【261】2024/10/6 主日礼拝 『天の大きな喜び』 ルカの福音書 <15:1~7> 斉田 基 牧師
7節
あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。
イエス様は、一人の罪人が悔い改めるなら、大きな喜びが天にあると言われました。
先週も分かち合いました。悔い改めるとは、心の方向を、イエス様に向けることです。
それまで、自分が正しいと思う方向に心を向け、自分の思いのまま生きて来た生き方を、イエス様と同じ方向を向いて、イエス様と一緒に喜び、イエス様と一緒に悲しみ、イエス様と一緒に生きる生き方に変えられること・・・それが、悔い改めです。
この時、イエス様は、取税人たちや罪人たちがみな、悔い改めて、イエス様の近くにやって来て、イエス様と一緒に食事をするのを、喜びました。
そこには、イエス様が喜ぶ喜び、神様の喜びがありました。しかし、神様の喜びを一緒に喜ぶことができなかった人たちがいました。
2節
すると、パリサイ人たち、律法学者たちが、「この人は罪人たちを受け入れて、一緒に食事をしている」と文句を言った。
なぜ、パリサイ人たちは、イエス様と一緒に、神様の喜びを喜ぶことができなかったのでしょうか。・・・それは、彼らが、イエス様と一緒に生きることを、喜んでいなかったからです。
彼らは、自分の心の方向を変えて、イエス様と同じ方向を向く、必要を感じませんでした。彼らは、自分は正しいと思っていたので、実は、自分も、悔い改めなければ滅びる罪人であること、実は、自分にも、イエス様の救いが必要であることが、分かりませんでした。
そういう意味で、いわゆる正しい立派な人よりも、自他ともに認める罪人の方が、悔い改めやすく、また、イエス様と一緒に生きる救いの恵みを、求めやすいかもしれません。
井上薫牧師の証を紹介します。・・・彼は、貧しい家庭に生まれ、お金さえあれば幸せになるという思いで、盗みを働くようになり、中学三年で、大きな事件を起こし、捕まりましたが、「一度きりの人生、真面目でも、不真面目でも、どうせ死んだら同じ、それなら、面白おかしく生きてやれ」という心の方向、その生き方は変わらず・・・暴走族から、ヤクザの世界に入りました。
いろいろな組から誘われ、始めは断っていましたが、ついに、断り切れなくなり、親分のところに行って、「もしヤクザをやるなら、まず親兄弟を捨ててから、来ます」と言うと、その親分は、「お前は、帰れ」・・・「どうしてですか」 「お前な。自分の親兄弟を大事にできない奴が、なんで俺を大事にできるんだ」・・・他の親分たちとは、正反対のことを言われて、「あぁ、この親分なら、ついて行きたい。」・・・ヤクザではなく、その親分に惚れて、ヤクザの世界に入りました。
彼を、その組に誘った兄貴は、覚醒剤を打っていました。・・・兄貴の生き方を見て、覚醒剤を打つと、人は平気で嘘をつき、親分の言うことも聞かず、生活がだらしなくなる・・・だから、自分は覚醒剤だけはしないと、決めていましたが、
あるとき、兄貴が、「お前も1回ぐらい覚醒剤やってみろ。あんなものは意志が弱いからやめられ ないだけだ。意志が強ければ大丈夫」・・・分かりました・・・しかし、一回だけのつもりが、2回、3回、もうやめられない・・・朝から晩まで打つようになり、彼の周りから、人はどんどん離れていく。
一緒に住んでいた彼女からも、「もう薬だけはやめて」と言われ、「やめる」と言っても、彼女が仕事に行くとまた薬に手を出してしまう・・・家にいても、誰かが殺しに来る、恐怖に襲われ、何もない壁に「お前を殺しに来た」というい文字が見えてくる・・・天井で音がすれば、誰か覗いているような気がして、刀で天井を突き刺す・・・寝る時も、刀を手放すことができない。
そんな彼を見て、彼女は怖くて震えている・・・震えている彼女に、「お前、俺に何か隠しているだろ」・・・もう彼女も耐えられなくなって、出て行く・・・気がつけば、一人ぼっち・・・周りには、誰もいない、誰にも相手にされない。
・・・すると、声が聞こえて来る・・・「お前なんか生きている資格はない。死んだ方がいい。」・・・ああ、俺は、死んだ方がいいのか・・・いつの間にか、その声と、会話している自分がいる。
