【310】2025/9/14 主日礼拝 『みことばによる成長』 Ⅰペテロの手紙<2:1-2> 斉田基牧師
2節
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
成長は、喜びです。特に、愛し合う家族にとって、成長は喜びです。
初めて、赤ちゃんが、寝返りするようになった・・・ハイハイするようになった・・・歩くようになった・・・それを見るだけで、嬉しくなります・・・そのように、成長を見ると、家族みんなで喜びます。
同じように、神様の家族は、互いの成長を喜びます。
教会は、神様の家族です。主イエスを信じた私たちは、神様の子どもであり、神様は、私たちの天のお父さんです。
私たちは、神様の愛で互いに愛し合う兄弟姉妹、神様の家族です。
神様の家族である私たちは、互いの成長を喜びます。互いの成長を喜ぶことが、神様の家族である私たちの大きな喜びです。・・・それは、私たちが成長すると、イエス様のように愛し仕える者に変えられていくからです。それが、何よりも大きな喜びです。
エペソ4:11-13
こうして、キリストご自身が、ある人たちを使徒、ある人たちを預言者、ある人たちを伝道者、ある人たちを牧師また教師としてお立てになりました。
それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためです。
私たちはみな、神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、一人の成熟した大人となって、キリストの満ち満ちた身丈にまで達するのです。
私たち教会が、イエス様に対する信仰と知識によって一つになって、イエス様の満ち満ちた身丈にまで成長するために、イエス様ご自身が、教会のために立てられたのが、使徒、預言者、伝道者、牧師、教師です。
彼らの使命は、聖徒たちを、みことばによって、整えて、奉仕の働きをさせることによって、聖徒たちを成長させることです。
ですから、私たちは、みことばによって整えられて、奉仕の働きをすると、イエス様のように生きる神様の子どもとして成長します。
ここで言う、奉仕の働きとは、いわゆる、掃除奉仕とか、伝道奉仕とか、何々奉仕とか名前がついている奉仕のことを指しているわけではありません。この奉仕の働きは、イエス様が愛してくださったように、互いに愛をもって仕えることです。ここで言う奉仕とは、神の愛で愛することです。
大好きな人、本当に大切な人のために何かをさせてもらえることは、喜びです。
そのように、愛する故に、仕える、喜びが伴う奉仕です。
本当に仲の良い家族で、互いに喜んで仕え合う奉仕です。
主イエスを信じた私たちは、神様の愛で、互いに愛し合う神様の家族です。
そして、神様の愛で、互いに愛し合い、仕え合うことができるように、みことばによって整える使命を、イエス様は、使徒、預言者、伝道者、牧師、教師に与えました。
ですから、イエス様から、私が受けた牧師としての使命は、私たち、神様の家族が、神様の愛で、互いに愛し合い、仕え合うことができるように、みことばによって励まし、慰め、力づけることを通して、みことばによって、皆さんを整えることです。
みことばによって整えられて、奉仕すると、私たちは一つになります。・・・どうしても必要なのは、みことばによって整えられることです。
みことばによって、整えられた人は、みことばから受けた恵みの力で、奉仕することができ、みことばによって、整えられると、心が、神の愛で満たされるので、喜んで奉仕します。
しかし、多くの人は、みことばによって、整えられないまま、奉仕して、つまずきます。
みことばから、恵みの力を受けないで、奉仕すると、疲れて、イライラし始めます。
みことばによって、心が神の愛で満たされないまま、奉仕すると、どんどん虚しく感じて・・・こんな私が、奉仕していても意味ないだろ、という思いになって・・・ついには、燃え尽きてしまう。
ですから、みことばによって整えられる必要があります。
エペソ人への手紙 2章10節
実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。
私たちは神様の作品です。皆さん、神様がお造りになる作品に失敗作は存在しません。
私たちはみな、神様の作品なので、私たちはみな、一人も漏れることなく、良い行いをすることができます。しかも、ここで言う、良い行いとは、ちょっと良いことしたなぁ、ぐらいに、人間レベルの良い行いではありません。・・・・神様レベルの良い行いです。
すなわち、イエス様にあって造られた私たちは、イエス様と同じぐらい良い行いをすることができる・・・信じますか?
