【275】2025/1/12 主日礼拝 『キリストの奥義の啓示』 エペソ人への手紙<3:1~7> 斉田 基 牧師
エペソ人への手紙 3章1-7節 『キリストの奥義の啓示』
4-5節
それを読めば、私がキリストの奥義をどう理解しているかがよく分かるはずです。
この奥義は、前の時代には、今のように人の子らに知らされていませんでしたが、今は御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されています。
キリストの奥義は、聖霊様によって、使徒と預言者たちに啓示されました。
キリストの奥義は、牧師でも、教師でも、伝道者でもなく、使徒と預言者たちに啓示されました。使徒と預言者たちに啓示された、キリストの奥義が、教会の土台、神様の家族の土台です。
エペソ人への手紙 2章19-20節
こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。
使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられていて、キリスト・イエスご自身がその要の石です。
神の家族である教会は、使徒や預言者たちという土台の上に建てられます・・・すなわち、使徒や預言者たちに与えられたキリストの奥義の啓示という土台の上に建てられる、という意味です。
マタイの福音書 16章16-18節
シモン・ペテロが答えた。「あなたは生ける神の子キリストです。」
すると、イエスは彼に答えられた。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いです。このことをあなたに明らかにしたのは血肉ではなく、天におられるわたしの父です。
そこで、わたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。
ペテロが、「イエス様、あなたこそ、生ける神の子キリスト、すなわち、救い主です。」と告白したとき、イエス様は、「そのことを、ペテロに啓示して明らかにしてくださったのは、血肉を持つ人間ではなく、天の父なる神様だ」と言われました。
イエス様は、ペテロを、バルヨナ・シモンと呼ばれました・・・バルヨナとは、ヨナの子、あるいは、鳩の子と言う意味ですが、ペテロのお父さんの名前は、ヨナではなく、ヨハネです。
他の箇所では、何度も、ペテロは、ヨハネの子シモンと呼ばれています。
ですから、ここで、イエス様が、バルヨナと呼ばれたのは、あなたは、鳩の子、すなわち、聖霊様の子・・・・父なる神様から、キリストの奥義が啓示されたペテロは、聖霊様によって生まれた神様の子どもだという意味です。
神様によって、キリストの奥義が啓示された使徒ペテロに、イエス様は、わたしは、この岩の上に、わたしの教会を建てると宣言された・・・すなわち、イエス様は、使徒ペテロに与えられたキリストの奥義の啓示の上に、キリストの教会を建てると宣言された。
ですから、教会の土台は、キリストの奥義の啓示です。・・・奥義とは、啓示され、明らかにされるまでは、隠されているみことばの真理です。
ですから、キリストの奥義の啓示とは、隠されていたみことばの真理が啓示され、明らかにされることです。
みことばの奥義が啓示され、明らかにされるとき、教会は、みことばという土台の上にしっかりと建て上げられ、一つにされるのです。
皆さん、なぜ、キリスト教には、多くの分裂、分派があるのでしょうか。みことばの奥義の啓示がないまま、隠されているからです。
聖書信仰を告白しているプロテスタント教会に、なぜ、多くの分裂、分派があるのでしょうか。
イエス様が、教会を分裂させたのでしょうか・・・絶対にそうではありません。イエス様の願いは、私たちが、主にあって一つになることです。
同じ聖書を読み、同じ神様、同じ神様のみことばを信じていても、多くの分裂分派があるのは、聖書の解釈の仕方が違うからです。同じ聖書を読んでも、それぞれ違う理解の仕方をして、それぞれ違うことを教えているから、一つになることができません。
皆さん、ちょっと考えてみてください。もし、イエス様が、すべての教会に、聖書を教えていたなら、この教会には、この解釈を教えよう。その教会には、その解釈を教えよう・・・そのように、分裂の原因になるような、様々な解釈を、イエス様が教えたりするでしょうか。
イエス様の時代にも、同じ聖書の教えでも、さまざまな解釈、様々な教えがあって、分裂分派がありました。
当時、最も正統な聖書の教えだと言われていたのは、律法学者、パリサイ人たちの教えでした。・・・また、サドカイ派と呼ばれる、祭司などの特権階級の聖書の教えもありました。
また、バプテスマのヨハネが属していたと言われる、エッセネ派の聖書の教えもありました。
