【291】2025/5/4 主日礼拝 『祈りの答えの受け取り方』 マルコの福音書<11:22~24> 斉田基牧師

 

イエス様を信じて、神様の子どもとされた私たちを苦しめる大きな問題の一つは、祈っても、答えられないことです。
神様に祈る人は多いのですが、神様から答えを受け取る人は少ない・・・これが、教会における最大の問題です。

いや、最大の問題は、祈りに答えられないことよりも、罪ではないか・・・罪が原因で、あらゆる苦しみが引き起こされているのではないかと・・・しかし、神のことばである聖書には、罪の問題は、もうすでに、解決された、と書いてあります。
イエス・キリストが、すべての時代のすべての人のすべての罪の問題を解決するために、十字架にかかって、死なれたとき、解決されました。
本当は、私たちが受けなければならなかった、罪の罰を、イエス様がすべて受けてくださって、「完了した」と、イエス様が叫ばれたとき、罪の問題は、すべて完全に解決されました。

いや、そう言われても、今も罪を犯し続けています。やめたいけど、やめられません。少なくとも、私においては、罪の問題は解決されていません。・・・という方に必要なのは、真理を知ることです。
すべての人の罪の問題を解決されたイエス様が、その方の罪の問題だけは、解決しなかったということはありません。イエス様は、もうすでに、その方の罪の問題も、解決してくださいました。
ですから、その方に必要なのは、イエス様がその方のために何をしてくださったかを知ることです。・・・すなわち、十字架と復活の真理を知るなら、その方は、自分のすべての罪が赦されたことを知り、すべての罪の汚れからきよめられたことを知り、もはや、罪の奴隷から、解放されたことを知り、今や私は神様に愛されている神様の子どもであることを知って、自由にされます。

ですから、その方に必要なのは、罪の問題を解決することではなく、もうすでに、イエス様が解決してくださったという真理を知ることです。
ヨハネの福音書 8章31-32節
イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

ですから、私たちが、自分の罪に苦しむのは、すでに解決された罪が私たちを苦しめているのではなく、罪意識が私たちを苦しめているのです。

「あなたは罪を犯した。あなたは罪人だ」と、私たちに、罪意識を吹き込むのは誰でしょうか。
悪魔です。・・・もちろん、聖霊様も罪について示してくださいます・・・しかし、聖霊様は、罪だけを示して、私たちを罪意識で悩ませることはありません。

聖霊様が罪を示されるときには、必ず、その罪の解決と一緒に示されます。
すなわち、あなたのその罪は、イエス様の十字架と復活によって、もう赦されている。あなたは、赦された罪人ではなく、愛されている神様の子どもだと・・・聖霊様の別名は、子とする御霊です。聖霊様は、私たちの霊と一緒に、私たちが、神様に愛されている神様の子どもであることを証ししてくださる助け主です。

罪の解決を示すことなく、罪だけを示して、「あなたは罪を犯したから、罪をやめることができないから、もう、神の子どもではない。あなたは罪人だ。あなたは裁かれる。罰を受けなければならない」・・・そのように、罪意識を与えて、私たちを恐怖に陥れ、恐れによって、私たちを動かそうとするのは、聖霊様ではなく、悪霊です。
ローマ人への手紙 8章14-16節
 神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。
 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。
 御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。

私たちに、罪意識だけを与えて、「私は今、罪を犯しているから、神様の恵みを受けることができない。」 そんな思にさせるのは、悪魔です。

罪を犯しているからこそ、神様の恵みが必要です。
どうしても罪を犯してしまう、やめたくてもやめられなかった、罪の奴隷の私にこそ、主イエスの十字架の赦しの恵みが必要だったから、聖霊様は、私を、神様の恵みへ導いてくださいました。罪の増し加わるところに、恵みは満ち溢れます。

「私のような者が祈っても、神様から答えを受け取ることなどできない」・・・そんな思いにさせるのは、聖霊様ではなく、悪魔です。

神様が、私の祈りに答えるためには、もっと、私が何かをしなければ、もっと、私がレベルアップしなければ・・・私の行い、私自身に目を向けさせ、イエス様に目を向けさせない。

神様が私の祈りに答えてくださる理由は、もうすでに、イエス様が私のためにしてくださった義の行いのゆえです。イエス様の行いが足りなくて、私の行いで補わなければならないことなど、絶対にありません。

