【292】2025/5/11 主日礼拝 『信仰によって結びつける』 へブル人への手紙<4:1~2> 斉田基牧師

 

へブル人への手紙 4章1-2節  

  こういうわけで、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。神の安息に入るための約束がまだ残っているのに、あなたがたのうちのだれかが、そこに入れなかったということのないようにしましょう。
 というのも、私たちにも良い知らせが伝えられていて、あの人たちと同じなのです。けれども彼らには、聞いたみことばが益となりませんでした。みことばが、聞いた人たちに信仰によって結びつけられなかったからです。

彼らには聞いたみことばが益となりませんでした・・・どういう意味でしょうか。
例えば、二人の人が、「神様は、あなたを祝福します」という、みことばを聞きました。
一人の人には、聞いたみことばが実現し、みことば通りに祝福されました。

しかし、もう一人の人は、祝福されませんでした。・・・もう一人の人には、聞いたみことばが益とならなかった。・・・なぜ、益とならなかったのか、それは、「神様はあなたを祝福します」というみことばが、その人に、信仰によって結びつけられなかったからです。
ここで質問です。
祝福された人と、祝福されなかった人では、どちらに、みことばが実現したでしょうか。
実は、どちらにも実現しました。
祝福されなかった人には、「信じない者には、こうなります」という、みことばが実現したのです。
ヨハネの福音書 3章16-18節
 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
 御子を信じる者はさばかれない。信じない者はすでにさばかれている。神のひとり子の名を信じなかったからである。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。・・・神様が愛された世とは、この世のすべての罪人です。
そのままでは、自分の罪のために、神様の裁きを受け、地獄で滅びなければならいない罪人を、神様は、愛されました。・・・罪人を救うために、最愛のひとり子を与えるほどに、愛されました。
それは、もし、その罪人が、神のひとり子イエス・キリストを信じるなら、決して滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。

神様が、私を救うために、遣わされた救い主イエス・キリストを信じるなら、私は決して滅びることなく、永遠のいのちを持つ。
しかし、信じなければ、私は、自分の罪のために、神のさばきを受けて、滅びます。
つまり、イエス様を信じるなら、永遠のいのち、という、みことばが実現しますが、信じなければ、神のさばき、というみことばが実現します。
ですから、信じる人にも、信じない人にも、みことばは、必ず、実現します。
ただ、聞いたみことばを信じるか、信じないかで、その人にとって、みことばが益になるか、どうかが決まります。もし、その人が、聞いたみことばを信仰によって、自分に結びつけるなら、みことばは、益となるのです。
・・・みことばを聞くだけで、信仰によって、結びつけなければ、みことばは益となりません。
今日、皆さんに、みことばが、信仰によって結びつく恵みが豊かに与えられることを主イエスの御名によって、祝福します。

どうすれば、みことばを信仰によって結びつけることができるのか・・・・それは、私たちがみことばを聞くとき、神様が、他の誰でもなく、私に、このみことばを語りかけてくださると、意識して、信じて、みことばを、私に対する神のことばとして、受け入れることです。
Ⅰテサロニケ 2章13節
こういうわけで、私たちもまた、絶えず神に感謝しています。あなたがたが、私たちから聞いた神のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、信じているあなたがたのうちに働いています。

もし、あなたが、今、聞いている、みことばを、神様が、あなたに語りかける神のことばとして、信じ、受け入れるなら、神のことばは、あなたのうちに働きます。
神様は、信じるあなたのために、すべてのことを働かせて益としてくださいます。

皆さん、聖書を読むと、多くの人物が登場します。
アブラハム、イサク、ヤコブ、ダビデ、ペテロ、ヨハネ、パウロ・・・聖書の中で、神様は、彼らに語りかけます・・・彼らに語りかけた神様のことばを、今、神様は、私にも語りかけてくださっていると、意識して、信じて、読まなければ、聖書は、彼らの奇跡のストーリーではあっても、私には関係ない、歴史の本になってしまいます。