俺の人生、一体、何だったんだろう・・・親分に惚れて、ヤクザになったけど、気がつけば覚醒剤の奴隷になって・・・心の中で、「誰か助けて」と叫んでも、誰も助けてくれない・・・心に聞こえて来る声は、「お前なんか生きる資格はない」・・・そんな声ばかり・・・ああ、そうだ。俺なんか死んだ方がいい・・・ナイフで、腕を切って、切って、切って、気を失う・・・そのように、三回、自殺をしようとしましたが、何故か、三度とも、不思議に助けられる。
しかし、せっかく、助かっても、生き方が分からない。本当は、生きたいのに、生き方が分からない。覚せい剤もやめたいのに、やめ方が分からない。
そんな時、建築会社の社長をしていた友人から、忙しいから1か月だけ手伝ってほしいと頼まれ、行ってみると、現場は、クリスチャンの家でした。・・・その家の娘さんが、彼に聖書をプレゼントしてくれた。
最初、聖書なんかもらってもと思いました。しかし、なぜか、聖書が、気になって、気になって仕方がない。なぜか、読まなければならない、という思いになる・・・それで、読み始めました。
読んでいくと、マタイ5 章30節で 『もし右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに落ちないほうがよいのです。』
このみことばを読んだ瞬間、彼は、自分の手を見ました。・・・ああ、本当に汚い手、この手で暴力を振るい、この手で盗み、この手で覚醒剤を打って来た、この手を切ったら、俺でも、真面目になれるかなぁ・・・そう思った瞬間、涙が込み上げて来ました。
・・・泣いて、泣いて、「神様、あなたが、本当の神様なら、俺を助けてください」・・・叫びました。
その晩、涙と一緒に、何か汚いものが流れていくような感じがして、その後、ものすごい平安を感じました。
その日から、彼は、毎日、聖書を読みました。朝から晩まで聖書を読み続けました。
1ヶ月で、聖書を読み終え、聖書をくれた彼女に電話しました。
「これは、どんな意味ですか。こんな俺でも救われますか。やり直せますか。」
彼女は、いつも彼の話を聞いてくれて、必ず、最後には「教会に行きませんか?」と言いました。しかし、彼は、・・・「いや、教会はきよい人が行く場所だ。俺、みたいな者が行く場所じゃない」と、断っていました。・・・しかし、彼女は諦めませんでした。ついに、根負けしました。
初めて土曜日の賛美集会に行ってみると、「井上さん、初めまして、よく来てくれました。」 みんな笑顔で迎えてくれる。・・・みんな目がキラキラして、こんなにきれいな目を見たことがない・・・こんな俺でも迎えてくれる場所がある・・・それから、彼は、土曜日の賛美の集会、日曜日の礼拝、水曜日の勉強会、往復3時間かけて、通い続けました。
イエス様を知ってから、死にたい気持ちがどんどんなくなっていく・・・覚醒剤もどんどん減っていく・・・別にやらなくてもいい、我慢できるようになっていく。
しかし、親分は、パチンコが大好きで、日曜日になると、「おい、パチンコ行くぞ」・・・まいったな、今日、礼拝やっているのに・・・あ、今、礼拝始まってしまった。・・・あ、礼拝が終わった・・・親分、すいません、ちょっと電話して来ます。
彼女に、「今日、親分と一緒にパチンコに来て、礼拝行けなくて、ごめんなさい。今日パチンコ勝てたら礼拝行けるんで、勝てるように、お祈りしてください」・・・「はい、毎日お祈りしています。」
そのように教会に通い続ける彼が、どんどん変えられていく姿を、親分はそばで見ていました。
そんなある土曜日に、「井上、明日、教会行かなくていいのか」「えっ、行っていいんですか」
「おう、明日は日曜日だから、お前は教会に行け」・・・それから、親分の許可をもらって、教会に行くようになり、帰ると、「今日も親分のためにみんなで祈って来ました。」と報告しました。
彼はますます喜び溢れて、いつもニコニコするようになり・・・親分は、そんなにニコニコすんなと言いたかったけど、言いませんでした。・・・死のうとしていた彼が、今、生きようとしている・・・生きていて欲しい・・・親心でした。
彼は、その年の自分の誕生日を迎えたとき、跪いて、こう祈りました。
「イエス様、ここまで、私を導いてくださって、ありがとうございます。もし、私がやり直せるなら、あなたの子どもになりたいです。」
跪いて、手を上げて、そう祈った瞬間、誰かに手を掴まれました。・・・そこには誰もいません。
「イエス様、イエス様、なんですか。」・・・もう涙が止まらなくなり・・・
「イエス様、あなたは、本当にいらっしゃるんですね。」
その時、彼は、まるで母親の腕の中で抱かれた子どものように、平安を感じました。
