【248】2024/7/7 主日礼拝 『麦秋感謝の信仰』 詩篇<57:1~11> 斉田 基 牧師

 

今日は麦秋感謝主日です。麦秋感謝とは、神様を信じるからこそ、ささげる感謝の一つです。そもそも、神様を信じていなければ、神様に感謝しません。
神様を信じていない人は、何か良いことがあれば、「ラッキー」と思う、あるいは、私が努力したのだから、当然だ。私のおかげだ・・・そのように思って、神様に感謝しません。

信じる人だけが、それも、神様が私を愛して、この良いことをしてくださったと信じる人だけが、神様に感謝することができます。
そのように、良いことがあってから、感謝することも素晴らしい信仰ですが、まだ、良いことは何も起こっていないときに、それでも神様は必ず、良くしてくださると信じて、感謝する信仰が、麦秋感謝の信仰です。

貧しく、苦しい現実の中で、まだ、感謝できることは何もないときに、それでも、私と共におられる神様は、私を愛して、必ず、良くしてくださると信じて、感謝する信仰です。

ですから、麦秋感謝の感謝は、神様は、今も、私のことを本当に愛してくださっている、と確信する信仰によって、ささげる感謝です。
今日の詩篇において、この麦秋感謝の信仰によって、ダビデは神様に感謝をささげました。
9節
 主よ 私は国々の民の間で あなたに感謝し もろもろの国民の間で あなたをほめ歌います。

ここで、神様に感謝し、賛美の歌を歌っているダビデが、どのような状況にあったのか・・・それが、この詩篇の表題で、「ダビデがサウルから逃れて洞窟にいたときに。」と説明されています。

この時、イスラエルの王は、サウルでした。サウルは、タデを殺すために、3000人の精鋭部隊を率いて、ダビデを追っていました。
ダビデの現実は、ちょっと困っています、ぐらいではなく、明日、殺されるかもしれない状況でした。・・・普通なら、とても感謝することなどできない状況で、それでも、ダビデは、神様は、私を守り、救ってくださると信じて、感謝し、賛美しました。
サウル王から完全に救われて、安心できる状況になってから、感謝をささげたのではなく、洞窟の中で、いつ殺されてもおかしくない現実の中で、それでも、主は、いつも私と共にいて、守ってくださると信じて、感謝をささげました。これが、麦秋感謝の感謝です。

皆さん、この時、ダビデは、洞窟で、命がけの逃亡生活をしていました。神様にささげることができるものなど何も持っていなかった。そのように、何も持っていなかったとしても、信仰によって、神様に感謝して、ささげる賛美のいけにえが、麦秋感謝のささげものです。
へブル人への手紙 13章15節
 それなら、私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。
とても感謝できない現実の中で、それでも、私を愛する神様は、必ず、私に良くしてくださると信じて、感謝をもって、神様を賛美する、唇の果実、すなわち、神様に対する信仰によってささげる、感謝と賛美の告白・・・これが、麦秋感謝のささげものです。

イエス・キリストは、『人の口は、心に満ちていることを話す』(ルカ6:45)と言われました。
皆さん、普段の生活で、どんな思いで、心が満たされ、どんな言葉を口で話されるでしょうか。
一日のうちにも、良いこともあれば、悪いこともあります。イライラさせられたり、がっかりさせられたり、いろいろな状況に置かれるとき、どんな言葉が口から出て来るでしょうか。

良い時も悪い時も、神様は、私を愛して、必ず、良くしてくださるから、感謝します・・・麦秋感謝の信仰によって、皆さんの心に、感謝が満たされることを、主イエスの御名によって祝福します。

しかし、実際的に、どうすれば、ダビデのように、絶望しか見えない現実の中で、この心を、神様に対する信仰、感謝、賛美で満たすことができるでしょうか。
7節
 神よ 私の心は揺るぎません。 私の心は揺るぎません。 私は歌い ほめ歌います。

私の心は揺るぎません。私の心は揺るぎません・・・この信仰の告白の中に、どんな状況においても、信仰、感謝、賛美で心が満たされる秘訣があります。

「揺るがない」というヘブル語の言葉には、「しっかりと固定する。」という意味があります。すなわち、ダビデの心は、しっかりと神様に固定された。
決して揺るがされることのない神様にしっかりと固定されたダビデの心は、どんな苦難の中でも、決して揺るがされなかった。・・・心が神様に固定される・・・それは、どんな状況においても、神様を信じることを選んで、神様から目を離さないことです。
詩篇 16篇8節
 私はいつも 主を前にしています。 主が私の右におられるので 私は揺るがされることがありません。

