【255】2024/8/25 主日礼拝 『心を尽くして』ルカの福音書<16:19~31> 斉田 基 牧師

 

金持ちとラザロという乞食がいて、ラザロは、死後、パラダイスに行きましたが、金持ちは、よみで苦しむことになりました。
イエス様は、「金持ちが、神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しい」と言われました。・・・金持ちが、神の国に入ることは、非常に難しいという意味です。

16世紀に宗教改革をしたマルチン・ルターが、行き詰まって、悩んでいたある日、次のような夢を見ました。
そこでは、サタンが、世の中のクリスチャンたちを全滅させる作戦を練りながら、部下の悪霊たちから報告を受けていました。

最初の悪霊が報告しました。
「サタン様。私はクリスチャンたちに人生の砂漠を歩かせ、そこにライオンを送り込み、彼らを食いつくさせようとしました。すると、彼らは熱心に、主の御名を呼び求め、神が彼らを助けたので、私の計画は失敗に終わりました。」

次の悪霊が報告しました。
「私はクリスチャンたちが人生の嵐に会うように仕向けました。
彼らの人生の船は破船し、暗礁に乗り上げましたが、彼らは激しく祈り、大声で賛美し続けたので、神が彼らを助け、私の計画は失敗してしまいました。」

最後の悪霊は笑顔で報告しました。
「サタン様。 私は、クリスチャンたちに、約10年ほど、
何の問題も苦難もなく、平穏が長く続くようにし、
何でも食べたいものを食べさせ、着たい物を着せてあげました。
すると、10人のうち10人全員がみな、少しずつこの世的になり、酒を飲み、快楽に溺れ、
信仰がなくなり、だんだんと堕落していきました。」

皆さん、神様の助けがなければ、生きられない・・・そういう人は、心を尽くして、神様を求めて祈ります。・・・しかし、助けがなくても、大丈夫、それなりに生きることができるという人は、なかなか、神様を求めようとはしません。
エレミヤ書 29章13節
あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。

神様は、私たちが、ただ求めるのではなく、心を尽くして求めるなら、神様を見つけると言われました。誰でも、心を尽くして神様を求めるなら、神様は出会ってくださる。・・・しかし、多くの人にとって、心を尽くすことが、難しい。
・・・特に、神様の助けがなくても、それなりに生きることができる・・・という人が、心を尽くして神様を求めることは、非常に難しい。
そういう意味で、日本は悪魔の策略が大成功を収めている国の一つでしょう。
日本で、神様を信じるのと、中東や北朝鮮など、迫害のある国で、神様を信じるのでは、神様を信じることの意味が、同じではありません。

迫害のある国で、神様を信じることを選ぶことは、神様のためなら、仕事や財産を失っても、家族や友人を失っても、自分のいのちさえ失っても、神様を信じることを選ぶ、ということです。
神様のためなら、すべてを失っても惜しくない・・・それほど、私にとって、神様は価値あるお方だと信じる信仰がなければ、神様を信じ続けることができない。

聖書で、信じなさいと訳された言葉はみな、直訳すれば、信じ続けなさい。信仰を持ち続けなさいという意味です。
すなわち、神様を、一度、信じれば、救われるのではなく、毎日、神様を信じることを選び続ける、どんなことがあっても、信仰を捨てることなく、神様を信じる信仰を持ち続ける人は、救われるのです。

先週、ジョセフ先生が分かち合ってくださいました。中東の兄弟姉妹は、毎日、心を尽くして神様を求めて、祈らずにはいられない・・・何故ですか・・・祈らなければ、信仰を持ち続けることができないからです。
彼らは、毎日、少なくとも一時間以上祈ります。祈らなければ、生きることができないからです。いつ殺されるか分からなくて、怖くて、勇気をもらいたくて、心を尽くして、祈ります。

ジョセフ先生は、
自分から祈る習慣を身に着けなければ、その人は変わらない。自分から祈る習慣を身に着けなければ、その人の生き方は変わらない。
もし、あなたが、神様の力を受けたいなら、祈りなさい。一日一時間も祈ることができずに、どうして、神様の人になることができるでしょうか。・・・そう分かち合ってくださいました。

皆さん、心を尽くして神様を求めることは、毎日、自分から神様を求めて祈ることです。人に言われではなく、自分から神様を求めて祈ることです。
神様なしでは、何もできないから・・・私には、今日も、神様が必要だから、心を尽くして神様を求めて祈ります。

しかし、今日の箇所の金持ちのように、神様なしでも、それなりに生きることができる、という人が、心を尽くして神様を求めることは、非常に難しい・・・何のために、そんなに祈る必要があるのか、そこまで祈らなくても、私は神様も聖書も信じているし、今まで、それなりに生きることができた。私は救われていると思うのです。