しかし、彼らに約束された神様は、今、私にも約束してくださる。
みことばを信じた彼らのために、奇跡と祝福を実現してくださった神様は、今、みことばを信じる私のためにも、奇跡と祝福を実現してくださる・・・そのように、意識して、信仰によって、聖書を読むなら、聖書は、私の奇跡のストーリーになります。

大切なのは、聖書のみことばを、信仰によって、自分に結びつけることです。
このみことばは、私のために書かれている。この救いの約束は、私の家族のための約束。
この祝福、このリバイバルの約束を、神様が、松戸のために、日本のために与えてくださった・・・そのように、みことばを、信仰によって、結びつけるのです。

私たちは、信仰によって、みことばを、強く、強く、結びつける必要があります。
なぜなら、みことばが実現するなんて不可能だと思わされる、困難、試練が、必ず、起こるからです。

Ⅰペテロの手紙 4章12-14節
 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません。
むしろ、キリストの苦難にあずかればあずかるほど、いっそう喜びなさい。キリストの栄光が現れるときにも、歓喜にあふれて喜ぶためです。
もしキリストの名のためにののしられるなら、あなたがたは幸いです。栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。

燃え盛る試練・・・ちょっとした試練ではなく、かなり激しい試練・・・そのような試練が起こっても、不審に思ってはいけない・・・なぜですか・・・試練は、必ず、起こるからです。
ですから、「まさか、私に、こんな試練が起こるなんて」、と、不審に思うのではなく・・・
「よし、来たか・・・待っていた」と、喜びなさい、と、みことばは、命じています・・・何故でしょうか・・・それは、試練の時には、栄光の御霊、聖霊様が、上にとどまってくださるからです。

試練の時には、必ず、聖霊様が、私を強くし、試練に打ち勝つ、圧倒的な力を与えてくださる・・・ちょうど、ダニエルの三人の友人たちのようにです。
バビロンの王様が、「金の像を拝みなさい。拝まなければ、燃える火の炉に投げ込む。」と命じたとき、三人は、唯一まことの神である主だけを礼拝するという、みことばにいのちをかけて従うことを選んで、王様にこう答えました。「私たちの神様は、燃える炉からも、私たちを救うことができます。たとえ、そうでなくても、私たちは、私たちの神様以外に、どんなものをも拝みません。」

王様は怒り狂い、燃える炉を、七倍も熱く燃え盛らせて、三人を投げ入れました。
しかし、主は、三人を、燃え盛る炎から、完全に守ってくださいました。・・・王様は、言いました。
「炉に投げ込んだのは、3人ではなかったか。しかし、4人の者が見える。しかも、彼らは何の害も受けていない。四人目の者の姿は、神の子のようだ。」

皆さん、困難、試練はチャンスの時です。今まで、体験したことがない、聖霊様の助けを受けるチャンス、神様の栄光が現わされるチャンスです。・・・その時こそ、みことばだけに、より頼むことを選ぶべきです。

以前、ある方から、助けて欲しいと相談されたことがありました。
その時、私は、助けようと思えば、その方を助けることができるものを準備することができました。・・・しかし、どうすべきか・・・口先ではなく、行いをもって、その方を愛し、助けてあげるべきではないか・・・とも思いましたが、何かが、心に引っかかりました。
その方は、「また、明日、来ます。」と言って、帰りました。

・・・皆さんなら、そのような時、どうされますか?
私は、心に何か引っかかって、平安がなかったので、みことばにかける決心をしました。
『わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。』(ヨハネ10:27)
このみことばを握って、このことにおいて、主の御声を聞き分けるまで、祈り求める決心をしました。
「イエス様、私は、あなたの羊です。イエス様、あなたは私の羊飼いです。・・・私は、このことにおいても、イエス様、あなたの御声を聞き分けて、あなたについて行くことができます。」
みことばを、心に信じて、告白して、祈りました。すると、
「あなたの力で助けようとするな。あなたに頼らせるな。わたしに信頼させなさい。わたしのことばに信頼させなさい。わたしが助ける。」・・・そのような思いが与えられました。

