【301】2025/7/13 主日礼拝 『良い羊飼い』 マタイの福音書<9:35~38> 斉田基牧師

 

35-36節
 それからイエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やされた。
 また、群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。

イエス様は、国中の全ての町や村を巡って、福音を宣べ伝え、あらゆる病気を癒されました。しかし、イエス様が朝から晩まで、仕えても、仕えても、次々と多くの人が押し寄せて来ました。
その多くの人を見て、まるで、羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れている彼らを、イエス様は、深くあわれまれました。

羊飼いとは、人を深くあわれまずにはいられない人です。人を深くあわれむとは、人をかわいそうに思うあまり、人の痛みを、まるで自分の痛みのように感じて、放って置くことができない。
その人をかわいそうに思うあまり、居ても立っても居られない。つい、体が動いて助けてしまう。自分を犠牲にしてでも、救わずにはいられない・・・それが、深くあわれむということです。

イエス様は、深いあわれみのゆえに、休む暇も、食べる暇もないほど、仕え続けました。しかし、イエス様が一人で仕えるだけでは、手が回らなかったので、「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」と教えました。

皆さん、イエス様は、人を見て、かわいそうに思われましたが、・・・私たちは、どんな人を、かわいそうに思うでしょうか。
ああ、あの人は、豊かで、健康で、成功していて、家族や友だちと、仲が良くて、本当に幸せそうに見える・・・そういう人を、かわいそうには、思わないでしょう。

幸せには見えないから・・・不幸で、悲惨で、傷ついているように見えるから、かわいそうに思う・・・イエス様には、多くの人が、放っては置けないほど、かわいそうでなりませんでした。
皆さん、今の社会の現実で、どんなことが、かわいそうでならないでしょうか。

松戸市に一つしかない特別な保育所があります。遅くまで子どもを預かってくれる保育所です。
朝早くから預けられ、夜の10時とか、11時になって、ピンポンと、なると、僕のママかな、私のママかな、と期待しますが、ガッカリさせられ、待たされて、待たされて、我慢して、我慢して、家に着くのは、12時近く・・・やっと会えた、ママは、次の日も、朝が早いので、あまりカマッテはもらえない。そのように、子どもが十分に愛情を受けることができない現実・・・
また、子どもの虐待が後を絶たない現実・・・
もちろん、子どもを虐待することは悪いことです。しかし、虐待する親も、苦しんでいます。
離婚し、子育てを助けてくれる親もいない。自分が働いて、生活を支えなければならない。その上、子育てもしなければならない。
本当は子どもに良くしたい。しかし、仕事から家に帰ると疲れ切って、子どもと遊ぶ余力もない。助けてくれる人が誰もいない中で、経済の不安、現在の不安、将来の不安・・・いろんな思いに押しつぶされそうになって、「もう死んでしまいたい」と思う人が、どれほど多いでしょうか。

両親がいる家庭でも、家庭内別居・・・同じ家の中に住んでいても、それぞれ自分の部屋に閉じこもり、挨拶もしない。・・・子どもたちは、愛に飢えて、傷ついている。

何年か前に、幼稚園は無償化されました。しかし、子どもが集まらず、どんどん閉鎖され、保育所が増える・・・それは、多くの親が、長い時間、子どもを預けたいから・・・そのように育てられた子どもは、親が、年老いた時に、もう親の面倒を見たくない。親に時間を使いたくない・・・今度は、年老いた親が苦しむ・・・
クリスチャンでも、家族の関係が難しいという方はたくさんいます。
牧師の家庭でも、子どもが教会につがらないことあります。

夫が、妻の愛し方が分からない。親が子どもの育て方が分からない。傷つき、壊れてしまった関係の回復の仕方が分からない。
そのように、何かが上手く行かないとき、多くの場合、私たちは、最善のやり方を求めます。
最善の子育て方法、仲良くなる方法、幸せになる方法など、問題を解決する方法や、やり方を探します。・・・しかし、最善の方法を探しても、本当の解決にはなりません。

イエス様が、私たちを深くあわれまれる理由は、私たちが最善の方法を知らないからではありません。私たちが、弱り果て倒れる理由は、私たちが最善の方法を知らないからではありません。
36節
また、群衆を見て深くあわれまれた。彼らが羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていたからである。

