【260】2024/9/29 主日礼拝 『心を主に向ける』 Ⅱコリント人への手紙 <3:14~18> 斉田 基 牧師

 

14-15節
 しかし、イスラエルの子らの理解は鈍くなりました。今日に至るまで、古い契約が朗読されるときには、同じ覆いが掛けられたままで、取りのけられていません。それはキリストによって取り除かれるものだからです。
 確かに今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心には覆いが掛かっています。

イスラエルの子らの理解は鈍くなったとあるように、もし、私たちの理解が鈍くなるなら、たとえ、どんなに聖書を読んでも、何年教会に通い続けても、神様のことが分からない・・・神様が、今も、私と一緒にいて、私を守り、満たし、愛してくださることが実感できない、ということが、理解が鈍くなるときに、起こります。

そのように理解が鈍くなる原因は、私たちの心に覆いが掛かっているから・・・そして、その覆いを取り除くことができるお方は、イエス様です。

今日、イエス様が、私たちの心に掛けられた覆いを取り除いてくださり、聖書のみことばを、神様が、自分に語りかけてくださる愛のことばとして信じる信仰・・・聖書のみことばを、私を救うことができる神様の力あることばとして信じる信仰が、皆さんに、与えられることを、主イエスの御名によって、祝福します。
16節
 しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。

人が主に立ち返るなら、いつでも、その覆いは除かれる・・・つまり、私たちが主に立ち返るなら、主が、その覆いを取り除いてくださる・・・ここで、主に立ち返るという言葉には、主に方向転換すると言う意味があります。主に立ち返るとは、私たちの心の方向を主に向けることです。

自分の心の方向を、どこに向けるかが、私たちの生き方の方向になります。
私たちは、自分が良いと思う方向、正しいと考える方向に、生きようとします。

多くの場合、家庭の問題、仕事の問題、人間関係の問題など、様々な問題の根本的な原因は、問題を引き起こす私の生き方、私の心の方向に原因があります。
しかし、多くの人は、問題の原因を、人のせいにしたり、環境のせいにしたりします。

問題の原因が、自分の行いであることを認めることができても、そのような行いを自分にさせる、自分の心の方向が根本的な原因であることを認めて、心の方向を変えようとする人は、ほとんどいません。
そのように生きようとする、自分の心の方向が、根本的な原因であることが分かっても、どうすれば、心の方向を変えことができるのかが、分からないのです。
ある牧師家庭の息子ヨシュア君は、4人兄弟の三番目でした。
彼は、高校を中退し、16歳から、働き始めました。ピザの配達、建築業、居酒屋のキッチンなど、いろいろな仕事を経て、20歳~24歳まで、寮のある印刷工場で、4年間働きました。

彼の父は、牧師でしたが、親元を離れた彼は、教会から離れました。十代の頃から、お酒、タバコ、ギャンブルにはまりました。
24歳になった時には、ギャンブルで約130万円の借金がありました。
さらには、酒け酔い運転で、警察に捕まり、当時、20万円の罰金で、借金は約150万円になり、つき合っていた彼女とも別れることになりました。

月々20万円そこそこだった、24歳の彼には、約150万の借金は、大きく感じました。
借金を返さなければならないのに、ギャンブルもお酒もやめられない・・・夜ごはんは、柿の種とビール・・・そんな生活を続けていた彼は、ある時、どうしようもない虚しさ、惨めさを感じ・・・かつて、教会で聞いた、放蕩息子の話を思い出しました。豚の餌で、腹を満たしたいほど、落ちぶれた放蕩息子の姿と、自分の姿がダブって見えました。
ああ、自分も惨めな状態だ。借金があるのに、お酒もギャンブルもやめられない、こんな自分でも変われるのか
放蕩息子が、お父さんのところに帰ることができたように、自分も帰ることができるだろうか・・・苦しくなって、泣きながら祈りました。
「神様、苦しいです。助けてください。私は、今、本当に、惨めな状態です。これからどうしていけばいいんですか。」

その時、昔、聞いた、聖書の話を思い出しました。
ペテロはイエス様と出会って、「人間を取る漁師にしてあげよう」と言われ、イエス様について行く弟子になりました。
イエス様と出会って、目の見えなかった人が見えるようになりました。
歩けなかった人が、イエス様と出会って、癒され、イエス様と一緒に歩くようになりました。

ああ、イエス様に出会って、変えられた人のように、自分も変われるものなら、変わりたい。自分も救われたい・・・心から、そう思いました。

それで彼は、思い切って、牧師をしていた叔母に相談しました。
「叔母さん、俺は、もう生きているのが嫌になった。借金もあるし、ギャンブルもやめられないし、お酒もやめられない。彼女とも別れてしまった。俺どうしたらいい。」

