【258】2024/9/15 主日礼拝 『主を待ち望む』 イザヤ書 <30:15~22> 斉田 基 牧師
15-16節
イスラエルの聖なる方、神である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたはこれを望まなかった。
あなたがたは言った。「いや、私たちは馬で逃げよう」と。そう言うなら、あなたがたは逃げてみよ。また、「私たちは早馬で」と言った。そう言うなら、あなたがたの追っ手はなお速い。
私たちが信じている神様は、何でもできる全能の力ある神様です。ですから、私たちが神様に立ち返って、どんな苦難の中でも、私たちを守ってくださる神様のそばで、落ち着いているなら、神様は、私たちをその苦難の中でも、守り、そして、救ってくださいます。
しかし、多くの人は、そばにいて守ってくださる神様に信頼するよりも、現実の苦しみを見て、落ち着きを失って、「このままでは、大変だ。何とかしければ・・・」 そう言って、その苦しみから、逃げようとします・・・しかし、結局は、苦しみに追いつかれてしまう。
だからこそ、主は、言われます。・・・・わたしに立ち返って、落ち着いていなさい。現実を見て、「大変だ。どうしよう。」と、騒ぐのではなく、静かにして、わたしに信頼しなさい・・・わたしがあなたを救い、あなたを守り、あなたを強くする。・・・あなたは、わたしを待ち望みなさい。
しかし、多くの人は、主に信頼して、主を待ち望むことを望みません。
お金に困ったら、主を待ち望むよりも、自分で稼いだり、人に借りたり、など、自分で何とかしようとします。
病気で困ったら、主に頼るよりも、まず先に、医者に頼ったり、薬に頼ったりします。
人間関係の問題で困ったら、主に祈り求めるよりも、人に頼ったり、自分の方法で解決しようとします。
多くの人は、別に、神様に頼らなくても、自分でも、できると思って、頑張って、失敗します。それなら、と言って、今度は、違う方法を試したり、人に頼ったり、お金や物に頼ったり・・・なぜか、神様に頼ろうとしない。
この問題は、神様に頼るよりも、これに頼った方が、すぐに解決すると思って、解決したとしても、また、すぐに、新しい問題が起こる。
私たちが問題を解決していくスピードよりも、問題が起こるスピードの方が速くなる。
いろいろなものを利用して、苦難から逃げるスピードを上げても、追いかけてくる苦難のスピードの方が速くなる。
あの方法はだめだった。この方法でもだめだった。きっと、その方法でも、ダメだろう。・・・ついには、私たちが頼ることができるものがほとんどなくなり、生きる希望を失っていく・・・そうなってしまうのは、私たちが、本当に頼るべきお方である主に頼ろうとしないで、他のものに頼ってしまうからです。
いつも私たちのそばで、私たちを守ってくださり、救ってくださる主に信頼して、落ち着いて、主のそばにとどまっているなら、私たちは、救われ、力を得ます。
しかし、それを望まず、自分や人、お金やこの世の力に頼るから、挫折し、失望する・・・これは、自業自得です。
しかし、そのように、自分がしたことの、当然の報いを受けている人に対して、主は、それゆえ、こうすると言われます。
18節
それゆえ主は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる。主が義の神であるからだ。幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は。
それゆえ主は、恵みを与えようとして待ち、今にも、あわれみを与えようとして立ち上がられる・・・誰に対して、でしょうか・・・主に信頼しなかった私たちに対してです。
主に信頼しなさい。主を待ち望みなさい・・・主のみことばを無視して、自分に頼り、人に頼り、お金に頼り、この世の力に頼った結果、苦しみ、痛み、失望し、生きる希望を失ってしまった私たちのことを、・・・主は、いつも恵みを与えようとして待っていてくださり、今にも、私たちにあわれみを与えようとして立ち上がられる。
ちょうど、放蕩息子のお父さんのようにです。
放蕩息子は、まだ生きている、お父さんに、自分が受けることになる遺産を分けてくれ・・・そして、財産を受け取ると、さっさと荷物をまとめて、遠くの国に行って、やりたい放題して、湯水のようにお金を使い果たした・・・ちょうどその時に、食糧難がその国を襲う・・・放蕩息子は、落ちるところまで落ちて、乞食になったとき、我に返って
