【265】2024/11/3 主日礼拝 『神のことばとイエス・キリストの証し』 黙示録 <1:1~9> 斉田 基 牧師
1節
イエス・キリストの黙示。神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため、これをキリストに与えられた。そしてキリストは、御使いを遣わして、これをしもべヨハネに告げられた。
神はすぐに起こるべきことをしもべたちに示すため・・・すなわち、神様は、すぐに起こるべきことを示したい・・・神様が示された、すぐに起こることを、私たちが知ることは、神様が望まれる、神様
みこころです。
そして、私たちに、すぐに起こることを示すために、神様は、神のことばとイエス・キリストの証しを、神様が選ばれた人を通して、伝えました。
2-3節
ヨハネは、神のことばとイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてのことを証しした。
この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。
この預言のみことばを朗読する者、そして、守る者は、幸いです。何故でしょうか・・・その人は、みことばを聞いて悟るからです。
みことばを朗読する、それは、すなわち、声に出して、みことばを口ずさむこと、そして、みことばを守る・・・それは、すなわち、みことばを聞き流すのではなく、聞いて、心に受け入れたみことばを、心の中にとどめることです・・・その人は、みことばを聞いて悟り、神様が示された、すぐに起こることを、悟るから、幸いなのです。
今日、皆さんに、みことばを聞いて悟る恵みが、豊かに与えられることを主イエスの御名によって、祝福します。
4節~5節
ヨハネから、アジアにある七つの教会へ。今おられ、昔おられ、やがて来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、
また、確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、
恵みと平安があるように・・・すなわち、神様は、この預言のみことばを聞いて悟る人に、まず、最初に、神の恵みと平安を与えてくださる・・・・何故でしょうか・・・それが、必要だからです。すぐに起こることを知るためには、神の恵みと平安が必要だからです。
黙示録に、預言されている、すぐに起こること・・・それは、世の終わりです。・・・地震、災害、世界規模の疫病、戦争、飢饉、考えられないほど、おぞましい犯罪、苦難・・・
この預言を聞いても、平気でいられる人は、そもそも信じようとしていない人か、あるいは、みことばを聞いて悟り、神の平安を受けた人かの、どちらかです。
今日、皆さんが、みことばを聞いて悟ることを通して、決して揺るがされない神の平安に守られることを、主イエスの御名によって、祝福します。
5節~6節
また、確かな証人、死者の中から最初に生まれた方、地の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにあるように。私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、
また、ご自分の父である神のために、私たちを王国とし、祭司としてくださった方に、栄光と力が世々限りなくあるように。アーメン。
イエス・キリストから、神の恵みと平安を受ける人とは、自分が、イエス・キリストに愛されていることを、みことばを聞いて、悟った人です。
イエス様が、十字架で流された血潮によって、私の罪は赦され、今や、私は、神様の子どもとされたことを、みことばを聞いて、悟った人は、決して揺るがされない神の平安に守られます。
しかし、聞いても、悟らなければ、この預言は、ひたすら恐ろしいものになります。
7節
見よ、その方は雲とともに来られる。すべての目が彼を見る。彼を突き刺した者たちさえも。地のすべての部族は彼のゆえに胸をたたいて悲しむ。しかり、アーメン。
神を信じない人にも、世の終わりは来ます。・・・彼らは、胸をたたいて悲しみながら、世の終わりを迎えます。
・・・しかし、みことばを聞いて悟るなら、世の終わりは、永遠の神の国の始まりです。みことばを聞いて、悟るなら、私たちは、「アーメン。主イエスよ、来てください。」・・・喜びをもって、世の終わりに、私たちを迎えに来られる、主を待ち望むことができます。
ですから、私たちは、みことばを聞いて悟りましょう。・・・どうすれば、みことばを聞いて悟ることができるでしょうか。・・・すでに、みことばを聞いて悟る恵みに満ちている人から、みことばを教えてもらうことです。・・・今も、神のことばとイエス・キリストの証しに生きている人の生き方に、目を留めて、その生き方に倣うことです。
2節
ヨハネは、神のことばとイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてのことを証しした。
