【257】2024/9/8 主日礼拝 『新しいいのちに歩む』ローマ人への手紙 <6:3~11> 斉田 基 牧師
4節
私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、ちょうどキリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、新しいいのちに歩むためです。
私たちが、イエス様を信じて、バプテスマを受ける目的は、それぞれ違うかもしれません。しかし、私たちに、バプテスマを受けさせる神様の目的は、同じです。それは、私たちも、新しいいのちに歩むようになるため・・・
私たちも・・・とは、誰かと同じように、私たちも、と言う意味です。・・・・誰と同じように、私たちも、新しいいのちに歩むためなのでしょうか。
5節
私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。
神様が、私たちにバプテスマを受けさせる目的は、私たちがイエス様と一つになって、イエス様と同じように、新しいいのちに歩むようになるため、イエス様と一緒に復活のいのちに歩むようになるためです。
神様は、イエス様を信じる人に、永遠のいのちを与えてくださいますが、永遠のいのちとは、死んだ後で、天国に入るためのいのちではありません。
永遠のいのちとは、イエス様を信じた時から、この地上においても、天国、すなわち、神の国に入り、神の国の中で、生きるためのいのちです。
だからこそ、イエス様は、『神の国はあなたがたのただ中にある』と言われました。
しかし、私たちのただ中にある、神の国の中で生きるためには、私たちは、新しく生まれることによって、新しいいのちに歩む必要があるのです。
ヨハネの福音書 3章3節
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」
皆さん、神の国が見えておられるでしょうか。イエス様は、新しく生まれなければ、神の国を見ることができないと言われました。
イエス様が言われた通り、新しく生まれなければ、私たちは神の国を見ることはできず、イエス様と一緒に新しいいのちに歩むことができません。
・・・新しいいのちに歩むことができなければ、古い生き方しかできません。すなわち、イエス様を信じない人のように、自分を中心にして、自分のために生きる、古い生き方です。
Ⅱコリント人への手紙 5章15節
キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。
イエス様を信じて、新しく生まれた人は、もはや自分のため、ではなく、自分のために死んでよみがえられたイエス様のために生きます。・・・もう自分のために生きる必要がなくなるからです。
いのちを捨てるほど私を愛してくださったイエス様が、考えられないほど満たしてくださるので、もう自分で、自分を幸せにする必要がない。
・・・自分では、絶対にできないぐらい、もう考えられないほど、イエス様が私を幸せにしてくださる・・・苦しみの中でも、喜びに満たし、絶望の中でも、希望で満たしてくださるイエス様が、いつも一緒にいてくださり、私を守り、導いてくださる。
・・・絶対に見捨てない永遠の愛で、愛してくださるイエス様が、私のために生きてくださるので、もはや、私は、自分のために生きる必要がない・・・イエス様のために生きたい。イエス様が喜ばれることをしたい・・・新しく生まれた人は、イエス様のために生きるようになります。
・・・イエス様のために生きるとは、すなわち、すべての人のために生きることです。
なぜなら、イエス様こそ、すべての人のために生きた人です。すべての人を救うために、すべてをささげ尽くし、いのちまで、与えました。今も、イエス様の切なる願いは、すべての人が救われることです。
・・・ですから、イエス様のために生きる人は、イエス様と一緒に、すべての人の救いのために、すべての人の本当の祝福のために、イエス様と一緒に生きるようになります。
これが、新しいいのちに歩む人生、愛するイエス様と一緒に永遠に生きる喜びの人生です。
ですから、自分が、新しいいのちに歩んでいるかどうかは、自分が誰のために生きているかどうかで、分かります。
皆さん、あなたは、誰のために生きておられるでしょうか・・・あなたのために、いのちを捨てたほど、あなたを愛されるイエス様のために生き、イエス様と一緒にすべての人の救いと祝福のために生きる恵みで満たされることを、主イエスの御名によって、祝福します。
イエス様は、イエス様と一緒に新しいいのちに歩む私たちを、愛と喜びで満たしてくださいます。
ヨハネの福音書 15章11-12節
わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたが喜びで満ちあふれるようになるために、わたしはこれらのことをあなたがたに話しました。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
