【271】2024/12/15 主日礼拝 『主を待ち望む者』 ルカの福音書<2:25~38> 斉田 基 牧師
今日の箇所は、生まれて八日目の赤ちゃんであったイエス様が、神様の家である神殿に訪れたときの出来事です。・・・なんと、その時、まだ、生まれて間もない赤ちゃんのイエス様を見て、救い主として信じ、受け入れることができた人たちがいました。
25-26節
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。
そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。
シメオンには、聖霊様が「主のキリスト、すなわち、救い主イエス・キリストを見るまでは決して死なない」と教えてくださっていました。
聖霊様が、シメオンに、イエス様を救い主だと教えることができた理由があります。
それは、シメオンが、イスラエルを救う、救い主を待ち望んでいたからです。
シメオンは、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた、とあります。・・・すなわち、シメオンは、イザヤ書の神様のみことばの約束の実現を待ち望んでいました。
イザヤ書 40章1-2節
「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。──あなたがたの神は仰せられる──
エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている、と。」
シメオンは、このみことばの実現を待ち望んでいました。シメオンは、神の民イスラエルが慰められること、すなわち、救い主キリストによる、罪の赦しが実現して、エルサレムが贖われることを、待ち望んでいました。
そして、シメオンと同じように、エルサレムの贖いを待ち望んでいた人たちも、救い主イエス・キリストを知ることができました。
36-38節
また、アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、七年間夫とともに暮らしたが、
やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。
ちょうどそのとき彼女も近寄って来て、神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った。
シメオンと同じように、救い主の訪れを知ることができたのは、女預言者アンナでした。
アンナは、何十年もの間、神殿から離れず、断食と祈りをもって、昼も夜も神様に仕えていました。・・・これを聞いて、ああ、そこまで、しなければ、神様の救いを知ることができないのかと、思う必要はありません。・・・感謝なことに、アンナは、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、救い主イエス・キリストを伝えました。
すなわち、シメオンを始め、救い主イエス・キリストを待ち望んでいたすべての人が、イエス・キリストの救いの良い知らせを知ることができた・・・今も、同じです。救い主イエス・キリストを待ち望む人は、イエス・キリストの救いの良い知らせを知ることができます。
へブル人への手紙 9章28節
キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。
イエス・キリストは、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださる。
昔も今も、イエス様は、ご自分を待ち望んでいる人々を救うために、来てくださる・・・イエス様を待ち望んでいるなら、イエス様の救いを知ることができる。
・・・しかし、エルサレムにいた多くの人々の中で、イエス様の救いを知ることができたのは、シメオンをはじめ、救い主を待ち望んでいたわずかな人たちだけでした。
エルサレムに住んでいた人々は、みな、神様を信じている人々でした。毎週のように神様を礼拝しに礼拝に来る人々でした。
・・・しかし、彼らの多くは、神様の救いを待ち望んでいませんでした。いや、私は、神様を信じているし、神様を礼拝もしている。もう救われているから、私には、神様の救いは必要ない。
彼らは、神様の救いとは、何かを知りませんでした。神様の救いとは、罪からの救いです。イエス・キリストは、私たちを罪から救う、救い主です。
罪とは、神様を信じないことです・・・全世界をお造りになり、私たち人間のことをも、愛をもって、お造りになった神様を無視して、神様と愛し合う関係から、離れて生きること・・・それが罪です。
イエス様の救いは、罪の赦しによって、神様と愛し合う関係の私たちに回復する救いです。
神様は、ただ愛してくださるのではなく、私たちを、ご自分の子どもとして、愛してくださる。
神様は、私たちを、イエス様と同じ、神様の子どもとして生きることができるようにしてくださって、愛してくださる・・・これが、イエス様を信じる私たちに与えられた救いです。・・・だからこそ、主イエスは、こう言われました。
ヨハネの福音書 14章12節
まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。
主イエスを信じ、救われた私たちは、赦された罪人ではなく、赦され、神の義とされた神様の子どもです。
赦されても、赦されても、また、罪を犯してしまう・・・罪の奴隷として生きるのではなく、イエス様と同じように、神様の子どもとして生きるために、私たちは、救われました。
だからこそ、イエス様を信じていながら、罪の奴隷のように生きている人々に、イエス様は次のように言われました。
ヨハネの福音書 8章31-34節
イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。
あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」
彼らはイエスに答えた。「私たちはアブラハムの子孫であって、今までだれの奴隷になったこともありません。どうして、『あなたがたは自由になる』と言われるのですか。」
イエスは彼らに答えられた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。罪を行っている者はみな、罪の奴隷です。
イエス様を信じたユダヤ人たちは、自分たちは、自由だ。救われていると思っていました。しかし、イエス様の目には、彼らは、未だに、罪の奴隷でした。
彼らは、まさか、自分たちが、罪の奴隷であるとは、思ってもいませんでした。自分たちは、自由だと思っていました。それは、彼らが、本当の自由を知らなかったからです。
