【263】2024/10/20 主日礼拝 『誠実の実』 ホセア書 <10:12> 斉田 基 牧師

 

ホセア書 10章12節 

 あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。今が主を求める時だ。ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。

来週の主日は、収穫感謝主日です。
私たちをお造りになった神様、私たちを愛し、良いもので満たしてくださる神様が、恵みによって与えてくださった収穫に感謝しながら、神様に礼拝をささげます。
しかし、そのように、神様が与えてくださる豊かな収穫を喜び、感謝するためには、良い実を結ぶために、良い種を蒔いて、待ち望む必要があります。

皆さん、カボチャの種を蒔くと、カボチャができます。スイカの種を蒔くと、スイカができます。
どんなに、スイカができるように願っても、スイカの種ではなく、カボチャの種を蒔くなら、カボチャができます。
同じように、良い実を収穫したいなら、悪い種ではなく、良い種を蒔く必要があります。・・・だからこそ、神様は、あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れなさい。と命じられました。

正義の種とは、みことばの種です。みことばを聞いて、心に受け入れ、心に受け入れたみことばを、大切に、大切に、心の中にとどめる誠実さによって結ばれる実、それが誠実の実です。・・・ですから、神様が与えてくださる豊かな収穫を喜ぶためには、誠実さが必要です。

主は、必ず、素晴らしい収穫を与えてくださる、と信じて、みことばの種を蒔き続ける誠実さ、祈り続ける誠実さ・・・罪を犯してしまっても、それでも、赦してくださる主のあわれみに信頼して、悔い改め続ける誠実さ・・・神様に対する誠実さによって、豊かな実は結ばれていきます。

あるビジネスマンは、神様に喜ばれる誠実の実を結びたいと願っていました。
彼は、イエス様を証しして、人々を救いに導く働き、あるいは、教会を建て上げる働きに携わりたいと願っていました。そのために、経済的な祝福が与えられ、仕事の時間を短くし、神様の働きをしたいと、誠実に、祈り続けていました。
しかし、彼は、忠実に働いていたつもりでしたが、なかなか、昇給も昇進もしませんでした。
それでも、彼は、諦めずに、今、自分にできることをしようとして、仕事の合間には、いつも聖霊様によって祈っていました。
その会社には、24人の社員がいて、業績から言えば、彼は24番目でした。
ある時、社長が、彼に、ある会社での、プレゼンを任せました。
大きな会社での、大切なプレゼンでしたが、他の社員がみな、他の仕事で忙しく、彼しかいなかったので、その仕事が、回って来ました。
それで彼は、社長と一緒に、その会社に行き、相手方の重役さんと担当社員の前で、とても緊張しながら、プレゼンしました。
最後の段階になり、相手の方の重役さんが、「とてもいいプログラムだと思いますが、結局、どのぐらいの金額になりますか。」と尋ねました。
提案書には、社長が書き込んだ金額が書いてあったので、その金額を言えば、良かったのですが・・・しかし、そのタイミングで、何と、彼は、聖霊様の声を聞いてしまった。
「あなたは、わたしを信頼しますか」・・・静かな声でしたが、はっきりと、聖霊様の声が聞こえました。・・・実は、彼は、いつも、聖霊様の声を聞くことができるようにと、祈っていました。
ビジネスの中でも、聖霊様、私に分かるように語りかけてください、と、祈っていたのですが・・・その時ばかりは、いくら何でも、今、じゃないでしょう・・・と思ったそうです。
しかし、聞こえてしまったものは仕方ありません、彼は、「はい、信頼します」と答えました。
すると、「その金額を倍にしなさい」・・・彼は、反応するのに 4秒もかかったそうです・・・ついに、勇気を振り絞って、聖霊様に言われた通り、倍の金額を言いました。隣に座っていた社長は、椅子から転げ落ちそうなほど、驚いていました。

しかし、相手方の重役たちは、すぐに話し合いを始めて、社長の様子には気づいていませんでした。・・・しばらく相談した後に、相手方は、ニコニコして、「分かりました。あなたの会社と契約しましょう。」と言って、契約書にサインしました。