しかし、もし、この思いが、主からのものでなかったら、どうしようという、不安もあったので、不安が消え去り、平安が与えられるまで、祈りました。・・・数時間、祈りました。

次の日に、その方が来られたとき、「主に示されました。私は助けません。しかし、主があなたを助けます。信じてください。期待してください。このみことばの約束を握って、感謝しながら、祈ってください。私も祈ります。」・・・そう言って、その方のために祈り、みことばのメモを渡しました。
すると、その方は、へりくだって、みことばを受け入れてくださいました。
数日後、電話がありました。その方からでした。
「お祈りを、ありがとうございました。神様は、みことば通り、良くしてくださいました。神様は、本当に素晴らしいお方です。」

それを聞いて、「ああ、本当に、自分の力で助けなくて良かった。口先ではなく、行いをもって愛し、助けるべきだと思った、自分の悟りに従わなくて良かった。」と、心から主に感謝しました。

もし、あの時、自分の悟りに従って、自分の力で助けていたなら、その方は、私に頼り、私に感謝し、また、困ったことがあったら、私に頼るようになっていたかもしれません。

ところで、口先ではなく、行いをもって人を愛することは、良いことです。ただ、大切なのは、そのように人を愛する思いが、主から与えられた思いなのか、自分の思いなのかを、見分けることです。口先ではなく、行いをもって人を愛するその思いが、主から与えられた、愛によって働く信仰の思いであるなら、その思いで、人を愛し、助けるなら、その人は、私のうちに働く主の恵みを見ることができ、主に感謝し、主の思いを私に与えてくださった、主に、頼るようになるでしょう。

しかし、あの時の「口先ではなく、行いをもって愛すべきではないか」という私の思いは、主からの思いではなく、自分の思いであったので、主が、私の心に何かひっかかるものを感じさせてくださり、祈りに導いてくださり、主のみことばにかける決心に導いてくださいました。その結果、その方だけでなく、私も、主と主のみことばに信頼する恵みを体験し、主をほめたたえました。・・・すべてが主の恵みでした。

それからしばらくしてからのことですが、
あの時、主が、私に「あなたに頼らせるな。わたしに信頼させなさい。」と示してくださった、主の思い、あの思いは、このみことばからの思いだったのかと、気づかされました。
エレミヤ書 17章5-8節
主はこう言われる。「人間に信頼する者はのろわれよ。肉なる者を自分の腕とし、心が主から離れている者は。
そのような者は荒れ地の灌木。幸せが訪れても出会うことはなく、焼けついた荒野、住む者のいない塩地に住む。
主に信頼する者に祝福があるように。その人は主を頼みとする。
その人は、水のほとりに植えられた木。流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、実を結ぶことをやめない。

人間に信頼させることは、心を主から離れさせることだと、主のみことばは語ります。
私がその方を、人間である私に頼らせて、その方の心を主から離れさせ、その方にのろいを招くことがないように、主は、あの時、私の心に何か引っかかるものを感じさせてくださった。
主は、その方だけではなく、私をもあわれんでくださり、私たちが、人間に信頼してのろわれる者ではなく、主に信頼して祝福され、ますます、主に頼る恵みに導いてくださったと気づかされ、心から主に感謝しました。

皆さん、主に信頼するとは、みことばに信頼することです。
みことばが実現しなかったら、どうしよう、という心配を捨てて、みことばは、必ず、実現すると信じることに、すべてをかけることです。

