【270】2024/12/8 主日礼拝 『聖所を造るなら』 ダニエル書 <9:20~27> 斉田 基 牧師
イエス様を信じて、自分の救い主として受け入れた人は、神様の子どもとされます。
神様は、神様の子どもである私たちのために、すばらしい計画を実現してくださいます。
エレミヤ書 29章11節
わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
神様が、私たちのために立てている計画は、私たちに平安と希望と将来を与える計画です。
神様を愛する私たち、神様の計画に従う神様の子どもである私たちのためには、良いことも、悪いことも、すべてのことが働いて益となることを、私たちは信じています。
しかし、このように思ったことはないでしょうか。
・・・その神様の計画は、私には、いつ実現するのだろうか・・すべてのことが働いて益となる・・・それなら、私のこの病気、家族の問題、職場の問題・・・これらのことは、いつ益となるのだろうか・・・神様は、私のためには、いつ、神様の計画を実現してくださるのだろうか。
皆さん、神様の計画は、神様の時が動き始めるときに、動き始めます。
私に対する神様の時が動き始めるなら、私に対する神様の計画も動き始めるのです。
逆に、私に対する神様の時が止まると、私に対する神様の計画も止まります。
24節
あなたの民とあなたの聖なる都について、七十週が定められている。それは、背きをやめさせ、罪を終わらせ、咎の宥めを行い、永遠の義をもたらし、幻と預言を確証し、至聖所に油注ぎを行うためである。
神様は、預言者ダニエルに、あなたの民、すなわち、神の民イスラエルには、七十週が定められていると言われました。・・・要するに、イスラエルのために、七十週の神様の計画があります。
しかし、この時点では、七十週の計画は止まっていました。それは、イスラエルに対する神様の時が止まっていたからです。・・・しかし、再び、神様の時が動き始めます。
25節
それゆえ、知れ。悟れ。エルサレムを復興し、再建せよとの命令が出てから、油注がれた者、君主が来るまでが七週。そして苦しみの期間である六十二週の間に、広場と堀が造り直される。
再建せよとの命令が出たときに、再び、神様の時が動き始めました。
何の再建でしょうか・・・聖所がその中にある、神殿の再建です。
・・・聖所とは、臨在の箱の上、ケルビムの間から、神様が、神様の民に、みことばを語ってくださる場所です。
神様からの直接の語りかけを聞く場所、すなわち、主の御声を聞く場所である、聖所が、イスラエルのうちに回復されたとき、イスラエルに対する神様の時も動き始めました。・・・同じように、私たちのうちにも、主の御声を聞く聖所が回復されるなら、私たちに対する神様の時と計画も動き始めるのです。
さて、今日のみことばを見ると、神様がイスラエルのために計画された70週のうち、7週と62週、すなわち、69週の計画が実現した後、その計画が、再び、止まります。
26節
その六十二週の後、油注がれた者は断たれ、彼には何も残らない。次に来る君主の民が、都と聖所を破壊する。その終わりには洪水が伴い、戦いの終わりまで荒廃が定められている。
六十二週の後、すなわち、70週のうち、69週が実現し、聖所が破壊されたとき、再び、神様の時は止まり、神様の計画も、最後の一週を残して、止まりました。・・・つまり、神様の時と計画は、聖所とともに、動きます。
ですから、私たちに対する神様の時と計画が動き始めるためには、私たちのうちに聖所が回復される必要があるということです。
今日、皆さんのうちに、主の御声を聞く聖所が回復され、皆さんの平安と希望に満ちた将来を実現する、神様の時と計画が動き始めることを、主イエスの御名によって、祝福します。
Ⅰコリント人への手紙 6章19-20
あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。
あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから、自分のからだをもって神の栄光を現しなさい。
自分の罪のために、死ななければならなかった、私たちを救うために、救い主イエス・キリストは、私たちの代わりに、十字架で死んでくださいました。
私たちの救いの神であるイエス・キリストが、ご自分のいのちの代価を払って、私たちを、神様のものとして買い取ってくださいました。