私たちが弱り果てて倒れる理由は、私たちに羊飼いがいないからです。
やり方を求めても、解決になりません。本当に求めるべきは、良い羊飼いです。
不幸の原因は、羊飼いがいないことです。羊飼いがいないので、弱り果て倒れます。

高校生の娘たちが、男とつき合い始め、その男に、携帯で裸の写真を送れと言われ、なんと、送ってしまう。すると、裸の写真を握られているので、束縛される・・・なぜ、そんな写真を送ってしまうのか・・・羊飼いがいないからです。そんな愚かなことをするのを止めてくれる羊飼い、そんなこと、する必要がないぐらい、心を満たしてくれる羊飼いが、いないからです。

就職しても、辛いことがあると我慢できない。ちょっと上司に怒られただけで、やめてしまう・・・それは、その人が弱いからではなく、その人を励まし、力づけてくれる羊飼い、倒れるときにも、助け起こし、時には、抱きしめ、背負ってくれる羊飼いがいないからです。
しかし、良い羊飼いがいる人は、育ちます。良い羊飼いがいる人の人生は、素晴らしく変えられます。

ある牧師に弁護士から相談が来ました。
10代の頃から、窃盗、覚醒剤、傷害など、少年院から刑務所に、出たり入ったりを繰り返し、70代になった囚人が、刑務所では死にたくないと言うので、その弁護士は、牧師に相談しました。
それで、牧師は、その囚人の身元引受人となり、刑務所に行って、彼に面会しました。
面会時間は10分ぐらいでしたが、イエス・キリストを伝えると、何と、彼は、救われました。
しばらくして、また、面会に行くと、彼は、嬉しそうに言いました。・・・「先生、これ、見てください。安全靴です。この刑務所で、4人だけが履くことを許されているんです。」
彼は、イエス様を信じ、受け入れてから、模範囚になっていたのです。・・・何故、彼は、そんなに変わったのでしょうか。・・・良い羊飼いに出会ったからです。

皆さん、私もそうです。私が、牧師として仕える恵みを受けたのは、イエス様が出会ってくださったからです。もし、出会っていなければ、刑務所の中にいるか、あるいは、この世にはいなかったでしょう。
しかし、イエス様が出会ってくださった。今も、イエス様が、私の羊飼いとなって、養い育ててくださる。イエス様が、すべてを変えてくださいました。

ある兄弟は、イエス様を信じる前までは、会社で、非常に、厳しい上司でした。
部下が、「今日は、本当に、忙しくて、仕事ができませんでした。」というと、「何を言っているんだ。寝ないで、やれ。」と言いました。
いつも、仕事が第一で、仕事が終われば、夜中まで飲み歩き、自分の家庭も顧みなかった彼は、当然、部下の家庭のことも、考えない上司でした。
しかし、そんな彼が、奥さんから、イエス様を信じて欲しいと懇願され、信じはしたものの、救いの意味も全然分からなかったので、聖書の学びを始めることになりました。

しかし、彼は、本当に忙しい人でした。1日に会議が4つも5つも、7つもあることがあって、お昼の時間どころか、5分、10分の休みも取れないような、忙しい立場にありました。

月曜から金曜まで、めいいっぱい働き、土日は休みで、信じる前までは、土日は、自由に使っていましたが、信じた後は、日曜日は礼拝、土曜日は、聖書の学びになり、幼稚園の幼い息子を遊びに連れて行くこともできなくなりました。
それでも、彼は、忠実に聖書のみことばを学びました。彼は、教えられた神様のことばを、一言も聞き漏らさないように書き留め、忠実に、行っていきました。

今では、彼の上司も部下もみな、彼がクリチャンであることを知っています。
職場で、上司や同僚に対する批判や不満、人間関係の複雑な問題が起こると、彼は、「聖書には互いに愛しなさいと教えているから、お互いに協力して、お客のために良い仕事をしよう」と教えます。・・・なぜか、彼が言うと、不思議に、文句や不平が静まり、職場の雰囲気が変わります。
部下から、「子どもが、高熱を出して、入院することになりました。すみませんが、しばらく会社に出ることができません。」と、電話があると、「わかりました。私が祈ります。私が祈ると癒されます。」・・・すると、次の日に40 度の熱が下がって、入院がなくなりました。

