【247】2024/6/30 主日礼拝 『揺り動かされる神』 へブル人への手紙<12:25~28> 斉田 基 牧師
へブル人への手紙 12章26-27節
あのときは御声が地を揺り動かしましたが、今は、こう約束しておられます。「もう一度、わたしは、地だけではなく天も揺り動かす。」
この「もう一度」ということばは、揺り動かされないものが残るために、揺り動かされるもの、すなわち造られたものが取り除かれることを示しています。
神様は、もう一度、揺り動かす。天にあるものも、地にあるものも、すべてを揺り動かす・・・それは、決して揺り動かされないものが残るためだと言われました。
多くの人は、安心、安定を求めます。だからこそ、保険の仕事が成り立ちます。
何かが起こったとしても、保険があるから、大丈夫、何とかなる・・・そのように安心を求めて保険に入ります。
ある人は、お金さえあれば、大丈夫だと、お金を大切にします。ある人は、健康さえあればと、健康を大切にします。ある人は、家族や友人など素晴らしい人間関係さえあれば幸せだと、人間関係を大切にします。
しかし、そのように、「これさえあれば、大丈夫だ」と思っていたものが、揺り動かされてしまうのを、見たでしょう。
3.11、コロナ、災害、疫病、戦争、異常気象、世界的な食糧危機、経済難など、一個人どころか、国が何とかしようとしても、どうすることもできない苦難が、日本にも起こり得ることを、私たちは知っています。
たとえ、どんなに安定し、確かなものに見えたとしても、目に見える、すべてのものは、揺り動かされてしまう、一時的なものです。
「いや、そんなことはない。これさえあれば、私は大丈夫」 そう信じていたとしても、死は、そのすべてを奪い取っていきます。すべての人は、必ず、死にます。
自分のいのちよりも大切な人の生きるか、死ぬかさえ、私たちには、どうすることもできません。
だからこそ、人は死を恐れます。死後の永遠の保証がないので、死について考えると、安心できなくなります。
神様だけが与えることができる、永遠のいのちこそ、永遠の保証、決して揺り動かされることのない、神様の平安を、私たちに与えます。
ヨハネの福音書 11章25-26節
イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことがありません。あなたは、このことを信じますか。」
イエス様を信じる者は、死んでも、天国で生きる・・・何となくイメージできるでしょう。しかし、イエス様を信じる者はみな、決して死ぬことはない、とは、どういう意味でしょうか。
聖書で、死ぬという言葉の意味には、分け隔てられ、分離するという意味があります。
一般的な死、この肉体の死は、魂と体が分離することです。
ここでは、肉体の死ではなく、霊的な死、すなわち、神様との分離、神様と愛し合う関係から引き離されることは、決してない、霊的に、決してしぬことはない、という意味です。
だからこそ、イエス様は、こう言われました。
マタイの福音書 22章32節
『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。
アブラハムも、イサクも、ヤコブも、肉体は死にましたが、今や、天国で、神様と愛し合う関係の中に生きています。
同じように、イエス・キリストを信じる私たちは、肉体は死ぬことがあっても、霊的に死ぬことは決してない。肉体の死は、もはや、私たちを、キリスト・イエスにある神の愛から引き離すことは、決して、できない。
もし、あなたが主イエスを信じる信仰によって、今、神様と愛し合う関係を持っているなら、肉体の死は、天国への引っ越しです。引っ越した先の天国で、あなたは神様と愛し合う喜びをもって、永遠に神様と共に生きます。
しかし、逆に、私には神など必要ないと、主イエスを信じることを拒み、神様との関係を持つことなく、肉体の死を迎えるなら、その人は、永遠に神様から引き離された場所、もう二度と神様の愛を受けることはできない滅びの場所、すなわち、永遠の地獄に引っ越しすることになります。
神様と愛し合う関係を持つか、持たないかが、私たちの永遠の引っ越し先を決めるのです。イエス様のみことばを聞いて、神様を信じる信仰によって、神様と愛し合う関係を持つことが、永遠のいのちを持つことです。主イエスは、こう言われました。
ヨハネの福音書 5章24節
まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。
皆さん、もし、あなたが、主イエスを信じる信仰によって、神様と愛し合う関係を持っているなら、あなたは、決してさばきに合うことなく、死からいのちに移っています。しかし、神様と愛し合う関係を持っていないなら、未だに罪の中に死んでいるのです。
今まで、イエス様を信じていなかった・・・あるいは、信じているつもりだったけれど、正直に言うと、神様に愛されていることが分からない。私は本当に、神様と愛し合う関係を持っているだろうか。私は、永遠のいのちをしっかりと受け取りたい。・・・その人に、イエス様は言われます。
