【299】2025/6/29 主日礼拝 『朝にあなたの種を蒔け』 伝道者の書<11:1~6> 斉田基牧師
1節
あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見出す。
あなたのパンを水の上に投げよ。・・・ここで言うパンとは、自分が蒔いた種によって、結ばれた良い結果、良いものです。
すなわち、私たちが労苦しながら、何度、失敗しても、諦めずに、働いて得た良いもの、成功して得た、良いものを、水の上に投げなさい・・・水の上、すなわち、お返しができない人、この人に良くしたとしても、見返りが期待できない人に与えなさい。と言う意味です。
しかし、どうでしょうか。何の見返りも期待しないで、ただ人に与え続けることなどできるでしょうか・・・そうするためには、まず、自分が良いものを受け取り続ける準備が必要です。
ヤコブの手紙1章17節 前半
すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は、上からのものであり、光を造られた父から下って来るのです。
すべての良い贈り物は、人から来るのではありません。すべての完全な良いものは、この世から来るのでもなく、天の父なる神様から下って来ます。神様は、神様の子どもである私たちが、良いものを求めるなら、惜しむことなく、溢れるばかりに与えてくださる。
ですから、神様から、良いものを受け取る、受け取り方を知るなら、私たちは、人に対して、見返りを期待しないで、喜んで与えるようになります。・・・そのための準備が必要です。
すなわち、どうすれば、神様から、良いものを受け取ることができるのか・・・その受け取り方を知る必要があるのです。
6節
朝にあなたの種を蒔け。夕方にも手を休めてはいけない。あなたは、あれかこれかどちらが成功するのか、あるいは両方とも同じようにうまくいくのかを知らないのだから。
朝にあなたの種を蒔け・・・みことばの種は、朝から蒔き始めなさい・・・何故でしょうか・・・神様から与えられる良いものはすべて、信仰によってしか、受け取ることができないからです。
信仰がなければ、神様に喜ばれることはできません。さらに、主のみことばは、『信仰から出ていないことは、みな罪です。』(ローマ14:23) と語っています。
神様から良いものを受け取るためには、神様は、みことばで約束してくださったことを、必ず、守ってくださると信じる信仰が必要です。・・・その信仰は、みことばを聞くことによって与えられます。だからこそ、朝から、みことばの種を蒔きなさい・・・朝から、みことばを聞くことによって、信仰を受け取り、その信仰によって歩みなさいと、みことばは、語っているのです。
時に、私たちは、聖書を読んでも、意味が分からない。何の感動も喜び感じない・・・それで、聖書を読む時間が、無駄な時間に感じてしまうことがあるかもしれません。
聖書は、すべて、聖霊様の霊感によって書かれました。ですから、聖霊様に教えてもらわなければ、意味が分かりません。
ですから、聖書を読むとき、ただ読むのではなく、「今、聖霊様が私に分かるように、教えてくださる」という信仰と、祈りをもって、聖書を読む必要があります。
ただ、みことばを聞くのではなく、「今、みことばを通して、神様からの良いものを受け取ります」という信仰と、祈りをもって、みことばを聞きます。
多くの場合、聖書を読んでいても、聖書と関係のない心配、不安など、私たちの心の中を、いろんな考えや思いがぐるぐる回っているので、それが、聖霊様の声かき消してしまいます。
ですから、「主よ、聖書のみことばを通して、私に語りかけてください」と祈りながら、心を静めて、聖霊様の声に、心の耳を傾けながら、聖書を読みましょう。
そのように、日々の生活の中で、聖書を読み、祈る習慣、感謝をささげる習慣、賛美をささげる習慣を確立するとき、「ああ、今、聖霊様が、私に恵みを与えてくださった。今、聖霊様が、このみことばの意味を教えてくださった。私が求めるなら、聖霊様は、助けてくださるんだ」と確信する信仰が、どんどん与えられていきます。
