【285】2025/3/23 主日礼拝 『主の目的』 申命記<4:37~38> 斉田基牧師

 

37-38節
主はあなたの父祖たちを愛し、その後の子孫を選んでいたので、ご臨在の中、大いなる力をもってあなたをエジプトから導き出された。
それは、あなたよりも大きくて強い国々をあなたの前から追い払い、あなたを彼らの地に導き入れ、今日見るとおり、彼らの地をゆずりの地としてあなたに与えるためであった。

主は、イスラエルを、エジプトから、導き出されましたが、
主が、エジプトから、イスラエルを導き出された目的は、約束の地に導き入れることでした。
導き出すことは、主の目的の一部ですが、本当の目的は、導き入れることにありました。

同じように、イエス様は、私たちを罪から救い出しましたが、それは、主の目的の一部です。主の本当の目的は、その後に、私たちを導き入れることにあります。

主がイスラエルを導き出されたのは、主がイスラエルに与えると約束された地、カナンに導き入れるためでした。
カナンの地とは、イスラエルが、この地上で、生きている間に、主が、導き入れようとしていた祝福の地です。・・・・ですから、カナンの地は、死んだ後に行く、天国を意味するのではなく、この地上において、主の使命がある地を意味します。

主は、イスラエルが、生きている間に、使命の地に導き入れるために、エジプトから導き出しました・・・同じように、私たちを罪から救い出してくださった主の目的は、私たちがこの地上で生きている間に、主の使命に導き入れることです。

しかし、かつて、イスラエルは、主の使命の地に導く、主のみことばの導きに従わなかった結果、荒野で、苦しみを受けたように、もし、私たちも、主のみことばの導きに従わなければ、人生の荒野を彷徨うことになります。

皆さん、もし、イスラエルが、主のみことばの導きに従って、主の使命の地に入っていたなら、荒野の苦しみは必要ありませんでした。

しかし、主のみことばの導きに従わなかった不信仰のゆえに、イスラエルは、受ける必要のなかった荒野の苦しみを受けることになりました・・・いつまででしょうか・・・主のみことばの導きを信じて、主の使命の地に入ることができるようになるまでです。

申命記 8:2-3
 あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
 それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。

荒野の苦しみの目的は、イスラエルが、主のみことばによって生きることを悟るためでした。
すなわち、かつてのように、主のみことばに逆らうのではなく、信仰によって従う訓練が、荒野の苦しみの目的です。

ですから、もし、イスラエルが、早く十分に訓練されて、信仰の従順を持つことができたなら、荒野の苦しみも早く終わりました。・・・しかし、残念なことに、エジプトから導き出された20歳以上の大人、60万3千5百50人の中で、信仰の従順を持つことができたのは、ヨシュアとカレブの二人だけでした。・・・60万人以上の人が、40年間の荒野で訓練され続け、苦しみ続けるだけで、人生を終えました。
しかし、主の目的は、彼らが荒野で、訓練されるだけで、人生を終えることではありませんでした。・・彼らを、使命の地に導き入れて、祝福することが、主の目的でした。
しかし、彼らは、不信仰のゆえに、本来は、受ける必要のなかった苦しみを受け続け、主の使命の地で、祝福されることなく、人生を終えました。

皆さん、主イエスを信じて、罪から救い出された私たちは、今、どこにいるでしょうか。
もうすでに、主の使命の地に導き入れられているでしょうか・・・それとも、荒野の訓練が続いているでしょうか。

今日、皆さんが、主のみことばの導きに従って、使命の地に導き入れられ、溢れるばかりの祝福に満たされ、その祝福をもって、すべての人を祝福する祝福の使命に生きるようになることを、主イエスの御名によって、祝福します。
マタイの福音書 20章28節
人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。

エペソ人への手紙 1章7節
このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。

イエス様は、十字架で、私たちのための贖いの代価として、自分のいのちを与えてくださいました。イエス様は、ご自分の死をもって、私たちの罪の償いをしてくださいました。

イエス様の十字架の死によって、私たちは、罪の赦しを受け、私たちは、罪から救い出されました。しかし、罪人が、どんなに罪の赦しを受けたからと言って、罪を犯さなくなるわけではありません。

イスラエルが、主が、エジプトから導き出してくださった後も、「エジプトに帰りたい」と、かつての古い奴隷の生き方を求めたように、
イエス様の十字架の死によって、罪の赦しを受けた後も、私たちが罪人である限り、「罪を犯したい」と、かつての古い罪の奴隷の生き方を求めてしまうのです。

イエス様の十字架の死は、私たちを罪から救い出しますが、主の使命に生きる新しいいのちに私たちを導き入れることはできません。私たちを新しいいのちに導き入れるのは、イエス様の十字架の死ではなく、よみがえりです。

だからこそ、ローマ人への手紙10章9節では、「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で、イエス様は十字架で死んだと信じるなら、あなたは救われる」ではなく、「あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる」と、宣言しました。