もし、私たちが、イエス様と一緒に新しいいのちに歩むなら、イエス様が、私たちを、愛される喜び、愛する喜び、そして、イエス様と一緒に人を愛する喜びで満たしてくださいます。
主イエスを信じて、新しく生まれた人は、多くの人を祝福し、救いに導くようになります。
ジェームス・カーティス・ヘボンという方をご存じでしょうか。
医者であり、優れた経営者でもあったヘボン先生は、自分の病院が大成功しているさ中に、主の召しを受け、親族の反対を押し切って、医療宣教師として、日本に来ました。
ペリーの黒船によって、日本が開国させられて間もない時代で、キリスト教の布教は禁じられていました。また、外国人を憎む武士たちによる外国人殺害事件が後を絶たない時代でした。
また、ヘボン先生は、日本で、初の和英辞典を編纂し、ヘボン式ローマ字を広めました。また、私財を投げ打って、明治学院を創設し、教育にも貢献しました。
彼は、妻と一緒に、夫婦で、心を一つにして、主のために、そして、主が愛している人々の救いのために、人生をささげました。
ヘボン先生は、身重だった妻と一緒に、船で、最初の宣教地に向かいましたが、その途中で、最初の子どもを亡くしました。その時、彼は、「主よ、すべてをささげて、主のために働く決意をしました。どうか、主よ、私を強くしてください。」 涙の祈りをささげました。また、妻もも、衰弱し、心も体も、辛かったはずなのに、つぶやくことも、嘆くこともなく、夫を励ましました。
しばらくして、宣教地で生まれた2番目の子どもも、病で失いました。
医者であったにもかかわらず、病から自分の子どもを救うことができなかったことに、ヘボン先生は、大きなショックを受けながらも、「子どもを失うことがどれほどつらいことか、父なる神様がイエス様を与えてくださった愛が、少し、分かりました。感謝します。」・・・感謝をささげました。
主のために、人々の救いのために人生をささげたのに、主は、なぜ、守ってくださらなかったのか・・・そのような言葉は一切、彼らの口から出て来ませんでした。
愛するわが子を失う悲しみの中でも、彼らは、神様を信じ、神様が、彼らを救うために、イエス様を与えてくださった神様の愛に感謝しました。
彼らには、6人の子どもが生まれましたが、5人を失いました。しかし、彼らは、主のため、人々の救いのために生きることを、決してやめませんでした。
彼らは、自分のためではなく、主のために生き、主とともに、すべての人の救いのために生きる、新しいいのちに歩み続けました。
そのように、新しいいのちに歩む彼らの生き方には、愛が満ちていました。
政府は、ヘボン先生の活動を見張るため、何人もスパイを送って来ました。
あるスパイは、ヘボン先生のところに来て、3週間経ったころ、話があると言って、彼の書斎に来ましたが、中には入らず、その場で、土下座をして言いました。
「ヘボン先生、私をおゆるしください。私は、ヘボン先生を見張り、殺すために来ました。
しかし、先生の往診におともしてみると、先生は、どんなに貧しい人にも分け隔てなく、優しく治療され 、一人一人を慈しんで、お金も取らずに親切にされます。
キリスト教は大嫌いですが、礼拝にも参加して、先生のお祈りを聞いていると、
先生は他の偉人たちと違って、本当に日本人のことを大切に思っていることを知りました。
先生が従っているキリストへの愛が、その全ての源であることも分かりました。
私が間違っていました。おゆるしください。」
ヘボン先生の生き方は、彼らを殺そうとしていた人たちさえも変えてしまうほど、愛に満ちた生き方でした。
イエス様と一緒に新しいいのちに歩むヘボン先生に、イエス様が愛を満たし続けてくださった。イエス様が、彼の人生を、多くの人の人生を変え、救いに導く、愛に満ちた人生にしてくださった。
同じように、主イエスを信じる私たちは、自分だけでなく、多くの人を生かし、救いに導く、新しいいのちに歩む人生に、招いてかれています。・・・しかし、新しいいのちに歩むためには、私たちは、まず、古い生き方に死ぬ必要があります。
5節
私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。
もし、私たちが、イエス様と一つになって、自分のために生きる古い生き方に死ぬなら、私たちは、イエス様と一緒に復活のいのち、愛に満ちたいのちに生きるようになります。
イエス様を信じるとは、もはや、自分のために生きる虚しい人生を終わりにして、イエス様が私を満たしてくださり、私はイエス様のため、そして、イエス様と一緒に、人を愛し、祝福する新しい人生を始めることです。
8節
私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることにもなる、と私たちは信じています。
皆さん、イエス様を信じて、新しいいのちに生きることを選びましょう。
もう、自分の幸せ、自分の満足のために生きる虚しい人生を終わりにしましょう。
