【296】2025/6/8 主日礼拝 『聖霊様の働き』 使徒の働き<8:26~39> 斉田基牧師
使徒の働き 8章26-39節 『聖霊様の働き』
今日は、ペンテコステを記念して、私たちを救ってくださった神様に、礼拝をささげています。
ペンテコステとは、私たちの罪を背負って十字架で死なれ、よみがえられたイエス様が、信じる者私たちに送ると約束された助け主、聖霊様が、私たち、信じる者に来られた記念日です。
使徒の働き 1章8節
しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。
イエス様は、聖霊様があなたに臨むとき、あなたは力を受けて、イエス様を証しする証人になると言われました。
ですから、聖霊様は、イエス様を証しする力を、私たちに与えるために、来られました。
イエス様を証しする聖霊様の力・・・それは、人々にイエス様の福音を伝える力です。・・・聖霊様の力を受けて、イエス様の福音を伝えるとき、人々は、イエス様を信じて、救われます。
今日の箇所でも、聖霊様の力を受けたピリポが、エチオピアの宦官にイエス様の福音を伝えたとき、その宦官は、イエス様を信じて、救われました。
35-39節
ピリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスの福音を彼に伝えた。
道を進んで行くうちに、水のある場所に来たので、宦官は言った。「見てください。水があります。私がバプテスマを受けるのに、何か妨げがあるでしょうか。」
そして、馬車を止めるように命じた。ピリポと宦官は二人とも水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。
二人が水から上がって来たとき、主の霊がピリポを連れ去られた。宦官はもはやピリポを見ることはなかったが、喜びながら帰って行った。
聖霊様の力を受けたピリポが、イエス様の福音を伝えたとき、エチオピアの宦官はイエス様を信じ、救いの喜びに満たされました。
・・・ここで、大切なのは、聖霊様の力が、ピリポに、どのように働いたから、エチオピアの宦官は救われたのか、ということです。
ピリポのうちにおられた聖霊様は、主イエスを信じる私たちのうちにもおられます。
聖霊様が自分のうちにおられることを知っている人は多いのですが、ピリポのように、どのように聖霊様が自分のうちに働くのかを知っている人は多くはありません。
聖霊様が自分のうちに、どのように働くのかを知るとき、聖霊様の力の受け方が分かります。
聖霊様は助け主です。聖霊様が、具体的に、どんな方法で私を助けてくださるのかを知るときに、聖霊様の助けの受け方が分かります。
ですから、聖霊様が、どのように、ピリポに働きかけていたのかを、見ていきましょう。
29節
御霊がピリポに「近寄って、あの馬車と一緒に行きなさい」と言われた。
御霊、すなわち、聖霊様は、ピリポに語りかけました。これが、聖霊様の導きを受けることです。
聖霊様は、私たちに働きかけるとき、まず、私たちの霊に語りかけます。
聖霊様は、私たちのうちに住んでおられるので、私たちの外から、耳に語りかけるのではありません。
・・・もちろん、まるで、耳に聞こるように、聖霊様の声が聞こえることもあります・・・しかし、それは、肉の耳ではなく、霊の耳が開かれて、そのように聞こえているのです。
しかし、ほとんどの場合、聖霊様は、私のうちに住んでおられるので、私の心に、直接、聖霊様の思いや考えを与えることによって、語りかけます。
自分の心に与えられた、聖霊様の思いを見分けて、聖霊様の思いに従うことを選ぶことが、聖霊様の導きに従う、ということです。
皆さん、私たちの心には、さまざまな思いがやって来ます。心配、不安、恐れ、苛立ち、喜び、平安・・・良い思いも、悪い思いも、心に入って来ます。しかし、多くの人は、自分の心に入って来た思いを、見分けようとしません。・・・心の思いの見分け方が、よく分からないのです。
へブル人への手紙 4章12節
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。
神のことばによって、心の思いを見分けることができます。
その思いが、聖霊様の思いなのかどうかを、神のことばによって、見分けることができます。
神のことばを、頭ではなく、心にとどめるとき、神のことばが、心の思いを見分けさせてくださり、私たちは、聖霊様の思いを見分けて、聖霊様の思いに従うことができます。それが、聖霊様の導きに従うということです。
そのように、聖霊様の導きに従えば従うほど、聖霊様に満たされます。聖霊様の力を受けます。聖霊様の導きに従えば、従うほど、ピリポのように、はっきりと、聖霊様の声を聞き分けるようになります。・・・その始まりは、自分の心に与えられた、聖霊様の思いを見分けることです。