しかし、イエス様が、イエス様を信じる者に与えてくださる本当の自由は、イエス様が行うわざを、行い、さらに大きなわざを行う自由・・・すなわち、イエス様のように神の子どもとして生きることができる、自由です。
主イエスは言われました。
マルコの福音書 16章 17-18節
信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばで語り、
その手で蛇をつかみ、たとえ毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば癒やされます。
イエス様は、イエス様を信じて、何か、物凄い修行を積んだ人には、次のようなしるしが伴うと言われたわけではありません。また、イエス様を信じた牧師、伝道師、宣教師には、とも言われませんでした。・・・イエス様を信じる人々には、しるしが伴い、主イエスの御名によって病人に手を置けば癒される。
皆さん、あなたは、イエス様を信じる人ですか・・・イエス様は、イエス様を信じる、あなたには、しるしが伴うと言われました。なぜなら、イエス様は、イエス様を信じるあなたを、赦された罪人として、ではなく、イエス様と同じ神様の子どもとするために、救ってくださったからです。
このみことばを聞いて悟ったある牧師は、主イエスの御名によって祈ると、癒しが起こるようになりました。
それで、その牧師の家庭では、子どもたちが病気になったり、ケガをしたりすると、すぐに、パパやママのところに来て、「祈って」と言うようになりました。・・・子どもたちは、パパやママが祈ると、必ず、癒されることを、体験したからです。
しかし、2021年の12月、いつもは、祈れば、すぐに癒されていたのに、なぜか、なかなか癒されない・・・それは、当時、3歳の息子にとって、初めての経験でした。
なぜ、パパやママが祈っても、なかなか癒されないのか、意味が分かりませんでした。
毎日、泣き叫びながら、「祈っているのに、どうして癒されないの。どうして癒されないの。祈ってるのに。」・・・原因不明の足の痛みとお腹の痛みに苦しむ日々が、数日間続きました。
それで、その牧師夫婦も、ただ、主の御名によって、癒しを祈るだけではなく、主のみこころを求めて祈りました。
すると、神様からの答えがありました。
「あなたがたの息子に、祈ることを教えなさい。パパとママに祈ってもらうのではなく、自分自身で祈ることを教えなさい。」
それで、彼らは、3歳の息子に自分で祈るように教えました。
しかし、息子は、泣きながら、「やだよ。だって、痛いんだもん。なんで、パパとママが祈るんじゃだめなの」・・・それでも、彼らは、息子を励ましながら、祈りを教えました。
「大丈夫だよ。祈るんだよ。これは霊的戦いだからね。」
それで、3歳の息子は、泣きながら 「イエス様、足が本当に痛いです。癒してください。イエス様、お腹が痛いです。癒してください。イエス様の御名によって、サタンよ。去りなさい。」
すると、次の瞬間、何日間も続いていた原因不明の痛みが、一瞬で消え去りました。
今までは、パパとママが祈るならは、必ず、聞かれることは、知っていましたが、その時から、自分の祈りにも、神様は答えてくださる、ということを、体験したのです。
それで、その息子は、自分でも祈るようになり、今では、6歳になっている彼は、祈りの部屋を造って、祈っています。可愛らしいことに、なぜか、彼の祈りの部屋には、おもちゃのマイクが置いてあり、彼が祈るときには、いつも、そのマイクをもって、イエス様に話しかけるそうです。
皆さん、先週の主日礼拝のメッセージで、聖所を造るチャレンジをしました。
聖所とは、聖別された場所です。
この時間は、主だけのために用いると、一日のうち、どこかで、10分でも、15分でも、時間を決めて、主にささげて、聖別した時間という聖所を造りましょうと、チャレンジしました。
その時間を聖別して、急な用事が入っても、その時間を動かさない。その時間は、主を第一にして、祈りとみことばによって主と交わり、どんなことがあっても、その時間を守る。
・・・そのように、聖別した時間を造るなら、毎日、その時間には、主を第一にすることを選び続けることになる・・・少なくとも、その時間は、主を最も大切にし、敬い、慕い求めることになる・・・そのように、時間を聖別するなら、その時間に、主が親しく語りかけてくださることを、毎日、体験するようになります。その恵みの体験が、主は確かに私の祈りにも答えてくださるという信仰を成長させます。
聖所を造り、毎日、主を一番に愛する時間を持つことを通して、主は、私の祈りに、必ず、答えてくださる、という信仰を受け取った方が、もうすでに、おられます。・・・さらに、次々に起こされて行くことを、主イエスの御名によって、祝福します。
イエス様は、ご自分を待ち望んでいる人を救うために、来てくださる・・・聖別された時間は、イエス様を待ち望んでいる時間です。聖別された場所は、イエス様を待ち望んでいる場所です。
そこにイエス様は、来てくださる。
主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。
皆さん、いつ、家族は救われるのでしょうか。
神様の計画は、あなたもあなたの家族も救われることです。
家族を救う神様の計画の実現に向けて、神様の時は動き始めているでしょうか。
あなたの家庭に、聖所は造られているでしょうか。
出エジプト記 25章8節
彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。
もし、私たちが、家庭の中に、聖所を造るなら、主が、私たちの家庭のただ中に住んでくださり、家族を救う、神様の時と計画を、主ご自身が動かし始めてくださいます。
主は、ご自分を待ち望んでいる人々を救うために来てくださるのです。
2000年前のクリスマスのシーズンに、イスラエルを救うために来てくださったイエス様の救いを喜ぶことができた人は、シメオンをはじめ、わずかな人々でした。
今年のクリスマスのシーズンは、私たちが、今まで祈って来た、大切な人たちを救うために来てくださるイエス様の救いを喜ぶ時となることを、主イエスの御名によって祝福します。
必要なことはただ一つです。預言者アンナは、贖いを待ち望んでいたすべての人に、イエス様の救いを伝えました。
必要なことは、救い主イエス様を待ち望むことです。大切な人を救うために、イエス様が来てくださることを、待ち望んで、祈ることです。・・・そのために聖所を造りましょう。
この12月は、10分でも、15分でも、主にささげて、愛する人の救いのためにとりなし祈る時間を聖別しましょう。