今や、私たちは、神様のものです。今や、私たちは、神様のきよい霊である、聖霊様が住まわれる、神様の神殿です。私たちのうちには、主が直接、みことばを語ってくださる聖所があります。
だからこそ、私たちのうちにある聖所をきよめ、聖別して、整える必要があります。そのとき、私たちに対する神様の時と計画が動き始めるのです。
皆さん、本来、聖所とは、神様のためだけに、聖別された場所です。
ですから、神様のためではなく、自分のために聖所を利用するなら、それが聖所を汚し、強盗の巣にすることになります。
かつて、イスラエルの民は、聖所を汚して、強盗の巣にしたので、聖所は破壊されました。
エレミヤ書 7章11節
わたしの名がつけられているこの家は、あなたがたの目に強盗の巣と見えたのか。見よ、このわたしもそう見ていた──主のことば──。
このみことばは、バビロンによって、神殿が破壊される前に、語られた預言のみことばです。
イスラエルの民が、神様のために聖別された聖所を汚し、自分のために利用して、強盗の巣にしたので、神殿は、バビロンに、破壊されました。
今日のみことばは、バビロンに破壊された神殿に、再建せよという命令が出されると、再び、神様の時と計画が動き始めるという預言が語られていました。
そのように神殿が再建され、神様が計画された70週のうち69週が過ぎたころ、イエス様が、神殿に訪れました。その時、イエス様は、こう言われました。
ルカの福音書 19章46節
彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家でなければならない』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にした。」
イエス様が来られたとき、聖所は、また、汚されていたのです。
イスラエルの民は、聖所を、神様に祈りをささげる場所ではなく、自分たちのために利用する、強盗の巣にしていました。
・・・聖所が汚され、強盗の巣になった結果、再び、神殿は、ローマ帝国によって破壊され、イスラエルの民に対する神様の時と計画は、再び、止まりました。
皆さん、私たちは、神様の神殿です。神様のきよい霊である聖霊様が住まわれる、聖所が、私たちのうちにあります。・・・聖所を汚してはいけません。イエス様が言われた通り、祈りの家として、聖別しなければなりません。
もし、私たちが、私たちのうちにある聖所を回復するなら、私に対する神様の時と計画が動き始めます。
出エジプト記 25章8節
彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む。
もし、私たちが、私たちのうちに聖所を造るなら、主が私たちのただ中に住んでくださり、主ご自身が、神様の時と計画を動かし始めてくださる。
ですから、私たちは、生活の中心に聖所を造りましょう。・・・聖所とは、主だけのために聖別された場所です。
聖所は、きよめられ、聖別される必要があります。聖別するとは、主だけのものとすることです。すなわち、主だけのために用いて、他のことには用いないことです。
たとえば、一日のうちに、ある時間を聖別してささげる場合、まず、その時間は、主だけのために用いることを決心します。
たとえ、急な用事が入ったとしても、主だけのために聖別した時間を、動かしません。
主だけのためにささげた、その時間は、どんなことがあっても、守ります。
その時間を、何よりもまず第一に、主との交わりを持つ時間として、ささげるのです。
場所を聖別する場合、たとえば、この部屋は、祈りの部屋、この部屋に入るときは、いつも祈りとみことばによって、主と交わる。それ以外のことはしない・・・まさに、神殿の中にあった聖所はそういう場所でした。
部屋がなくても、この椅子を、祈りの椅子として聖別し、この椅子は祈るため以外には使わない・・・この座布団は、跪いて主を礼拝し、主との交わりを持つ以外には使わないなど・・・主だけのために用いるために特別に取り分けることを、聖別するといいます。
聖別は力です。聖別された時間、聖別された聖所には、主の臨在が満ちます。
聖別するとは、その時間、その場所において、何よりも主を第一にすることを、私たちが選び続けることです。
聖所は、主が、誰よりも歓迎される場所です・・・聖所において、主は最も大切にされ、敬われ、慕い求められます。・・・そのような聖所に、主は喜んで来てくださり、そこで、主は、私たちに親しく語りかけてくださいます。