皆さん、実際、この金持ちは、モーセも預言者も知っていました。神様も、神様のことばである聖書も知っていました。そして、彼も、彼の家族も、聖書のみことばを聞くことができる環境で生活していました。
もし、誰かが、彼らに「神様を信じていますか」と聞いたなら、きっと、彼らは、「はい。信じています。」と答えたことでしょう。・・・しかし、その信じるの意味が、違ったのです。
彼らは、神様が、彼らに信じて欲しいと、神様が願うように信じたのではなく、彼らが信じたいように信じていました・・・その信じ方では、神の国に入ることができなかった。
それゆえ、金持ちは、よみで苦しみながら、次のように、願い求めました。
27-31節
金持ちは言った。『父よ。それではお願いですから、ラザロを私の家族に送ってください。
私には兄弟が五人いますが、彼らまでこんな苦しい場所に来ることがないように、彼らに警告してください。』
しかし、アブラハムは言った。『彼らにはモーセと預言者がいる。その言うことを聞くがよい。』
金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ。もし、死んだ者たちの中から、だれかが彼らのところに行けば、彼らは悔い改めるでしょう。』
アブラハムは彼に言った。『モーセと預言者たちに耳を傾けないのなら、たとえ、だれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』

モーセと預言者とは、旧約聖書のことです。すなわち、彼らには、聖書があるから、神様のみことばがあるから、それを聞いて信じなさい。
すると、金持ちは、
「いや、私も聖書は知っていました。神のみことばなら、私も聞いていました・・・しかし、それじゃ足りなかったから、今、こんなに苦しんでいます。
死人をよみがえらせてください。神様の力、奇跡を体験させてください・・・そうすれば、きっと、彼らも悔い改めるでしょう。」
・・・しかし、そうではないと・・・もし、彼らが、神のみことばを聞き入れないのであれば、どんな奇跡を体験したところで、彼らは悔い改めない、すなわち、彼らの生き方は変わらない・・・
もし、彼らが、自分から神様のみことばに聞き従おうとしないのであれば、神の力を体験したところで、彼らの生き方は変わらない。

皆さん、イエス様が、「金持ちが、神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しい」と言われたのを聞いて、驚いた弟子たちが、「それでは、誰が救われることができるのか」と言ったとき、イエス様は、弟子たちを、じっと見つめて、言われました。
「それは人にはできないことです。しかし、神は違います。神にはどんなことでもできるのです。」

神と人は、違います。神の方法と、人の方法は違います。人の方法では、できないことでも、神様の方法でなら、できます。神様が私たちを救うために選ばれた神様の方法は、聖書です。神様のみことばです。
Ⅱテモテへの手紙3:15-17節
 聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。
聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。
神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。
聖書は、私たちに知恵を与え、イエス・キリストの信仰による救いを受けさせることができます。しかし、それは、私たちの思うような方法ではなく、神様の方法で、神様が、聖書を通して、私たちに信仰と救いを与えます。

聖書は、神の霊感によって書かれた。すなわち、神の霊である聖霊様によって書かれました。
聖霊様によって書かれた聖書を、聖霊様に教えてもらいながら、読み続けて行くときに、私たちは、知恵、信仰、救いを受けるだけではなく・・・さらには、教え、戒め、矯正、義の訓練を受け、神のすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられたイエス・キリストの弟子となるのです。

聖書を、聖霊様に教えてもらいながら読む・・・どうすれば、聖霊様に、聖書を教えてもらえるのでしょうか・・・祈りです。
主よ、あなたのみこころが分かりません。教えてください。
主よ、この問題を解決する、あなたの方法を教えてください。・・・へりくだって、祈りながら、聖書を読むことです。
「主が教えてくださらなければ、自分には分かりません。どうか、主よ、私に分かるように教えてください」と、へりくだって、祈りながら、聖書を読まなければ、多くの場合、私たちは、自分が信じたいように、信じてしまいます。

私は、山田光弘さんの癒しを信じていました。信じて、神様の癒しを祈り求めていました。
先週の水曜日、豊田さんから、山田さんの状態が悪く、親族が病院に呼ばれることになったと聞いて、会えるか、どうか、分かりませんでしたが、急遽、翌日、木曜日に、病院に行くことにしました。・・・通常、家族と、緊急連絡先の豊田さん、村上さんしか、面会が許されていません。
しかし、山田さんに会えなかったとしても、近くで祈ろうという、兄弟姉妹たちと一緒に行くことにしました。
姉妹が、教会のグループラインで、断食の祈りを呼びかけてくれました。
木曜日の3時半に教会から出発する予定でしたが、兄弟姉妹は2時前から教会に集まって祈っていました。
そのように祈る兄弟姉妹と一緒に、主に仕えることができる私は、どれほど恵まれた牧師でしょうか。
兄弟姉妹が祈っているので、私も祈りました。その時、祈りの中で、ルカ5章17節が示されました。それで聖書を開きました。
4人の友人が、病の友人のために、天井を打ち破って、イエス様の前に、吊り下ろし、彼らの信仰を見た、イエス様が、病の人に「友よ、あなたの罪は赦された」と言われました。