その次の日、彼女から電話があり、「牧師先生の家で、食事をしますので、来ませんか?」
「喜んで行きます」 すると、「親分も一緒に来ませんか?」・・・ええ、親分もですか・・・聞いてみます・・・すると、何と、親分も一緒に教会に来てくれました。
「おお、これが、お前の通っている教会か。教会って、なかなかいいもんだな」
そして牧師の部屋に入り、いろいろな話をした後、最後に親分が、机に手を置いて、
「私も井上の親として、井上が、これから本当に真面目にやっていくなら、ヤクザの世界から足を洗わせますので・・・よろしくお願いします」 そう言って、頭を下げました。
しかし、その後、すぐにやめられたわけではありませんでした。・・・・何度も抗争があり、ヒットマンとして、死に行かなければならない、そのような状況も通らされました。しかし、いつも、教会の兄弟姉妹は彼のために祈り続けました。神様は、すべての状況から、彼を守ってくださり、ついに、ヤクザをやめることができました。ヤクザをやめ、お金もすべておいて、出て来た彼に、神様は、住む場所も、仕事もすべてを与えてくれました。
1990年6月3日、洗礼を受ける日の朝、彼は、神様の前に裸になって、跪いて祈りました。
イエス様、私のこの体は、汚い体です。指がなく、入れ墨が入っていて、それでも、今日、あなたの子どもになれることを心から感謝します・・・すると、小さな声が聞こえて来ました。
「あなたが汚いとか清いとか・・・それは、わたしにとって関係のないことです。そのままのあなたをわたしは愛しています」・・・もう涙が溢れて、「イエス様、ありがとうございます」
・・・教会まで歩く道の草花が「おめでとうございます」・・・祝福しているように見える・・・電信柱も、お辞儀して、おめでとうございます・・・みんな、俺のこと祝福してくれている。
教会入った後も、「これで、やっとイエス様の子どもになれる」 という思いがこみ上げて来て、 もう涙が止まらない。・・・洗礼を受けたとき、最後のオルガン演奏の時に、目を閉じていると、幻が見えました。
天国でイエス様がいて、みんな真っ白い衣を着て、すごく楽しそうにしている。
そして、彼のそばから天使が昇って行って、イエス様に向かって叫びました。
「生まれたぞー。生まれたぞー」・・・その瞬間、生まれた、生まれた、生まれた、物凄い大合唱が天国で始まりました。びっくりして目を開けると、そこは教会・・・しかし、目を閉じると「生まれた、生まれた、生まれた」・・・喜びの大合唱
礼拝が終わった後、「こんな幻を見たけど、これって何?」と聞くと、それは聖書に書いてあるよ。・・・一人の罪人が悔い改めるなら、大きな喜びが天にある。
その後、井上先生は、彼に聖書をプレゼントしてくれた彼女と結婚し、献身し、今も、全国をまわって、イエス様を伝えています。
7節
あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人のためよりも、大きな喜びが天にあるのです。
一人の罪人が悔い改めるなら、大きな喜びが天にある・・・この喜び、神様の喜びを、悔い改めた井上先生は、イエス様と一緒に喜ぶことができました。その喜びは、彼の人生を変え、その喜びは、彼だけではなく、彼を通して、多くの人の人生を今も、変え続けています。
ですから、私たちは、パリサイ人たちのように、悔い改めないで、イエス様の喜びを一緒に喜ばない者ではなく、井上先生のように、悔い改めて、イエス様の喜びを一緒に喜び、そして、人々にも、イエス様の喜びを分かち合う者となりましょう。
この悔い改めの喜び、すなわち、イエス様と一緒に喜ぶ、救いの喜びを伝えるために、井上先生は、今も、いのちをかけて、日本全国、海外でも、伝道し続けています。
実は、井上先生は、数年前から、体に異変を感じ、下腹部に、しこりがあるのを感じ、体調が悪化していく中でも、誰にも話さず、妻にさえ隠して、伝道し続けました。
「今、ここで、伝道をやめてはならない。こんな私でも、待っていてくださる方がいる。その人たちにイエス様を伝えたい」・・・その思いで、伝道し続けました。
しかし、去年11月、伝道集会を終えて、病院に行くと、医者は、彼の顔を見て、すぐに輸血し、緊急入院・・・医者から、「あなたのいのちを助けることはできません。」・・・それを聞いて、彼は、「分かりました。しかし、いのちは神様のものです。」