十字架と復活によって、イエス様が私のためにしてくださったことのゆえに、神様は、私の祈りに答えてくださいます。神様は、私を見るとき、今も私のうちに生きておられるイエス様を見ます。
神様は、あなたのうちにおられるイエス様を見て、あなたの祈りに答えてくださいます。

多くの人が、神様に祈る方法はよく知っていても、神様から答えを受け取る方法を知らないので、苦しみます。

22節
 イエスは弟子たちに答えられた。「神を信じなさい。

「神を信じなさい。」・・・直訳すると、「神の信仰を持ちなさい。」です。・・・ここでは、信じなさいと命じているのではなく、持ちなさいと命じています。神の信仰を持ちなさい・・・それが、どういうことなのかを、イエス様は、続けて説明しています。
23-24節
 まことに、あなたがたに言います。この山に向かい、『立ち上がって、海に入れ』と言い、心の中で疑わずに、自分の言ったとおりになると信じる者には、そのとおりになります。
 ですから、あなたがたに言います。あなたがたが祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。

信じることと、神の信仰を持つことは同じではありません。
どんなに本気で、信じると決心しても、何か上手く行かなくなると、心の中に疑いが生まれ、信じ続けることが難しくなります。
しかし、神の信仰を持つなら、心の中で疑わずに、信じる確信を持ちます。

私たちが信じるというとき、祈り求めているものは、これから与えられると信じます。 しかし、神の信仰を持つとき、祈り求めたものは、もうすでに与えられたと信じる確信を持つのです。

ですから、信じることと、神の信仰を持つことは違います。
神の信仰を持つことが、神様からの祈りの答えを受け取る秘訣です。
へブル人への手紙 11章1節
さて、信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。

信仰は、望んでいることを保証する・・・直訳は、信仰は、望んでいることの実体です。
すなわち、信仰は、望んでいることを保証する物的な証拠だという意味です。
例えるなら、チケットのようなものです。

お金を払って、航空チケットを購入すると、その航空チケットを持っているなら、その飛行機に乗れると信じて、疑わないでしょう。
ああ、この航空チケット、本当に、大丈夫だろうか・・・もしかすると、飛行機に乗れないかもしれない、疑いながら、心配しながら、飛行場に向かう人はいないでしょう。

チケットを持っているなら、信じて疑わないでいられる・・・同じように、信仰を持っているなら、信じて疑わないでいられる・・・神の信仰を持つとは、神様がみことばで約束されたことは、必ず、私に実現するという物的な証拠を持つことです。

だからこそ、神の信仰を持つとき、イエス様が言われた通り、祈り求めるものは何でも、すでに得たと信じるので、「ハレルヤ!主よ、感謝します。祈りに答えてくださった主をほめたたえます。
しかし、信じるとき、これから、神様が祈りに答えてくださることを信じる・・・つまり、まだ、答えを受け取っていないので、感謝することは難しい・・・そのように信じて祈っていると、感謝どころか、むしろ、あの時も祈ったけど、答えられなかった過去を思い出したり・・・ああ、今回も答えられないかもしれない・・・もっと私が熱心に祈らなければ、もっと、私が、上手くやらなければ
・・・そのように、神様に対する感謝よりも、自分の過去の失敗、自分がやらなければならないことを考え始め、重荷やストレスを感じ始めます。・・・ですから、信じることと、神の信仰を持つことは違います。

どうすれば、神の信仰を持つことができるでしょうか。
イエス様は、弟子たちに、度々、「どうして怖がるのか、信仰の薄い者たち。」「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか。」「あなたがたの信仰が薄いからです」 と、言われました。
日本語では、全部、信仰が薄いと、訳されていますが、原文では、小さな信仰、弱い信仰という言葉が、両方とも、信仰が薄いと訳されています。

聖書において、小さな信仰と、弱い信仰があります。
信仰が小さくなってしまうのは、信じるべき情報が不足しているからです。
信じるに価する十分な情報が、私のうちにないので、私の信仰は小さくなります。
なぜなら、信仰は、聞いたことによるからです。信仰は、聞くことによって始まります。
ローマ人への手紙 10章17節
ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。

みことばを十分に聞いていなければ、信仰は小さくなります。
ですから、もし、小さな信仰ではなく、神の信仰を持ちたければ、みことばを、もっともっと聞く必要があります。
健康の問題を解決したい・・・健康についての信仰が欲しい・・・健康について語られているみことばを聞く必要があります。
家庭の問題・・・家庭ついてのみことば・・・経済の問題・・・経済についてのみことばを聞くことによって、神の信仰を受け取ります。