それで、
主よ、山田兄弟をイエス様の前に連れて行くために、私が突き破るべき壁とは何でしょうか。主よ、私がどうすることを、あなたは望まれますか?・・・祈り求めました。
その祈りの中で、バプテスマが示されました。
正直に言うと、その時、バプテスマについては、考えていませんでした。

豊田さんから、「今、山田さんは、痛みのゆえに、食べても戻してしまい、10日以上、食べることも飲むことができない状態が続いている。土曜日に面会に行ったときには、ずっと痛みと吐き気に苦しんで、会話にもならなかった」・・・と聞いていたので、ただ、行って、主イエスの御名によって、手を置いて、神様の癒しを祈ろうと思っていました。

しかし、祈りの中で、みことばを通して、示されたので、すぐに、バプテスマの準備をして、病院に迎いました。・・・すると、特例が認められ、兄弟姉妹を合わせて6人全員が、山田さんの病室に入ることが許されました。

みんなで、山田さんに手を置いて祈ることができました。
姉妹も、山田さんの前で、主への賛美の歌をささげることができました。
山田さんの状態も、思いの他、落ち着いていて、主イエスを信じますか・・・アーメン!と、はっきりと答えてくださいました。そして、父、子、聖霊の御名によって、バプテスマを受け、山田兄弟は、神様の子どもとして新しく生まれました。
その翌日に、山田兄弟は、天に召されました。神様のタイミングでした。

皆さん、もし、私が、信じたいように信じていただけなら、バプテスマはなかったでしょう。
癒されて欲しかった。一緒に礼拝したかった・・・それが私の願い、信じていることでした。・・・しかし、私が信じるようにではなく、主が計画されたことが、実現しました。

今、山田兄弟は、天のお父さんの愛の中で、神様の喜びに満たされています。・・・ですから、私たちも、山田さんと一緒に、神様の喜びを、共に喜ぶことを選びましょう。
ローマ人への手紙 8章28節
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

神様を愛する人たちのために、神様は、すべてのことを働かせて、最善を実現してくださる・・・神様を愛する人とは、誰でしょうか。

神様を愛する人は、いやいやながら、神様に仕える人ではありません。人から言われなければ、祈らない人でもありません。・・・仕方なく、聖書を読み、仕方なく礼拝する人でもありません。
・・・神様を愛する人とは、心を尽くして、神様を求める人です。自分から、毎日、祈る人です。
神様は、神様を愛する人、すなわち、心を尽くして神様を祈り求める人のために、その人の祈りと共に働いて、すべてのことを益としてくださる。

皆さん、金持ちのように、自分が信じたいように、信じるだけでは、救われません。神様が、あなたに信じて欲しいと願うように、信じる必要があります。
そのためには、どうしても、自分から、祈りとみことばの時間を持って、心を尽くして神様を求める必要があります。それが、神様を愛することです。
人に言われてではなく、自分から、心を尽くして神様を求めるを、毎日、選んでください。
皆さん、私は、自分に示された通りに伝えます。
・・・携挙は近いです。
皆さんも、どうか、自分で聖書を読んで、携挙について、聖霊様に教えてもらって、自分自身で確かめてください。

もう、私たちは、みな、目を覚まさなければなりません。
いつも霊的に目を覚まして、祈ってください。
今は、私たちがイエス様を迎えるための準備ができるように、主が、あわれみによって、引き伸ばしてくださっているロスタイムの時間です。

私たちが思う以上に、携挙は、驚くほど近いです。
主を待ち望んで、毎日、自分から、目を覚まして祈り続けてください。
・・・皆さん、そのように祈りとみことばによって、心を尽くして主を求める人生は、最高の人生です。主がそのように、主を愛する私たちのために、すべてのことを働かせて、益としてくださるのを、体験し続ける恵みの人生です。
その恵みが、皆さんに豊かに与えられることを主イエスの御名によって、祝福します。

最後に次のみことばに従って、共に祈りましょう。
ルカの福音書 21章34-36節
 あなたがたの心が、放蕩や深酒や生活の思い煩いで押しつぶされていて、その日が罠のように、突然あなたがたに臨むことにならないように、よく気をつけなさい。
 その日は、全地の表に住むすべての人に突然臨むのです。
 しかし、あなたがたは、必ず起こるこれらすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈っていなさい。