【245】2024/6/16 主日礼拝 『みことばの宣言の祈り』 エゼキエル書<37:1~10> 斉田 基 牧師

 

多くの人は失敗を恐れます。家庭において、仕事において、人間関係において、失敗しないために努力したり、逆に、失敗を恐れて、した方が良いことさえできなくなったりします。
しかし、歴史を見れば、失敗しなかったことよりも、失敗したからこそ得たものの方が多かった・・・成功よりも、失敗から学ぶことの方が多かったことが分かります。

しかし、失敗しないように気をつけるよりも、失敗してから、立ち直ることの方が遥かに大変なことも事実です。・・・どん底から這い上がるためには、大きな力が必要です。・・・・失敗して、自分を責め、惨めな思いをしたい・・・という人はいないでしょう。だから、多くの人が失敗を恐れます。

しかし、神様を信じるなら、失敗を恐れる必要がなくなります。なぜなら、失敗は、失敗で終わることがなくなるからです。神様にあって、取り返しのつかない失敗はありません。
私たちの神様は、マイナスを、必ず、プラスにしてくださいます。
神様を愛する私たち、神様の計画に従って選ばれた私たちのためには、神様は、私たちの失敗さえも用いて、すべてのことを働かせて、最善を実現してくださる。
もし、本当に神様を信じるなら、たとえ、私たちが、どんな失敗をしたとしても、そこから、神様は、私たちに多くのことを学ばせてくださり、多くのものを得させてくださるので、私たちは、失敗しても、神様に感謝をささげるようになります。

しかし、神様を離れて生きているなら、失敗は、ただの失敗で終わったり、取り返しがつかなくなったりすることもあります・・・神様から離れている人は、失敗するとき、感謝することができず、自分を責めたり、人や環境のせいにしたりします。
・・・しかし、本当に神様を信じるなら、良い時も、悪い時も、最悪の時も、すべてのことにおいて、神様に信頼し、感謝する力を、神様が与えてくださる。

時に、神様が、私たちを、絶望的で最悪の状況に置かれるのは、
その最悪の状況の中で、「主よ、もう、どうすることもできません。あなたが働いてくださらなければ、終わりです。」・・・そのように、私たちが主だけに、より頼むことを通して、その最悪な状況で、最善を実現する神様の偉大な恵みを、体験させるためです。

私たちは、少しでも自分で、できそうなところがあると、神様に頼ろうとせず、「主よ、このぐらいなら、まだ、私でもできます。」と・・・神様を脇に置いて、自分で、やってしまうことが多い。
そして失敗すると、「ああ、なんで、こうしてしまったのか。ああしていれば、もっと、頑張っていれば、上手く行ったかもしれないのに」・・・しかし、そうではありません。
神様を脇に置いたまま、私一人が、どんなにベストを尽くしたところで、その働きは虚しい。

ですから、絶望的な状況になる前に、「主よ、私一人で何をやったところで、虚しいです。あなたに頼ることを選びます。」と、神様に頼ることができれば、一番いいです。・・・しかし、何故か、なかなか、そうしません。
だから、時に、神様は、「もう、いい加減に分かってくれ」と、神様に頼らずにはいられない状況に、私たちを置かれることがあります。

ですから、もし、何か上手く行かない悩み、困難があるなら、私たちが、すべきことは、一刻も早く、神様に頼ること・・・その悩み、その困難に神様が働くことができるように、神様の方法で、神様に頼ることです。

自分の方法で、神様に頼ることをやめましょう。自分の方法でも、この世の方法でもなく、神様の方法に従うなら、問題は解決します。しかし、イエス様を信じていても、信じていない人と同じ、この世の方法で、問題を解決しようとするなら、失敗し、失望します。・・・神様に働いていただくためには、神様の方法に従う必要があります。
4節
 主は私に言われた。「これらの骨に預言せよ。『干からびた骨よ、主のことばを聞け。

神様は、「これらの骨に預言せよ」と命じました。干からびた骨のような、絶望的なあなたの現実に、主のことばを聞けと、主のみことばを宣言しなさい・・・これが、神様の方法です。
どう考えても、私の現実に、みことばが実現するなんて有り得ない・・・それでも、現実よりも、私の思いよりも、主のみことばを心に信じて、口で告白しなさい・・・これが、神様の方法です。

もし、毎日、忙し過ぎて、時間がないなら・・・しなければならないことを始める前に、
「私の神は、すべてをお造りになった全知全能の神、主には時間さえも造ることができる。
主は、私に必要な時間を与えてくださる。この限られた時間の中でも、主は、働いてくださり、結果を与えてくださる。」・・・そのように宣言してみてください。