神のことばとイエス・キリストの証しとは、神様が、見せてくださった神のことば・・・神様が、体験させてくださったイエス・キリストの証しです。
Ⅰヨハネの手紙 1章1-3節
初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。
このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。
私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。
神のことばは、目には見えません。しかし、ヨハネは、目に見えない神のことばが、目に見える人になった、イエス・キリストと、交わりました。ヨハネは、イエス様と交わることを通して、目に見えない神のことばを体験しました。
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい」と言う、イエス様のみことばを、言葉だけで聞いても、イエス様に愛されたことがない人は、イエス様に愛されるということが分からないので、想像するしかありません。
しかし、ヨハネは、イエス様に愛されるとは、どういうことなのかを、自分自身で体験して、よく知っていました。
ヨハネのように、イエス様に愛される喜びに満ちた交わりを体験している人から、神のことばを教えてもらう時、私たちも、イエス様との交わりを持つようになると、神のことばは教えています。
神のことばは、目には見えませんが、神のことばに生きている人の生き方は、私たちの目にも見えるのです。・・・神のことばに生きている人の生き方に目を留めるときに、私たちは、神のことばを聞いて悟る恵みを受けるようになる、ということです。
南アジアの貧しいスラム街に、片腕の男性がいました。・・・彼は、生まれた時には、両腕が揃っていました。しかし、彼の生まれた家庭は、物乞いの家庭でした。
それで、人から同情を受けて、物乞いしやすいからと、彼の父親は、赤ちゃんだった、彼の片腕を切り落とした・・・その時、彼は、まだ、言葉も話すことができない赤ちゃんでしたが、父親が自分の片腕を切り落とした、その瞬間、その場面が、彼の記憶に焼きついた。
そんな彼に、クリスチャンたちが、聖書の神のことばを伝えました。
彼は、神のことばを聞き始めたとき、もし、本当に、それが事実なら、なんて、いい話なんだ、と思いました。
しかし、クリスチャンたちが、「天の父なる神様」・・・そう祈り始めた瞬間、彼の心は閉ざされた。・・・もし、神が、父だと言うなら、そんな神など、私は、いらない。そんな神なら、私は憎む。絶対に信じない。
しかし、その年の夏は、酷い猛暑になり、50度を超える日が1週間以上続き、道端で、動物や人が、バタバタと倒れて死んでいく・・・酷い状況になりました。
それで、クリスチャンたちは、彼が住んでいる貧しいスラム街にも、飲料水を届けに来ました。
しかし、その街は、イスラム教の過激派の街だったので、・・・「お前たち、何しに来た。ここは、お前たち、クリスチャンの来る場所ではない。」・・・追い返しました。・・・熱中症で苦しんでいる人、命が危ない人が大勢いたのに、彼らは、追い返したのです。
しかし、クリスチャンたちは、何度、追い返されても、罵倒されても、飲料水を届けることを諦めませんでした。・・・そのようなクリスチャンたちの姿を、その片腕の男性は見ていました。
そのクリスチャンたちが、彼のところにもやって来て、飲料水を差し出したとき、
彼は、「この水をもらったかと言って、お前たちの信じている父なる神など、絶対に信じないからな。」 と、言い放ちました。
すると、クリスチャンたちは、「いいんです。あなたが、父なる神様を受け入れてなくても、あなたが、どれだけ私たちのことを軽蔑しても構いません。なぜなら、私たちを愛し、あなたのことをも愛しておられる神様が、この水を届けなさいと言われたから、私たちは、神様に従っているだけです。私たちは、神様の子どもですから。天のお父さんの言う通りにしているだけです。」
彼は、その飲料水を受け取って、その水を口にしたとき、何故か分かりません・・・涙が出て、止まらなくなりました。・・・彼は聞きました。 「お前たちは、今、神様の子どもだって言ったな。神様の子どもって、一体、何なんだ。なんで、こんなことができるんだ。」
彼は、自分の父親を憎むあまり、天の父なる神のことなど、知りたくもありませんでした。
しかし、神に愛されている、神の子どもたちの生き方を見て、この人たちの信じている神って、一体、何なんだと思わずにはいられなかった。
そこでクリスチャンたちは、自分たち神様の子どもとはどういうものなのか、天の父なる神様が、どんなに愛してくださり、いつも、どんなに良くしてくださっているのか、自分たちが体験している神様との交わりを、彼に証ししました。