ある兄弟は、牧師婦人から、「祈っていると、こういう名前の人のために、あなたが祈っている姿が見えました。今が、その人の救いの時です。」と、預言されました。
それは、彼の友人でしたが、実は、朝、久しぶりに、その友人を思い出して、家で祈ってから教会に来たのです。・・・それで、彼は、その友人の家に行って、教会に誘うと、家族全員で、イエス様を信じました。
特に奥様が熱心に信じて、毎週のように教会に通うようになったのですが、なんと友人は、信じた後も、いろんな宗教が好きで、「いや、もちろん、キリストも信じるよ」・・・と言いながらも、「ま、仏陀も好きだけどね」と言うので、奥様の祈りは、「旦那が、イエス様一本になって欲しい」だったそうです。
それで、その兄弟も、友人のためにとりなし祈っていましたが、ある日、友人のために、異言で祈っていると、「聖霊の火、聖霊の火のバプテスマ」と、聞こえました・・・それで、彼は、自分をみことばによって指導してくれている霊的な父親に相談しようと思ったところ、心に、「あなたがしなさい」・・・と聖霊様の思いが与えられました。
彼は、霊の父が、人々に聖霊の火のバプテスマを授けているのは何度も見たことはありましたが、彼自身はやったことがありませんでした。・・・それで、「自分には無理だ。やめとこう」と、何度も思いましたが、そう思う度に、「聖霊のバプテスマ、火のバプテスマ」と、何度も何度も、執拗に語られたので、ついに根負けして、従うことにしました。
それで、彼は、霊の父が、人々に聖霊の火のバプテスマを授けている様子を、自分の中で何度も思い巡らし、シュミレーションして、勇気を出して、友だちの家に行きました。
すると、意図したわけではないのに、友だち夫婦との会話が、自然と、使徒の働き2章の話しになりました・・・それで、彼は、「これは、さすがに、聖霊様が導いてくださっている」と確信して、友人に、「聖霊のバプテスマっていうのがあるんだけど、受けて見る?」と、聞きました。
友人は、ちょっと驚いた様子で、「えっ、そうだね。・・・考えて見るよ。」・・・しかし、彼は、踏み込んで言いました。「今、受けますか。」・・・それで、友人は、「受けます。」
それで、彼が祈った瞬間、友人はその場に倒れました。
そして、しばらくして、起き上がった友人の第一声は、「天の父って本当にいるんだ」・・・
その日から、友人の生き方が全く変えられました。
次の主日礼拝で、友人は水のバプテスマも受けました。それが、数か月前の出来事です。
その後、この数か月の間に、その友人夫婦を通して、20人以上の人が、イエス様を信じて救いに導かれています。
皆さん、友人を救いに導いた兄弟は、最初から聖霊様の声を聞き分けられたわけではありません。この兄弟が救われたのは数年前ですが、救われた当初は、自分を指導してくれる霊の父に対して、「いや、それは違うと思います」と反抗することがよくあったそうです。
というのは、彼はヒップホップをしていて、彼のうちには、自己主張、反抗精神の塊のようなところがあって、要するに、従いたくない・・・
しかし、霊の父は、そんな彼に、「秩序が大切なんだよ。従順を通して恵みが流れてくるんだよ。」と、みことばによって、優しく教え続けてくれました。
そのように、霊の父が、みことばで、教え続けてくれるので、彼は、少しずつではありますが、やってみようか・・・そして、やってみると恵みを体験し、それで、またやってみよう、ああ凄い恵み・・・よし、今度も、従ってみよう・・・メチャクチャ凄い恵み・・・そのように、従って、ついて行くこと、従順がやみつきになったと彼は言います。・・・今なら、ついて来いと言われれば、コンビニに行くように、海外にまでついて行くと思いますと、その兄弟は、証ししていました。
そのように、その兄弟は、みことばの恵みを受けながら、従順を身に着けて行く中で、聖霊様の声を聞き分けるようになったのです。ちなみに、この兄弟は、数年前に救われてから、100人以上の人を救いに導き、今では、家の教会を導く、牧者の働きをされています。
この兄弟のように、霊的に成長していくための第一歩は、まず、みことばの恵み受け取ろうとすることが大切です。・・・みことばから、恵みを受け取ることができる、と、期待して、恵みを求めて、みことばを聞くことです・・・そして、そのように飢え渇いてみことばを聞き続けることによって、恵みを受け続け、みことばの恵みによって養われることです。
2節
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
皆さん、みことばの恵みを受けるために、主日礼拝のメッセージで、示されたみことば・・・何か、聖霊様が、自分に示してくださったみことば、示された、そのみことばに従って、一週間、歩みましょう。