・・・そのような聖所を造るなら、私たちは、主の御声を、はっきりと聞くようになります。
逆に、聖所を、聖別しないままでいると、主との交わりを失います。
たとえば、時間を、この時間は主との交わりのためだけにささげて、聖別すると、決心しなければ、どうなるでしょうか。
時間があれば、主との交わりを持ってもいいけれども、もっと大事な用事があったら、もっと大事な用事をします。・・・この時間は、主との交わりを持とうと思っていたけど、急用ができたから仕方ない・・・そのように、主との時間を短くしたり、なくしてしまったりするようになります。
聖別しないこと、それは、何よりも主を第一にしないことです。・・・すなわち、私にとっての、神様の優先順位を低くすることです。
忙しくなかったら、主のために時間を使ってもいいですが、忙しいので、主よりも、もっと大切な用事があるので、そのために、時間を使います・・・そう言うなら、悪魔は、どんどん、私たちを忙しくします。・・・主との交わりよりも、もっと大切だと思える用事をどんどん与えて、私たちが主との交わりを持つことができないようにします。
ですから、主との交わりを第一にすると決心し、たとえ、どんなことがあっても、この時間は守ると、決意していなければ、多くの場合、悪魔の誘惑に負け、主との交わりを失ってしまうのです。
しかし、もし、私たちが、どんなことがあっても、主との交わりの時間を守ると決心して、自分のうちに聖所を造るなら、主は私のただ中に住んでくださり、主が、悪魔の誘惑からも、私たちを守ってくださいます。・・・聖所を守ることは、私たちの働きではなく、主の働きです。私たちがなすべき働きは、聖所を造ることです。
・・・主は、あなたを愛しています。主は、あなたとの交わりを回復するために、十字架にかかられました。あなたの罪、呪い、苦しみ、汚れ、すべてを私たちの代わりに背負って、いのちまで犠牲にして、あなたとの交わりを回復してくださいました。・・・それほどに、あなたとの交わりは、主にとって、大切なのです。
しかし、主が、どんなにあなたを求めても、あなたが主を求めてくれなれば、主はあなたとの交わりを持つことができない。・・・だからこそ、主は、あなたが聖所を造るのを待っています。
私たちが、時間を聖別して聖所を造る決心をするなら、主は、その時間を造り、その時間を守るための、力も、知恵も、体力も、すべてを与えてくださいます。
もちろん、最初は、犠牲に思えます。
ああ、この時間に、こうしていれば、もっと上手く行ったかもしれない。ああ、この時間に、ああしていれば、あの問題が解決したかもしれない。
しかし、たとえ、犠牲が伴ったとしても、「主よ、私は、喜んで、この時間を主にささげます。私のために、すべてを犠牲にし、十字架でいのちまで捨てて、私を愛してくださった主のために、私も喜んで、この犠牲をささげます。」
そのように、時間を、主のために聖別して、祈りとみことばによって、主と交わる時間を持つとき、その聖別された時間、その聖所で、あなたは主の御声を聞くようになります。
実は、私も、意識して、この聖所を造り始めてから、もっと主の御声を聞くようになりました。みことばを読む度に、恵みを受けるようになりました。私の祈りには、主が必ず、答えてくださる信仰と喜びが与えられるようになりました。
今まで、全く、夢を見ない、というか、覚えていなかったのに、今は、よく見ます。しかも、ほとんどの場合、夢の中に、主からのメッセージがあります。
そして、聖所を造り始めてから、教会に新しい人が来はじめました。私が聖所を造ることを、神様が喜んでくださり、私を励ましてくださっているように感じています。
今日は、皆さんに、聖所を造るチャレンジをします。
もし、一日のうちに、主のために聖別した時間がないという方は、どこかで、10分でも、15分でも、時間を決めて、主にささげてください。
聖別は力です。聖別された時間を、守るための犠牲は、主の目に尊いです。
主は、その犠牲の何十倍もの祝福を与えてくださいます。
聖別するとき、すなわち、主だけのためにささげるとき、主は、必ず、受け取ってくださいます。私が祈るなら、必ず、主が答えてくださる信仰が与えれ、期待と喜びをもって祈るようになります。
そして何よりも、あなたのうちに主の聖所が造られるとき、あなたに対する主の時と計画が動き始めます。
皆さんのうちに主の聖所が造られ、主の時と計画が実現することを主イエスの御名によって、祝福します。