・・・そうだ。お父さんのところに帰ろう。・・・お父さんは、困っている人を放っては置けない愛の人だから・・・お父さんに、とても酷いことをした私は、もう息子としては見てくれないかもしれない。・・・しかし、それでも、お父さんは、きっと、困っている私を助けてくれる。
しかし、放蕩息子の父は、息子が出て行ったその日から、息子の帰りを待ち望んでいました。
もしかしたら、今日、帰ってくるかもしれない。毎日、息子が帰って来るであろう方向を見つめ、いつ息子が帰って来ても、いつでも、すぐに迎えることができるように待ち望んでいました。
だからこそ、まだ、遠くにいた息子を、誰よりも早く見つけ、駆け寄って息子の首を抱きしめて、何度も口づけして・・・「失われていた息子が見つかった。死んでいた息子が生き返った。」・・・そう言って、盛大なパーティーを開いて、喜び、祝いました。
同じように、私たちの天の父なる神様は、私たちを待ち望んでくださるお方です。たとえ、私たちが、神様を信じず、神様から遠く離れた生活をしていたとしても、神様は、いつも私たちの帰りを待っておられ、いつ私たちが帰って来ても、いつでも、恵みを与えることができるように、待ち望んでくださる。
そのように、主が私たちを待ち望んでくださっていることを知るときに、私たちも主を信頼して、待ち望むことができる。
あるアメリカの牧師と、そのご家族が、一緒に証しされていた、証しを分かち合います。
外は雪が降る、クリスマスの長期休暇のときに、牧師であるお父さんは、家族と一緒に、家で過ごしていました。
お父さんは、息子と一緒にゲームをしていましたが、少し前に、幼い娘に、プレゼントしたペットの小さな子犬が、足元をちょろちょろと走り回っていました。
それで、お父さんは、娘に、「この部屋は危ないから、子犬を、隣の部屋か、外に連れて行きなさい」と言いました。
お父さんは、娘が言うことを聞いてくれたものと思って、息子と遊んでいましたが、娘は、子犬を毛布の中に入れて、お父さんのそばに置いていました。
しばらくして、お父さんが、トイレに立ち上がったとき、こともあろうか、その毛布を踏みつけ、さらに、その上に、倒れてしまった。
急いで、子犬を取り上げてみると、皮膚は破れ、出血し、内臓が出ていました・・・彼は、気が動転して、幼い娘に向かって、もの凄く汚い言葉で怒鳴りつけ、また、周りの家族にも、当たり散らしてしまいました。・・・しかし、子犬は、彼の手の中で死んでしまいました。
彼は、自分がしてしまったことにショックを受け、放心状態で、家にあった箱の中に子犬を入れ、蓋をして、外に出しに行きました。
彼は、起きてしまったこと、自分がしてしまったことに、とても動揺しました。
牧師であるにもかかわらず、怒りに任せて、幼い娘に、汚い言葉で怒鳴りつけ、関係ない家族にまで、当たり散らしてしまったことに、とても心が痛みました。
とても後悔しながらも、どうすることもにできずにいると、その娘がやって来て、「パパ、パパは、いつも、神様にはできないことはない。って、いつも、メッセージ、してるよね。だから、ワンちゃんが生き返るように、お祈りして!パパ、お願い、ワンちゃんがよみがえるように、神様にお祈りして!」
しかし、彼は、「いや、今、パパには、そんな信仰はない。君が、そう信じるなら、君が祈りなさい。」・・・そう言って、部屋に閉じこもってしまいました。
すると、家の外から、娘の声が聞こえて来ました。「神様にはできないことはありません。イエス様のお名前によって、生き返りなさい。神様にはできないことはありません。イエス様のお名前によって、よみがえりなさい。」 寒い冬の夜、外の暗闇で、泣きながら、祈り続ける幼い娘の声に、彼の心は砕かれました。
彼は、たまらず、部屋から出て、泣いている娘のところに行って、謝りました。そして、家族にも謝りました。
それから、しばらくして、お母さんが、ゴミを捨てるために外に出ました。すると、子犬を入れた箱のふたが空いている・・・ビックリして、家族を呼びました。・・・「箱のふたが空いてるの!ワンちゃんがいないの!」
