【239】2024/5/5 主日礼拝 『間違ったイメージ』 Ⅰヨハネの手紙<5:20~21> 斉田 基 牧師
Ⅰヨハネの手紙 5章20-21節
また、神の御子が来て、真実な方を知る理解力を私たちに与えてくださったことも、知っています。私たちは真実な方のうちに、その御子イエス・キリストのうちにいるのです。この方こそ、まことの神、永遠のいのちです。
子どもたち、偶像から自分を守りなさい。
神の御子、イエス様は、真実な神様を知る理解力を私たちに与えてくださったので、私たちは神様を知ることができる。
神様が、全世界をお造りになったこと、
私のことも、あなたのことも、愛をもって、お造りになったことを、知ることができる。
イエス様が、神様を知る理解力を与えてくださったので、イエス様こそが、私たちに永遠のいのちを与える、唯一まことの救いの神であることを、私たちは、知ることができ、また、信じることができました。
しかし、ここで、不思議なことが命じられています。
イエス様が、神様であることを知って、信じた人たちに、偶像から自分を守りなさい、と・・・
皆さん、唯一まことの救いの神、イエス・キリストを信じた私たちが、今さら、偶像を礼拝するでしょうか。
ここで、偶像から自分を守りなさいと命じているのは、単に偶像礼拝をしないように気をつけなさいというだけの意味ではありません。
まず、神様の目に、偶像の、どういうところが悪いのかを、知る必要があります。
神様に愛されて造られた私たちは、神様からあらゆる恵みを受けて、今も、神様に生かされています。
そのように私たちに良くしてくださっている神様に感謝し、賛美し、礼拝して、神様にささげるべき栄光を、神様でも何でもない偶像にささげること・・・それが偶像礼拝です。
イザヤ書 43章7節
わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造した。これを形造り、また、これを造った。
私たちは、神様の栄光のために造られました。神様に、感謝、賛美、礼拝をささげて、神様に栄光をささげることが、私たちが造られた目的です。
だからこそ、主イエスを信じる恵みを受けた私たちは、食べるにも飲むにも、何をするにも、すべてのことにおいて、神様に感謝し、神様に栄光をささげます。
それを、邪魔するもの、それが偶像です。
・・・偶像とは、私たちが、神様に栄光をささげることを邪魔するものです。
偶像という言葉の、ヘブル語の意味は、虚しいものです。偶像は、私たちの心と思いを虚しくします。
出エジプト記 20章3-4節
あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。
あなたは自分のために偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、いかなる形をも造ってはならない。
神様は、唯一まことの神様以外のどんな偶像も、どんな形も作ってはならない。と命じました。
私たちが、自分の中で、間違ったかたち、間違ったイメージを作ってしまうとき、それが、むなしい偶像となって、私たちが、神様に感謝し、栄光をささげることを邪魔するからです。
人は神様のかたちとして、造られたと、聖書は証言しています。
皆さん・・・自分を見て・・・「ああ、神様は、私を、神のかたちに造ってくださった。神様は、私を、神様の最高傑作として造ってくださった。・・・ああ、神様、私のことを、このように素晴らしく造ってくださって感謝します」・・・そのように、感謝をささげ、神様に栄光をささげることができますか。
いや、そんなこと言われても、傷つき、弱く、愚かな自分を思うと、感謝するどころか、惨めな気持ちになります。・・・これが、間違った、むなしいイメージ、すなわち、偶像です。
神のかたちとして造られた自分を、間違ったイメージで見ているので、神様に感謝し、栄光をささげることができない。自分の中に作り上げてしまった間違った自分の姿、間違ったむなしい自分のイメージ、その偶像が、神様に感謝し、栄光をささげることを邪魔します。
主は、言われます。わたしは、わたしの栄光のために、あなたを創造した。
恐れるな。わたしがあなたを贖った。わたしのあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
わが愛する者よ。あなたのすべては美しく、あなたには何の汚れもない。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
いや、みことばは、そうかもしれませんが、今の私は、現実の私は、こんなに罪に汚れていて、惨めです。
