【250】2024/7/21 主日礼拝 『必ず答えられる祈り』 マタイの福音書<8:5~13> 斉田 基 牧師

 

今日、覚えて欲しいことは、神様は、必ず、祈りに答えてくださるということです。
神様は、目には見えませんが、見えるかたちで、私たちの祈りに答えてくださるお方です。
だからこそ、人に神様を伝えるためにも、自分自身で神様を体験するためにも、神様から、祈りの答えを受け取りましょう。
今日、神様からの祈りの答えを受け取る恵みが、皆さんに与えられることを、主イエスの御名によって祝福します。
8節
 しかし、百人隊長は答えた。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。

「ただ、おことばを下さい」・・・百人隊長が、イエス様に求めたのは、イエス様の約束のみことばでした。
実際に、イエス様が来てくださらなくても、現実的にしもべが癒されるのを見なくても、ただ一つだけ、主よ、あなたが私に約束してくだされば、たった一言でも、約束のみことばをくださるなら、それで、十分です。・・・皆さん、これが、必ず答えられる祈りです。
主が、直接、私に、みことばを語りかけてくださるまで、祈り求める。

主よ、私は、みことばを通して、私に、直接、語りかけてくださる、主の声を聞きたい。
主が、私に、直接、主の思いを伝えてくださり、私に主ご自身のことを、もっと教えて欲しい。
もっと主のことを知りたい。もっと主のことを、自分自身で体験したい。
そのように主を慕い求めて、主のみことばを祈り求めるなら、必ず、答えられます。

多くの人が、私の祈りは答えられないと失望する最大の理由は、みことばの答えを求めないで、自分の願う答えを求めているからです。

極端な例ですが、ある教会の役員は、「ラブホテルの経営は、収入が良い」と聞き、ラブホテルを経営してもいいか、神様の答えを祈り求めました。しかし、いくら祈っても答えがなく、心が重くなりました。・・・皆さん、神様は、彼の祈りに答え続けていました。
しかし、彼は、自分の願う答えを求めていたので、自分の願っていない、神様の答えは、聞こえなかったのです。

私たちも、
「神様、この問題を解決してください。この問題を解決してもらわなければ、困ります。・・・神様、この願いだけは、絶対に叶えてください。神様、このように、答えてください。こういう風にしてくださらなければ、私の祈りに答えたことにはなりません。」
・・・そのように私の願う答えを求めるので、祈っても、祈っても、現実が、私の願い通りにならなくて、失望します。そして、「ああ、神様は、私の祈りには、答えてくださらないんだ」と、思うようになる。
しかし、もし、みことばの答えを祈り求めるなら、祈っても、祈っても、現実は良くなるどころか、どんどん悪くなったとしても、祈り求めたみことばが、あなたに希望を与えます。・・・「主が私に約束されたみことばは、必ず、実現する。」と、確信する信仰を、みことばが、あなたに与えます。
ローマ人への手紙 10章17節
ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。

主からみことばを受け取るとき、みことばの真理は、現実に打ち勝ち、必ず、実現する、と確信する信仰が与えられます。

皆さん、私たちの祈りを邪魔する、最大の敵は、疑いです。疑った瞬間から、私たちの祈りは弱くなり始めます。・・・私の祈りは、本当に、聞かれるだろうか・・・その小さな疑いを放って置くなら、どんどん祈る力は失われ、逆に、疑い、恐れ、悩みが、どんどん大きくなっていきます。
ヤコブの手紙 1章6-7節
ただし、少しも疑わずに、信じて求めなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
その人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。

みことばを信じる以上に、みことばなんて実現しそうもない、現実を信じ始めることから、疑いは、始まります。
疑いは、みことばよりも、現実を信じる信仰です。しかし、みことばの真理は、現実に、いつも勝利します。みことばの一点一画も消え去ることなく、必ず、すべてが実現します。

だからこそ、疑い、すなわち、現実を信じる信仰には、真理のみことばを信じる信仰によって、打ち勝ちましょう。
疑いが来る度に、みことばを、祈り求めて求めてください。もうすでに、みことばが与えられているなら、もう一度、いや、何度でも、与えられたみことばを心に信じて、口で告白することによって、疑いに打ち勝つ信仰を、受け取り直しましょう。

そう言われても、私も、みことばを求めて祈っていますが、全然、与えられません。どうすれば、みことばを受け取ることができるでしょうか。・・・まず、自分よりも、神様を信じることを、心に決めてください。

私は、私よりも、私のことを大切にしてくださる神様を信じると、自分の意志で選ぶことです。
私は、自分で、自分を大切にすることやめて、神様に私を大切にしてもらうことを、意識して、選ぶことです。

