【262】2024/10/13 主日礼拝 『主の口から出ることば』 イザヤ書 <55:6~11> 斉田 基 牧師
6節
主を求めよ、お会いできる間に。呼び求めよ、近くにおられるうちに。
主にお会いできる間に、主を求めなさいと言われているのは、どんなに求めても、もう主にお会いすることができなくなる時が来るからです。
皆さん、私たちの人生には、必ず、終わりが来ます。人は、必ず、死にます。しかし、死んで終わりではありません。死んだ後には、永遠が始まります。
私たちをお造りになった神様は、私たちが、この地上で生かされている間に、死んだ後の永遠を、どこで過ごすのかを選びなさいと命じました。
あなたの神、主である、わたしは、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置いた、あなたはいのちを選びなさい。わたし、主こそ、あなたのいのちである、と・・・
ですから、もし、私たちが、この地上で、「私は、私の神である主と一緒に生きることを選びます。死んだ後も、私は私の神である主と一緒に生きることを信じます。
・・・そのように、この地上の人生で、信仰によって、主と一緒に生きることを選ぶ人は、死んだ後も、自分が選んだ、主と一緒に生きる永遠の人生を、神の国で過ごすことになります。
しかし、もし、この地上の人生を、自分の思いのままに生き、最後まで、主と一緒に生きようとせず、主から離れて生きることを選んだ人は、死んだ後も、自分が選んだ通り、永遠に主から離れた場所、地獄で過ごすことになります。
皆さん、私たちは、自分がいつ死ぬのか、知りません。当然のように、明日が来ると思う人もいます。しかし、あの事故、あの事件、あの地震、あの津波の日にも、多くの人が、当然、明日は来ると思っていました。しかし、明日は来なかった。
皆さん、主を求める日は、今日です。明日ではありません。・・・今日が、主を求めて、主にお会いする救いの日です。・・・皆さんにとって、今日が、主にお会いする恵みの日となることを、主イエスの御名によって祝福します。
7節
悪しき者は自分の道を、不法者は自分のはかりごとを捨て去れ。主に帰れ。そうすれば、主はあわれんでくださる。私たちの神に帰れ。豊かに赦してくださるから。
主にお会いするために、必要なことは、自分の道を捨てて、主に帰ることです。
放蕩息子は、父から離れて、自分の思いのままに生きる道を捨てて、父と一緒に生きる父の家に帰ったとき、父は豊かに赦し、赦すどころか、喜び溢れて、パーティーを開きました。
放蕩息子が、自分の道を捨てて、父と一緒に生きる道を選んだように、私たちも、自分の道を捨て、主と一緒に生きる道を選ぶなら、主は豊かに赦し、喜び溢れて、あらゆる良いもので満たしてくださる・・・だからこそ、私たちは、自分の道を捨てて、主の道を選びましょう。
8-9節
わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──主のことば──
天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。
天のように遥かに高い主の思いとは、どんな思いでしょうか。・・・それは、私を思ってくださる、主の思いであり、あなたを思ってくださる主の思いです。・・・主は、どんな思いで、あなたを思っておられるのでしょうか。・・・主は言われます。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。だから、あなたの罪を赦し、あなたを救うために、わたしのいのちをもって、あなたを買い取った。あなたは、わたしのもの。わたしの目には、あなたは、いのちよりも尊い。わたしは、あなたを愛している。
皆さん、神様を信じてください。神様のことばを信じてください。あなたの神である主は、あなたが思う以上に、あなたのことを愛しておられます。・・・神様の計画は、あなたの計画を遥かに越えて、あなたを幸せにします。神様は、あなただけではなく、あなたを用いて、家族も、友人も、すべての民族をも祝福する計画を立てておられます。
・・・神様のことばを信じて、神様が立ててくださっている計画を知るとき、私たちは、神様と一緒に生きる主の道を歩みたくなります。