皆さん、そのようにみことばを、自分の現実に宣言しておられるでしょうか。実際に、神様が働いてくださるまで、みことばを宣言し、祈り続けたことはあるでしょうか。
・・・今週、一緒にチャレンジしましょう。

明日、あの苦手な人、嫌な人と会わなければならないと言う時、
「主よ、どうか、その人を遠ざけてください。」あるいは、「その人と、上手く行くようにしてください。」 など、自分の願い、自分の言葉で祈るのも、悪くはありません。しかし、それ以上に、今週チャレンジして欲しいことは、主のみことばに従って祈ることです。すなわち、自分の言葉ではなく、主のみことばで祈ることです。自分の方法ではなく、主の方法で祈ることです。
「主よ、この人を愛することが、あなたによってできますように。主よ、あなたによって、私が、この人と話すことができますように。私には、できないことだらけです。しかし、主よ、あなたに、できないことはありません。あなたと一緒なら、私にも、できます。あなたと一緒に、このことをさせてください。」・・・そのように、主のみことばに従って、祈るのに、一分もかかりません。

しかし、この数十秒の時間を、主にささげて、主のみことばに従って祈る・・・この小さな従順から、神様の恵みの働きが、皆さんの人生に始まることを主イエスの御名によって、祝福します。
皆さん、私の言葉を宣言するのではなく、神のみことばを宣言することが、信仰告白です。
私の思いとしては絶対に有り得なくても、その自分の思いを捨てて、主のみことばに従うことを選んで、主のみことばを心に信じて、口で告白すること・・・それが、信仰告白です。

自分にできそうなことを宣言するのではなく、自分には絶対にできないことであっても、主がしなさいと命じているなら、たとえば、「あなたの敵を愛しなさい」と、主が命じているなら、主のみことばに従って、宣言し、祈ることを選ぶ・・・それが信仰です。

主よ、あの人だけは赦せません。まして、愛するなんて不可能です。しかし、主よ、あなたと一緒なら、私にもできます。どうか、主よ、あの人を愛することが、あなたによってできるようにしてください。・・・そのように、みことばに従って、祈りましょう。

もし、私の今の現実で、どのみことばを宣言して祈ればいいのか、分からないなら・・・
「神様、どのみことばで、祈ればいいですか。教えてください。」 と祈り求めましょう。
そう祈ることも難しかったら、その状況で、主を見上げるために賛美を、主にささげてください。
賛美の歌詞には、みことばがあります。賛美を通して、みことばを宣言することを選ぶのです。

大切なのは、諦めないことです。主が働いてくださるまで、諦めずに、主のみことばに従って宣言し、祈り続けることです。

ある学生は、同級生の友だちを教会に導こうとしました。彼が小学6年生の時から、一生懸命、教会に誘いました。しかし、どんなに励まして、どんなに誘っても、友だちは、 月に1回ぐらいしか来ませんでした。
来る度に、「来週も一緒に教会に行こう」と言うと、
「いや、明日、死ぬかもしれないから、僕には無理だ」
「いや、死ぬなんて、お前まだ若いんだから」
すると、友だちは外を見て、「ほら、今、車が通ったでしょ。その後、自転車も通ったでしょ。どちらかに僕が引かれてしまう可能性だってあるよ」・・・物凄くネガティブな思考の持ち主でした。
それでも、諦めず、彼は友だちを誘い続けたそうです・・・二人は成長し、高校受験のシーズンになると、友だちは、塾に行くようになり、ますます教会に来なくなりました。
電話で、誘うと、「教会に行って、高校に受かるぐらいなら、教会に授業料を納めるよ」と、断られました。
彼は、神様に、正直に、祈りました。「神様、もう、こいつを誘うのに疲れました。もう無理です。何を言ってもダメでした。」・・・しかし、その時、神様は、彼に、諦めるなと、示された・・・それで、彼は決心しました。・・・受験が終わるまで、1週間に1回、必ず、電話して、「神様が、お前を捕らえて、教会に戻す」と宣言し、祈り続けると決心しました。・・・30週、続けたそうです。
彼は、友だちに、宣言しました。「お前は、この受験が終わったら、神様のもとに来なきゃいけない。いや来るようになる。来るようになる。来るようになる」
すると、友だちは、「行かないようになる。行かないようになる。行かないようになる。」
まるで光と闇の対決でした。しかし、みことばは、闇は光に打ち勝たなかった。とあります。
みことばは、光です。そして、神様は、私たちを世の光として用いてくださいます。

・・・皆さん、もし、闇のような現実が、迫って来た時には、自分の言葉で戦ってはいけません。光のみことばを宣言して戦ってください。
「私は私を強くしてくださる主と一緒なら、どんなことでもできる。どんな問題も、困難も、キリスト・イエスにある神の愛から私を引き離すことはできない。どんな状況においても、私を愛してくださるイエス様が、私を守り、祝福し、勝利を与えてくださる。」・・・みことばに従って、宣言し、祈り続けてください。