その時、叔母さんは、彼の目を見て、はっきりと伝えてくれました。
「ヨシュア、ヨシュアが救われるには、イエス・キリストの十字架と復活を信じるしかないよ。
ヨシュア、どうして、イエス様が十字架にかかったのか、分かる」
かつて、教会学校で、イエス様の話は、何度も聞いていたのに、その時、初めて、イエス様は、何のために、十字架で死んだんだろうと思いました。
それで、「何で」と聞くと、「イエス様は、ヨシュアの罪の身代わりとなって、十字架にかかってくださったんだよ。」とはっきりと伝えてくださいました。

その時、心が苦しくてたまらなかった彼は、ああ、この苦しみのために、イエス様は苦しんでくださったのか。こんな生き方しかできない私を救うために、イエス様は死んでくださったのか。
こんな罪まみれの生活をしている私のことを、イエス様は愛して、いのちまで捨ててくださった・・・これが、イエス様が用意してくださった十字架の救いだったんだ。

十字架の愛を体験したとき、彼は、その場で、泣き崩れました。
その時、聖霊様が、彼の罪を示してくださり、その一つ一つの罪のために、イエス様が打ち砕かれたことを示され、三時間ぐらい、彼は、泣きながら、悔い改め、祈り続けたそうです。

皆さん、イエス様の十字架と復活が、彼の心の方向を変えました。
心の方向が変えられた彼の生き方も変えられ、お酒、タバコ、ギャンブル全てやめ、真面目に働いて、借金を返し、聖書学校に入り、卒業しました。

彼は、こう話していました。
今、私は、沖縄のインターナショナルクリスチャンスクールで、働いています。
結婚し、世界一可愛い娘も、神様は与えてくださいました。
本当に私の力ではありませんでした。すべてが神様の恵みでした。
18年前に、泣いて神様に、助けを求めたら、神様が哀れみと恵みを施してくださって、今も、神様が祝福してくださっていることを、毎日、感じています。
18年間、主は私たちを裏切るようなことはなさいませんでした。もちろん、神の子として、試練も与えますが、それでも、いつも、祝福を用意してくださっています。
そのように証しされていました。

彼の生き方、彼の心の方向を変えたのは、イエス様の十字架と復活でした。
彼が、イエス様の十字架と復活は、彼のためであったことを信じ、受け入れたとき、彼の心の方向がイエス様に向けられました。
虚しい生き方しかできなかった彼を愛し、救うために、いのちまで与えてくださったイエス様の愛を体験したとき、彼の心は、イエス様に向けられ、彼の生き方は変えられました。

皆さん、イエス様の十字架が自分のためであったことを信じるとき、私たちの心は、イエス様に向けられます。
イエス様が十字架でいのちを与えるほど、私のことを愛してくださった・・・その愛を信じ、受け入れるとき、生き方が変えられます。
神様は、真実なお方です。心から助けを求めるなら、必ず、私たちをあわれんでくださり、私たちを救う、イエス様の十字架の愛を示してくださいます。
しかし、多くの人は、放蕩息子のように、落ちぶれて、どうしようもなくなってから、やっと、切実に、神様に助けを求め始めます。
私たちは、どうしようもなくなってからではなく、良い時も、悪い時も、主を求めて、心を主に向けることを選びましょう。
箴言 3章5-6節
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。
あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。

心を尽くして主により頼むなら、私たちの心は、主に向きます。心を主に向けさえするなら、主が私たちの進むべき道に、私たちを導いてくださいます。・・・ですから、家庭においても、職場においても、どこにおいても、主により頼んで祈ること選びましょう。

最初は祈り方すら分からないかもしれません。それでも、心から、神様に祈って行くとき、祈りを聞いてくださっている神様が、祈り方を教えてくださいます。

ある方は、主イエスを信じて、クリスチャンになりましたが、教会から離れ、パチスロで生活していました。しかし、自分が好きでこの生活をしていたはずなのに、心が渇いて、虚しくて仕方がなくなって、彼は、神様にこう祈りました。「明日も、スロットで勝てますように。」

すると、次の日から、信じられないほど勝ち始めました。しかし、勝って、勝って、勝って、楽しいはずなのに、何か、心が満たされない・・・何か虚しい・・・彼は、ついに、耐えられなくなって、聖書を開きました。
すると、「自分の手で働きなさい。」・・・その一節のみことばが、彼の心に突き刺さりました。
そのみことばを読んだ時から、ギャンブル生活は上手くいかなくなり、自分の手で働かなければならなくなりました。
そして、彼が働き始めた職場が、一日18時間労働が普通にある、ブラックなところでした。
そこで、ほとんど日の光を見ない生活をしていた彼は、この生活を続けたら、人生を無駄にしてしまうと思いましたが、どうすればいいか分からず、何もできずにいました。・・・・そんなある夜、彼は、ついに、こう祈りました。
「神様、どうせ、いのちをささげるなら、あなたのためにささげたい。」
神様は、彼の祈りに答えてくださり、聖霊様のバプテスマを与えてくださり、彼は、21歳で献身し、後になって、日本では初めて、24時間365日の祈りの家を立ち上げました。

