【249】2024/7/14 主日礼拝 『限界を打ち破る』 ルカの福音書<5:17~26> 斉田 基 牧師
今日、覚えて欲しいことは、ただ一つです。それは、大切な人のために、まず、第一にすべきこと・・・それは、その大切な人を、イエス様の前に連れて行くことです。
19節
しかし、大勢の人のために病人を運び込む方法が見つからなかったので、屋上に上って瓦をはがし、そこから彼の寝床を、人々の真ん中、イエスの前につり降ろした。
この人たちは、病気の友だちのために、屋根を壊し、天井を打ち破って、イエス様の前に、友だちを下ろしました。・・・器物破損です。そんなことをしたら、多くの人に迷惑をかけ、弁償しなければならないかもしれない、また、周りの人から、どう思われてしまうのか・・・
しかし、彼らは、友だちのために、普通なら、そこまではしないことまでしました。
皆さん、もし、似たような状況になったらとしたら、あなたは、苦しんでいる大切な人のために、どこまでのことをするでしょうか。
イエス様は、彼らの非常識な行いを見ても、決して怒りませんでした。彼らの外側に見える非常識な行いよりも、むしろ、彼らのうちにある信仰を見て、イエス様は、赦し恵みと、癒しの奇跡を与えてくださいました。
もし、大切な人が病気になったらとしたら、その人のために、一生懸命、良い病院を探してあげたり、何か、その人のために、なりそうなことを、してあげることは、良いことです。
その人のためにできる、良いことは、いろいろあるかもしれせん。しかし、その人に一番必要なこと、その人のために、私たちが、まず、第一にすべきことは、何でしょうか。
それは、その人が、イエス・キリストの救い、永遠のいのちを受け入れる手助けをすることです。・・・病気が治ること、必要なことでしょう。問題が解決されること、大切なことでしょう。しかし、それ以上に、その人が救われることの方が、もっと必要です。
大切な人だからこそ、どうしても、イエス様に出会って欲しい。何とかして、イエス様を体験して欲しい・・・そう願って、祈り求めて、そのために、行動することが、一番大切です。
そのために行動するなら、その人だけではなく、私たちも一緒に神様の恵みを体験します。
何故なら、その人の救いは、主のみこころだからです。
主のみこころを、まず第一に祈り求め、行動するとき、主が、私たちと共に働いてくださることを、体験します。
しかし、多くの人が、主のみこころを、第一に、祈り求めて、行動しないので、主が共に働くことができない。
皆さん、イエス様を伝えるために、イエス様についての自分の知識を伝えること以上に、どうすれば、その人はイエス様に出会えるか、どうすれば、その人は、イエス様を体験できるかを、考えながら、祈り求めてください。そのように考えるあなたの考えを、聖霊様が導いてくださいます。
あの人が、この人が、私自身が、どうすれば、イエス様を体験し、イエス様の素晴らしさを、もっと体験して、本当にイエス様は、今も共におられる、私を愛してくださっている、私を救ってくださる救い主だと、聖霊様によって体験できるように、具体的に、私は、今日、どうすればいいですか、考えながら、祈り求めてください。
もし、病気になったとしたら、「イエス様、病気を癒してください」と祈る以上に、病気のままでも、とにかく、イエス様、あなたのところに行きます。
主よ、どうすれば、あなたに会えますか。主よ、私には、あなたが必要です。主よ、どうか、私をあわれんで、私に出会ってください。」 ・・・そのように、聖霊様によって、イエス様を体験することを、祈り求めてください。
家庭の問題でも、職場の問題でも、経済の問題でも、人間関係の問題でも、その問題の解決以上に、イエス様が私と共に働いてくださることを祈り求めてください。
最悪としか思えない。どうしようもないことであったとしても、イエス様が私と共に働いてくださるなら、すべてを益としてくださる。最悪を最善にしてくださる。この状況からでも、考えられないほど祝福してくださる。
・・・聖書のみことばに約束されていることを、素直に信じて、みことば通りのイエス様が、私と共にいてくださることを体験するために、