もし、みことばが実現しなかったら、こうしよう、ああしようと、保険をかけることをやめて、
ダニエルの三人の友人のように、たとえ、みことばに信頼した結果、どうなったとしても、主が、それを許されるなら、喜んで受け入れる決心をもって、みことばだけに、すべてをかける
・・・そのように、主と主のみことばに信頼する私たちを、主は、絶対に、失望させないことを、心から主に感謝します。
しかし、そのように、主のみことばにすべてをかけて、信頼するためには、主が、確かに、このみことばを私に語りかけてくださっていると、みことばを信じ、受け入れる必要があります。
そのように、みことばを、信じ、受け入れるためには、聖霊様の助けが必要です。そして、そのように、みことばを信じ、受け入れるのを助ける、聖霊様の賜物が、預言です。
Ⅰコリント14:1
  愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。

愛を追い求めなさい。この愛は、神の愛です。神は愛です。・・・つまり、ここでは、神様を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさいと命じています。
なぜ、神様を追い求めるだけではなく、預言することを熱心に求めなさい。とも、命じているのでしょうか・・・それは、神様が、みことばだからです。
預言は、神様が、あなたに直接、このみことばを語ってくださったと、あなたが信じ、受け入れることを助ける賜物です。
神様が、私に、このみことばを語りかけてくださったと、信じ、受け入れることを通して、私が、神様ご自身を信じ、受け入れることを助ける賜物・・・それが、預言の賜物です。
約3年前に、あるスピリチュアリストが、イエス様を信じて、救われました。彼の親友もスピリチュアリストでしたが、救われてからは、その友だちとは、疎遠になり、ずっと会っていませんでした。

しかし、ある主日礼拝の朝、何故か、その友だちのことを考えさせられ、祈っていました。
それで、礼拝後、預言の賜物を持っている方から、「こういう名前の方の救いのために、あなたが祈っている姿が見えます。」・・・預言のみことばによって励まされた彼は、その日から、熱心に、友だちの救いのために祈り始めました。
すると、間もなく、ずっと疎遠だった友だちと会う機会が与えられ、会話をしていく中で、教会に誘うと、来てくれました。・・・一回目、二回目、三回目で、救われました。
昨年の年末、友だちは洗礼を受け、持っていた、スピリチュアル用品、数十万する高価なものを全部処分しました。さらには、伝道の思いが与えられ、福音を宣べ伝え始めました。
しかし、上手く行かない・・・それでも、諦めませんでした。
・・・伝道の仕方を教えて欲しい・・・友だちから頼まれて、彼自身も、教えられたとおりに、友だちにみことばを教えました。・・・すると、友だちは、教えられた通りにみことばを宣べ伝え、今や、何人もの人が救われています。

皆さん、彼らは、聞いたみことばを信仰によって自分に結びつけました。
すなわち、彼らは、聞いたみことばを、自分への神のことばとして受け入れて、みことば通りに生きることを選びました。

私たちも、聞いたみことばを、自分への神のことばとして、受け入れ、みことば通りに生きることを選びましょう。・・・その時、聞いたみことばは、益となります。

そして、どうか、私のためにも祈ってください。
預言の賜物が豊かに与えられるように祈ってください。
みことばを伝えるとき、みことばを聞いた人が、主が、他の誰でもなく、私に語りかけてくださった神のことばとして、信じ、受け入れるのを助ける、預言の賜物が、豊かに与えられるように、私のために、とりなし、祈ってください。

今、この時間、みことばを語ってくださった主に応答して祈りましょう。
もうすでに、主から、自分へのみことばを受け取った方は、そのみことばにかける決心を、主の前に、告白しましょう。
そして、そのみことばに生きるための具体的な助けを、聖霊様に祈り求めましょう。

主から、自分へのみことばが、まだ、よく分からない方は、
「主よ、私は、あなたに信頼します。あなたのみことばに信頼して、あなたのみことばに生きることを決心します。どうか、主よ、私に分かるように、みことばを語りかけてください。しもべは、聞いております。主よ、お語りください。」
そのように、主から、自分へのみことばを祈り求めましょう。