ダビデは、どんなに最悪な現実の中でも、何よりも、まず、主を、自分の前に置きました。
目に見える現実は、絶望しかありません。しかし、目に見えなくても、主が私と共にいてくださって、守ってくださる、と、信じることを、ダビデは選びました。

今、私は、サウルから追われている。明日、殺されるかもしれない、その現実を見るのではなく、私は、私を愛し、必ず救ってくださる主を信じることを選ぶ・・・そのように、信仰の目で、主を見つめ続けることを選びました。そのように、主を信じることを選んだダビデの信仰の目を、主が開いてくださって、見せてくださったもの・・・それは、主の偉大な恵みでした。
10節
 あなたの恵みは大きく 天にまで及び あなたのまことは雲にまで及ぶからです。

あなたの恵みは大きい・・・この恵みは、真実の愛とも訳される言葉です。
何もない洞窟、明日殺されるかもしれない現実の中で、それでも、ダビデと共にいて、ダビデを愛してくださる神様の真実の愛、その恵みが、天よりも高く、大きいことを、主は、ダビデに見せてくださいました。

皆さん、主がダビデに、その大きな恵みを見せることができたのは、ダビデが、主を信じて、祈り求めたからです。
1-3節
 私をあわれんでください。神よ。 私をあわれんでください。 私のたましいは あなたに身を避けていますから。 私は 滅びが過ぎ去るまで 御翼の陰に身を避けます。
 私は いと高き方 神を呼び求めます。 私のために すべてを成し遂げてくださる神を。
 神は 天から助けを送って 私を救い 私を踏みつける者どもを辱められます。 神は 恵みとまことを送ってくださいます。

ダビデも、私たちと同じ人間です。いつ殺されるかもしれない状況に恐れを感じました。・・・だからこそ、「主よ、私をあわれんでください。天から助けを送ってください。」 ・・・祈り求めました。

目に見える現実は、絶望しかない。自分では、恵みを見つけることができない。だからこそ、ダビデは、「主よ、どうか、恵みを送ってください」と、祈り求めました。・・・そして、主は、祈りに答えて、恵みを送ってくださった。

ダビデは、「主よ、早く、この状況を何とかしてください。サウルをなんとかしてください。」と祈るのではなく、「恵みを送ってください」と祈りました。
同じように、もし、あなたが、ダビデのように、苦しい現実の中に置かれているなら、「どうか、主よ、あなたの恵みで、私の心を満たしてください」と祈り求めてください。

「主よ、あなたは、私のためにすべてを成し遂げてくださる神様です。この苦しみの中にも、神様の素晴らしい計画があることを信じます。・・・私は、信じることを選びますが、今の私には、何も見えません。正直に言って、苦しくて、辛くて、あなたの真実の愛を疑いそうになります。
・・・どうか、主よ。信仰の弱い私をあわれんでください。どうか、あなたの恵みを送ってください。私の心を、あなたの恵みで満たしてください。」・・・・・・主の恵みを求めて、祈ってください。
ローマ人への手紙 8章32節
 私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。

神様の恵みで、心が満たされるとき、私のために、神のひとり子さえも惜しまなかった神の愛で、心が満たされるとき、私たちの生きる目的が変ります。

最初は、神様を信じれば、何か良いことがある・・・神様が病気を癒してくださる。問題を解決してくださる。幸せにしてくださる。そのように、最初は、自分の目的のために、神様を信じます。
そして、神様も、私たち以上に私たちのことを愛しておられ、私たちの幸せを願っておられるので、本当に良くしてくださいます。
しかし、そのように私たちに良くしてくださるために、いのちまで捨ててくださった神様の愛、神様の恵みに、この心が満たされるとき、
「神様、私の願いを聞いてください」と祈るよりも、「あなたの願い通りに、私にさせてください。あなたが喜ばれることをしたいです。どうしたらいいですか。」と、祈り求めるようになります。
神様の愛に、この心が満たされるとき、現実がどうであれ、主を信じて、主のみことばに聞き従う、麦秋感謝の信仰をもって、生きるようになります。そのように、麦秋感謝の信仰によって、主のみことばに聞き従って生きる人は、必ず、多くの実を結びます。