彼らは、同じ聖書を信じ、同じ神様を信じていても、一つになることができませんでした。聖書の解釈、教えが一つではなかったからです。
しかし、イエス様から、聖書を教えられた弟子たちは、一つでした。イエス様の聖書の解釈は一つであり、イエス様の教えも、一つだったからです。
マルコの福音書 4章11節
そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の奥義が与えられていますが、外の人たちには、すべてがたとえで語られるのです。
イエス様は、使徒たちだけには、みことばの奥義を啓示し、明らかにして教えてくださいました。ですから、使徒たちの間には、みことばの解釈の違いはなく、一つの教えでした。
イエス様が、使徒たちに教えた、みことばの奥義の啓示こそ、教会の土台です。イエス様が、使徒たちに教えたイエス様の教えこそ、使徒たちの教えです。だからこそ、みことばの奥義の啓示である、使徒たちの教えによって、みことばを教えられた初代教会は、みことばという土台に堅く立ち、一つにされました。それも、物凄いレベルで、一つにされました。
使徒の働き 2章41-47節
彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。
彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。
すべての人に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われていた。
信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、
財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた。
そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、
神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。
彼のことばを受け入れた・・・使徒ペテロが語った主イエスのみことばを受け入れた人は、その日のうちに、バプテスマを受け、3000人ほどが仲間に加えられた・・・仲間に加えられたとは、ただ、単に、イエス様を信じますと言って、週に一回、教会に来る信者になったのではなく、全生活を通してイエス様に従う弟子になったと言う意味です。
イエス様を信じたばかりの3000人は、いつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた・・・すなわち、信じたばかりの彼らの生き方が、物凄く変えられていたのです。
彼らは、「よしっ、イエス様を信じたから、これからは、生き方を変えよう」と決心し、自分の力や努力などによって、生き方を変えたわけではありません。・・・・3000人もの人間が、そう簡単に生き方を変えることなどできません。
彼らの生き方を変えた力は、使徒たちの教えにありました。・・・すなわち、イエス様が、使徒たちに教えたみことばの奥義の啓示の中に力がありました。
みことばの中に隠されていた神様の力が、使徒たちの教えによって、啓示され、明らかにされ、その神様の力によって、彼らの生き方は変えられた。
そして、使徒たちの教えを守った教会、すなわち、みことばの奥義の啓示によって、みことばという土台にしっかりと建てられた教会は、有り得ないほど一つにされました。
信者となった人々はみな一つになって、一切のものを共有した・・・どういうことですか・・・教会全体で、お財布を一つにして、一つの家族のように生活した・・・しかも、嫌々ながらではありません。宗教的に、「ああ、この宗教に入門したからには、そうしなければならないから仕方がない」というのではなく、ささげる人は、みな喜んで、心からささげました。
そして、彼らは、毎日、心を一つにして教会に集まって、神様を礼拝し、また、それぞれの家庭でも、集まって、神様を礼拝し、共に食事をし、交わりをして、神様を賛美しました。
・・・皆さん、彼らのうちには、喜びがありました。しかも、周りの人々が見ても素晴らしいほどの喜びです。そんな、彼らを見る人々はみな、彼らに好意を持ち、そして、主は、毎日、イエス様を信じて救われる人を加えて、一つにしてくださった。
主は、ただ、主イエスを信じますと言う信者を増やしてくださったのではありません。
彼らのように、主イエスを信じて、生き方が変えられ、主が愛してくださったように、互いに愛し合う弟子たちを加えてくださって、一つにしてくださったのです。
皆さん、これほど一致は、間違いなく、神様がなさる、みわざです。
この一致は、人間が、宗教的に、どんなに頑張っても、絶対にできないほどの一致です。神様は、教会を、物凄いレベルで、一つにされました。