しかし、天のように高い主の道を、どうすれば、歩むことができるのでしょうか。
主の道は、あまりにも高くて、私たちには歩むことができなかったので、主ご自身が道となってくださった。私たちでも歩むことができる道となってくださった主が、天から下って来てくださった。
主イエスは言われました。わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。
イエス様は、天より遥かに高い神様です。罪のない聖なる、義なる神様です。しかし、イエス様は、私たちと一緒に歩むために、最も高いところから、私たちのところまで、降りて来てくださった。
それだけではありません。私たちの罪を代わりに背負って、十字架で死んでくださった。最も低いよみにまで下ってくださった。そして、よみがえられた。
私たちを愛し、私たちと一緒に歩むために、最も高いところか、最も低いところに下られ、よみがえられた復活の主、今や、いつも私たちのそばで、導いてくださる主と一緒に歩む道、それが、主の道です。
主は、今日も、私を、あなたを導くために、みことばによって、語りかけてくださる・・・今日と言う日に、主の口から出る、一つ一つのみことばに生かされ、みことばに生きることを、私たちが、自分から祈り求めるとき、主の導きを受けることができます。
10-11節
雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。
私たちをお造りになった神である主は、みことばによって、全世界をお造りになりました。
神のことばは、一点一画も消え去ることなく、すべてが必ず実現します。
もし、本当に、主が私に語られるなら、そのみことばは、私の人生に、必ず、実現します。・・・しかし、いつ、そのみことばを実現するのかを決めるのは、私ではなく、主です。
雨が、天から降って、地を潤し、物を生えさせ、食べる人にパンを与える・・・雨が降って、すぐに、パンが与えられるのではなく・・・雨が降って、地が潤され、物が生え、そして、パンが与えられる
・・・同じように、天から下って来た主のみことばは、必ず、実現しますが、実現するまでに、主がお決めになったプロセスが完了するまで、待ち望む必要があります。
時には、光あれ、光があった・・・そのように、語られた瞬間に、みことばを実現してくださることもあります。しかし、時には、主が、みことばを信じる私たちが、みことばにふさわしく訓練されてから、実現してくださることもあります。
詩篇 105篇18-19節
ヨセフの足は 苦しみのかせをはめられ その首は 鉄のかせに入れられた。
彼のことばがそのとおりになるときまで 主のことばは彼を練った。
主イエスは、種まきのたとえで、みことばを種だと言われました。種は、土の中にとどまっていなければ、芽を出しません。
同じように、私たちの心に蒔かれたみことばの種が、芽を出し、成長し、実を結んで、実現するためには、みことばの種を、心の中にとどめ続ける必要があります。
信仰は、みことばを聞くときに、始まります。
・・・しかし、聞くことによって、始まるのは、信仰だけではありません。
罪のなかったアダムとエバは、偽りの父である悪魔のことばに耳を傾けた結果、騙され、誘惑され、罪を犯しました。・・・すなわち、罪も、聞くことによって、始まります。
何を聞くことを選ぶかは、非常に大切です。
真理のみことばを聞いて、心に受け入れるとき、信仰が始まり、みことばを思い、考えることを通して、みことばを心にとどめ続けるなら、永遠のいのちの実が結ばれます。
しかし、悪魔の偽りの言葉を聞いて心に受け入れるとき、罪が始まり、その罪の思いを心にとどめ続けるなら、永遠の滅びを刈り取ることになります。
・・・何を聞いて、心に受け入れるか・・・何を思い、何を考え、何を心にとどめるかによって、私たちは、信仰に生きることを選ぶこともできれば、罪の中に死ぬことも選ぶことができます。
ですから、主の口から出る真理のみことばを聞くことを選んでください。主と主のみことばを考え、思い巡らすことを通して、みことばを心にとどめることを選んでください。
