【267】2024/11/17 主日礼拝 『神の真実の愛を知る』 マタイの福音書 <9:10~13> 斉田 基 牧師
10-11節
イエスが家の中で食事の席に着いておられたとき、見よ、取税人たちや罪人たちが大勢来て、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。
これを見たパリサイ人たちは弟子たちに、「なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか」と言った。
当時、取税人や罪人と言えば、誰もが認める、最低の悪人でした。
その悪人たちと食事を共にしたということは、イエス様が、悪人たちと親しい関係を持つことを選んだことを意味します・・・それを、パリサイ人たちは、批判しました。
あの悪人たちと親しくして、悪人たちの肩を持つことは、彼らの悪事に加担することではないか。・・・彼らが汚い手段で手に入れたものを一緒に楽しむべきではない。・・・あんな悪人たちとは、仲良くすべきではない。
パリサイ人たちは、イエス様が結んでいる実を見ることなく、ただ、イエス様が悪人たちと親しい関係を持つことを選んだ、という、表面的なことだけを見て、批判しました。
しかし、イエス様が、親しい関係を持った取税人マタイの人生も、取税人ザアカイの人生も変えられました。今まで、罪を犯して来た多くの罪人の人生が、イエス様と親しい関係を持つことを通して、変えられ、彼らは、神を愛し、人を助けるようになりました。
人々から、救いようがない罪人と、後ろ指さされていた悪人たちや、自分でも、もう、今さら、変わることなどできないと諦め、どうせ、何をしても嫌われるなら、もう、やりたい放題してやると、開き直っていたような悪人たちでさえ、イエス様と出会って、軒並み変えられて行きました。
12-13節
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。
『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」
イエス様の願いは、すべての人が悔い改めて、救われることです。そして、その救いが、まさに、起こっていて・・・罪人たちの人生は変えられ、彼らは救いの喜びに満たされていました・・・その喜びを、一緒に喜ぶどころか、批判したパリサイ人たちに対して、イエス様は、『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』 とはどう言う意味か、行って学びなさい。と言われました。
この、イエス様のことばは、パリサイ人ならピンと来る、旧約聖書からのみことばの引用でした。
ホセア書 6章6節
わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。
いけにえとは、人間が神様にささげるものです。すなわち、人間の良い行いを意味します。
パリサイ人たちは、私たちは良い行いをしている。しかし、彼らは、良い行いができていないと言って、自分の良い行いのゆえに、人を批判しました。
それゆえ、神様は、わたしはそのようないけにえ、そのような、良い行いを喜ばない、むしろ、真実の愛、すなわち、神を知ることを喜ぶと言われました。
自分が良い行いをすることによって私は正しい、しかし、良い行いができない、あの人は罪人・・・そのように、高ぶって、人を見下すことを、神様は喜ばない。
良い行いができない人をも、神様は、真実の愛で、愛してくださっていることを知ることを神様は喜ぶ、と言われたのです。
このみことばにある真実の愛とは、人間のうちにはない神様の愛です。神様から恵みによって一方的に注がれている真実の愛・・・その愛で、私は神様に愛されている・・・このことを、あなたが知ることを、わたしは喜ぶと、神様は言われました。・・・なぜなら、その愛を知るとき、あなたは永遠のいのちを持つからです。
ヨハネの福音書3章16節
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神様は、神様のひとり子イエス・キリストを与えてくださったほど、あなたを愛してくださいました。それは、イエス・キリストを信じるあなたが、決して滅びることなく、永遠のいのちを持つためです。
このみことばを聞いて悟る人、このみことばにある神の真実の愛を体験した人は、人生が変えられ、救いの喜びに満たされました。