帰り道、社長から、「一体、何で、あんな金額を、勝手に、言ってしまったのか」と聞かれ、
彼は、「私はクリスチャンで、イエス様を信じています。イエス様を信じていると、聖霊様に満たされることがあります。・・・聖霊様は、時に、私に語りかけ、導いてくださる神様の霊です。会社では、あなたがボスですが、私の人生においては、このお方が、私のボスです。」
それを聞いた社長は、「今回は、契約が取れたから良かったが、何故、そんなリスクを冒すことができたのか」と、納得がいかない様子でした。
彼は、「ああ、聖霊様には従ったけど、これで、首になるかもしれない」と覚悟を決めました。
ところが3日後、彼の机の上には、別のプレゼンのための分厚い資料が置いてありました。
そこには、社長が書いたメモが貼ってあり、「1番、最後のページを見るように。」
それで、ページを捲って、最後を見ると、金額のところが、空欄になっていました。
そこにも、メモがあって、「あなたの偉大なボスに聞いて、金額を決めるように。」
それで、彼は祈って、示された金額を書きました。・・・後で調べてみると、それは、相場の1.7倍だったそうですが、そのプレゼンも成功し、契約できました。
24人中24番目だった彼は、その後、営業部門のナンバー2のポジションが与えられ、社長からは、「お前は短く働いても、結果を出せば、それでいいから」と言われ、ついに、彼が、祈り求めていた、経済的な祝福が与えられ、仕事の時間を短くし、神様の働きをするようになりました。
誠実に祈り求めた彼に、神様が、誠実の実を結ばせてくださったのです。

皆さん、私たちが誠実になる以上に、神様は、私たちに誠実なお方であることを感謝します。私たちの神様は、いつも、どんな場所でも、誠実に、私たちに語りかけ、導いてくださるお方です。
神様は、いつも私たちを愛して、私たちと一緒に働きたい、私たちを助けたい、私たちに良くしたい、「わたしは、あなたの日々の生活の小さなことにも関わりたい」・・・と言ってくださるお方です。
ですから、私たちも、もっと、もっと、神様に信頼して、「主よ、どうか、私に語りかけてください。私に分かるように、あなたの声を聞かせてください。」と、誠実に祈り求めましょう。

皆さん、誠実に祈り求めるとは・・・ただ、「神様、声を聞かせてください。神様、声を聞かせてください」と、呪文のように唱え続けることではありません。みことばの種を蒔き、誠実の実を刈り入れることが大切です。
大切なのは、聖書にある、神のことばを心の中にとどめること・・・神様の声は、神のことばと完全に一致するので、神のことばが心にとどまるとき、神様の声を聞き分けることができる。
へブル人への手紙 4章12節
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。

一粒の種から、何十倍もの実が結ばれます。それは、種の中に、いのちの力があるからです。しかし、種の中にあるいのちの力が生きて働くためには、種が土の中にとどまる必要があります。
同じように、みことばの種の中にある、神のいのちの力が、生きて働くためには、私たちの心の中に、みことばの種がとどまる必要があります。
神のことばが、あなたの心にとどまるとき、神の力が、あなたに生きて働き、あなたのうちにある、思いやはかりごとを見分けさせ、どの思いが、神様の声かを聞き分けさせてくださる。
しかし、それだけではありません。・・・神のことばの中には、いのちの力があるので、心の中に神のことばがとどまるとき、神様の声に聞き従う力が与えられて、私たちは、神のことばに生きるようになります。・・・もし、私たちが、誠実に、神様のことばを聞いて、心の中にとどめるなら、私たちは、神のことばに生きるようになります。

あるクリスチャンの家庭で、小学校一年生の息子が、お母さんに、学校で、ある友だちから、いじめられた、と打ち明けました。
もし、その時、心の傷ついた息子に対して、道徳的な教えをもって、「我慢して、頑張ろう」と言っていたなら、彼は潰れていたかもしれません。

しかし、お母さんは、神のことばによって、彼を励ましました。そして、神のことばどおり、赦してあげよう、愛してあげよう、と教えました。
・・・すると、不思議です・・・お母さんから、神のことばを聞いていると、彼は、自分の心が急に変わって、何で、あんなに心が痛かったんだろう・・・ああ、あの子も何か苦しいことがあったのかもしれない。ああ、あの子もかわいそうだ、と思えて来て、赦してあげようという思いになり・・・「分かったよ。お母さん。じゃあ、行ってくるよ」と、学校に行きました。・・・その結果、どうなったでしょうか。また、同じように、いじめられて、帰って来ました。
時には、泣きながら帰って来ることもありました。・・・それが何日も続くなら、普通は、今までも、ダメだったから、これからも、ずっとダメだと思うようになります。