皆さん、意識しなければ、私たちは無意識に、自分を信じて、自分を一番にして、神様を2番、3番、4番にします。

しかし、自分を一番にする自分の世界の中で、悩み、願い、どんなに祈っても、自分の世界の中では、自分の願う答えしか聞こえないので、神様の答えが聞こえません。それで、ああ、祈っても、どうせ、聞かれない、何も変わらない、無駄だと思ってしまう。

皆さん、神様の答えは、自分の世界の外にあります。神様の答えは、私たちの願うところ、思うところを遥かに越えて素晴らしい、答えなので、自分の世界のうちには納まりきりません。
ですから、神様の答えを受け取るためには、自分を一番にする世界を打ち破って、神様を一番にする世界に出て行く必要があります。

今まで、神様と神様のみことばを、本気で、祈り求めたことがある方は、神様の答えが、自分の願いを遥かに越えて素晴らしかったことを、何度も経験しているはずです。
その素晴らしい神様の答えを受け取る度に、自分の世界の壁が打ち砕かれて、「ああ、自分の世界よりも、もっと素晴らしい世界がある・・・私が願う以上に、素晴らしい神様と共に生きる世界がある・・・神様と共に生きるためなら、自分の世界を打ち破ろう」・・・そのように、神様の答えを受け取る度に、私たちは変えられていきます。

ですから、自分の考えや思いなど、自分を1番にする世界を壊す必要があります。
しかし、多くの人は、自分の世界を壊して、自分を守ることができなくなることを恐れます・・・そう思うのは、自分を守ってくださる神様がいないと思うからです。

恐れるな。わたしがあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手であなたを守る。・・・見よ。わたしは、世の終わりまで、いつもあなたとともにいる。わたしはあなたを離れず、決して見捨てない。

あなたを神様が、いつもあなたとともにおられます。神様は、あなたの造り主です。あなたを救うためなら、十字架で、ご自分のいのちを捨てるほどに、あなたを愛する神様です。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは、あなたのために、いのちを捨てた。わたしは、わたしのいのちをもって、あなたを買い取った。あなたは、わたしのもの。わたしは、あなたを愛している。

皆さん、あなたのことを、あなた以上に大切にしておられる神様、ご自分のいのちよりも大切にしておられる唯一の救いの神様、この神様を一番にするとき、あなたは、本当の意味で、自分を受け入れることができます。
私たちは、神様を1番にしなければ、自分の人生さえも、受け入れられない時があります。

ある、クリスチャンのお婆さんの証を聞きました。彼女は、十人兄弟の上の方の子どもだったので、小学校を出るとすぐに、下の兄弟たちや家族のために、働きに出されました。
家族から離れたところで暮らし、自分も学校に行きたい。自分も、もっとこんなことをしてみたい。そのような自分の願いを全部、がまんして、家族のために働かなければなりませんでした。
やがて結婚し、幸せな家庭を夢見ましたが、娘さんが、統一教会に入ってしまいます。そこから救うために、彼女は、非常に苦労しました。そのように、何とか娘を救い出そうと一生懸命になること通して、彼女はクリスチャンになりました。
彼女の人生の話を聞いていくと、苦労に次ぐ、苦労の連続で、この人の人生には苦労しかないのではないかと思うほどですが、最後に、彼女は、こう言いました。
でも、今は、いいことしか覚えていません。・・・イエス様に出会えたから。

数々の苦労と悩みを経験した人生を、素晴らしい人生だったと受け入れることができた、ただ一つの理由は、それによって、私はイエス様に出会えたから・・・イエス様に出会えたから、すべてが素晴らしい。

皆さん、イエス様を受け入れることは、自分を受け入れることです。
あなたのことを、あなた以上に大切にされる方、誰よりも一番にあなたを愛してくださるイエス様を受け入れることこそが、本当の意味で、自分を受け入れることです。

こんな惨めな自分は嫌だと思う、そんな自分を受け入れてくださるイエス様が、いつも、みことばによって語りかけてくださる。
たまたま、今日、パッと開いた聖書のみことば、たまたま聞こえて来たみことば・・・イエス様は、あらゆる方法で、あなたに語りかけ、わたしはあなたを愛している・・・わたしは、わたしの栄光のためにあなたを創造した。あなたは惨めな存在などではない。あなたは世の光だ・・・わたしは、あなたを用いて、多くの人々を祝福する。

皆さん、私たちは、イエス様を1番にすること、すなわち、イエス様のみことばを一番にすることを心に決心しましょう。・・・そうすることが、本当の意味で、自分を受け入れる始まりです。イエス様のみことばを通して、自分が、栄光から、栄光へと変えられていきます。

神様は、あなたを愛しています。あなたの祈りを聞いておられます。祈りの答えも、すでに用意されています。今も、神様は、あなたのために働いてくださっています。・・・それが見えないことがあるだけで、神様は、今も、あなたの祈りと共に働いて、すべてを益としてくださいます。
ローマ人への手紙 8章26-28節
 同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。
 人間の心を探る方は、御霊の思いが何であるかを知っておられます。なぜなら、御霊は神のみこころにしたがって、聖徒たちのためにとりなしてくださるからです。
 神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