ある青年が、家族の救いのために祈っていました。
祈れば、祈るほど、家族に対する愛が心に与えられました。
すると、祈りの中で、5月26日27日という数字の幻を見せられ、「ああ、その日に、家族の救いがある」という思いが与えられました。
それで、先月の5月26日、月曜日に、東京にある実家に帰りました。
彼は、最初、救われるのは、きっと弟だと思って、弟に伝道しようとしました。
しかし、「お兄ちゃんは、神様を信じてから変わってしまった。」と、弟から完全にシャットアウトされて、祈らせてもらうことさえできませんでした。
「主よ、なぜですか。せっかく遣わされて来たと思ったのに・・・」それで、彼は異言で祈っていると、心に、おじいちゃん、おばあちゃんのことが思い起こされました。おじちゃんとおばあちゃんの家は、実家の近くにありました。
しかし、3 年前、彼が、イエス様を信じて救われて間もなかったころ、一度、おじいちゃんとおばあちゃんに、伝道したことがありましたが、祖父母は、神道系の新興宗教を信じていて、
「もう私たちは別の神様を信じているから、そういう押しつけみたいなことはしないでくれ。」と、拒絶されてしまいました。
しかし、祈りの中で、おじいちゃん、おばあちゃんという、思いが与えられたので、彼は、その思いに従うことを選びました。
それで、祖父母の家に電話をかけると、祖父母の家に、お菓子があって、実家に持って行ってもらいたいと思っていたから、ちょうど良かった。来てくれないか、と言われました。
祖父母が、家に迎え入れてくれる・・・これは、前回のリベンジのチャンスだと思い、彼は、異言で、祈りながら、乗り込みました。
それで、おじいちゃん、おばあちゃんに、「久しぶりだねぇ」と、話をしながらも、ずっと心の中では、異言で祈り続けました。
しかし、最近、何してるの?・・・から始まり・・・就職とか、結婚とか、そいうのは、まだ決まらないのか・・・まだ、そんなことをしているの・・・いつまで放浪しているの・・・もういい年なんだから、親に迷惑をかけるような生き方は・・・そのように、何か、ずーっと、攻撃をされているように感じました。
そこで、彼は決心しました。これは、もう、みことばに立つしかない、と・・・心の中で、異言で祈り続けていた彼に、みことばが与えられました。
イエス様が、血のつながった母や家族に対して、「わたしの母とはだれでしょうか。わたしの兄弟たちとはだれでしょうか。 だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」
と言われたみことばが、与えられました。
それで、彼自身は、血のつながった両親を尊敬して、敬ってはいましたが、
与えられた、みことばの思いに従って、
おじいちゃんと、おばあちゃんの前で、「僕のお父さん、お母さんは、天の神様だけです。もう、お父さんもお母さんも、僕のお父さん、お母さんとは思っていません。僕はそのぐらい自立して神様に仕えています。」 全力で、大声で叫びました。
すると、その熱意に圧倒されたのか、何か空気が変わったのを感じました。
それで、彼は、おじいちゃんのために祈ってもいい?・・と聞きました。
おじいちゃんは、認知症で、ふがふがしていただけで、基本的には、性格のとても強い、おばあちゃんが話していましたが、・・・まず、最初に認知症のおじいちゃんために祈りました。
祈りの中で、導かれたので、「おじいちゃん、じゃあ、ちょっと繰り返して、祈ってくれる」と聞くと、そこで、おじいちゃんが、人生で、初めて、お祈りをしました。
イエス様を救い主として信じ、受け入れる、お祈りをしました。
それを、そばで見ていたおばあちゃんが、何と、「私にも祈って欲しい」というので、彼は、おばあちゃんのためにも、おばあちゃんが祈って欲しいと言ったことについて、祈りました。
その後、おばあちゃんも、イエス様を受け入れる祈りをして、その日、おじいちゃんも、おばあちゃんも、イエス様を受け入れました。
すると、おばあちゃんは、「なんだか、変わっちゃったね」と言いました。
実は、新興宗教に入ったのは、おじいちゃんの認知症のためでした。それで、おじいちゃんと、おばあちゃんは、新興宗教をやめることにしました。
皆さん、この青年は、祈りの中で、聖霊様が与えてくださった思いを見分けました。
そして、聖霊様の思いに従った結果、おじいちゃんとおばあちゃんに、イエス様の福音を伝えることができ、家族の救いが実現しました。
人が救われるためには、イエス様を証しする力、聖霊様の力が必要です。
聖霊様の力は、聖霊様の導きに従う人に与えられます。ですから、私たちは、聖霊様の導きに従うことを学ぶ必要があります。
ある牧師夫婦が、ゼロから、開拓伝道を始めました。
