栄誉を通して、尊く大いなる約束が私たちに与えられています。それは、その約束によってあなたがたが、欲望がもたらすこの世の腐敗を免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。
主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えます。主イエスの、神の力が、私たちを神のご性質にあずかる者とします。・・・つまり、神の力が、私たちを、イエス様のように生きる者にします。
神の力が働くなら、私たちは、イエス様のように生きる者になります。
しかし、神の力が働かなければ、何も変わりません。ですから、神の力が、私たちに働く必要があるのです。・・・神の力は、私たちが、神を知るときに働きます。
みことばには、・・・神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は・・・とあります。・・・ですから、神の力は、私たちが、神を知ることによって働きます。・・・神を知ることが大切です。
神の力が、私に働くためには、私が神を知ることが必要です。敬虔の力が、あなたに働いて、あなたがみことば通りに生きるためには、あなたが神を知ることが必要です。
そして、神を知ることは、神のことばにとどまるときに、与えられます。
ヨハネの福音書 8章31-32節
イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
もし、私たちが、イエス様のことばにとどまるなら、私たちは真理を知り、真理が私たちを自由にします。真理とは、イエス様です。主イエスは言われました。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。』(ヨハネ14:6)
イエス様のことばにとどまるなら、私たちは、イエス様を知り、イエス様の神として力が、私たちのうちに働いて、私たちを自由にします。
あるクリスチャンの女性は、高校を卒業して、すぐに社会人になりました。
職場の雰囲気に慣れるだけでも大変だと思っていた時に、上司から、いつも「あなたは大雑っ把だからダメだ。」と言われ続けました。
ミスをする度に怒られ、時には、裏に呼び出されて、ため息をつかれ、通りすがりに、わざわざ「あなたは仕事が雑だからミスを犯かす。」と言われる・・・それが半年以上続き、上司が近づくだけで、手が震え・・・休憩時間には、トイレに駆け込んで、涙を流していました。
しかし、そんな彼女を支えたのは、彼女と付き合っていたクリスチャンの男性でした。
「大丈夫。大丈夫だよ。失敗を恐れなくていいんだよ。
大丈夫。その言葉は、あなたには必要ない言葉だから、もう気にしなくていい。神様は、あなたのことを、そういう風には思っていないから、その言葉は、キャンセルしていいんだよ。
神のことばは、どんな言葉よりも力強いから、すべてのマイナスの言葉を、キャンセルすることができる。
神のことばが、どういうものなのかを知るなら、状況さえも覆すことができるから、大丈夫。
神様は、あなたを通して、職場をリバイバルしてくださる。神様が、あなたと一緒におられるから、大丈夫。」
本当に、不思議でした。彼が語ってくれる、神のことばを聞くと、心から励まされ、「本当に、そうだ」という信仰が与えられました。
それで、彼女は、「神様は、いつも私と一緒にいてくださるから、大丈夫。」と、自分に、神のことばを宣言しながら、通勤しました。
ある日、いつものように上司に怒られ、いつものように傷ついて、落ち込んだとき、彼女は、自分にみことばを宣言しながら仕事をしていました。
「このマイナスの言葉は、私には必要ない。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる。だから、今のこの状況でも、立ち上がることができる。私は、私を強くしてくださる方によって、上司も愛することができる。」
その瞬間、「神のことばが、自分のうちに働くのを感じた。」 と、彼女は言います。
彼女は、次のように証しされていました。
「あの時のことは、今でも、リアルに思い出すことができます。
あの時、体験した神様の愛。神様と恋に落ちるような・・・恋は盲目と言いますけど、本当に、もう、神のことばにしか目が行かなくなる・・・もう周りの人の言葉には、目が行かなくなる・・・どんなに傷つく言葉を言われても、その人を愛することができる。」
その日から彼女の心が変えられました。・・・上司の態度、環境は何も変わっていません。しかし、神のことばによって心が変えられた彼女は、その上司を愛し、尊敬するようになり、上司から学びたいという思いになりました。
ちょっと前まで、シフトを見ると、「ああ、今月は、上司と一緒の日が、こんなにもある・・・もう嫌だ。もうやめたい。」・・・そんな思いになったのに、「ああ、この上司と一緒に働きたい。一緒に働いて、学びたい。」 という思いに変えられました。
彼女はこう証されました。
「私は、自分の頑張りで愛そうとしたのではありません。でも、私が神のことばに生きるとき、どんな言葉にも、影響されないことを、悟らされました。
その時から、職場が、喜びと感謝に満ち溢れました。上司だけではなく、職場の人みんなを愛し、尊敬する心が与えられました。」
皆さん、彼女を変えたのは、神のことばです。
彼女が、神のことばに生きたとき、神の力が彼女に働き、もはや、どんな言葉も、彼女を傷つけて、打ち倒すことができなくなりました。
しかし、そのことは、すぐに、起こったわけではありません。
彼女は、人の言葉に傷つきながらも、神のことばを、自分に宣言し続けました。
彼女のためにとりなし祈って、神のことばで励ましてくれる彼の助けもありました。
そして、彼女は、神のことばを、自分に宣言し続けることによって、イエス様のことばにとどまり続けたのです。
イエス様のことばにとどまり続けた結果、ついに彼女は、真理であるイエス様を知り、イエス様の神として力が、彼女のうちに働いて、彼女を自由にしました。
ヨハネの福音書 8章31-32節
イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
皆さん、敬虔の力を否定する者ではなく・・・私たちは、信じて、敬虔の力を受ける者になりましょう。
イエス様の神としての力が、自分のうちにも働くことを、信じて、イエス様の力によって、みことば通り生きる者になりましょう。
その始まりは、イエス様のことばにとどまることです。
イエス様のことばにとどまるとは、イエス様のことばを信じ、思い巡らし、口ずさむことです。
自分自身に、神のことばを宣言し続けることです。
皆さんが、イエス様のことばにとどまり、真理であるイエス様を知って、イエス様の神としての力が皆さんに働くことを、主イエスの御名によって祝福します。