すると、家庭でも、職場でも、友達とお茶する時でも、「聖霊様、今、この時にも、私を助けてくださることを感謝します。どうか、今、私が、どうすべきかを、教えてください。」・・・心の中で祈りながら、聖霊様の導きを求めるようになります。
女性のための聖書の学び会のリーダーをされている、リサさんという方がいます。
女性向けの聖書勉強会のために、教会から招かれて、学び会をされている方です。
今から、24年前、彼女は飛行機に乗って移動する時に、いつもの週慣で、聖書を開きました。彼女は疲れている時にこそ、聖書を開きます。それは、主のみことばが、彼女を癒すからです。
飛行機の中でも、祈りとみことばによって、主と交わり、心を休める時間を持とうとしたとき、隣に座った男性が、話しかけて来ました。
・・・「分厚い本ですねぇ。辞書ですか」・・・彼女は、ゆっくり、休みたいと思っていましたが、これも何かの導きかもしれない・・・それで・・・
「これは、聖書ですよ。聖書には、いろんなことが書いてあります。あなたは、神様の存在について、考えたことはありますか」と聞きました。
すると、彼は、様々な質問をし始め、どんどん難しい質問になって行きました。
彼女は、これは困ったと思い、「聖霊様、助けてください。どう答えればいいでしょうか」と、心の中で祈りながら、彼の質問に対して、心に思い起こされた、聖書箇所を開き、答えて行きました。
すると、いい感じで会話が進んで行ったので、ほっとしました・・・すると、急に、心の中に、「あなたの聖書を、この男性に上げなさい」という思いが来ました。
「え、この聖書ですか。」・・・その聖書は、何年も使い込まれた聖書で、たくさんの付箋が貼ってあり、多くマーカーが引いてあり、多くの書き込みがありました。それも、自分の字だけでなく、幼い子どもたちの書いた字もあり、さらには子どもたちの写真も貼ってありました。・・・彼女にとって、宝物のような聖書でした。
・・・これをあげるんですか・・・それは、ちょっと、聖霊様からの思いではないと思います・・・しかし、再び、その思いが来ます・・・それで、彼女は、「主よ、彼の住所を聞いて、家に帰ってから、新しい聖書を買って送ることにしますから、それで、お願いします。」と、交渉しました。・・・しかし、「その聖書を上げなさい。」と、言われたように、感じました。
ついに、彼女は、諦めて、隣の男性の膝の上に、その聖書を置いて、「この聖書を差し上げます。良かったら、家に持って帰って、読んでください。聖書のみことばを通して、本当に、神様と、お会いすることができるんですよ」と言いました。
・・・飛行機が着陸し、空港で別れる時になって、彼女は、「もしかしたら、この方は、ちょっと離れたところで、聖書を、ゴミ箱に捨ててしまうかもしれない。」と思い、「主よ、ちょっと、この方を尾行させてください。しばらく見張って、もし、どこかに、聖書を置いて行ったら、回収して帰ります。主よ、私は、一度は、聖書を彼に渡したので、それで、あなたに従ったことにしてください。」と祈りました。
すると、主が、「わたしに信頼しなさい。結果は、委ねて、わたしに信頼しなさい。」と言われたように感じたので、彼女は、尾行も諦めて、そのまま帰りました。
2週間後、その男性から電話がかかって来ました。
「聖書を頂いて、家に帰ったとき、集中して、読みたくなり、1週間、仕事を休んで聖書を読みました。」
彼女は、驚きました。「聖書を読むために1週間も仕事を休むなんて、私も、そんなことしたことないわ」と、思いました。
彼は、聖書を読み続ける中で、教会に行きたくなり、車で、彼が住んでいる町の教会を探しました。すると、良さそうな教会を見つけたので、会堂に入りました。
ちょうど、礼拝の前の時間でした。彼が座った椅子の前にチラシが入っていて、それを見た瞬間、彼は、思わず大声で叫んでしまったそうです。
なんと、そのチラシには、リサさんの顔写真がありました。
実は、以前、その教会に招かれて、聖書の学び会をしたことがあったのです。
それを聞いて、彼女は、彼と一緒に喜びました。聖霊様が、確かに、彼を導いておられることを神様に感謝しました。「ああ、神様・・・私は、ただ、あなたの導きに従っただけなのに、こんな喜びを与えてくださって、感謝します」 そうお祈りしました。