ヨハネの福音書 5章25節
まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。
たとえ、死人であっても、神の子の声、イエス・キリストのみことばを聞くなら、生きる。
神様に愛されていることが分からない・・・それどころか、今まで、神など必要ないと、神を無視していた・・・たとえ、霊的に死んでいたとしても、神のことばは、あなたを生き返らせます。
主のみことばは、一点一画も消え去ることなく、すべてが必ず実現します。主のみことばこそ、決して揺り動かされることのない真理です。みことばを聞くことを通して、始まる信仰によって、私たちは、決して揺り動かされることのない神様との愛と関係を持つのです。
どうしても必要なただ一つのことは、へりくだって主のみことばに聞き従うことです。
ローマ人への手紙 10章17節
ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。
1995年、阪神・淡路大震災のとき、ある年老いた牧師が、現地の教会の二階に住んでいました。突然、激しく揺れを感じ、本棚は倒れ、ベッドも部屋もめちゃくちゃでしたが、幸い怪我はありませんでした。
揺れが収まってしばらくしてから、息子さん、お孫さん、周りの方々が心配して、様子を見に来ましたが、牧師のおじいちゃんは、驚くほど元気だったそうです。
彼が住んでいた教会の建物は、周りの建物よりも頑丈で、少し傾いてはいましたが、しっかりと建っていたので、教会の一階が避難場所になり、家を失った近所の人たちや、様々な事情で大変な状況の人たちが、教会に集まってきました。
みんな暗い顔をしていました。しかし、牧師のおじいちゃんだけは、信じられないほど明るい顔をして、「大丈夫ですか。私は96歳で、この教会の牧師ですけど、皆さんのために、お祈りさせてください。」 そのように、1人1人に声をかけ、励ましながら、祈って回りました。
おじいちゃんが、あまりにも明るいので、家族は、「ちょっと、あれは明る過ぎる、きっと、今の状況が分かっていないに違いない・・・ついにボケてしまったのか」・・・そのように心配して、
「おじいちゃん、今、この世の中は、地震で、本当に大変なんだよ。ちょっと外を見に行きましょう。」・・・外に連れ出し、崩れている瓦礫を見せたり、新聞で悲惨な状況を読んでもらったりして、
「おじいちゃん、この教会の建物も、歪んで、斜めになっていて、危ないから避難しましょう」と言いましたが、おじいちゃんは、少しも動揺することなく、「私は、避難しないで、ここにいて、教会に来られた方々のために、祈るよ。」と答え、その明るさは、変わることがありませんでした。
その言葉通り、彼は、毎日、何時間も祈り続けました。
そのように、牧師のおじいちゃんが、その場所から逃げることなく、いつも希望と平安を持って祈る姿を見て、周りの人々は、驚いていたそうです。
後になって、分かったことですが、彼は、若い時に関東大震災を経験していました。
当時、二十歳ぐらいだった彼は、その時にも、神学生として、東京の教会の2階で住んでいたそうです。・・・本当に多く人が亡くなりました。右にも左にも死体が転がっている悲惨な現実を目の当たりにして呆然としていたとき、突然、彼に、声が聞こえたそうです。
「地震よりも、大いなるものがここにあり。それは、イエス・キリストである」・・・その声を、彼は、はっきりと聞いたそうです。
その声を聞いた時、「ああ、この死と悲しみに満ちた現実の中でも、イエス様は、私と一緒にいてくださる。この地震よりも偉大な神様、イエス様が、私と一緒にいて、守ってくださる」・・・確信に満ちた信仰が、彼にのうちに、与えられました。
それ以来、彼は、あらゆる苦難、困難を経験する度に、いつも神様に信頼し、揺るがされることのない神の平安に守られながら、「私は、いのちある限り、イエス様に感謝し、イエス様に仕えます。もし、死んだとしても、天国です。」 この信仰をもって、生きてきました。
だからこそ、阪神・淡路大震災の時にも、彼は、神の平安に守られながら、恐れ、不安になっている人たちに声をかけ、励まし、彼らのために祈り続けました。・・・震災後も、彼は、日本の救いのために、毎日、何時間も祈り続け、97歳で天に召される前日まで、祈っておられたそうです。
皆さん、死体がゴロゴロ転がっている悲惨な現実を目の当たりにして呆然としていた彼が、奮い立つことができたのは、主の御声を聞いたからです。
『死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。』 (ヨハネ5:25)
主の御声を聞く者は、死人でも生き返ります。聖書のみことばを、ただ聞くのではなく、信仰によって、神様が私に語りかけてくださる声として聞くなら、どんな恐れからも、死の恐怖からも、私たちは守られ、神の平安と希望を持つことができる。