皆さん、神様から必ず、答えられる祈りを、祈るためには、聖霊様の助けが必要です。
私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないまま、自分の世界の中で、祈ります。神様の答えではなく、自分が願う答えを求めて祈ります。
しかし、聖霊様は、私たちを、自分の世界から、神様の世界に導き出してくださり、神様の答えを受け取ることできるようにしてくださる。

聖霊様の助けがなければ、私たちは、神様を一番にすることができません。私たちは、どうしても、自分を一番にしてしまう。
ですから、私たちは、聖霊様に、神様を体験させてもらう必要があります。
神様が、ご自分のいのちよりも、私を愛してくださった。神様が、私を1番にしてくださった。・・・聖霊様に体験させてもらうときに、私たちも、神様を一番にして、みことばを信じることができる、神様が約束されたから、必ず、みことばは実現すると、確信する信仰を受け取ります。

ある婦人の証です。
私は、家族のことで人生の大半を苦しんで過ごしました。しかし、神様は、私の切なる祈りに答えてくださり、約束通りに、私の家族を幸せな家族にしてくださいました。
父親が救われるなんて、祈りながらも信じていませんでした。
しかし、主にできないことは何一つありませんでした。
家族を苦しめ続けた父親、私だけではなく、母や兄の心の傷を癒してくださいと、切に祈り続けて来ました。
父親が天に召されて後、母の記憶の中には、父の良い記憶しか残っていないようで、今では、父への憎しみの言葉を聞くことがなくなりました。本当に奇跡です。今、私も、父の笑顔の遺影を見て、良い思い出しか思い出すことができません。
きっと、兄の心の中にも変化が起こっていると信じます。

神様は、私たちの家族に起こった、悪いことすべてを、善に変えてくださいました。そして救ってくださいました。
父の葬儀を教会ですることを許してくれた兄と兄の家族をも救ってくださると信じます。
私は、今、本当に幸せです。心からそう思えるようにしてくださったことを、神様に心から感謝します。
どんなに辛い時も、苦しい時も、悲しい時も、弱い時も、行くことができる教会に導いてくださった神様に感謝します。
教会に座っているだけでいい。来るだけでいい。本当に何もできずに、一言も祈れず、ただ、座って泣くだけの日々もありました。でも、泣くのでさえ、一人で泣くのではなく、神様の御前で泣いて、本当に良かったと、心から思いました。
どんなことがあっても、神様から離れたくない。これが、私の一番の願いです。

皆さん、現実がどうであろうが、人がどう言おうが、自分がどう感じようが、神様が、私に語りかけてくださるなら、みことばが与えられたなら、それで十分です。
今日、もう一度、神様を一番に信じることを心に決めて、神様に、みことばを祈り求めてください。
今日、あなたのことを1番に愛し、ご自分のいのちを捨てて、あなたを救ってくださった救い主のみことばを、もう1度、真剣に信じて、心に受け入れることを、決心してください。
主イエスは、あなたを癒し、守り、祝福してくださいます。
あなたを愛する主は、どんな状況でも、あなたを守り、祝福し、勝利を与えてくださいます。

もし、疑いがあるなら、疑いをもらたす霊よ、主イエスの御名によって、命じる、今、出て行きなさい。疑いの鎖よ、恐れの鎖よ、主イエスの御名によって、今、打ち砕く。

神様は、あなたを選ばれました。
主イエスは言われます。
あなたが、わたしを選んだのではない。わたしがあなたを選んだ。
わたしがあなたを選んだのは、あなたが多くの実を結ぶため。

今、主のみことばが、私たちを、自分の言葉から、解放してくださいます。

私にはできないかもしれない。私には、無理です。もう駄目です。
主よ、どうか、今、自分の言葉の呪いから、解放してください。
自分の言葉で、自分の人生を呪ったすべての呪いから、今、主イエスの御名によって、解放と祝福を宣言します。
主イエスの血潮は、すべての呪いから私たちを贖い出し、信仰によって、私たちに聖霊様を受けさせ、すべての祝福を与えてくださいました。

また、人の言葉によって、傷つけられ、縛られているなら、今、主イエスの御名によって、癒しと解放を宣言します。
親の言葉であろうと、友だちの言葉であろうと、先生の言葉であろうと、どんな言葉であろうと、今、あなたの内側を突き刺している言葉の矢があるなら、今、主イエスの御名によって、すべて引き抜きます。主イエスの血潮による癒しを宣言します。

今、主よ、あなたのみことばが私を自由にします。私を自由にする真理のみことばを、私に語りかけてください。私に分かるように、語りかけてください。
今、しばらくの時間、共に、主のみことばを祈り求めましょう。