先月、ウクライナ宣教に行かれた大東先生の証を聞きました。
先生が、ウクライナに滞在した6泊の間にも、彼が滞在した地域に、ミサイルとドローン攻撃が2回ありました。それらが落ちたのは、軍事施設や主要な発電所など何もない住宅地の真ん中でした。
皆さん、想像してみてください。現地の人たちは、そのようなニュースを毎日のように聞いて、今度は、自分たちの上に落ちるかもしれない恐怖の中で、約2年半、生活して来ました。

もともと先生は、戦争が終わってから、何か助けたい、手伝いたいと思っていました。しかし、去年の10月から、「今、行きなさい。今、行きなさい。」と、主に示され続けました。「えっ、今って、この戦事中にですか。」・・・それで、先生は、神様にしるしを求めて祈りました。

実は、戦争が始まる一年前に、先生に連絡をしてきた、牧師がいました。・・・会ったこともない、名前も知らない、共通の友人もいない人から、突然、連絡が来て、「ウクライナに来て、福音を宣べ伝えて欲しい」・・・その時は、そう言われても、多分、一生、行くことはないと思っていました。

しかし、その牧師から連絡が来てから、1年後にロシアがウクライナに侵攻しました。
その時、先生は、一年前に連絡が来た牧師のことを思い出しましたが、名前も思い出せず、連絡を取る手段もありませんでした。
すると、彼から連絡が来ました。「今日、首都の半分が壊滅しました。」
それから、先生は、彼らのために祈り続けました。しかし、祈れば、祈るほど、心が痛みました。同じ神様の家族が、そんな悲惨な状況に置かれている中で、ただ祈ることしかできない・・・本当に祈ることしかできなのだろうか・・・
ちょうど、その時、日本のニュースで、ウクライナのショッピングモールに、ロシアのミサイルが落ちたと報じられました。・・・それは彼の住んでいる場所の近くでした。
彼から連絡があり、「今日、ミサイルが、ショッピングモールに着弾したので、今から被災者を助けに行きます。祈ってください。」祈りのリクエストでした。
先生は、なんて勇敢な人だろうと思いながら、祈りました。
その後、彼から、初めて、助けを求める連絡が来ました。
「多くの人が家を失い、家族を失いました。もう途方にくれています。大怪我し、重症で、治療費も出せない人がいます。どうか、助けてください。」
その言葉は、心に響きました。すぐ教会で、チャリティーコンサートを開き、その収益をすべて送りました。
その後です。「今、ウクライナに行きなさい。」・・・神様の声を聞きました。・・・しかし、戦時中の国に行ったことがなかった先生は、神様にしるしを求めて、祈りました。

「主よ。あなたのことばに従います。しかし、本当にあなたが私を、今、この国に遣わしてくださるなら、どうか、確かなしるしを与えてください。そのウクライナ人の牧師の口から、この言葉を言わせてください。」

そのような祈りをしたことを、先生は、誰にも話しませんでした。ただ、神様だけに話しました。
すると、オンラインで、そのウクライナの牧師と会話したとき、彼の口から、一番最初に出てきた言葉は、「どうか、ウクライナに来て、私をイエス・キリストの弟子に訓練してください」
・・・その言葉は、まさに、先生が、「どうか、しるしとして、彼の口から、この言葉を言わせてください」と祈り求めた、言葉でした
その時、先生は、心を決めました。もうロシアとウクライナの戦争のニュースを一切、見るのやめました。どんな状況であろうと、主が言われたのですから、もう選択肢はありません。
神様が、今、と言った時に、従わなければなりません。目に見える状況、耳に聞こえる状況がどうであっても、従わなければいけません。
そして、それが本当に神様の声であったかどうかは、従った時に必ず分かります・・・神様の御声に聞き従うなら、必ず、永遠に残る実が結ばれるからです。