「聖霊様、私は、今日、どうすればいいですか。聖霊様、私を導いてください」・・・そのように、祈り求めて、示された通りに、行動してください。
神様が約束された祝福は、聞くだけの人に与えられるのではなく、聞いて従う人に与えられます。
信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって、病人に手を置けば癒されます。・・・このみことばを聞くだけではなく、聞き従って、主イエスの名によって、病人に手を置く人々と共に、イエス様は働くことができます。
何とかして、イエス様が、私と共に働くことができるように、聖霊様の導きを祈り求めて、行動に移してください。
彼らは、病気の友だちを、イエス様のもとに連れて行くために、屋根を壊しました。
私たちにも、壊すべき屋根があります。大切な人を、イエス様のもとに連れて行くために、打ち破らなければならない、限界という天井があります。
屋根は、雨などから私たちを守ります。しかし、それと同時に、天から降り注ぐ光を遮ります。
屋根は、あなたを守っているようで、抑えてもいるものでもあり、また、あなたが、もうこれ以上はできない、これ以上必要はないと、自分で決めている限界です。
もしかすると、屋根のようにあなたを守っているものは、あなたが大切にしている人間関係かもしれません。
あるいは、人生で培って来たあなたの経験かもしれません。あるいは、お金かもしれません。
それらのものは、今まで、あなたを守って来たかもしれません。しかし、それと同時に、イエス様が、あなたと共に働こうとするのを邪魔しているかもしれません。
あなたが大切にしているもの、あなたの宝のあるところに、あなたの心もあります。
そのことが気になって、そのことで、あなたの心がいっぱいになると、イエス様は、あなたの心に入ることができない。そして、あなたも、イエス様のもとに行きたいとさえ思えなくなる。
皆さん、今日、自分が大切にしているもの、これが私を守ってくれていると思っているものについて、もう一度、考え直す必要があります。
もしかすると、あなたが大切にしているものが、イエス様とあなたとの間の屋根になっているかもしれません。
ですから、今日、一旦、その大切なものを、横に置いてください。その大切なものを捨てなさいというのではなく、主を第一にするために、一旦、手放して、主にゆだねてください。
捨てるためではなく、その大切なものを、主に守ってもらうために、主に委ねて、手放すのです。・・・大切なものを、主に委ねて、手放すときに、主を、第一にすることができます。
ですから、自分で「これが限界だ」と考えている、自分の限界を打ち破って、イエス様に近づくことを選んでください。その時、イエス様は、あなたと共に働くことができます。
イエス様が、ペテロに「深みに漕ぎ出して、網を下ろして、魚を捕りなさい。」と言われたとき、もうすでに、ペテロは、一晩中、働いて、一匹の魚も捕れずに、心も体も疲れ果てていました。体力の限界でした。
また、プロの漁師としてのペテロの経験からも、今、網を下ろしたところで、絶対に獲れないことは分かり切っていました。・・・経験から言っても、常識的に言っても、限界でした。
しかし、ペテロは、「でも、おことばですので、網をおろしてみましょう」と・・・限界を打ち破って、主のみことばに従ったとき、偉大な恵みを体験しました。
同じように、私たちも、自分の限界を打ち破って、主のみことばに従うなら、主は共に働いてくださり、偉大な恵みを体験させてくださいます。
先週の金曜日に、お母さんが天に召された息子さんの証を聞きました。
死の病で、入院したお母さんは、教会に行ったこともなく、イエス様に出会う機会もありませんでした。・・・それで、彼は牧師に相談すると、
「このまま、お母さんを送ってはいけません。意識が、だんだん薄れて行く中であっても、意識がなかったとしても、お母さんの手を握って、祈ってください。そして、イエス様の救いのみことばを伝えてください。その時、お母さんが手を握り返したら、それが信じている証拠だと信じるぐらいの信仰をもって、とにかく、イエス様の救いのみことばを伝えてください。」