しかし、お母さんは、毎日、息子のために祈りました。毎日、神のことばで、息子を励まし、神のことばを、誠実に、教え続けました。すると、息子は、神のことばで、心が変えられ、神のことばから力を受ける恵みを、毎日、体験し続けました。
今日は、分かち合いませんが、実は、お母さんも、大きな苦しみの中で、涙の祈りをもって、神のことばに生きることを選び、神のことばから恵みを受け、人生が変えられた人でした。
そのように、まず、お母さんが、神のことばを通して、恵みを受けていたので、そのお母さんから、神のことばを教えられた息子も、同じように、神のことばを通して恵みを受けました。

実に、一年生、二年生、三年生になっても、それが続きました。
すると、息子は、今日、学校に行くために、今日と言う日を生きるために、神のことばから力を受け、神のことばによって生きる恵みを、毎日、体験し続ける中で、「ああ、神様が、そう言われるなら、本当に、そうなるんだ」という、信仰を持つようになりました。

そして、2年生の途中ぐらいから、自分をいじめる、その子に対する、恐れがなくなりました。
もう何をされても、別にいいや、と思えるぐらい、心が強くなりました。
すると今度は、神のことばを通して、彼の心に、その子に対する愛が与えられ、その子に良くしていたら、3年生の途中で、その子と仲良くなって、家に遊びに来るようになりました。
そして、家に置いてあった、子ども聖書という絵のついている聖書から、その子に、イエス様を伝えました。すると、その子はイエス様を信じ、彼を尊敬するようになりました。・・・クラスで、彼が何か言うと、その子が率先して、「みんなも、そうしようよ」と言うようになったそうです。

その子だけではありません。実は、彼のクラスには、三年生の問題児と言われた子がいました。・・・みんなとよくケンカする。先生の言うことも聞かない。・・・そのように、誰の手に負えないような子でしたが、その子はよく忘れ物をしていました。
・・・それで、彼は、その子に、よく、ものを貸してあげました。・・・すると、ある時から、その子が、彼に「優しいんだね」と言って、彼に対する態度が変わりました。
・・・その子は、先生が、「静かに」と言っても、静かにしないのに、彼が、「静かにしようよ」と言うと、「分かった。」と言って、「みんなぁ、静かにして」と言い始める・・・先生の言うことは、聞かないのに、彼の言うことは、聞くのです。

また、その子は、よくケンカしていましたが、あるとき、その子が、ある子を殴って、泣かしました。それで、彼は、その子のところに行って・・・本当は、仲良くしたいんだよね。本当は、こんなことしたくて、やったんじゃないよね。分かるよぉ。・・・あのね。そういう時はね。謝るとね。仲良くできるんだよ。
・・・・すると、その子は、「ごめんね」・・・しかし、泣かされた子は、「絶対、赦さない。」
それで、彼は、泣かされた子のところにも行って、「ああ、でもねぇ、あのさぁ、君だって、そんな時あるじゃん。そういう時、赦してもらって、仲良くしたいじゃん。こないだも仲良くしたら、本当に、楽しかったじゃん。」・・・そのように話していると、泣かされた子も「分かった」・・・と言って、仲直りする・・・そのように、彼を通して、クラスがどんどん仲良くなり、たくさんの子がイエス様を信じるようになり、さらに、イエス様を信じた子どもたちが、イエス様の愛によって、どんどん変えられて行く・・・すると、クラスは、ますます、仲良くなって、楽しくなる。

ついに、先生が、彼の家に来て、親に、「どうしたら、こんな子を育てることができるんですか」・・・そして、その先生も、主イエスを信じて救われました。

皆さん、この救い始まりは、この親子が、誠実に、みことばの種を心に蒔き続けることから始まりました。
苦しみの中でも、涙の祈りをもって、神のことばに生きることを選び、神のことばから恵みを受け、人生が変えられたお母さんが、心の傷ついた息子を、神のことばで励まし続け、神のことばで教え続けました。
また、息子も、お母さんから、神のことばを学び続け、神のことばから恵みを受け続けました。