そのように、神様の力が、教会に働いたのは、使徒たちの教えを通してでした。
すなわち、イエス様が使徒たちに教えたみことばの奥義の啓示を聞いた人々に、神様の力が働き、人々の生き方を変え、物凄いレベルの一致を実現したのです。
このように、みことばが、主のみこころ通りに、まっすぐに語られるところでは、主がともに働いてくださり、神様の力が現わされることを、心から主に感謝します。
マルコの福音書 16章20節
弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。
皆さん、初代教会のように、みことばの奥義が啓示され、教えられている教会では、一致が生み出されて行きます。
ある教会では、コロナのとき、主のみことばを、まっすぐに語った上で、
「この教会は、みことばに従って、集まることをやめたりはしません。しかし、皆さんが、どうするかは、皆さんに委ねます。リモートでも礼拝できるようにします。」と言いました。
次の週、リモートで礼拝する人は一人もなく、聖徒たちはみな、礼拝に集まりました。
そのように教会が、みことばによって一つになった時から、毎週のように、主は、救われる人を与えてくださり、さらには、コロナにかかった人も、礼拝に来ると、癒されるようになりました。
みことばの奥義が啓示され、明らかにされたみことばがまっすぐに語られ続けるところでは、人々の人生が変えられ続けます。
ある20代の姉妹は、一昨年の9月から、みことばがまっすぐに語られている、その教会に通い始めました。
彼女は、ある医療施設で働いていました。彼女が働いていた病棟には、家族では、世話をすることができないほど重い病気を抱えている人がほとんどで、この施設に送り込まれて、長年、家に戻ってない人も多くいました。
その施設で、ある利用者さんが、足がもげるほど痛い。痛くて眠ることができないほどの痛みに、いつも悩まされていました。
その時、彼女は、教会で聞いたみことばを思い出しました。
主イエスを信じる神様の子どもが、主イエスの御名によって、病人に手を置けば癒される。
それで、彼女は、その方に、福音を伝えました。そして、教えられた通りに、主イエスの御名によって祈りました。
1回目に祈ったとき・・・何も起こりませんでした。
2回目祈ったとき・・・何も起こりませんでした。
しかし、そのとき、彼女の心に、教えられたみことばが、不思議に、思い出されました。
神様の御心は、癒されることだ、と・・・それで、3回目、4回目、5回目に祈った時、一瞬で、癒されました。
癒されたその方は、それまで、散々医者にかかって、薬を飲み、いろんな治療をしても、全然治らなかったのに、一瞬で、痛みが消え去ったので、「本当に不思議だ」と言って、
それから、その方は、彼女の後を追いかけて、「どうしたら、こんな奇跡が起きるのか。私にも、みことばを教えて欲しい」と言って、彼女についてくるようになりました。
それで、現在、1年経たずにして、その施設で、彼女を通して、15人の方が救われています。
同じ教会の小学5年生は、教えられたみことばを喜んで、誰かに言われたからではなく、自分から友だちに伝えるようになりました。すると、今や、30人の友だちがイエス様を信じるようになりました。
これは、数ある証の一部です。
そのように、みことばの奥義が啓示され、明らかにされ、そのみことばが真っすぐに語られるとき、そのみことばを聞いた聖徒たちが、初代教会の聖徒たちのように、喜びをもって、みことばに従う生活に変えられるということが、起こっています。
彼らに、みことばを教えた先生が、来週、メッセージに来てくださる岡野義喜先生です。
岡野義喜先生は、聞く人の人生を変えるみことばの奥義の啓示を語ってくださいます。
私も、みことばの啓示によって、人生が変えられている者の一人です。
私自身の祈りの生活、みことばの生活、主との親密な交わりが変えられています。
そして、私自身が、みことばの啓示を通して、体験した神様の恵みを、メッセージで、皆さんに、分かち合っています。
大切なのは、恵みを受けたなら、みことばを自分の生活で実践して、みことばに生きることです。その時、恵みを受け続けます。
みことばを聞くことを通して受けた恵みによって、そのみことばに従おうとするとき、みことばに従うための恵みもさらに与えられます。私たちは、みことばの啓示を通して、恵みの上に、さらに恵みを受けるのです。
皆さん、来週、期待してください。大切なのは、主に期待して、祈り備えることです。
礼拝の直前まで、神様と関係ないことを考えている人と、主が恵みを与えてくださることを期待して祈り備えながら、礼拝をささげる人では、同じ恵みを受けると思いますか?
私たちは、主に期待して、祈り備えながら、礼拝をささげましょう。その時、人生を変えるみことばの啓示が皆さんに与えられることを、主イエスの御名によって、祝福します。