若い部下が、「もうすぐ結婚するんです」と言うと、「それは本当に良かったね。結婚すると、本当に幸せになれるよ。結婚というものは、結婚してから10年20年30年と年を重ねるごとに幸せになることができるものなんだよ。」と、結婚の祝福について、みことばから教えます。
そのように、彼は、会社で、みことばを教える、羊飼いの働きするようになりました。
すると、ある金曜日の夜11時に、その部下から、突然、電話があって、「明日、遊びに行ってもいいですか?」
それで、次の日、その部下は、妻と子どもを連れて、上司の家に来ました。すると、上司の夫婦関係を見て、自分たちの関係とは、全然違うと驚きました。・・・その後、しばらくして、その部下も、その家族も救われました。

彼は、こう語っています。・・・「今、私は、仕事をするためではなく、イエス様の弟子を育てるために、会社に行っています。」

事実、彼は、救われてから、成功や出世のために仕事をしたことは一度もないと言います。
救われる前は、ノルマを達成するために、自分にも部下にも非常に厳しかった彼は、今や、幼い子どもがいる、共働きの部下や、片親の部下には、早く帰りなさい。仕事よりも、家庭が大切だから、仕事のことは心配しないで、早く帰りなさい。
・・・そう言っても、帰ろうとしない部下は、リモートにして、家で仕事をさせるほど、部下の家庭を大切にし、また、お客さんを大切にするようになりました。

すると、ますます、祝福され、救われる前に、達成したノルマは年間2億円でしたが、今では、10億円のノルマを達成するようになりました。

かつての彼は、非常に厳しく、恐ろしい上司でした。しかし、今では、部下たちから、あなたのような上司に会えて嬉しいです。本当に嬉しいです。と言われるようになりました。
何が、彼を、変えたのか・・・良い羊飼いです。彼を養い育ててくださる良い羊飼いがいるか、いないかの違いです。

人が幸せになれるか、なれないかは、その人の生い立ちや環境によるのではなく、また、性格や人柄によるのでもありません。その人に良い羊飼いがいるか、いないかによるのです。

だからこそ、主イエスは、羊飼いのいない羊のような人々を、深くあわれみ、主が、羊飼いを送ってくださるように祈りなさい。主が、働き手を送ってくださるように、祈りなさいと命じました。
37-38節
 そこでイエスは弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
 だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」
皆さん、主が送ってくださる働き手とは誰でしょうか。主が遣わしてくださる羊飼いとは誰でしょうか。
私たちです。主を信じた私たち、主に愛されている私たちは、まず、第一に主の羊です。しかし、私たちは主の羊であると同時に、主の羊を任された、羊飼いでもあるのです。
主は、主を愛する私たちに、主の羊を牧する、羊飼いの働きを任せてくださいました。
ヨハネの福音書 21章16節
イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」

主イエスを信じた私たちには、主の羊が任されています。
親であるなら、子どもが、羊です。主は、親に、子どもを、主の羊として、任されました。

主から任された羊飼いの働きのために、必要なのは、最善の方法を知ることではありません。
最善の方法、現実的な方法を知るなら、主の羊を育てられるというわけではありません。

現実的な方法によって、主の羊は育つのではなく、霊によって育ちます。
現実的な方法は、私たちの外側の行いや、外見を変えることはできても、私たちの内側にある霊を変えることはできません。

霊とは、私たちの内側にある、私たちの本質です。内側の霊が変わらなければ、いくら外側だけを変えても、また、すぐに、元に戻ります。
現実的な方法で、外側の問題を解決しても、内側にある問題の本質を解決しなければ、また、すぐに同じような問題が起こります。

しかし、内側の霊が変わるなら、外側も、変わります。ですから、内側の霊が変えられる必要があるのです。私たちの内側の霊を変えるもの・・・それが、神のことば、主のみことばです。

ですから、羊とは、羊飼いが語る、主のみことばを、一言も聞き漏らさずに、羊飼いのことばに、忠実に、とどまる人です。
まず、自分の上に立てられた羊飼いが教える、主のみことばに、忠実にとどまるとき、今度は、主が自分に任された羊に、主のみことばを教えることができます。

ですから、私たちは、日々、まず、主の羊として、教えられた主のみことばにとどまりましょう。
教えられたみことばにとどまることによって、受けた溢れるばかりの恵みをもって、自分に任された羊に、主のみことばを教えましょう。
そのとき、私たちに教えられる人も、私たちが受けている恵みを、受けるようになります。