その後、彼から連絡が来ることは2度とありませんでした。・・・それが、24年前、2001年の出来事でした。
それから、24年たった、2025年、今から、約一ヶ月前のことですが、聖書の学び会で、ある教会に訪れたとき、何と、その教会には、その男性の家族がおられました。
彼の家族は、古い聖書を持って、彼女のところにやって来て、挨拶しました。
彼の家族の中で、古い聖書を持っていたのは、20歳ぐらいの娘さんでした。
「お父さんは、2年前に天に召されました。私たちの家族には1人もクリスチャンはいませんでしたが、父が、この聖書を読んで、イエス様を信じました。それから教会に通うようになり、私たち家族を、イエス様のもとに導きました。私たち家族は、今、全員クリスチャンです。父は、亡くなる前に、私に、この聖書を、譲ってくれました。今、私は、この聖書を、大切に読んでいます。」
彼女は、24年ぶりに、その聖書を開いて、見せてもらいました。
そこには、リサさんの思い出の詰まった写真や書き込みがそのまま残っていました。
また、その男性が、熱心に、聖書を読んで、書き加えられた書き込みもありました。
さらに、その聖書を受け継いだ娘さんの書き込みもありました。
そして、ものすごく古いレシートが挟んでありました。24年前、彼女が飛行機に乗る前に空港で買い物をした、レシートの裏に、その男性の質問に答えて、聖書箇所を書いた、そのレシートも、聖書に挟まれて、大切にされていました。
皆さん、彼女は、24年前に、パンを水の上に投げました。そして、24年後に、見出しました。溢れるばかりの喜びと感謝とともに、見出しました。
私たちも、パンを水の上に投げましょう。後には、喜びと感謝をもって、見出すことになります。
パンを水の上に投げるためには、まず、パンを持っている必要があります。パンとは、みことばの種を蒔いた結果、与えられる良いものです。
リサさんは、いつも、みことばの種を蒔き続けました。みことばの種を蒔くこと自体が、彼女にとって癒しでした。疲れているときこそ、彼女は、聖書を開いて、みことばによって、癒やされました。祈りとみことばによる主との交わりが、彼女の喜びでした。
そのように、みことばの種を蒔き続けたので、彼女には、人に与えることができる良いものが与えられ続けました。いつも、主が、良いものを与えてくださるので、彼女は、惜しむことなく、良いものを与えることができたのです。
Ⅱコリント人への手紙 9章10-11節
種蒔く人に種と食べるためのパンを与えてくださる方は、あなたがたの種を備え、増やし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。
あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、すべてを惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して神への感謝を生み出すのです。
皆さん、神様は、私たちが、みことばの種を蒔くことができるように、朝ごとに、蒔くための種と、食べるためのパンを与えてくださいます。
神様は、私たちだけを満たすために、良いものを与えてくださるのではありません。
私たちが、神様から受けた良いものを、惜しみなく、人々に与えることを通して、人々と一緒に、神様が良いお方であることを喜び、感謝するために、神様は、溢れるばかりに、良いものを私たちに与えてくださるのです。
ですから、このことを覚えてください。神様が与えてくださるものには、二種類あります。一つは、自分のためのもの。そして、もう一つは、人に与えるためのものです。
ですから、良いものを受け取るとき、予め二つに分けて、取って置きましょう。一つは、自分が主が与えてくださった良いものを喜び楽しんで、主をほめたたえるためです。
そして、もう一つは、人々に与えることによって、私も、人々と一緒に、神様が良いお方であることを喜び、感謝するために、取り分けるのです。
