【230】2024/3/3 主日礼拝 『あなたの創造者を覚えよ』 伝道者の書<12:1> 斉田 基 牧師
1節
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。
あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
あなたの創造者、すなわち、あなたを、お造りになった神様を覚えなさい。
この「覚えなさい」とは、ただ、記憶として覚えておきなさいという意味ではなく、あなたの中心に、神様を据えて、生きなさいという意味です。
つまり、全世界を造られた唯一まことの神様が、私のことをもお造りになった、私の神様であることを、信じ、受け入れて、神様と一緒に生きることを選びなさいという意味です。
神様を信じて、受け入れなければ、私たちは罪の中で死ぬことになると聖書は語っています。
イエス・キリストは、こう言われました。
ヨハネの福音書8章24節
それで、あなたがたは自分の罪の中で死ぬと、あなたがたに言ったのです。わたしが『わたしはある』であることを信じなければ、あなたがたは、自分の罪の中で死ぬことになるからです。
イエス様は、イエス様を信じないことのせいで、死ぬと言われたのではなく、イエス様を信じなければ、私たちは、自分の罪のせいで死ぬことになる・・・逆に言えば、イエス様を信じるなら、私たちは、罪の赦しを受け、救われる。
皆さん、神様は、ご自分がお造りになった私たちのことを愛しておられます。そして、神様の願いは、愛する私たちが滅びることではなく、神様のひとり子イエス様によって、私たちが救われることです。
ヨハネ3:16-17
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
神様は、私たちを救うために、神様の御子イエス・キリストを与えるほどに、私たちを愛してくださいました。私たちが、イエス様を信じるなら・・・イエス様を、神様が、私を救うために、遣わされた救い主であると信じるなら、私たちは、罪の赦しを受け、救われる。
しかし、イエス様を信じなければ、私は自分の罪のせいで死ぬことになる・・・何故でしょうか。すべての人が、罪を犯したからです。
ローマ人への手紙 3章23-24節
すべての人は罪を犯して、神の栄光を受けることができず、
神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるからです。
すべての人は罪を犯しました。何の罪のない人など、一人もいません。
聖書において、罪とは、的外れという意味があります。
神様は、神様に愛され、神様と共に生きる存在として、私たちをお造りになりました。
神様と共に生きる目的で、造られた私たちが、神様を信じようとせず、神様から離れて、自分の思い通りに生きること・・・これが、神様と共に生きる目的という的から外れた、的外れの罪です。
・・・この的外れの罪の赦しを受けなければ、すべての人が、自分の罪のせいで死ぬことになる・・・しかし、私を愛し、私を救ってくださる神様を信じるなら、救われます。
神様を信じるなら、救われるのに、多くの人は、神様を信じようとはしません。何故でしょうか・・・自分をお造りになった神様を信じるなら、もはや私は私のものではなく、私をお造りになった神様のもの・・・私は、私の思い通りにすることができなくなると思うからです。
私の人生は、私のもの。自分で決めたい。神様に左右されたくない、干渉されたくない、私のことは放っておいてほしい、私は私の思い通りに生きたいから、神様を信じたくないという人もいます。・・・また、神様なんか見えないし、目に見えない神様など信じられない、という人もいます。
しかし、どうでしょうか。今までの人生を振り返ってみてください。自分の思い通りにしようとして、本当に、上手く行ったでしょうか。・・・むしろ、一生懸命して来たけど、報われなかった。
これを手に入れれば、幸せになる。この願いがかなったら、幸せになる・・・多くのものを手に入れ、どんな願いを叶えても、なぜか、虚しかった・・・全然、満たされなかった・・・
神様を信じなければ、私たちは、自分の罪の中で死ぬことになります。たとえ、この世のすべてを手に入れ、どんな願いを叶えたとしても、神様を信じなければ、最後は、自分の罪の中で死にます・・・だから、虚しい。
アメリカに2人の大金持ちがいました。1人はハワードヒューズ、もう一人は、アンドリュー・カーネギーです。
ハワード・ヒューズは、ビジネスで大成功し、飛行機が好きだったので、飛行機会社を買い取り、晩年は、ラスベガスで、とても大きくて、広いカジノを買い取り、カジノの1番上のフロアー全部を、自分の家にして生活しました。
ところが彼は、いつしか、不安、恐れ、疑いに苛まれるようになりました。
私が努力して手に入れた、私の財産を、いつか、誰かに、騙され、盗まれてしまうかもしれない。・・・そのような疑い、恐れから、彼は、家族を持つことができず、生涯独身でした・・・さらには、側近の人すら信じることができなくなり、その生涯最後には、5年以上、彼は、食事を持って来てくれる人以外には、誰にも会うことができなくなりました。