みことばをただ、聞き流すのではなく、心にとどめることを私たちが選ぶとき、心にとどまっている、みことばが、真理を私たちに教えてくださいます。みことばは生きています。
主イエスは言われました。「わたしのことばにとどまるなら、あなたがたは、みことばの真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」

聞き流すのではなく、心にとどめたみことばが、私の考え方を新しくするまで、私の思いを新しくするまで、現実を見ている私の見え方を、みことばが変えてくださるまで、みことばを聞き続けること・・・それが、小さな信仰から、神の信仰を持つために必要なことです。

次に、弱い信仰から、神の信仰を持つためには、何が必要でしょうか。
信仰が弱くなる原因は、信仰の運動が足りないからです。
十分にみことばを聞いて、十分な情報を得て、何をどうすべきかを知ったにもかかわらず、行動しないとき、信仰は弱くなります。

信仰の筋肉を鍛える必要があります。みことばを聞くだけで、行動しない・・・すなわち、みことばを食べ続けて、信仰の運動をしなければ、体はどんどん大きくなり、どんどん体重が増え、どんどん動きづらくなります。

だからこそ、十分にみことばを聞いて、何をなすべきかを教えられたとき、行動に移しましょう。
たとえば、神様から、永遠のいのちの救いを受け取るとき、何をしたでしょうか。
まず、救いについての、みことばを聞きました・・・そして、十分にみことばを聞いて、信じるに価する情報が、十分に、私のうちにとどまったとき、みことば通りに行って、救われました。
ローマ人への手紙 10章9-10節
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる。・・・これが、かつて、神様から、救いの祝福を受け取った、私たちが行った、みことばの行動でした。

神様から受け取る祝福の中で、永遠のいのちの救いよりも大きな祝福はあるでしょうか?
ありません。・・・病の癒しの祝福、家庭の祝福、仕事の祝福、経済の祝福・・・どんな祝福であれ、永遠のいのちの救いの祝福よりも小さな祝福です。
私たちは、神様から、救いの祝福を受け取ったのと同じ方法で、その他の祝福も受け取ることができます。

救いについてのみことばを十分に聞いて、信じるに価する情報を十分に私のうちにとどめ、心に信じて、口で告白して、救われました。
同じように、家庭についてのみことば、健康についてのみことば、経済についてのみことばなど、十分にみことばを聞いて、信じるに価する情報が十分に私のうちにとどまったとき、心に信じて、口で告白するなら、その祝福を神様から受け取ります。

その祝福についての、みことばを十分に聞いて、心に信じて、口で告白する・・・これが、信仰の運動です。
まず、最初に必要なのは、そのことについての、みことばを十分に聞くことです。すると、そのことについて、何をなすべきかを、主が教えてくださいます。

祈りの答えを受け取るために必要なのは、私たちが信じ、心に受け入れたイエス・キリストこそが、祈りの答えであることを、みことばを十分に聞くことによって、悟ることです。

Ⅰコリント1:30
しかし、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。

イエス様は、私にとって神の知恵です。神の知恵であるイエス様は、今どこにおられるでしょうか。
私のために死んでよみがえられたイエス様は、今どこにおられるでしょうか。
今も、私のうちに、今も、あなたのうちに生きておられます。イエス様があなたの知恵となってくださる。
イエス様が、今も、私のうちに働いてくださっている・・・私のうちで、イエス様が、神の知恵を教えてくださる、何をどうすればいいのか、教えてくださる。

私のうちに、今も生きておられる、イエス様によって、私は神の知恵で考え、神の知恵で思い、神の知恵で行動することができる・・・主よ、感謝します。
・・・そのように、みことばを心に信じて、すでに与えられた祝福として、主に感謝をささげながら、自分の口で告白することが、信仰の運動をすることです。

イエス様が、私のうちに住んでくださって感謝します。イエス様、今も、私を愛してくださって感謝します。イエス様、私のいのちとなってくださって、感謝します。
イエス様、私の道を照らす光となってくださって、私を導いてくださって感謝します。

そのように、みことばを信じて、自分のうちおられるイエス様を、意識して、イエス様に感謝をささげるとき、
あなたのうちに生きておられるイエス様が、あなたに語りかけてくださいます。
そのように、イエス様があなたに語りかけてくださること、それが、祈りの答えです。
今日、神様の方法で、祈りの答えを受け取りましょう。