・・・手術は、奇跡的に成功し、こぶし二つ分の大きな癌が取れました。しかも、リンパを調べたら一切、転移していなかった。・・・しかし、手術後、10日目、容体が急変し、二度目の緊急手術・・・その時には、みんな、もう、ダメだと思いました。
彼自身も、あまりの激痛に、叫び声を上げずにはいられませんでした。叫んで祈っても、神様の声が聞こえない。全く聞こえない。・・・御言葉くださいと祈っても、あまりの痛みで、頭の中がぐちゃぐちゃで、何も考えられない。
しかし、その時、突然、幻が見えました。彼のために祈ってくれている方々の手が、その手術室一面に天井から壁からすべてに置かれている。そこには、大きな手から小さな手まで、ありました。・・・ああ、私はみんなに祈られている・・・はっきりと分かりました。
最後に、小さな女の子が出てきました。おかっぱで、5歳くらいの女の子が、「イエス様、あのおじいちゃんを助けてください」・・・そこに悪魔も現れて、その子の祈りを聞いていて、祈りが終った瞬間に、悪魔は、今回は俺の負けだ・・・そして出て行きました・・・その時、ああ、助かるかもしれないと思って・・・意識を失いました。
・・・意識が戻った時、目の前で、看護師さんが、目を真っ赤にして、「井上さん、良かった。良かった。本当に良かった。」
結局、それから、退院するまで68日間かかりました・・・1日1日、癒されていく、彼の姿に、ある看護師さんは、「井上さんが、元気になっていく姿を見て、本当に励まされています。」と、涙ぐんで言いました。
当初、何をやっても、どうせ、この患者は死ぬだろう・・・そんな目で見ていた人たちも・・・彼がどんどん回復していくので、病室の雰囲気はどんどん変えられ、他の人たちみんなと仲良くなっていき、どんどん伝道しやすくなりました。
「神様の恵みは、すごいです。私が生きているのではなく、イエス様が、私を生かしてくださっているんです。」・・・そこでも、彼は大胆にイエス様を伝えました。
その後、井上先生は、退院されて、二週間後には、まだ、歩くこともできない状態で、車椅子で、再び伝道旅行に行かれました。
井上先生は、「神様は、私が特別だから生かしてくれているのではありません。こんな私にも、何か神様の働きがあるから、神様は、私を生かしてくださっています。」・・・そう言って、今も、いのちをかけて、主イエスを伝えています。
皆さん、井上先生を、今も、突き動かしている力は、イエス様と一緒に喜ぶ、救いの喜びの力です。
一人の罪人が悔い改めて救われるのを喜ばれるイエス様の喜びの力です。その喜びは、井上先生の人生を変える力であり、今も、井上先生を突き動かしている力です。
主が、井上先生を天の喜びで満たしてくださったように、今日、主が、私たちをも、天の喜びで満たしてくださることを、主イエスの御名によって、祝福します。
今日、主が、私たちに、私たちの人生を変える喜びを与えようとしてくださっています。
イエス様と一緒に生きる喜びです。
今、あなたのそばにおられるイエス様が、あなたに、イエス様と一緒に生きる喜びの力を与えようと、あなたを招いてくださっています。
こんな私が変れるだろうか、こんなに汚れた私が救われるだろうか・・・イエス様は、言われます。あなたが、汚いとか、きよいとか、それは、わたしには関係ないことです。そのままのあなたをわたしは愛しています。
あなたが変れるとか、変われないとか、それは、わたしには関係ないことです。わたしには、あなたを変えることができる・・・わたしにはあなたを救うことができる・・・あなたは、わたしのもとに来なさい。
私たちは、イエス様の招きの声に応答して、イエス様のもとに行きましょう。イエス様の喜びの力を受け取って、イエス様と一緒に喜ぶ者となりましょう。
イエス様は、誰でも、イエス様の招きの声を聞いて、イエス様を求める者に、天の喜びを与えてくださいます。今、共に、イエス様の招きの声に、耳を傾けましょう。
ルカの福音書5章31-32節
そこでイエスは彼らに答えられた。「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人です。
わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためです。」
イエス様が今、私を、あなたを招いています。
イエス様、私は、あなたの救いが必要な罪人です。私はあなたの癒しが必要な病人です。主よ、あなたが、本当に、救い主なら、どうか、私を救ってください。
へりくだって、イエス様を求めて、祈る時間を持ちましょう。