まさに、イエス様と一緒に食事をしていた取税人たちや罪人たちは、イエス様の愛、神様の真実の愛を体験していました。
皆さん、みことばを聞いて悟る人とは、イエス様を体験する人です。
ヨハネの福音書 1章1節
初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
みことばを聞いて悟るとは、聖書のみことばを通して、今、イエス様が、私のそばで、このみことばを私に語ってくださっていると、体験することです。
ただ、イエス様が何かを私に話していると感じるだけではなく、私に対するイエス様の思い、神様の真実の愛を体験して、知ることです。
・・・そのように、神様の真実の愛を体験すると、人生が変わります。
真実の愛を体験するとき、そのように私を愛してくださる神様のみことばこそが、私にとって、真理になります。
真実の愛を体験するとき、神様のみことばこそが、私を救い、私の人生を変え、私の人生に必ず、実現する真理であると確信する信仰が与えられます。・・・これが、みことばを聞いて悟るということです。
ある姉妹は、職場の人間関係で悩み、心の病気になって、約一年ほど、休職しました。
しかし、彼女は、教会で、みことばを学び、教えられた通り、忠実にみことばを聞いて、心にとどめました。
その結果、彼女は、みことばを聞いて悟ることによって、癒され、人間関係の恐れから解放されました。
彼女は、ただ、癒されて、元の状態に戻ったのではなく、救いの喜びに満たされました。
それで、仕事に復帰すると、喜びをもって、職場で福音を伝え、救われる人も起こされました。
すると、上司が、「職場で、宗教の話をするな、もし、これ以上続けるなら、やめてもらうことになる。」・・・それで彼女は、どうしたでしょうか。
みことばを聞いて悟ることによって癒された、彼女は、この時にも、このことについて、みことばを聞いて悟るために、神様が、このことについて、何と言われるかを、みことばから聞こうとしました。
神様、社会の常識、会社のルールでは、ダメだと言われました。しかし、神様、あなたは、私に何と仰いますか。みことばから、聞きました。
すると、『だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。 だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。』(ローマ人への手紙8:33-34)
彼女はみことばを聞いて悟りました。
会社はダメと言っても、神様は、会社で、福音を伝えることをダメだとは言わない。むしろ、喜んでくださる、と、悟りました。
それで、彼女は、福音を伝え続けました。すると、次々と救われる人々が起こされ、さらには、主イエスの御名による癒しも起こり、なんと、彼女を迫害していた上司まで救われ、さらには、社長まで救われ、何と、彼女を通して、約100人の人が救われました・・・このことは、約1年半の間に起こった出来事です。
皆さん、みことばを聞いて悟ると、癒されます。人生が変えられます。
みことばを聞いて悟るとは、みことばである神様、イエス様に出会うことです。私を救うために、いのちまで捨てて、私を愛してくださったイエス様から、直接、みことばを聞くことです。
みことばを聞いて悟るとき、イエス様が言う通りにすれば、間違いないと、確信する信仰と、喜んで従う力が与えられます。
コロナ禍の数年間で、日本の教会は大きなダメージを受けました。8000近くあった教会が6000近くになりました。・・・コロナの時の社会の流れは、集まりをやめることでした。
社会の流れに従って、多くの教会が、集会をやめ、リモートにしました。しかし、ある教会は、社会の流れではなく、みことばに従う決断をしました。
へブル人への手紙 10章25節
ある人たちの習慣に倣って自分たちの集まりをやめたりせず、むしろ励まし合いましょう。その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。
その教会の牧師は、「この教会は、このみことばに従って、集まりをやめたりしません。しかし、皆さんが、集まるかどうかは、皆さんにお任せします。リモートでも、礼拝できるようにしますので、後は、皆さんが決めてください。」
その結果、どうなったでしょうか。次の週、なんと、すべての聖徒たちが集まりました。だれ一人、リモートで礼拝することなく、すべての聖徒たちが、社会の流れではなく、主のみことばに従う決断をもって、集まりました。