先々週、聖書のみことばを通して、イエス様は、いつも私たちに語りかけてくださって、私たちを助け、救い、祝福するためのみことばを語ってくださる。
ですから、もし今、耳を傾けるなら、イエス様は、私の耳を開いてくださり、私に、みことばを悟らせてくださるという、信仰と期待をもって、聖書を読みましょう・・・そのとき、主の御声を聞き分けることができます・・・そのように、メッセージで、分かち合いました。
同じようなメッセージを聞いた、ある姉妹は、メッセージで示されたことを実践しようとして、「お祈りして、聖書を読んで見たけれども、主の御声が聞き分けられたのか分かりませんでした。読んだみことばに恵みを受けたところがあって、神様に感謝の祈りをささげました。」と、先々週、証しされていました。
・・・皆さん、彼女は、まず、メッセージで、主が自分に示されたみことばに従おうとしました。
そして、自分から聖書を開いて読みました。聖書を開いて読んだということが、主の御声を聞いたことです。聖書は、神のことばなので、神のことばを聞いた以上、神の声を聞いています・・・聞いてはいても、聞き分けられないと、意味が分からない。
しかし、彼女は、神のことばから、恵みを受けて、神様に感謝の祈りという応答をしました・・・これが、神様との会話が成り立っている状態です。
神のことばから、恵みを受けているということ自体が、主の御声を聞き分けています。はっきりでは、なかったとしても、聞き分けてはいます。そして、みことばから恵みを受けたことについて、彼女は、主に感謝しました・・・・これが、祈りとみことばによる、主との会話です。
そのように、メッセージで示されたみことばに従ってみることが恵みを受ける秘訣です。
また、先週のメッセージでは、愛の奉仕として互いのために祈り合いましょう。そのために、とりなし祈る時間を持ちましょう。と、メッセージで、励ましましたが、
何と、先ほど分かち合った、同じ姉妹が、これもまた同じようなメッセージで、祈りについて、自分に示されたことを実践したことについて、先週、証しされていました。
彼女は、賛美をかけながら、とりなし祈る時間を持ちましたが、その姉妹は、まだ、異言で祈ることができなかったので、「異言で祈らせてください」と言って、祈っていると、唇が勝手に動きペラペラと分からない言葉が出て来て、多くの人のために祈る祈りに導かれた、と言います。
自分が祈ろうと思っていなかった人のためにまで、また、祈ろうと思っていなかったことまで祈らされ、自分自身も祝福されました・・・そのように、彼女は、先週、証されていました。
皆さん、彼女のように、示されたみことばに毎週、従ってみるとき、毎週、恵みを受けるようになっていきます。
さらに言えば、毎日、自分で聖書を読む度に、示されたみことばに、毎日、従って行くなら、毎日、恵みを受けるようになっていきます。
示されたみことばに一歩従うと、恵みを受け、その恵みによって、また、示されたみことばにもう一歩従って、さらに恵みを受け、そのように、一歩、また、一歩と、恵み受けて行くことによって、私たちは、みことばの恵みに養われて、成長していくのです。
もちろん、一筋縄では行かないこともあります。困難もあります。一歩進んで、二歩後退しているように思える時もあるでしょう・・・だからこそ、神様の家族で、励まし合います。
もうすでに、同じような困難、試練を経験し、それを乗り越えた兄弟姉妹がいます。
そのような状況から、どのように主が回復してくださったのか、もうすでに恵みを体験し、その恵みを持っている兄弟姉妹との交わりを持ち、その生の声を聞くとき、同じ神様の恵みが流れて来るのです。
ですから、私たちは、互いに交わりを持ちましょう。そして、互いに祈り合い、励まし合いましょう。特に、もうすでに、みことばの恵みを体験したことがある兄弟姉妹は、その恵みを証ししてください。その恵みを証しし、分かち合うことによって、互いに励まし合いましょう。
今、それぞれ、メッセージで、主が自分に示されたみことばを掴んで祈る時間を持ちます。
まず、主に感謝のいけにえをささげましょう。
主よ、このみことばを、私に示してくださったことを感謝します、と、まず、感謝のいけにえを主にささげましょう。
そして、主が示された、そのみことばを、今週、どのように実践すればいいのか、教えてください。
あるいは、このように実践しようと思いますが、大丈夫でしょうか・・・主よ、導いてください。
最後に、主よ、私は、あなたが示してくださったみことばに答えて、今日、このようにしてみます。助けてください。と、祈る時間を持ちます。