その日、この片腕の男性は、イエス様を信じ受け入れ、その翌日から、クリスチャンたちと一緒に、水を配るのを手伝うようになりました。片手で、一生懸命、喜んで手伝うようになりました。
皆さん、神のことばは、目には見えません。しかし、神のことばを聞いて悟る恵みを受けて、神のことばに生きている人の生き方は、私たちの目にも、見えるのです。・・・だから、使徒パウロは、聖徒たちに、こう願い求めました。
ピリピ3:17
兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。
ですから、神のことばに生きている人から、その人が体験している神のことばを聞くときに、私たちも、神のことばを聞いて悟る恵みを受けるようになるのです。
自分で聖書を読んで、「ああ、私は、神様に、本当に愛されている」と悟ることは難しいかもしれません。・・・しかし、もうすでに、神様に愛されている喜びを体験している人・・・神様と愛し合う交わりを持っている人から、神のことばを教えてもらうとき、神様と愛し合う交わりを持つ、大きな助けになります。
Ⅰヨハネの手紙 1章3節
私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。
ですから、神様が私たちに体験させてくださった、神のことばを、大切な人たちに証しし続けましょう。・・・諦めずに、伝え続けるなら、必ず、豊かな実を結びます。
迫害のある国で、ある、お父さんは、とても熱心なクリスチャンでした。息子もお父さんと一緒に喜んで教会に通っていました。息子は、自分を愛してくれる優しいお父さんを尊敬していました。
お父さんは、いつも、神様のことを教えてくれて、教会でも忠実に奉仕していました。
しかし、悲劇が起こりました。
礼拝の最中に、過激派が乱入し、お父さんに殴る蹴るの暴行を加え、お父さんは、大変な重症を負って、入院しました。しかし、悲劇は、それで終わらず、やっと退院したお父さんを、何と、警察は逮捕して、刑務所に入れてしまったのです。
・・・この出来事は、当時、10歳だった息子に、大きなショックを与えました。彼は、この出来事を受け止め切れず、神様からも、教会からも離れました。
そして、彼は、悪い道に走り、その地域では評判の悪いグループに入りました。
しかし、そんな、ある時、彼は交通事故に会い、彼自身は軽傷で済みましたが、彼の親友は、頭蓋骨が割れ、脳に重大な損傷を負って、危篤状態になり、ICUに入れられました。
お医者さんは、「きっと、今晩もたないでしょう」と言いました。
彼にとって、その親友を失うことなど、考えられないことでした。あまりにも悲しくて、辛くて、泣いて、泣いて、泣いていると・・・・医者が無理なら、人間の力で不可能なら、もう神様に祈るしかない・・・なぜか、そんな思いになりました。
10歳の時に捨てた、神様に、なぜか、もう一度、祈ってみよう・・・そんな思いなりました。
しかし、どう祈ればよいのか分かりませんでした。祈ろうと思っても、言葉が出て来ない。
祈ろう、祈ろうと思っても、祈れない、そんなとき、彼は幻を見ました。放蕩息子の幻でした・・・それを見た瞬間、彼は、はっと気づきました。
ああ、小さい頃、お父さんが話してくれた、聖書のお話だ・・・かつて、お父さんが、息子の心に蒔いていた、みことばの種が、この時、芽を出しました。
彼は、その場で泣き崩れて、天の父なる神様に祈りました。
「ごめんなさい。今まで、あなたに逆らって来ました。あなたに反抗してきました。 でも、今あなたのもとに帰ります。どうか、親友の命を救ってください。僕たちはもう地獄に落ちても仕方がないほど悪い人生を送って来ました。でも神様、あなたが彼を愛し、僕を愛しているんだったら、どうか、この祈り聞いてください」・・・泣きながら叫んで祈り続けました。
祈っているうちに、彼は疲れ切って、いつの間にか、病院の廊下で寝ていました。
次の日、お医者さんが、背中を叩いて、彼を起こして言いました。・・・「奇跡が起きました。あなたのお友達は助かります。」
・・・彼は、10歳の時から、それまで、ずっと、神様に反抗し、神様を呪って、神様が悲しむような生き方を、わざと選んで来ました。
・・・それなのに、悔い改めたとき、父なる神様は、彼の祈りに答えてくださった。
・・・脳を損傷し、危篤状態だった親友を、何の障害も残らないほど奇跡的に癒してくださった。
それで、彼は、意識が戻った親友に、神様が、彼に体験させてくださった恵みを証ししました。
すると、親友も、イエス様を信じ、救われました。
彼は、今、イエス様に人生をささげ、牧師として仕えています。
皆さん、私たちは、神様が体験させてくださった神のことば、イエス・キリストの恵みを、証しし続けましょう。
諦めずに、証しし続けるなら、必ず、豊かな実を結びます。
私たちは、まず、自分自身が神のことばに生きることを追い求めましょう。
そして、神のことばに生きている人の生き方に目を留めて、神のことばに生きる、その生き方に倣いましょう。