この親子の目に見える現実は、すぐには変わりませんでした。
しかし、信仰によって、神のことばを心に受け入れたとき、今日という日を生きる力を、確かに受け取ることができた。信仰によって、神のことばから受けた恵みによって、毎日、誠実に、神のことばに生きることを選び続けました。

皆さん、このことを覚えてください。神のことばを行う力は、神のことばの中にあります。
もし、私たちが、自分の力で、神のことばを行おうとするなら、挫折し、疲れ果てます。
しかし、信仰をもって、神のことばを心に受け入れるとき、心に受け入れた神のことばから、恵みを受け、力を受け、神のことばに生きるようになる・・・これがみことばを聞いて悟る恵みです。
へブル人への手紙 4章12節
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることができます。

神のことばは、生きていて、力があります。しかし、神のことばは、私たちが信仰をもって、心に受け入れるときに、私たちのうちに生きて働きます・・・だからこそ、大切なのは、信仰をもって、神のことばを聞いて、心に受け入れること。
しかし、最初から、信仰をもって、神のことばを聞くことができる人は、ほとんどいません。・・・最初から、苦しみの中でも、涙の祈りをもって、神のことばに生きることを選ぶことができる人はほとんどいません。最初から、神のことばから恵みを受けることができる人は、ほとんどいません。

だからこそ、この息子にとってのお母さんのように、神のことばで、励まし、教えてくれる人が必要です。・・・神のことばから恵みを受けているお母さんから教えてもらうことを通して、息子は、神のことばから恵みを受けるようになったのです。
そのように、神のことばを学び続け、毎日、誠実に、神のことばから、恵みを受け続けた結果、息子は、今度は、自分が受けた恵みを、クラスの友だちに流すようになりました。

同じように、私たちも、神のことばから恵みを受け、神のことばに生きている人から、神のことばを学びましょう。神のことばに生きている人から、みことばを聞くとき、私たちの心は燃やされます。エマオの途上を歩いていた二人の弟子たちが、復活のイエス様だとは知らずに、みことばを聞いていた時のようにです。
しかし、パリサイ人たちのように心が高ぶると、イエス様からみことばを聞いても、恵みを受けることができません。ですから、私たちは、みことばから恵みを受けるためには、みことばの下に、自分の思いを下ろして、へりくだる必要があるのです。
イエス様の故郷であったナザレの町の多くの人々は、イエス様からみことばを聞いても、恵みを受けることができませんでした。イエス様は、彼らの不信仰のゆえに、ほとんど何も力あるわざを行うことができませんでした。
イエス様が、驚かれた彼らの不信仰とは、彼らが、イエス様を、ヨセフの子、すなわち、人間の子だと思って、神の子と信じなかった不信仰です。
神の子であるイエス様が伝える神のことばを、人間のことばとして聞いたから、彼らは、恵みを受けることができなかった。

皆さん、今、皆さんに聖書の神のことばを伝えている私は、神の子どもでしょうか・・・
ヨハネの福音書1章12節
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。

しかし、この方、すなわち、イエス・キリストを受け入れた人々、イエス・キリストの御名前を信じた人々は、神様の子どもです。
え、この人の神のこどもですか?・・・という自分の思いを下ろして、みことばから、ああ、確かに、この人も神のこどもだと、悟る恵みを受けるとき、
この人を神の子どもにする偉大な恵みの神様は、私のことをも神の子どもにする力がある・・・と、みことばから悟る恵みを受け、
みことばから受けた恵みによって、神のことばに生きるようになるのです。

ですから、みことばから恵みを受けるために、私たちは、へりくだって、自分の思いを下ろし、みことばを、私に対する、神のことばとして心に受け入れましょう。

そのように信仰によって、毎日、神のことばを聞いて、心に受け入れましょう。
神のことばから、神様の恵みを受け、その恵みの力によって、神のことばに生きることを、誠実に祈り求めましょう。

皆さんが、神のことばから、恵みをあふれるばかりに受けて、家庭、学校、職場、遣わされた場所で、恵みを流すようになることを、主イエスの御名によって、祝福します。