もし、そのように、取り分けないで、良いものを全部、自分のためだけに用いるなら、神様は、それ以上、良いものを与えることができなくなってしまいます。
なぜなら、神様が、私たちに、良いものを溢れるばかりに与える目的は、私たちが、良いものを、人々に惜しみなく与えるようになるためです。この神様の目的、神様の御心を無視して、自分のためだけに、良いものを用いるなら、神様は、それ以上、与えることができなくなるのです。
ですから、まず、神様が、私に良いものを与えてくださるという信仰を持ちましょう。それも私が、喜んで、惜しみなく、与えることができるほどに、神様は、良いものを溢れるばかりに与えてくださるという信仰を受け取りましょう。この信仰も、みことばを聞くことによって、与えられます。
信仰がなければ、神に喜ばれることができません。だからこそ、私たちは、朝から、みことばの種を蒔き続けましょう。朝から、みことばを聞いて、みことばを思い、みことばを考えることによって、信仰を受け取ります。聖霊様が、みことばによって、私の心に語りかけてくださいます。聖霊様が、喜んでみことばに従う信仰を、私に与えてくださいます。
その始まりは、まず、私たちが、毎日、忠実に、みことばの種を蒔くことから、始まります。
6節
朝にあなたの種を蒔け。夕方にも手を休めてはいけない。あなたは、あれかこれかどちらが成功するのか、あるいは両方とも同じようにうまくいくのかを知らないのだから。
みことばの種を蒔くとき、大切なことは、主に信頼して、種を蒔くことです。主に信頼するなら、失望させられることはありません。主に信頼し、主に期待して、みことばの種を蒔くとき、みことばの種を蒔くこと自体を、喜び、楽しむようになります。・・・祈りとみことばの時間が、いやしと平安の時間になります。
皆さん、みことばの種を蒔くこと自体を喜び楽しまなければ、どうして、良いときも、悪い時も、忠実に、みことばの種を蒔き続けることができるでしょうか。・・・みことばの種を蒔き続ける秘訣は、主に信頼し、主に期待しながら、いのりとみことばの時間を持つことです。
ある教会のゴスペルクワイアは、みことばの種を蒔こうと、ある介護施設の訪問を計画しました。それは、そのクワイアのメンバーのお父様が、その施設の中におられたからです。
彼女は、お父様の救いのために40年間、祈って来られました。
しかし、なんと、ゴスペルクワイアがその施設を訪れる直前に、お父様は、イエス様を信じて救われました。
当初の、大きな目的であった、お父様が先に救われましたが、それなら、その喜びの証しを、報告という形で、させてもらおうと・・・その施設は、一般の施設なので、いわゆる宗教的なことは控えてくださいということだったので・・・表向きは、ご報告と言う形で、証しをさせてもらうことにしました。
アメイジンググレイスを歌い終わった後、「実は、この施設で、このアメイジンググレイスを体験された方がおられます」と紹介し、お父様の救いの証しをしました。
コンサートの後、一人の方とお話しする時間があり、「今日は、いかがでしたか。」と聞くと、「本当に感動しました。もう何故か分かりませんが、涙が出ました」・・・彼女は、涙ぐんでいました。ああ、神様が触れてくださっていると感じました。
それで、「イエス様のこと、お聞きになったことはありますか」と聞くと、「はい」とおっしゃるので、短く、福音をお伝えし、「イエス様を受け入れられますか」と聞くと、「はい」・・・それで、彼女と一緒に、イエス様を受け入れるお祈りをしました。・・・本の数分の出来事でした。
皆さん、あれか、これか、どちらが成功するのか、あるいは、両方とも成功するのか、私たちは知りません。しかし、私たちは知っています。主に信頼する者は、失望させられることがないことを、知っています。
みことばの約束は、必ず実現することを知っています。絶対に約束を守る神様が、約束されたことは、必ず、実現することを、私たちは知っています。
ですから、私たちは、主に信頼し、主に期待しながら、みことばの種を蒔き続けましょう。
毎日、祈りとみことばの時間を、喜び楽しみましょう。主に信頼し、期待しながら、祈りとみことばによる主との交わりを喜び楽しみましょう。