イエス様の十字架の死によって、罪の赦しを受け、罪から救い出されることは、救いの一部です。しかし、救いの目的は、イエス様の復活によって、私たちが主の使命に生きる新しいいのちに導き入れられることです。
もちろん、イエス様の十字架の死がなければ、復活もないので、十字架も、絶対に必要です・・・しかし、十字架の恵みだけで、復活の恵みを悟らなければ、新しいいのちに導き入れられない・・・すなわち、使命の地に導き入れられなかった60万人以上のイスラエルの民のように、荒野の苦しみ、荒野の訓練だけで、人生を終えてしまう、ということが起こり得ます。

ですから、主のみことばを通して、イエス様の十字架と復活の真理を悟る恵みが、今日、豊かに与えられることを主イエスの御名によって、祝福します。
ローマ人への手紙 6章4-8節
 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。
  私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。
 私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。
 死んだ者は、罪から解放されているのです。
 私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。

キリストが死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むため・・・これが私たちを救われた主の目的です。新しいいのちに歩む・・・それは、私たちが、キリストとともに生きることです。
私たちが、もはや、自分のためではなく、私たちのために死んでよみがえられた方、今も、私たちのうちに生きておられるイエス・キリストのために生きることです。
しかし、そのように、新しいいのちに歩むためには、キリストの死と同じようになって、キリストと一つになっている、というみことばの真理を、信仰によって悟る必要があります。

キリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになる・・・そうなるとき、罪のからだは滅ぼされて、もはや、罪の奴隷ではなくなり、罪から解放されて、新しいいのちに歩むことができる。

ですから、イエス様が十字架と復活で、私のために、あなたのためにしてくださったことによって、もうすでに、あなたは、キリストの死と同じようになって、キリストと一つにされたことを、信仰によって悟る必要があります。

皆さん、キリストと一つにされたとは、どういうことでしょうか。
神の御子であるキリストと一つにされ、復活の力、聖霊様の力によって、キリストとともに、よみがえらされた私たちは、もはや、罪の赦しを受けただけの罪人ではありません。

聖なる神の御子イエス・キリストと一つにされた私たちは、もはや、罪の赦しを受けただけの罪人ではなく、イエス様と同じ、神様の子どもです。
ガラテヤ人への手紙 3章26節
あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。

Ⅰヨハネの手紙 3章1-2節
私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。事実、私たちは神の子どもです。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。

イエス様が私たちを罪から救い出された目的は、私たちを赦された罪人にするためではなく、イエス様と一つにされた神の子として、主の使命に生きるためでした。
私たちを救い、神様の子どもとするために、イエス様が十字架と復活によって成し遂げた救いは、完全でした。
イエス様の救いが不完全で、私を神の子とすることができない、あなたを主の使命に生きる神の子とすることができない、ということは、絶対にありません。・・・イエス様の救いは完全です。
イエス様は、すべての苦しみを耐え忍び、どんな犠牲も惜しまずに、十字架でいのちを捨ててもあなたを愛し、救うことを選ばれました。そこまでして、イエス様が、あなたのために十字架と復活によって、成し遂げてくださった救いのみわざは完全です。

この十字架の愛を覚えて、もうすでに、あなたは、キリストの死と同じようになって、キリストと一つにされたことを、信仰によって受け入れるなら、あなたは、神様の子どもとして、イエス様と共に生きる新しいいのちの道、主の使命の道に、導き入れられます。

ですから、大切なことは、イエス様が、私を愛して、私のために、十字架と復活の救いを成し遂げてくださったことを、ただ信じて、受け入れることです。
イエス様の十字架の死が、私の死であること、イエス様の復活が私の復活であることを、ただ信じ、受け入れることです。

私ではなく、イエス様がしてくださったことを信じ、受け入れることです。
イエス様が私とイエス様を一つにしてくださいました。
イエス様が、あなたとイエス様と一つにしてくださり、イエス様が、あなたをイエス様と一緒に死んで、イエス様と共に生きる神様の子どもにしてくださった、ただ信じて、感謝することです。

イエス様があなたを愛し、十字架と復活で、あなたのために成し遂げてくださったことのゆえに、あなたはもうすでに、神様の子どもであることを、ただ心に信じて、告白し続けることが本当に大切です。
Ⅱコリント人への手紙 4章13節
「私は信じています。それゆえに語ります」と書かれているとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語ります。

信じているゆえに、語ります。直訳すると、語り続けます。主を信じる決心をして、主のみことばを語り続けると、信仰の霊が、湧き上がって来ます。

ですから、イエス様が私を愛し、私のために十字架と復活によって成し遂げてくださったことのゆえに、もうすでに、私は神様の子どもであることを、心で信じる決心をして、主のみことばを告白し続けましょう。

その信仰の従順を通して、主の目的の場所に導き入れられます。
皆さんが、イエス様と一つにされた神様の子どもとして生きる、主の使命に導き入れられることを、主イエスの御名によって、祝福します。

今週は、次のみことばを、心で信じる決心して、日々の生活の中で、告白し続けましょう。
ガラテヤ人への手紙 2章19-20節
私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。