主は今も、あなたに語りかけます。
「恐れるな。わたしがあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手であなたを守る」・・・信仰によって、主のみことばを聞くとき、私たちは、私たちを愛してくださる主によって、どんな状況でも、守られ、祝福され、勝利が与えられると、確信する恵みを受けることを、心から主に感謝します。
皆さん、今日、覚えて欲しいことは、ただ一つです。・・・それは、決して揺り動かされないものを、しっかりと持つことです。・・・あなたは持っていますか。
天地を造られた神様は言われます。「わたしは、もう一度、揺り動かす。天にあるものも、地にあるものも、すべてを揺り動かす。・・・それは、決して揺り動かされないものが残るためだ。」
主が、すべてを揺り動かされるのは、決して揺り動かされないものが何かを明らかにし、決して揺り動かされないものを、あなたに、しっかりとつかんで欲しいからです。
28節
このように揺り動かされない御国を受けるのですから、私たちは感謝しようではありませんか。感謝しつつ、敬虔と恐れをもって、神に喜ばれる礼拝をささげようではありませんか。
主イエスを信じる私たちは、決して揺り動かされない天国を受けます。
あなたは、天国を持っていますか。神様と愛し合う関係、永遠に神様に愛されて生きるいのちを持っていますか。
この永遠のいのちを与えるために、神様は、神のひとり子イエス・キリストを、あなたに与えてくださった。それは、あなたがイエス・キリストを信じて、永遠のいのちを持つためです。
聖書のみことば通り、イエス様を信じるすべての人に、神様は、永遠のいのちを、ただで与えてくださる。これが恵みです。聖書は、あなたに知恵を与えて、イエス・キリストに対する信仰による救いを、あなたに与えることができる・・・もし、聖書に書かれている通りに、十字架で、イエス様が、あなたのために、してくださったことを信じるなら、神様は、あなたのすべての罪を赦し、あなたを神様の子どもとして、永遠に愛されるいのちを与えてくださる。
救い主イエス様は、ご自分の羊である私たちのために、いのちを捨てる、良い羊飼いです。いつも、私たちに寄り添ってくださり、聖書のみことばによって、私たちを導いてくださり、私たちの祈りに、答えてくださる。
私たちは、祈りとみことばによって、イエス様の声を聞き、イエス様と会話することを通して、決して揺るがされることのない、主と愛し合う関係を持つことができる。
まだ携帯電話がなかった時代に、ある婦人が、電話帳を調べて、松戸市の教会に電話をかけました。牧師婦人がその電話を受けました。・・・・何でも、ご主人が、会社が終わると、いつも夜遅くまで、お酒を飲み、酔っ払って帰って来る・・・それだけならまだしも、いつからか、借金の返済の最速の電話が来るようになった。まだ、幼い子どもたちもいるのに、不安になって、「これはどういうことなの」と聞いても、主人は何も答えてくれない。もう耐えられない。離婚寸前です。・・・そのような相談の電話でした。
牧師婦人は、言いました。「大丈夫です。神様がともにおられるから、大丈夫です。」
牧師婦人は、自分の知恵で、その婦人を助けようとしませんでした・・・ただ、彼女を必ず助けてくださる、救い主イエス様の導きを、彼女と一緒に聞こうとしました。
それで、牧師婦人は、「聖書は、神様がおられることを教えていて、神様は私たちを本当に愛して、良くしてくださるお方ですから、一緒に聖書を読みましょう。」と言いました。
その結果、その婦人は、牧師夫婦と、聖書を読むことになり、一回目、二回目、三回目の時、彼女は、イエス様を信じ、受け入れる祈りをしました。
その日から、彼女の人生が変わりました。信じる前までは、自分の人生、自分で何とかしなければならなかった・・・夫の問題、借金の問題、子どもたちの将来のこと、すべて自分で悩んでいました。しかし、信じた時、イエス様が彼女の良い羊飼いになってくださった。
ああ、イエス様について行けば、イエス様と一緒にさえいれば、イエス様が何とかしてくださる。
彼女は、教会に通うようになり、そして、聖書を読んでいたとき、「イエス様がご主人を愛するように」と、自分に教えてくださっていると感じました。
「妻なんだから、夫を愛さなければダメ」という言い方ではなく、イエス様は彼女「わたしはあなたを愛している。あなたにも、主人を愛して欲しい。わたしの言う通りにするなら、あなたは、必ず、幸せになる。だから、主人を愛して欲しい。」
それで、彼女は、主の御声に聞き従おうと決心します。しかし、いつものように夜遅に、酔っ払って帰って来ては、何も話しも言ってくれない主人・・・こちらが愛そうとしても、良くしようとしても、何も変わらない主人を見ると、ついつい責めてしまう。