そのように、みことばを聞いて、心に受け入れ続け、みことばを心にとどめ続けるなら、私たちの心は、どんどん、みことばで満たされていきます。その時、私たちの口は、心に満ちているみことばを話すようになります。
皆さん、真理のみことばが心に留まっていなければ、アダムとエバのように、偽りの言葉に、簡単に騙されてしまいます。しかし、真理のみことばが心に満ちているなら、偽りの言葉を聞いた瞬間に、それが偽りだと分かります。騙されません。
みことばが、心にとどまっていなければ、酷い言葉を聞くと、傷つきます。怒りや憎しみに縛られます。しかし、真理のみことばが心に満ちているなら、たとえ、傷ついても、怒りや憎しみに縛られても、心に満ちている真理のみことばが、私たちを癒し、自由にします。
箴言 4章20-23節
わが子よ、注意して私のことばを聞け。私の言うことに耳を傾けよ。
それらを見失うな。自分の心のただ中に保て。
それらは、見出す者にとっていのちとなり、全身の癒やしとなるからだ。
何を見張るよりも、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。
注意して私のことば聞け。私の言うことに耳を傾けよ。
主イエスも、同じように言われました。耳のある者は聞きなさい。聞き方に注意しなさい。みことばを聞いて悟りなさい。
それらを見失うな。それらとは、何でしょうか・・・みことばです。みことばを見失わずに、自分の心のただ中に保ちなさい。みことばの種を、心の中にとどめなさい・・・そうすれば、
それらは、すなわち、心の中にとどめた、それらのみことばが、私たちにとって、いのちとなり、全身の癒しとなる。
だからこそ、何よりも、心を見守りなさい・・・何のために、みことばを心にとどめるためです。
アダムとエバのように、知らないうちに、悪魔の偽りに耳を傾け、騙され、誘惑され、罪を犯し、悪魔の奴隷にされないように、真理のみことばを心にとどめるために、心を見守りなさい。
そうすれば、心にとどまっているみことばから、いのちの泉が湧く。
いのちの泉です。いのちの泉とは、私だけを生かすのではなく、私を通して、周りの人すべてを生かす、いのちの泉です。
・・・もし、私たちの心に、真理のみことばが満ちているなら、私たちの口は、真理のみことばを話します。そして、私たちの口から出る真理のみことばを用いて、主が、周りの人すべてを生かしてくださる。
真理のみことばで心を満たすことを大切にしていた、ある牧師先生の証を分かち合います。
その牧師は、教会で、知らない人から電話を受けました。その人が話し出すと、表現し難い、嫌な臭いがして、部屋に煙が立ち込めるように感じました。
話を聞くと、その人は、サタン崇拝をしていて、サタンから牧師を呪う使命を受けたと信じて、電話をかけて来たそうです。
それで、その牧師は、「そうですか。前にも、そういう方がおられましたが、その時、神様は、すべての呪いを祝福に変えると、私に語ってくださいました。そして、その通りになりました。・・・ですから、どうぞ、仰ってください。」・・・そう言って、相手が話した呪いの言葉を一つ一つ、メモに書き留めていきました。
・・・そして、すべて書き終わったとき、「・・・それだけですか。ご丁寧にありがとうございます。これから、これらの言葉を神様の前に持って行って、吟味させて頂きます。
・・・私は恐れません。あなたのボスよりも遥かに強い、天地を創造された神様が、私を守り、必ず、祝福すると約束してくださっているからです。」・・・そう言って、最後に、「・・・ところで、あなたに、主からのことばがあります。・・・『待っていなさい。わたしは、あなたを捕らえに行く』・・・そう、主が仰っています。」 ・・・それを聞いた相手は、すぐに、電話を切りました。
それから、牧師は、主の前に出て行って、祈り始めました。
すると、聖霊様が、「その呪いの言葉と、反対の、真理のみことばを、聖書から調べて、一つ一つ書き留めて行きなさい。」・・・と教えてくださいました。
それで、祈りながら、聖霊様に教えてもらいながら、聖書からみことばを一つ一つ書いて行きました。
本当に酷い呪いの言葉でしたが、むしろ、その呪いが、酷ければ、酷いほど、物凄い祝福のみことばが与えられました。
全て書き終えて見たとき、そこに書かれていた祝福の約束は、まさに、その時に、その牧師に、家族に、教会に必要な祝福のみことばだと確信しました。
それで、彼は、呪いのメモは燃やして、主イエスの御名と、血潮の力を宣言して、敵の力を縛り、打ち砕く祈りをして、主に感謝をささげました。
「主よ、感謝します。敵の力は、イエスの御名によって、打ち砕かれました。主よ、あなたは、呪いの代わりに、祝福のみことばだけを残してくださいました。あなたが、こんなにも私たちを祝福してくださろうとしていることを、心から感謝します。」
彼の内側から、信仰と期待と感謝が沸き上がって来ました。それから数か月間、彼は、書き留めた祝福のみことばを、一つ一つ宣言して祈り続けました。
すると、それらのみことばに約束されていた通りの、霊的な祝福、家族の祝福、教会の祝福、経済の祝福など、さまざまな祝福が実現していきました。
彼は本当に感謝に満たされて、「ああ、あの人が、あの電話をしてくれて、本当に感謝だった」・・・と、思っていたときに、また、同じ人から、電話がかかってきました。
その時、彼のうちに、相手を思う愛の心が沸き上がって来て、こう言いました。
「ああ、あなたですか。この前は、どうも、ありがとうございました。おかげさまで、私たちはこの数か月間、とても祝福されています。あなたはお元気でしたか。」
すると、相手は、「いいえ。私の方は、あの電話を切った後、あなたのように、のろいが効かない人、恐れない人は初めてだったので、怖くなりました。その後も、恐れはどんどん強くなって、もしかしたら、あなたの信じるイエス様、あなたの神様が本物で、私が体験して来たスピリチュアルな世界は偽物かもしれない、と思うようになりました。
それでも、私は仲間と一緒に集まって、ある儀式をましたが、その時、それまで見て来た霊ではなく、初めて、白い衣を来た方が姿を現しました。
その方は、私たちに悔い改めを迫りました。・・・その時、私たちはみな、その場にひざまずいて、偽りの霊を信じて来たことを赦してください、これからは、まことの神様だけを信じます。と言って、悔い改めました。それ以来、オカルトとの関係を一切断ち切りました。」
皆さん、この牧師は、自分を呪う、どんなに酷い呪いのことばを聞いても、傷つくことも、恐れて、恐怖に縛られることもありませんでした。・・・それは、彼のうちに、真理のみことばが満ちていたからです。
敵が、酷いことばで彼を傷つけようとしても、彼のうちにとどまっていた、真理のことばが、彼を癒しました。
敵が、呪いのことばで、彼を、霊的に縛ろうとしても、真理のみことばが彼を自由にしました。
それどころか、彼が心のうちにとどまっていた真理のみことばから、いのちの泉が沸き上がって、彼も、家族も、教会も祝福し、さらには、敵に捕らわれていた電話の相手さえも、自由にし、祝福しました。
皆さん、私たちを生かすのは真理のみことばです。主の口から出る、一つ一つのみことばです。
もし、みことばを心にとどめるなら、みことばは、あなたを生かすだけではなく、あなたを通して、周りの人すべてを生かすいのちの泉となります。
皆さん、何を見聞きするかを選ぶのは、自分です。時には、誰かに、何かを見聞きすることを強制されることもあるかもしれません。しかし、少なくとも、何を思い、何を考えて、何を心にとどめることを選ぶかは、自分が選びます。
真理のみことばか、偽りの言葉か、いのちのみことばか、滅びの言葉か・・・・私たちを愛し、救うために、いのちまで与えた、主の願いは、私たちが、良い方を選ぶことによって、いのちを得ることです。
今、この時間、主に、みことばを求めましょう。
あの人ではなく、この人でもなく、主よ、どうか、私に語りかけてください。どうか、私でも分かるように、私が心にとどめるべきみことばを、私に語りかけてください。・・・と、祈り求めましょう。
主よ、一節でもいいので、今週一週間、私が心にとどめるべきみことばを、私に分かるように、今、教えてください。・・・と、祈り求めましょう。
今、この時間、「主よ、あなたのみことばによって、私を生かしてください。私もあなたのみことばによって生きることを選びます。」 この決心をもって、主に、みことばを祈り求めましょう。