それで、家族がみんなで、捜していると、ゴミの山の後ろから、しっぽを振って子犬が出て来ました。それで、子犬を抱きかかえ、家の中に連れ帰りました。破れていた皮膚もすべて、完全に癒されていました。
彼は、本当に驚きました。彼自身も牧師として、癒しの働きをしていましたが、・・・死んでいたのが生き返り、完全に癒される、これほどの癒しは見たことがありませんでした。
しかも、自分が最悪の時に、神様の働き人として、してはならないことをしてしまった、どうしようもない時に、幼い娘の純粋な信仰に答えてくださって、神様はこのような素晴らしい奇跡を起こしてくださった。
そのように、彼は、家族と一緒に泣きながら、証しされていました。
皆さん、神様は、私たちが正しい、立派な人だから、助けてくださるわけではありません。
私たちが、何か神様が喜ぶことをしているから、私たちに良くしてくださるわけでもありません。
神様は、私たちを愛しているから、私たちが良くても、悪くても、助けようとしてくださる。
放蕩息子が、自分を愛してくれた父に背を向けたように、私たちも、愛してくださる神様に背を向けていたとしても、神様は、私たちを愛しているから、いつも、何とかして、私たちに恵みを与えよう、助けよう、良くしようと、私たちのことを待ち望んでくださる神様、それが、私たちの神様であることを、心から、主に感謝します。
・・・ですから、私たちに必要なのは、どんなことがあっても、神様は、私たちを愛してくださることを信じることです。自分に対する神様の愛に、信頼することです。
父のもとに帰りさえすれば、父は、きっと何とかしてくれると信じた放蕩息子のように、神様のもとに帰りさえするなら、きっと神様は、何とかしてくれると信じて、神様を求めることです。
今も、神様が、あなたを待ち望んでおられるように、あなたも神様を待ち望むことです。
18節
それゆえ主は、あなたがたに恵みを与えようとして待ち、それゆえ、あわれみを与えようと立ち上がられる。主が義の神であるからだ。幸いなことよ、主を待ち望むすべての者は。
主を待ち望むすべての者は、幸いです。なぜなら、自分が待ち望むよりも、ずっと前から、主が待ち望んでくださっていた、その恵みを体験した人が、主を待ち望む者になるからです。
皆さん、今も、主は、あなたを待っておられます。・・・主が、こんなにも私を思って、待ってくださるなら、私も、主を待ち望みます、そう願わずにはいられないほど、主の恵みとあわれみを体験する幸いが、あなたに与えられることを、主イエスの御名によって、祝福します。
主を待ち望む人に与えられる幸いとは、何でしょうか。・・・主を待ち望むときに、私たちが受ける恵みとは、どんな恵みでしょうか。
19-21節
ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫ぶ声に応え、主は必ず恵みを与え、それを聞くとき、あなたに答えてくださる。
たとえ主があなたがたに苦しみのパンと虐げの水を与えても、あなたを教える方はもう隠れることはなく、あなたの目はあなたを教える方を見続ける。
あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを、あなたの耳は聞く。
主を待ち望むときに、受ける恵みは、まず第一に、主は、私たちの叫ぶ声に答えて、必ず、恵みを与えてくださる・・・つまり、もし、あなたが主を待ち望むなら、主は、必ず、あなたの祈りに答えてくださる。
第二に、もし、あなたが主を待ち望むなら、どんな苦しい状況の中でも、あなたの目は主を見ることができ、決して見失うことがない。
第三に、もし、あなたが主を待ち望むなら、あなたはいつも、「これが道だ。これに歩め」と言う主の御声を聞き、主が、あなたをいのちと幸いの道に導いてくださる。
皆さん、もし、本当に、主を待ち望むなら、私たちは、主が、今も生きておられることを体験します。祈れば、主が答えてくださる。どんな苦しみの中でも、主が私を守り、祝福し、勝利を与えてくださる。
いつでも、どこでも、そばで寄り添って、私を愛してくださる主が、今も、生きておられることを、体験します。
そのように、私たちのそばで、今も、神様が生きておられることを体験するとき、私たちは、偽物の神様を捨て去ります。
22節
あなたは、銀をかぶせた刻んだ像と、金をかぶせた鋳物の像を汚れたものと見なし、不浄の物としてそれをまき散らし、これに「出て行け」と言う。