その週から、毎週のように、たましいが救われるようになりました。その教会では、それまでも、年に、何人もの人が救われていましたが、教会の聖徒たちが、主のみことばに従うことで一致した、その時から、救いの恵みが加速しました。
それだけではなく、コロナにかかった人も、礼拝に来ると癒されるようになりました。
そのようにして、その教会は、コロナの数年間で、リバイバルし続けました。
その教会は、社会の流れではなく、みことばに従うことを選びました。ただ、人間的な情熱や努力によって、みことばに従ったのではなく、みことばを聞いて悟る恵みを受け、信仰によって、みことばに従いました。・・・牧師や数人の聖徒たちだけではなく、すべての聖徒たちが、一つになって、みことばを聞いて悟る恵みを受けたのです。
皆さん、私たちも、みことばを聞いて悟る恵みを受け取りましょう。
みことばは、今が、世の終わりであると、語っています。
みことばは、コロナのような全世界に影響を与える疫病は、もう起こらないとは言っていません。むしろ、産みの苦しみのように、さらに、激しく、大きな影響力をもって、疫病、地震、飢饉、経済難、戦争など・・・起こり続けると、語っています。
そんなこと起こるわけがない。いや、起こって欲しくない、と、思いたい気持ちは分かります。
しかし、神の教会は、神のことばを信じます。神の教会は、自分の思いでも、この世の流れでもなく、神のことばに聞き従います。
正直に告白します。前回のコロナの時、私は、みことばに堅く立った、信仰の確信に立つことができていませんでした。私自身が、コロナに倒れました。
しかし、私は、みことばに堅く立つと決心します。この教会は、イエス様の教会です。イエス様のみことばを信じます。この世の常識でも、人の思いでもなく、イエス様のみことばに堅く立ち、イエス様のみことばに聞き従います。
しかし、そのようにみことばに堅く立つためには、私たちの決心や努力だけでは、不可能です。どうしても、みことばを聞いて悟る恵みが必要です。
みことばを聞いて悟る恵みを受け、私たち教会を愛し、救ってくださった神様の力を受ける必要があります。
聖徒たち一人一人が、みことばを聞いて悟る恵みを受け、神様の真実の愛に満たされる必要があります。
ですから、今日から、共に、みことばを、毎日、朗読しましょう。
みことばを聞いて悟る恵みを受けるために、事あるごとに、みことばを、自分の口で告白し、自分の心で、みことばを思い、考えることを選びしょう。
まずは、詩篇91篇のみことばを通して、みことばを聞いて悟る恵みを受け取りましょう。
・・・このみことばを聞いて悟る恵みを受け、この教会が、どんな災いの中にあっても、守られ、祝福され、救い恵みに満ちる、リバイバルの教会になることを、主イエスの御名によって、祝福します。
詩篇91:1-16
91:1 いと高き方の隠れ場に住む者 その人は 全能者の陰に宿る。
91:2 私は主に申し上げよう。 「私の避け所 私の砦 私が信頼する私の神」と。
91:3 主こそ 狩人の罠から 破滅をもたらす疫病から あなたを救い出される。
91:4 主は ご自分の羽であなたをおおい あなたはその翼の下に身を避ける。
主の真実は大盾 また砦。
91:5 あなたは恐れない。 夜襲の恐怖も 昼に飛び来る矢も。
91:6 暗闇に忍び寄る疫病も 真昼に荒らす滅びをも。
91:7 千人が あなたの傍らに 万人が あなたの右に倒れても
それはあなたには 近づかない。
91:8 あなたはただ それを目にし 悪者への報いを見るだけである。
91:9 それは わが避け所 主を いと高き方を あなたが自分の住まいとしたからである。
91:10 わざわいは あなたに降りかからず 疫病も あなたの天幕に近づかない。
91:11 主が あなたのために御使いたちに命じて
あなたのすべての道で あなたを守られるからだ。
91:12 彼らはその両手にあなたをのせ あなたの足が石に打ち当たらないようにする。
91:13 あなたは 獅子とコブラを踏みつけ 若獅子と蛇を踏みにじる。
91:14 「彼がわたしを愛しているから わたしは彼を助け出す。
彼がわたしの名を知っているから わたしは彼を高く上げる。
91:15 彼がわたしを呼び求めれば わたしは彼に答える。
わたしは苦しみのときに彼とともにいて 彼を救い 彼に誉れを与える。
91:16 わたしは 彼をとこしえのいのちで満ち足らせ わたしの救いを彼に見せる。」