皆さん、祈りは、独り言ではありません。祈りは、祈りを聞いてくださる神様との会話です。祈りは、神様との共同作業です。
「スロットで勝てますように」・・・そのような祈りであっても、本当に虚しくて、もう神様に頼るしかない、「どうか、神様、助けてください。」 その切実な祈りに答えて、神様は、人生を導き、また、祈り方も教えてくださる。
ですから、どんな祈りであっても、心を尽くして神様により頼んで祈ることから始めましょう。
箴言 3章5-6節
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りに頼るな。
あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの進む道をまっすぐにされる。
みことば通り、心を尽くして、主により頼んで祈りましょう。その時、私たちの心の方向が主に向き、主が私たちの人生を導いてくださることを、心から主に感謝します。

最後に、私たちが、心を主に向ける、最も良い方法の一つ・・・それは、主に、感謝と賛美をささげることです。
コロサイ人への手紙 3章16-17節
 キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。
 ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。

主を賛美するとき、感謝をもって心から神様に向かって歌うとき、私たちの心は主に向きます。

2019年、コロナに入る前にリリースされた、Goodness Of God という賛美があります。
多くのアーティストがカバーし、この賛美のいろんなバージョンの動画もアップされていますが、この賛美の動画で、億を超える再生回数のものは、いくつもあります。2023年には、この賛美は、クリスチャン音楽の中で最も歌われた歌として受賞しました。

この賛美、 Goodness Of God は、神様ご自身のすばらしさと、神様の私たちに対する愛とあわれみと恵みを賛美した歌です。
コロナに入って数年間、ある教会は閉じてしまい、ある教会では、牧師が天に召され、多くの教会が痛み、試練を経験しました。そのような状況の中で、この賛美は、教会を励まし、問題ではなく、問題を解決してくださる主に、心を向けさせました。

この賛美を作られた方は、この賛美は、私が作ったのではなく、私に与えられた賛美ですと話します。
教会で賛美リーダーをしていた彼女は、その働きが忙しくなり、壁にぶち当たる度に、賛美しました。母として、三人の子どもの子育てだけでも大変なのに、夫が鬱になるなど、落ち込みそうになる度に、賛美をすると、心が神様に向けられ、神様の愛、恵み、平安・・・神様の素晴らしさが、彼女の心に迫って来ました。
そんな、ある時、賛美をささげていると、「4人目の子どもを与える。それも、養子として与える」という神様の声を聞きました。
・・・彼女は、3人でも大変なのに、そんなの不可能ですと思いました。
しかし、彼女は、神様が言われたなら、きっと、それが最善なんだ、きっと、私たちにもできる・・・そのように、自分の思いではなく、信仰によって、神様の声に従おうと決心して、祈り求め、捜し求め、この子だという子を見つけ、扉が開かれ、多くの手続きを経て、ついに、養子として迎えたその子どもを、車に乗せて、運転していた時に、鼻歌として出て来たのが、このGoodness Of Godという賛美でした。
ですから、この賛美は、世界的なヒットを生み出そうとして作った賛美ではなく、本当に、主に与えられた賛美だと、彼女は話します。
また、彼女は、彼女が、この賛美を賛美していたとき、主に見せられた幻についても、証しされていました。
幻の中で、彼女は、天に引き上げられ、天の御座の前で、多くの人たちと一緒に、「主は素晴らしいお方」と、主を賛美していました。

すると、御座についていたイエス様は、喜んで立ち上がり、両手を広げて、「そうです。わたしはそのようなものです。しかし、それだけではありません。あなたがたも、そのようなものになるのです。あなたがたは、わたしを賛美し、わたしに従って行く中で、栄光から栄光へとわたしと同じ姿に変えられていきます。」・・・そう言って、イエス様が、賛美している一人一人を祝福してくださる・・・そのような光景を見たと、彼女は証しされていました。

皆さん、私たちを愛し、私たちを救うためにいのちまで与えてくださった神様は、昨日も今日も、いつまでも変わらないお方、どんなときにも、良いお方、賛美されるべきお方です。
私たちの現実が良くても、悪くても、心を主に向けるなら、私たちは、主を賛美し、主が素晴らしいお方であることを、告白することができます。

現実ではなく、神様に心を向けて、神様の素晴らしさを賛美することを選ぶとき、賛美の中で、主の臨在が臨みます。その場の空気が変ります。雰囲気が変わります。主が私とともに歩んでくださる、その信仰が与えられ、私たちは、主と一緒に生きるようになります。

皆さん、私たちは、主に心を向けることを選びましょう。
現実を見て、落ち込みそうになるとき、感謝や賛美を通して、主に心を向けましょう。
どうすることもできない、どうしてよいか分からないときにも、心を尽くして、主により頼んで祈ることを通して、主に心を向けましょう。

何よりも、主イエスの十字架と復活が私のためであったことをいつも信じて、覚えましょう。
私を救うために、いのちまで捨てた主の愛は、いつでも、どこでも、どんな状況においても、変わらない永遠の真実の愛であることを、いつも覚えて、主に心を向けることを選びましょう。