皆さん、本物の神様は生きている神様です。祈りに答えてくださる神様・・・実際的に、私たちを守り、祝福し、愛してくださる神様・・・そのように、神様が、生きておられることを体験するなら、もはや、私たちを救うことができない、偽物の神様には、頼らなくなります。
偽物の神様とは、いわゆる金メッキや銀メッキの偶像のことだけではありません。本物の神様を信じているはずの、私たちが、きっと神様はこういうお方だと、自分の想像で、造り上げた神様のイメージ、それも偽物の神様になることが、よくあります。
今も生きておられる、本物の神様は、あなたの祈りに答えて、どんな苦しい状況でも、あなたを守り、導いてくださる神様です。・・・ですから、私たちは、自分が本物だと信じている神様が、本当に、生きているかどうかを、確認しなければなりません。
あなたの信じている神様は、あなたを愛していますか。あなたの祈りに答えてくださいますか。
どんな苦しみの中でも、あなたが待ち望むとき、あなたは、神様を、そばに感じることができ、実際的に、あなたを導いて、救うことができる、本物の神様ですか。
かつて、エジプトで奴隷にされていたイスラエルの民は、自分たちをエジプトから救ってくださった神様を、「これが、エジプトから私たちを救った神様だ」と言って、金の子牛を作り出し、本物の神様を、偽物の神様にしてしまいました。
同じように、私たちも、イエス様って、きっと、こう言うお方だろうという自分の想像で、間違ったイエス様のイメージを作り出し、本物のイエス様を、偽物のイエス様にしてしまうことがあります。
どんなに祈っても、偽物は答えてくれません。どんなに待ち望んでも、偽物は、助けてくれません。偽物は、あなたを愛しません。あなたを愛し、あなたを救うために死んで、よみがえられたイエス様は、今も生きておられる本物の神様です。
私たちは、本物の神様、真理そのものであるイエス様を信じましょう。イエス様に信頼して、イエス様を待ち望みましょう。
どうすれば、偽物ではなく、真理のイエス様を信じることができ、イエス様を待ち望むことができるでしょうか・・・単純です。みことばを信じることです。みことばは真理です。みことばは、イエス様です。・・・真理のみことば通りに、イエス様を信じ、真理のみことば通りに、イエス様を待ち望むだけです。
15節
イスラエルの聖なる方、神である主はこう言われた。「立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。」しかし、あなたがたはこれを望まなかった。
主に立ち返って、主のそばで、落ち着いていれば、私たちは救われます。静かにして、主に信頼していれば、主が私たちに力を与えてくださいます。・・・私たちは、主が、みことば通りに、私たちを救ってくださるまで、主に信頼して、待ち望むことを決心しましょう。
主の時、というものが、あります・・・ですから、私たちは、自分のタイミングではく、主のタイミングに合わせる必要があります。
・・・主は、私たちの願いを叶える、私たちのしもべではありません。主は、私たちの神様です。私たちが主のしもべです。
私たちの願いを叶えてもらうために、私たちが主を従わせるのではなく、私たちが、主に従います。
主が、私たちの時に合わせるのではなく、私たちが主の時に合わせます。
ですから、主の時が来るまで、私たちは、主を待ち望む必要があります。
しかし、このことを覚えてください。私たちを愛するゆえに、神様にとって、もっとも大切な神様のひとり子イエス・キリストを惜しまずに、与えてくださった神様は、いつも、私たちに、最善のことしかなさいません。
主の時は、私たちには、遅すぎて、手遅れに思えても、主の時は、最善の時です。そこからでも、主はすべてを働かせて益としてくださいます。
ローマ人への手紙 8章28節
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
何よりも、真理のみことばを信じる決心をしてください。もう無理だ、どうしようもない、その現実を信じるのではなく、私の神様には、どんなことでもできる。神様は、すべてを働かせて益としてくださる・・・主に信頼して、主がみことば通りにしてくださるまで、主を待ち望みましょう。