彼は、伝道の経験がありません。伝道するためには、彼の経験の限界を越えなければなりません。また、意識のない人に福音を語っても、どうせ、聞こえない、理解できない、意味がない、そのような彼の考えの限界も越えなければなりません。彼は、牧師に聞きました。「先生、そんなことをして、本当に、意味がありますか。」
牧師は、彼を励ましました。「大丈夫です。人間の考えを捨ててください。意味があるかないかと悩んで、お母さんを天国に送るために必要なことをしないのか。それとも、イエス様を信じて、悩みを横に置いて、お母さんを天国に送りたいと願うのか、どちらかです。」
それで、彼は、ついに、亡くなる3日前、彼自身は、それが3日前になるとは思ってもいませんでしたが、初めて、行動に移しました。・・・ところが、最初は全く反応がありません。もう意識がなかったからです。
それでも、彼は、お母さんの手を握って祈りました。そして、福音のみことばを伝え、「お母さん、イエス様を信じてください。イエス様を信じますか」
すると、それまで意識がなかったお母さんが、目を開きました。そして、天に向かって両手を上げて、天を仰いだそうです。
皆さん、人間の考えで、そうすることに意味があるかどうかではなく、そうすることによって聖霊様が働いてくださるかどうかが大切です。・・・私たちの考え、常識に従うのではなく、主を信じて、みことばに従うことによって、主が私たちと共に働くことができるようにしてください。
経験したことがない、やったことがない、常識では有り得ない。やったところで意味がない。どうせ無駄になる・・・そのような限界を壊して、イエス様に近づきましょう。大切な人を、イエス様の前に連れて行きましょう。
私たちには、大切な人を癒すこと、助けること、救うことはできません。しかし、イエス様にはできます。私たちがすべきことは、大切な人を、あるいは、自分自身を、イエス様のもとに連れて行くために、自分の限界を打ち破ることです。
22節
イエスは彼らがあれこれ考えているのを見抜いて言われた。「あなたがたは心の中で何を考えているのか。
イエス様は、あれこれ考えているパリサイ人たちに、「心の中で何を考えているのか」と言われました。すなわち、常識や自分の考えで、理屈をこねて、グタグタ考えるなということです。
パリサ人たちは、聖書を丸暗記するほど勉強していました。聖書の神様が、どういう神様なのかという知識は、物凄かった。しかし、彼らには、体験が足りませんでした。
神様が私と共に働いてくださるという体験が足りませんでした・・・なぜですか。
彼らは、自分の考え、自分の経験、常識などと言った限界を越えて、神を信じて、神のことばに従う、信仰の従順が足りなかったからです。
皆さん、私たちには、自分の限界を打ち破る祈りと、信仰の従順が必要です。
たとえ、そんなことをしても、意味がない、無駄になるとしか考えられなくても、ペテロのように、「でも、主よ、あなたのみことばですから、従ってみます。」・・・信仰の従順によって、主が共に働いてくださる恵みを体験するなら、あなたの人生は変わります。あなただけではなく、あなたを通して、大切な人たちの人生が変えられていきます。
22-23節
イエスは彼らがあれこれ考えているのを見抜いて言われた。「あなたがたは心の中で何を考えているのか。
『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。
あれこれ考えている人たちに対して、イエス様は、「あなたの罪は赦された」と、限界を打ち破る、みことばを宣言します。
あなたの罪は赦された。・・・と宣言された、イエス様の、このことばの意味は、単に罪が赦されることだけではありません。原文のギリシャ語の意味には、罪の束縛から解放し、自由にして、前進することができるように送り出すという意味があります。
皆さん、私たちの中には、過去に自分が犯してしまった罪に捕らわれて、不自由にされている人がいるかもしれません。
あるいは、過去に、人から受けた心の傷によって、捕らわれている人もいるかもしれせん。