現地について、多くの村々や病院を回りました。どこに行っても、多くの避難民がいて、恐れ、不安を抱いていました。先生が回ったところには、教会は一つもありませんでした。
公民館を借りて、福音を伝えるので、村に行くと、まず、村長さんに会って、話しました。
何のために来たのか、神様が、何のために自分を遣わしてくださったのか、先生は、まず、村長さんに証しをしました。すると、みんな感動してくれました。

彼らは、自分たちの国が、ヨーロッパの国々から、お荷物のように見られていると感じていました。・・・ウクライナから避難民を受け入れなければならない。経済的にも、軍事的にも支援しなければならない。下手すると、ロシアの怒りを買って、巻き添えを食らうかもしれない。
そのように、自分たちの国は、周りの国から、嫌われている、さらには、危険な状況であるにも関わらず、遠い日本から来てくれたことに、彼らは感動してくれました。

先生が、お会いした村長さんも、病院の医院長も、ほとんどの人が、今まで、悔い改めて、イエス様を主と告白したことがありませんでした。それにも関わらず、彼らはみな、口をそろえて、こう言いました。・・・今、私たちに必要なのは、霊と魂の支援です。
今、私たちに必要なのは武器でありません。経済力でもありません。国民の心が折れかけています。もうすでに、心が折れてしまって、立ち直ることができない人も多くいます。今、私たちに1番必要なのは、霊と魂の支援です。あなたがたは、遥々日本から、私たちに、一番必要な霊と魂の支援を与えに来てくれました・・・その言葉を聞く度に、先生の魂が震えました。
また、先生を招いたウクライナの牧師は、毎晩、先生を、彼の家に招いて、夕食を一緒にしました。しかし、食事の時間は、わずかで、ほとんどの時間は、「先生、イエス様の弟子になるためには、何が必要ですか。イエス様の弟子になるためには、何が必要ですか。」 質問攻めでした。
「先生、南アジアで、日本で、どうやって、イエス様の弟子を育てていますか。」
彼は、質問し続けながら、先生の言葉を全部書き留めていました。そのように、毎晩が、弟子訓練の時間になりました。

先生が、ウクライナを立つ前夜、彼は、こう言ったそうです。
「先生、祈って、こう決めましたが、もし、あなたが聞いて、それでよかったら許可してください。」
実は、彼は、それまで、いろんな村に、支援物資を届けて行く中で、9つの村に、10人ぐらいの小グループを作っていました。
そこで、彼が書き留めた先生の言葉をもって、弟子訓練をさせてほしい。
毎週オンラインで教えます。そして月に1回、実際に、そこに行って、弟子訓練の時間を持ち、手を置いて祈ります。・・・これでどうでしょうか・・・
そう聞かれた、先生にしてみれば、許可するも何もありません。すべて、主のものです。ですから、先生は、「その通りにしてください。」と答えました。

大東先生が、ウクライナに滞在できたのは、たった六泊でした。しかし、その間に村長が、イエス様を告白し、病院の医院長は、涙を流して、「主を信じます」と告白し、さらには、弟子訓練が始まりました。今、その牧師は、ウクライナの国で、約90人弱の人に弟子訓練をしています。

皆さん、先生は、現実的には何も見えていないときに、主だけを信じて、主のみことばに聞き従う信仰・・・すなわち、麦秋感謝の信仰によって、主のみことばに聞き従ってウクライナに行きました。その時、主は、多くの実を結ばせてくださいました。・・・私たちも麦秋感謝の信仰によって、主のみことばに聞き従うなら、主が、多くの実を結ばせてくださることを心から主に感謝します。

ですから、現実はこうだから、ああだから、難しいと言うのをやめましょう。私は弱いからできないと言うのをやめましょう。
あなたの現実がどうであれ、神の御子が、あなたを救うためにいのちを捨てて、愛してくださった、これが真実です。・・・現実がどうであれ、主は永遠の真実の愛であなたを愛しています。これが、決して揺るがされることのない真実です。

どんな現実の中でも、私を愛してくださる主は、私を守り、祝福してくださる、と、信じる、麦秋感謝の信仰によって、主のみことばに聞き従うことを選んでください。

聞くだけでなく、主に従うために、具体的に、私は何をすべきかを、祈り求めてください。
その時、聖霊様があなたを満たし、あなたを導き、あなたを通して多くの人々を癒し、救い、祝福する、豊かな実を結ばせてくださることを主イエスの御名によって、祝福します。