夫婦は、一生懸命、伝道しました。朝から晩まで、伝道チラシを配ったり、伝道集会を開いたり、英会話教室や、いろいろなことを企画して、次はこれをやろう、次は、これをやろうと、とにかく、人々を教会に集めるために、伝道しました。
3年間で、30人ぐらいの人が、救われました。しかし、その人たちが、どんどん他の教会に繋がっていき、とうとう5年間で、誰もいなくなって、教会がつぶれてしまった。
その時、この夫婦は、本当に、打ちのめされました。
実は、牧師婦人のお父さんは、とても祝福された牧師で、その教会も祝福されていたので、この牧師夫婦は、同じことをすれば、上手く行くと思って、全力で、同じように伝道していました。
しかし、教会がつぶれ、打ち砕かれ、へりくだらされたとき、聞く耳が開かれました・・・
神様が、「わたしに聞きなさい。伝統に聞くのではなく、わたしに聞きなさい。もし、わたしに聞くことなく、自分の考えや今までやってきた通りのことをするなら、それは偶像礼拝だ。わたしに聞くことよりも、人間の考え、成功したやり方に聞くことを選ぶなら、それは、偶像礼拝だ。」
そのように、6ヶ月間、神様は、毎日毎日、語ってくださったと言います。
それから、この夫婦は、みことばに聞き従うという弟子訓練のクラスに導かれました。
そこで、聖書から、神様の御声を聞く、聞き方を学びました。
もちろん、それまでも、自分たちなりに、聖書を読み、お祈りし、神様の御声を聞いて、従って来たつもりでした。
しかし、学んで行く中で、「ああ、これが足りなかったのか」ということが、分かってっきました。
「神様、本当に教えてください。あなたが、今、私に教えようとしてくださっていること、私でも分かるようにしてください。」 ・・・そのように心から祈ります。
そして、神様が教えてくださることを、聞き逃すことがないように、ノートに書きます。
心に示されたみことばを、必ず、ノートに書きます。
ノートに書く、そのスピードで、聖書のみことばを、心の耳で聞いて行くと、みことばが心にビンビン響いてきます。
そして、聖書のみことばは、どんなことについて書いてあるのかを書き出し、
今、私に何を語ってくださっているのかを書きます。
それから、もう一度、祈ります。
「今日の私の生活の中で、神様、私は誰に何をしたらいいですか?
私は何を捨てたらいいですか?何をしたらいいですか?神様、教えてください。」
・・・そのように、祈って、神様に聞きます
すると神様は、はっきりと、分かるように語ってくださる・・・それまでは、神様が、今日、何を私にして欲しいのかを、具体的に聞かないまま、祈りとみことばの時間を終えていたのです。
しかし、教えられたように、祈りながら聖書から神様の声を聞いて、ノートに書いて行く、そのように書いているときに、聖霊様が本当に語ってくださる・・・教えられたことを、今日、具体的に、私が、何をするかまで、ノートに書いていく
・・・そのように、みことばを聞くだけではなく、行うために、自分が、今日、何をするかまで、具体的に書くとき、不思議なことに、そのように、みことばを行いたい、という思いが与えられ、
その通りにみことばを行うなら、主が必ず、祝福してくださるという信仰が与えられ、感謝をもって、みことばを行うことができるようにされていきました。
もちろん、最初は、「そんなの無理です」と思うようなことが示されることもありました。しかし、この牧師夫婦は、「アーメン。私にはできないですけれど、主よ。助けてください。」と祈りながら、みことばを行って行くと、次々と奇跡が起きるようになり、弱い者なのに、なぜか、できるということを経験して行きました。
この牧師夫婦を通して、今も、多くの人が救いに導かれています。
皆さん、みことばを通して、神様の御声を聞くことが、聖霊様の導きに従う訓練です。
みことばを通して、聖霊様の導きに従うことを学び、訓練していく時、普段の生活の中でも、聖霊様が、心に入れてくれた聖霊様の思いを見分けるようになり、生活の中で、聖霊様の導きに従うようになります。
皆さん、今日から始めましょう。神のことばによって、心の中にある、聖霊様の思いを見分けていくのです。
神のことばによって、聖霊様の思いを見分けるために、
聖書のみことばから、神様が私に語りかけてくださる神様の声を聞いて、今日という日に、生活の中で、具体的に、何をすることが、神様の祝福なのか、神様の喜びなのかを知るための、祈りとみことばの時間を持つのです。
今まで通りの、祈りとみことばの時間を持つのではなく、人生を変える祈りと時間のみことばを持つことを選んで行きましょう。
実際的に、聖霊様の導き、聖霊様の力を受けることができるように、今日という日に、私が、誰に、何をすることを、神様は願っておられるのか。私に、どこに行って欲しいのか。何を捨てて欲しいのか・・・みことばから、教えてもらう、祈りとみことばの時間を持つことを、毎日、忠実に選ぶとき、主が、あなたを用いて、人々を祝福し、救ってくださいます。