あるいは、今の状況、感情、人間関係などに捕らわれている人もいるかもしれません。
しかし、イエス様は、どんな束縛からも私たちを解放し、私たちが前進できるように、自由にしてくださいます。・・・信じて、祈り求めるなら、必ず、イエス様が、体験させてくださいます。
あなたが、あるいは、あなたの大切な人が、どんな状況にあろうとも、まず、第一に、イエス様を求めることを選ぶなら、イエス様が、前に進むことができるようにしてくださいます。
ですから、イエス様のもとに行くために、まず、私たちの考え、という、限界を壊しましょう。
忙しくて祈る時間がない、その限界を壊して、1分でも、2分でも祈りましょう。
イエス様のために、私たちが自分の限界を壊すなら、私たちには壊すことができない限界を、イエス様が壊してくださり、私たちを前に進ませてくださいます。
イエス様があなたと共に働くために、まず、あなたが壊すべき、自分の限界、というものがあります。
いろんなことを心配し、恐れ、自分の中で作ってしまっている限界・・・これが限界だから、仕方がない。これ以上は無理だ。諦めるしかない。
・・・主よ、どうか、そのように、自分を束縛してしまう思いから、今日、主の御名によって、私を解放してください。どんなことがあっても、イエス様のもとに行けるようにしてください。この問題を、この大切な人を、私自身を、イエス様のもとに連れて行けるようにしてください。
・・・そのように祈り求めて、主を信じて、主のみことばに従いましょう。・・・その時、主は、必ず、素晴らしい恵みを体験させてくださいます。
24-25節
しかし、人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたが知るために──。」そう言って、中風の人に言われた。「あなたに言う。起きなさい。寝床を担いで、家に帰りなさい。」
すると彼はすぐに人々の前で立ち上がり、寝ていた床を担ぎ、神をあがめながら自分の家に帰って行った。
イエス様は、癒された人に、「起きて、寝床を担いで帰りなさい」と、言われました。
彼にとって、寝床は、彼の限界であり、彼を縛り付け、苦しめていたものの象徴でした。
しかし、今や、彼は、それを抱えて、神をあがめながら、自分の家に帰りました。その寝床は、今や、イエス様が、その苦しみから解放してくださった恵みの証になりました。・・・彼は、その証をもって、かつての自分を知る人たちに、イエス様に変えられた、新しい自分を証し、したのです。
寝床を担ぐとは、過去の問題という重荷を抱えることではなく、過去の問題を解決してくださったイエス様の恵みの証しすることです。
私たちも、かつて、あれが、私の限界でした。これが限界でした。このことが、私を主のもとに行けなくしていました。あのことが、私が主と共に生きることを邪魔していた限界でした。
しかし、主は、すべての限界を打ち破ってくださいました。
その恵みの証が、今日、皆さんに与えられることを、主イエスの御名によって祝福します。
今、共に祈る時間を持ちます。
この問題を解決してください。この願いを叶えてくださいと祈る前に、今、あなたと、神様の間にある壁、あなたが神様のもとに行くことを邪魔している、あなたの考えという限界を壊すことを決心して、祈ってください。
主よ、私のこの考え、どしても気になって、頭から離れないこの考え、どうしても否定的に考えてしまう、どうしても恐れてしまう、もう、これ以上無理だと自分で限界を作ってしまう私の自我を、今、打ち砕いてください。
どうか、主よ、あなたが私と共に働くことができるように、私を自由にし、解放してください。
今、しばらくの時間、共に祈りましょう。
主よ、感謝します。あなたに信頼することを選びます。
主よ、何よりも、あなたを第一に求めます。
もう一度、あなたの前に、私のすべてを持って行きます。
問題を抱えたままであっても、主よ、あなたのもとに行きます。
どんな状況でも、大切な人をあなたの前に連れて行きます。
どうか、主よ、あなたが私と共に働くことができるように、私を自由にし、解放してください。