しかし、主のみことばは、証言します。・・・主イエスの血潮によって、私たちは、すべての罪から完全に洗いきよめられた。・・・実に、私たちは、神の作品であって、良い行いをするために、キリスト・イエスにあって、再創造された。
Ⅱコリント人への手紙 5章17節
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
もし、あなたが、主イエスを信じるなら、もうあなたは、古い自分の姿に捕らわれる必要はありません。過去の痛み、トラウマに苦しむ必要もありません。・・・あなたのその痛みも苦しみも、すべてを知っておられる主が、あなたの代わりに苦しんでくださった、あなたの罪のために、打ち砕かれ、刺し通されたイエス・キリストの打ち傷によって、あなたは癒された。
・・・主イエスを信じるなら、あなたは、新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
ガラテヤ人への手紙 3章26節
あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。
皆さん、私たちは、神の子どもです。イエス・キリストの十字架によって、大胆に確信を持って、主に近づくことができる神の子どもです。
私の失敗、弱さ、経験が、私がどういう人間なのかを決めるのではありません。私がどんな人間なのかは、私をお造りになった神様が決めます。私が決めるのでも、人が決めるのでもなく、神様が、私がどんな存在であるかを決めます。
・・・神様だけが、あなたを最も、高価で尊い存在としてくださるお方・・・あなたのために、神様が、ご自分のいのちを捨てるほど、あなたは価値ある存在です。
ですから、私たちは、神様以外のどんなものにも、自分のことを決めさせて、自分の価値をむなしいものにしてはならない。
神様だけが、あなたを、最高に価値ある存在、神様の子どもとしてくださるお方です。
だからこそ、私たちは、「あなたは、こういう人だ」という人の言葉ではなく、また、「自分自身が、私はこういう人だ」と思う自分の思いでもなく、神様が、私のことを、どう言われるかに立ち返ることを選んでください。すなわち、主のみことばに立ち返ることを選ぶのです。
自分は、こういう者だという、自分の物差しを捨てて、みことばを受け入れる時が、私の人生に、神様の恵みが働き始める時です。
ハワイで、ラジオパーソナリティーをしていた、北村美餘子さんの証を紹介します。
彼女は、月曜日から金曜日まで、毎日3時間ほど、ラジオのパーソナリティーを担当していました。その中で、小説朗読という企画があり、三浦綾子さんの小説を朗読することもありました。
しかし、彼女は、キリスト教を信じるつもりはまったくなく、聖書をもらっても、どうせ、仏教のお経のようなものだと思って、開きもせず、どこかに、しまっていました。
そんな彼女に、ホノルルキリスト教会から電話がありました。「三浦彩子さんが、日本から来られ、明日の夜、講演会があるので、一度、お会いになり、講演会をお聞きになりませんか。」
彼女は、講演会はともかく、作家三浦彩子にインタビューさせてもらいたいと思いました。
その講演会の中で、聞いた、一つの話が、彼女の心を打ちました。それは、人が、それぞれに、持っている、物差しの話でした。
人はみな自分を測る物差しと、他人を測る物差しを、別々に持っている。
もし自分が大切にしている花瓶を誰かが割ったとしたら、どうしますか。もちろん、怒るでしょう。それによって、割った人との仲が悪くなるかもしれません。
でも同じことを自分がしたら、自分がその花瓶を割ったなら、怒るでしょうか。
・・・仕方ない。また買えばいいか。
そのように同じことをしても、自分を測る物差しと、他人を測る物差しは、違うのです。
同じ物差しで、正しく測ってくださるのは、神の御子イエス様だけです。
イエス様は絶対のお方です。イエス様だけが、誰に対しても愛を注いでくださるお方です。
この話を聞いた時、彼女の胸に、ずしっと、入ってくるものがありました。
彼女は、彼女に親切にしてくれる人には、笑顔で答えて、親切にしても、関係ない人には、冷たい態度でした。
・・・「誰にでも同じように愛を注いでくださるお方、それはイエス様しかいません。」・・・そう聞いたとき、彼女は、「私は、この年まで、キリスト教を誤解していた、というよりも、知らなすぎた。これから、もっとキリスト教というものを知りたい」・・・もう、三浦さんをインタビューしたいという思いはなくなり、本当の愛を持っておられるイエス様のことを知りたいという思いが湧いて来ました。
その時、牧師が、「イエス様をもっと深く知りたい方、イエス様の愛を知りたい方はご一緒にお祈りしましょう。手をあげてください。」
彼女は、何の迷いもなく高く手をあげていました。
家に帰った彼女は、主人と3人の子供たちの前に手をついて謝っていました。
なぜか、そうせずにはいられなかった。
「私は、自分の物差しで考えていました。一生懸命やってきたから、自分のことを良い妻で、良い母親だと思っていました。でも、そっちから考えたら、ちっとも、良い妻でも、良い母親でもなかったかもしれません。本当にごめんなさい。 だから、お願い。これから、私、日曜日に教会へ行ってみようと思います。どうか、行かせてください。」
すると、主人は、「えぇ、教会、僕は子どもの頃、ずっと日曜学校へ行っていたよ。じゃあこれから家族みんなで教会へ行こう」
それで、次の日曜から、家族で、教会へ行こうということになりました。
その日の夜、彼女は心を開いて、神様を呼び求めました。
・・・本当の神様はどんなお方なのか・・・私のような者の祈りも、聞いてくださるお方なのか・・・彼女は、まだ何も分からないままでしたが、とにかく、祈らずにはいられませんでした。
「神様、私は50歳を超えました。今までの私の生き方は、間違いだらけだったと思います。神様、私に正しい道を教えてください。イエス様が、どのようなお方かも知りません。
残りの人生が短くなった、今、できるだけ早く、私のような者にも分かるように、的確にお教えください。間に合わないことのないようにお願いいたします。
私は、今、このことを真剣に求め願っています。神様、その証拠に、私の1番好きなタバコをささげます。どうか、神様、神様が、本当においでになるなら、私の祈りをお聞き届けください。」
彼女は、彼女なりに、真剣に、一生懸命、お祈りしました。
1夜開けて、翌朝、タバコの匂いを嗅ぐと、気持ちが悪くなり、それ以来、タバコを吸うことはなくなりました。これが、彼女のイエス様と一緒に生きる人生の始まりでした。
皆さん、北村さんのように、自分の物差しを捨てて、イエス様の物差し、イエス様が私をどのように見てくださるか、イエス様の思いを受け入れるときが・・・すなわち、主のみことばを信じて、受け入れる時が、イエス様と一緒に生きる人生の始まりです。
ローマ人への手紙 6章4-5節
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。
私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。
キリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、私たちも、イエス様と一緒に新しいいのちに生きることができる・・・すなわち、信仰によって、イエス様の十字架の死を、自分の死として受け入れるなら、神の御子イエス様と一つにされる・・・つまり、私たちに、神の子としてのかたち、自分の正しいイメージが回復される。
もし、主イエスを信じてもなお、自分はダメだ、自分はみじめだ。なぜ、神様は、私を、こんな私に造ってしまったのか・・・そのように、感謝することができないなら、その原因は、私が、イエス様と一つにされる恵み、すなわち、イエス様と一緒に十字架につけられる恵みを失っている状態です。
北村さんが、教会に通い始めて、一年が過ぎた頃、3日間の大きな伝道集会がありました。
そのメッセージの中で、「あなたは本当のクリスチャンですか」と問いかけられた時、彼女は、「本当のクリスチャンって何だろう?」と思いました。
「あなたは、生まれ変わったクリスチャンですか?・・・1度、全部、自分を殺して、生まれ変わらなければ、本当のクリスチャンではありません。」・・・これ聞いて、彼女は、びっくりしました。
実は、その頃、彼女は、雨の日に滑って、ひっくり返り、背骨と腰の骨を骨折し、手術をしても、治らず、杖がなければ歩くことのできない体になっていました。
しかし、話すことは、できたので、放送の仕事は続けていました。
彼女は、いつも、「神様、私の足を治してください。治してくださったら、何でも神様のおっしゃることをします。まず、足を治してください。」 そう祈り続けていました。
しかし、そのような祈りは、生まれ変わったクリスチャンの祈りではありませんでした。
メッセンジャーは、続けて、こう言いました。
「死刑囚が、絞首台から、バタンと落とされて、死ぬのでなければ、死刑の意味がありません。私たちは死刑囚と同じように、1度死んで、そこから新しく生まれ変わらなければ、本当のクリスチャンになることはできません。・・・飛び降りなさい。死刑囚は、そこで人生が終わる。しかし、本当のクリスチャンの人生は、そこから始まります。あなたは、何も心配しないで、イエス・キリストに全てを委ねて、その御手の中に、思い切って、飛び降りなさい。今までの自分を捨てなさい。」
それを聞いて、彼女は、
「神様、聞いた通りにします。今までの私を捨てて、今、飛び降ります。
今まで、自覚して犯した罪の数々、また知らないで犯した多くの罪をお赦しください。
イエス様、私を生まれ変わらせてください。飛び降りますから、お受け取りください。
どうか、私をよみがえらせてください。」
後から、後から、あふれ出る涙の祈りを、祈り続けました。
祈り終えたとき、突然、お手洗いに行きたくなりました。
たまらず、席を立ち、トイレに向かいました。トイレは、会堂の後ろにもあったのに、なぜか、そこを通りすぎて、別館の奥にあるトイレまで駆けて行って用を足した時、あることに気づきました。
あれっ、杖がない。杖がないと歩けなかったはずなのに・・・そう思った瞬間、足の先から熱い熱のようなものが、カッカッカッと登ってきて、上の方へと、すっと抜けていきました。
「何が起こったの。私どうしちゃったの。」・・・驚きと戸惑いで、体が震えて止まりませんでした。
彼女は、会堂へ駆け戻り、「先生、見てください」・・・泣きながら動き回りました。
メッセンジャーは、彼女の状態を見て、もう1人の牧師と一緒に、感謝の祈りをささげました。・・・その後、彼女を通して、ハワイで初めて、月曜日から、金曜日まで、多くのリスナーが聞いている、お昼の時間帯に、ハワイ全島の在米日本人に、福音を届ける働きが始まりました。・・・実に、34年間に渡って、主は、彼女を、その働きに用いてくださいました。
皆さん、神様の計画は、主と共に死んで、主と共によみがえらされた神様の子どもを通して実現します。主イエスを信じて、主イエスと一つにされた神様の子どもとしてのイメージが回復された、私たちを通して、神様の計画は実現します。
ローマ人への手紙 8章28-29節
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。
主イエスを信じる私たちは、神様を愛する者であり、神の計画に従って選ばれた者です。
この、神の計画とは、どんな計画でしょうか。・・・神様が、私のために、あなたのために定められた計画とは、御子イエスのかたちと同じ、神のかたちを、あなたに回復することです。
主イエスは、言われました。「わたしを信じる者は、わたしが行うわざを、行う。」と・・・
私たちは、聖霊様の働きによって、栄光から、栄光へとイエス様と同じかたちに姿を変えられていく、これが、神様が、私のために、あなたのために、定められた、神の計画です。
この、神の計画に従って生きる、私たちのために、神様はすべてのことを共に働かせて益としてくださることを心から主に感謝します。
神様の計画は、イエス様と同じ、神様の子どもとしてのかたちを、私に、あなたに回復することです。・・・ですから、神様の計画を邪魔する偶像、あなたをむなしくする偶像を、自分の中から取り除きましょう。
私はダメだ。惨めだ・・・自分に対する間違ったイメージを、主イエスの血潮の力によって、今、取り除きます。
主は言われます。恐れるな。わたしがあなたを贖った。あなたは、わたしのもの。
あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
わたしはわたしの栄光のためにあなたを創造した。
今日、みことばを聞くことによって始まる信仰によって、イエス様の十字架の死を自分の死として、もう一度、受け入れましょう。
今、この時間、素直になって、神様に、祈り求めてください。
神様は、あなたに、良いものを与えたい。神様は、あなたを愛しています。愛するあなたに最高に良いものを与えたい。・・・これが、神様の願いです。
神様の願いを、あなたが信じ、受け入れるなら、ただ、素直になって、神様、その良いものをください。あなたが、私に与えたい最高に良いものをください。
神様、あなたを信じる信仰さえも、与えてください。
神様が与えてくださるまで、祈り続ける力も、与えてください。・・・素直に、祈り求めてください。
何よりも今、神様が計画された、自分の本当の姿を回復してもらいましょう。
むなしい自分のイメージを捨て、神の御子イエス様と一つにされた神の子どもとしての姿を、私に回復してください。その信仰を与えてください。
主よ。自分の中で、間違ったイメージを作ってしまったこと、むなしい偶像を作ってしまったことを赦してください。今、間違ったイメージを捨てます。偶像を捨てます。
主よ。どうか、私に、主イエスの十字架と復活に与かる信仰を与えてください。
主と共に死に、主と共によみがえらされ、主と一緒に新しいいのちに生きる、復活の力を、聖霊様の力を、私に与えてください。
今、しばらくの間、ともに祈る時間を持ちましょう。