それで、彼女は、教会に来ては、「私は、イエス様が愛するようにと教えてくださったのにできませんでした。」と、泣いて祈りました。その教会には、彼女を責める人は一人もいませんでした。「もっと頑張りなさい」と言う人もいませんでした。ただ彼女の話を聞いて祈る方、まるで、自分のことのように彼女と一緒に泣いて、「神様、どうか、この姉妹が、ご主人を愛することができるように、助けてください」と祈る神様の家族がいました。
彼女は、励まされ、祈りながら、再び、主の御声に聞き従おう・・・そうこうしていたある日、彼女が、聖書を読んでいると、「妻は夫の助け手として造られた」 このみことばに出会ったとき、
イエス様が、「夫には、あなたが・・・子どもたちにも、あなたが必要なんだよ」と語りかけてくださった。そのイエス様の御声を聞いたとき、彼女の心が変えられた。
「ああ、神様が、私を、この夫の助け手として、造ってくださった。夫には、私が必要だから、神様は、この人との結婚に私を導いてくださった」
それまで、彼女は、私が頑張って、愛さなければ・・・しかし、主の御声を聞いたとき、愛する心が与えられました。・・・心が変わると、彼女の言葉も態度も変わりました。
いつものように、夜遅く、酔っぱらって帰って来たご主人に、「あなた、今日も、お疲れ様。大変だったでしょう。片を揉んであげましょうか」・・・頑張って、無理してではなく、彼女は心から愛するようになって行きました。
しばらくすると、奥さんは、何も言っていないのに、ご主人の方から、「教会に行きたい」と言いました。それで、ご主人は、奥さんと子どもたちを車に乗せて、教会に来ました。
その日のメッセージは、イエス様は良い羊飼い。良い羊飼いは、羊のために命を捨てる。
イエス様は、私たちの罪を責めるのではなく、私たちの罪をすべて背負って、十字架にかかって、さばきを受けて死んでくださった。3日目によみがえられた。今も生きておられる救い主。
だれでも、イエス・キリストを自分の救い主として信じ、受け入れるなら、救われる。
礼拝後、牧師は、初めて来られたご主人に、挨拶をし、「今日は、どうでしたか」聞くと、彼はこう答えました。・・・「私は、妻の信じている神様を信じます。」
その日、彼は、イエス様を信じ、受け入れる祈りをしました。その日から彼の人生は変わりました。
それまでは、彼は、彼なりに、仕事のことも、家族のことも、自分で何とかしようとしていました。しかし、上手く行きませんでした。
イエス様を信じたその日から、イエス様が彼の良い羊飼いになってくださった。
彼自身が、イエス様の声を聞き分けて、従うようになっていった。奥さんは何も言っていないのに、お酒も飲まずに、早く帰って来るようになり、台所では奥さんのお手伝いをして、一緒にお皿を洗う・・・それを見て、幼い子どもたちは、お母さんに、「お父さん、変わったよね」
皆さん、お父さんは、同じお父さんです。しかし、以前は、イエス様を信じていませんでした。しかし、彼が、イエス様を救い主として、お迎えし、イエス様の声に聞き従うようになったとき、彼は、奥さんのことを考えて、大切にするように、イエス様が、彼を導いてくださいました。
時が経って、幼い子どもたちが、自立して働くようになり、娘さんが働いたお金で、お父さん、お母さんに旅行のプレゼントをしてくれたそうです。
その旅行から帰って来て、「ああ、本当に楽しかった。本当に良かった」と、奥さんが話している姿を見て、私も嬉しくなりました。・・・と、牧師は証しされていました。
皆さん、私たちの神様は、離婚寸前の家庭を、立て直し、幸せに満ちた家庭に回復する力ある神様です。
この婦人も、ご主人も、自分で頑張ったから、良くなったわけではありません。ただ、イエス様を自分の救い主として信じ、受け入れて、イエス様の御声に聞き従ったとき、イエス様が、奥さんを変え、ご主人を変えてくださり、夫婦は愛し合うようになり、この家庭は祝福されました。
どうしても必要なことは、ただ一つです。へりくだって主の御声に聞き従うことです。
『ですから、信仰は聞くことから始まります。聞くことは、キリストについてのことばを通して実現するのです。』(ローマ10:17)
『死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は
生きます。』 (ヨハネ5:25)
イエス様は、あなたのすべての罪を背負い、あなたの代わりに、十字架にかかって、死んでくださいました。あなたを救うために、いのちを、すべてをささげ尽くしてくださったイエス様だけが、あなたを本当に救うことができる・・・このことを信じますか。
今日、イエス様を自分の救い主として、信じ受け入れるなら、今日から、イエス様が、あなたの人生を、みことばによって導いてくださいます。あなたの祈りに、イエス様が答えてくださいます。
祈りとみことばによって、イエス様と愛し合う関係をもって、イエス様と共に生きる喜びが、皆さんに豊かに与えられることを、主イエスの御名によって、祝福します。