莫大な財産を手に入れ、最新のセキュリティーをつけていたにもかかわらず、彼は、お風呂に入っている間に、誰かが来て盗まれるかもしれない・・・恐れと不安に苛まれ、お風呂に入ることもできなくなりました。
広いカジノの最上階の素晴らしい大邸宅は、髪も切らず、お風呂も入らない、やせ衰えた彼のために悪臭で満ちていたそうです。
一方、アンドリュー・カーネギーは、もともと、自分にも他人にも厳しい人で、家庭においても、家族に厳しく、ビジネスにおいても、結果を出さない人は、バッサリ切り捨てました。
しかし、彼は、ある時点で、どんなに成功しても、どんなに富を手に入れても、虚しく、満たされないことに気づきました。
ちょうど、その頃、彼は、奥さんを通して、教会に通い始めました。
彼は、自分をお造りになった神様を信じ、受け入れ始めました。
自分の人生は、自分のものと思って、どんなに自分の思い通りにしても、全然満たされない、人生は虚しいものだと思った・・・しかし、そうではなかった。・・・こんな私をお造りになった神様がおられた。私は神様のものであり、私の人生には、素晴らしい神様の計画があるのだ、と。
・・・今まで1番、受け入れたくなかったことを、彼は、受け入れ始めました。そして、ついに、彼は、神様を中心にして生きることを決心しました。
彼が、神様を、彼をお造りになった彼の神様として信じ、受け入れる決心をしたとき、彼は、彼のお金を稼ぐ才能は、ただ、彼のためだけに与えられたのではなく、神様が、彼を用いて、神様の計画を実現し、多くの人を祝福するために、彼に与えてくださった才能だと気づかされました。
それなのに、私は、今まで、神様のためでなく、自分のために、才能も、お金も使っていた・・・これが的外れだったんだと、彼は、気づかされました。
エレミヤ29:11
わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている──主のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
彼は、もう自分の計画ではなく、神様の計画に従って生きよう。神様が私に与えてくださった才能や富を、貧しい人、困っている人を助けるために用いよう。
それで、彼は、お金のない芸術家の人たちのためにホールを造りました。有名なカーネギー・ホールです。
また、差別を受け、教育を受けることのできない人たちのために、大学をつくりました。
彼は、こう言っていたそうです。「聖書に書いてある通り、財産は天に持ってくことはできないから、この地上で、神様のために使おう」
晩年、彼は奥さんと一緒に、小さな家に住んで生活しました。どれだけお金を手に入れたかを喜ぶのではなく、手に入れたお金を、神様が喜び、人々が祝福されるために、どれほど使うことができたかを喜ぶ人生に変えられました。
皆さん、たった一つのことによって、この二人の大富豪の人生に大きな差が生まれました。
自分をお造りになった神様を信じ、受け入れることを選んだか、どうか・・・このたった一つのことが、大きな差を生み出しました。
皆さん、私たちの人生においても、同じです。神様を、私をお造りになった神様として、信じ、受け入れるか、どうかが、私たちの人生に決定的な違いを生み出します。
神様を信じなければ、私たちは、神様の計画ではなく、自分の計画に生きる的外れな人生を生きるしかありません。
しかし、神様を信じるとき、私たちは、平安と希望、神様と一緒に生きる将来を与える、神様の計画に生きることができます。
イエス・キリストが来られた目的は、私たちを裁くためではなく、救うためです。
神様から離れ、的外れな罪の中で滅ぶしかなかった私たちを、救うために、イエス様は来てくださいました。
イエス様を信じるなら、私たちは、神様が私たちのために立ててくださった神様の計画に生きることができます。神様の計画は、私たちに平安と希望を与え、神様と一緒に生きる将来を与えます。
罪とは、的外れという意味です。自分の罪のために、的外れな生き方しかできなかった私たちを救うために、イエス・キリストは、私たちのすべての罪を背負って、十字架で死んでくださり、よみがえられました。
イエス・キリストを信じるなら、私たちは、罪の赦しを受け、神様から離れた的外れな生き方から、神様と共に生きる永遠のいのちに生きます。
どんなに成功し、願いを叶えても、満たされない、虚しくなる、ついには、自分の罪の中で滅びるしかなかった人生が、イエス様を信じるなら、神様の計画に従って、平安と希望と喜びに満ちた神様と共に生きる人生に変えられます。
皆さん、私たちが、人生で、後悔する原因は、的を外しているからです。
多くの場合、私たちは、自分が的を外していることに気づくことができません。
その時には、自分の考え、自分の計画が正しく見えます。しかし、後になって、実は、正しくなかった。的外れだったと知って・・・ああ、そうしなければ良かった。こうしておけばよかったと、後になってから、気づいて、後悔するのです。
逆に、的を得るなら、家庭においても、仕事においても、人間関係においても、的を得て、一生懸命することすべてが、必ず、良い結果を生み出します。豊かな実が結ばれます。
一生懸命していても、虚しくなってしまう・・・それは、的を外した状態で、一生懸命にしているから、虚しくなってしまうのです。
そのように、的を外しているから、虚しくなってしまうのですが、多くの人は、虚しさを感じると、的を外したまま、もっと頑張って、その虚しさを満たそうとします。・・・そのように、自分が感じた通り、自分の思い通りに、虚しさを満たそうとすること自体が、的外れです。
的を得るとは、自分ではなく、神様を信じて、神様の計画に従うことです。その時、私たちは満たされます。・・・・しかし、神様を信じないで、自分の思い通りに生きる的外れな生き方を選ぶなら、私たちは自分の罪の中で死ぬのです。
今日、このことを信じてください。自分の思い通りにするよりも、神様に信頼して、神様の計画に従うことを選ぶ時、私たちは、私たちが願うよりも遥かに素晴らしいことができます。
聖書に書かれている通り、私をお造りになった神様がおられること、いつでも、どこでも、どんな状況においても、神様が私と一緒にいてくださることを信じ、受け入れて、神様と一緒に生きることを選ぶなら、私は私を強くしてくださる神様と一緒にどんなことでもできます。
神様は、あなたのために計画を立ててくださっています。神様の計画は、あなたに平安と希望、将来を与える計画です。あなたが考える計画を遥かに越えて素晴らしい計画です。
ある牧師の娘は、3歳ぐらいまで、教会に馴染むことができず、礼拝中も、ずっと大声で泣き続けました。それで、牧師婦人は、いつも、娘を抱っこして外に出て行かなければなりませんでした。
周りの人からは、「牧師の娘なのに、あんなに大きい声で泣くなんて・・・」など、いろいろと否定的なことを言われました。
しかし、牧師夫婦は、人の言葉ではなく、現実でもなく、神様が、娘のために立ててくださっている神様の計画を信じることを選びました。
何を言われても、「こんな大きい声で泣いているんだから、将来、きっと、大きな声で、神様を賛美する子になる。」信じて、娘のために祈り続けました。
神様が、彼女のために立ててくださっていた計画は、大声で泣いて、礼拝に参加できない人生ではありませんでした。その大声によって鍛えられたのでしょう・・・20年後の現在、娘さんは成長し、賛美をリードする奉仕者として用いられています。
同じように、私たちも、神様の計画を信じ、受け入れるなら、神様が計画してくださった祝福が、私たちの人生に実現します。・・・・だからこそ、私たちは、心を失うことなく、いつも、神様を信じ、受け入れることを選んでください。
特に、神様がいるなら、なぜ、こんなに悲惨なことが起こるのかと思う時こそ、私をお造りになった神様は、この悲惨なことを悲惨なことで終わらせるためではない。神様は、この悲惨なことさえも用いて、最善を実現してくださる。私に平安、希望を与え、神様と一緒に生きる人生に、私を導いてくださることを、信じ、受け入れることを選んでください。
主イエスを信じた後も、神様がいるならなぜ、と思うようなことを、何十回も、何百回も経験するでしょう。しかし、その時こそ、神様を求めてください。
この1週間、自分をお造りになった神様がおられることを認め、毎日、5分でも、10分でも、聖書を読み、祈る時間を持ってください。その時、神様が必ず、あなたの人生を変えてくださいます。
今、しばらくの間、神様を求めて祈る時間を持ちましょう。
私をお造りになった、私の神様を信じ、受け入れるために、
神様なんていない。必要ない。という的外れな罪の思いから、私を解放してくださいと祈り求めましょう。
神様、どうか、私たちを、罪から解放してください。
神などいない。必要ない。神様がいるかどうかなんて、どうせ、分かりっこない。分かったところで、どうでもいい。そのような、的外れな罪の思いから解放してください。
主イエスを信じても、神様、あなたは、なぜ、こんなに悲惨なことを私に許されるのですかと、神様の計画を信じることができない的外れな罪の思いから解放してください。
神様の計画を拒み、自分の思い通りにしていた的外れの罪から、私たちを解放してください。
神様、今、あなたを信じ、受け入れます。あなたが私をお造りになったことを信じます。
私の人生はあなたのものです。私が今まで、してしまったこと、すべての責任をも、あなたが負ってくださることを感謝します。
どうか、恐れに縛られることなく、思い切って、あなたに信頼し、ゆだねることができるように、私をすべての捕らわれから自由にしてください。
どうか、主よ、あなたが本当に私の造り主であるなら、私に分かるように、証明してください。
神様、あなたを私の造り主として、信じ、受け入れます。あなたに信頼し、あなたの計画に従います。どうか、あなたが私のために立ててくださった平安と希望の計画、あなたと一緒に生きる将来を、私の人生に実現してください。
私の目には、どう
しようもない現実に見えたとしても、あなたを受けれ、あなたと一緒に生きるなら、あなたは必ず、勝利と満たしを与えてくださることを信じます。
どうか、主よ、私たちに、あなたを見えなくする、全ての悪から、私たちを守ってくださり。主イエスキリストの御名前によって、祝福してお祈りします。
最後に、私の後に続いてお祈りしてください。神様、あなたは私の神です。私を造ってくださったことを信じます。私を造ってくださったことを感謝します。あなたが私の全て責任を負ってくださることも信じ、感謝します。恐れから解放され、あなたと一緒に歩みます。主イエスの御名によってお祈りします。