自分の満足を、どんなに求めても、満足は一瞬です。すぐに虚しくなります。それでも、一時的な満足で、かまわない、今だけでも楽しめれば・・・そのように、生きるか、あるいは、現実逃避し、楽な方、楽な方に流れて行って、その終わりは、滅びるしかない虚しい人生は、キリストと共に十字架につけられました。
今や、私たちは、イエス様と一緒に、自分だけではなく、多くの人を生かし、満たす、新しいいのちに歩むことができます。
自分を幸せにすること、満足させることは、全部、イエス様にお任せしてください。
いのちを捨てるほどあなたを愛されたイエス様に、お任せするなら、イエス様は、考えられないほど、あなたを満たしてくださいます。
どんな苦しみの中でも、喜びで満たし、絶望の中でも、希望で満たしてくださるイエス様が、いつも、あなたのそばで、あなたを守り、導いてくださいます。
皆さん、イエス様と一緒に生きる新しいいのちに歩みたいと願いませんか。
新しいいのちに歩むために必要なことは、私はイエス様とともに死んだこと、今や、イエス様とともに生かされている恵みを信じ続けること、そして、認め続けることです。
10-11節
なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。
同じように、あなたがたもキリスト・イエスにあって、自分は罪に対して死んだ者であり、神に対して生きている者だと、認めなさい。
同じように、あなたがたも認めなさい。この認めなさいの直訳は、認め続けなさい。です。
同じようにとは、キリストと同じようにという意味です。
イエス・キリストが罪に対して死んで、もはや、罪の力はイエス様を支配することができないように、私も罪に対して死んで、もはや、罪の力が私を支配することができないことを信じて、認め続けなさい・・・と言う意味です。
信じて、認めるときに、私のうちに、聖霊様の力が働くからです。
たとえ、現実の私は誘惑に負け、罪を犯してしまうさがあったとしても、真理のみことばが、私はキリストと同じように罪に対して死んで、もはや罪の力が私を支配することができないと言うならば、
私は、現実よりも、真理のみことばを信じ、認めることを選ぶ・・・そのときに、私のうちに、聖霊様が働いてくださり、真理のみことばが、私の現実を変えていきます。
主のみことばは、あなたは罪に対して死になさいと命じているのではありません。罪に対して死んだ者であると、認めなさいと命じています。・・・多くのクリスチャンが、自分で、罪に対して死のうと努力します。自分の力で、罪を犯さないように、我慢しようとします。
しかし、主のみことばは、そのように罪に死になさいと命じているのではなく、もうすでに、あなたはイエス様にあって、罪に対して死んだ者であることを認め続けなさい。
あなたの努力や決心や意志の強さによって、罪に死んで、神に生きるのではなく、ただ、あなたのために死んで、よみがえられたイエス様のおかげで、もうすでに、あなたは罪に死んで、神に生きる者とされたことを信じ、認め続けなさい。・・・その時、聖霊様が、あなたのうちに働くと・・・
Ⅱコリント人への手紙 3章18節
私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
あなたの行いによって変わるのではなく、イエス様が十字架で、あなたのためにしてくださった行いを信じ、認めるときに、聖霊様があなたのうちに働き、あなたを変えてくださる。
イエス様が十字架で、あなたのためにしてくださった愛と義の行いを信じて、認め続けるとき、聖霊様が、あなたのうちに働き続ける。
へボン先生が、愛するわが子を失う悲しみの中で、イエス様を与えてくださった神様の愛に感謝することができたのは、へボン先生が、いつもイエス様が自分のためにしてくださった愛と義の行いを信じ、認め続けていたからです。
ヘボン先生は、自分のためではなく、自分のために死んでよみがえられた主のために生きていました。主のために生きる彼に、主が、愛を満たし続けてくださいました。
ヘボン先生を殺そうとしていた人たちさえも変えてしまう愛が、彼の生き方には満ちていました。そのような愛は、へボン先生の努力や決心や意志の力によって出て来る愛ではありません。
主のみことばに従って、主が十字架でしてくださった愛と義の行いを信じ、認め続けたヘボン先生のうちに、聖霊様が働いて、神様の愛を満たし続けてくださった。
今、私たちも、その愛で、主に満たしてもらいましょう。
今、この時間、ヘボン先生のように、主のみことばにどおり、主があなたのために、十字架でしてくださった愛と義の行いを信じ、認める時間を持ちましょう。
今、聖霊様が、あなたのうちに働いてくださいます。
あなたが、主とともに、新しいいのちに歩むことができるように、聖霊様が、今、あなたのうちに働いて、神様の愛を満たしてくださいます。
聖書に書かれている通りに、イエス様の十字架が自分のためであったことを信じ、認める、私たちを主が満たしてくださり、私たちは主のために生き、主とともに、すべての人の救いのために生きる新しいいのちに歩むことを、今、主の前で、決心して、祈りましょう。