さて、いよいよ受験が近づいたとき、友だちは、模試の結果から、自分の願う進路が完全に閉ざされたように感じました。
友だちは、こう言いました。「もう、どんなに勉強しても、僕は、あそこには、入れない。」
それを聞いて、彼は、「いや、お前は、入れる、入れる、入れる。・・・残りの2週間、俺と一緒に神様に祈ろう。信じられなくてもいいから、とにかく、神様と一緒ならできると、俺と一緒に宣言しよう」・・・そう言い続けました。
そのうち、友だちの態度は少しずつ変わっていき、祈るようになりました。
「僕は、この高校に入れないかもしれません。今までやってきたことが全て無駄になって、僕の 人生すべてが、無駄に感じます。それでも、神様、可能性があるなら、入れてください。」
それで彼も、友だちのために祈り続けました。
「主よ、あなたは可能性を超えて、こいつを入れてください。そして、高校よりも、こいつが神様を知ることができるようにしてください。」
その結果どうなったでしょうか・・・友だちは、その高校に受かり、受かった後で、こう言ったそうです。「こんなんだったら、塾に行くより、教会に行った方が良かった」
・・・彼は、「だから言っただろ」と、答えたそうです。
その後、友だちは、教会に通うようになり、そして、教会で中心的に働く奉仕者になりました。

皆さん、みことばを宣言し続けるなら、必ず、実現します。みことばは、一点、一画も消え去ることなく、必ず、実現します。
みことばを宣言して祈る、それは、数十秒の時間を神様にささげる、従順のいけにえです。
しかし、実際にやろうと思うと、なかなか難しい・・・忙しくて、みことばを宣言し、祈るのを、忘れてしまう・・・しかし、どんなに忙しくても、トイレに行くこと忘れる人は、ほとんどいません・・・
皆さん、もし、本当に、神様を信じるなら、神様を一番にすべきです。トイレを忘れない以上に、みことばに従うことを、一番、忘れないようにすべきです・・・しかし、そうできないなら、そうすることができるようになるまで、みことばを宣言することから、始めましょう。

主よ、あなたを第一にできませんでした。赦してください。あなたを第一にすることを選びます。私にはできませんけど、主よ、あなたにはどんなことでもできます。あなたと一緒なら、私にもできます。どうか、主よ、弱い私を助けてください。
主が助けてくださって、主と一緒に、できるようになるまで、みことばを宣言し続けてください。
マタイの福音書 17章20節
 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに言います。もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります。あなたがたにできないことは何もありません。」

もし、どう祈ればいいのか、分からないときは、主イエスの御名によって、問題の山に向かって、「動け」と命じてください。
主よ、このことを、こうこう、こういう方法で、このように解決してください。・・・そのように具体的に祈ることも、良いことです。・・・しかし、問題の山を動かすのは、具体的な言葉ではなく、信仰です。・・・からし種ほどの小さな信仰でも、その小さな信仰を働かせて、祈るなら、神様は、その祈りと共に働いてくださいます。
大切なのは、言葉数の多さではありません。たとえ、一言であっても、信仰を持って祈ること・・・全能の神様は、必ず、できると、みことば通りに、信じることに、心を尽くして、問題の山に、「動け」と、主イエスの御名によって、宣言し、祈り続けてください。

四国で、ある教会が、新しい、会堂を建てることになりました。
牧師は、近所に、大きな土地を探しました。約600坪近く、縦だけで100mぐらいの土地が必要でした。・・・いくつかの候補が上がり、ついに1つに絞られました。・・・その土地が、思いの他、安かったからです。その理由は、その土地が、農業用の土地だったからでした。

不動産屋さんの話では、法律では、教会などの、みんなが集まる集会所の建物なら建てることができる。しかし、いろいろな規制があるので、通常の1/3の値段にしている。教会として、いろいろな働きをしたいなら、法律が変わって、どんなことにも利用できる普通の土地に変わる必要があります。とのことでした。

それで、牧師は、祈って、祈って、神様に示されたので、買うことにしました。
買う時になって、不動産屋さんは、こう言いました。
「ああ、今回、買ってくれたからいいですけど、この土地ね。私は、国や自治体に、「何にでも利用できる土地にしてくれないと、売れないので、変えてください。」と、何十年も訴え続けてきました。でも、何も変わりませんでした。きっと、今後も、変わることはないと思いますよ。」

それを聞いて、牧師は、もっと祈ろうと、心に決めました。
すると、購入手続きがすべて終わった後で、実は、その土地は、教会の建物を建てることができても、住むことができない。牧師ですら、住めないかもしれない。ということを言われました。

そのとき、牧師は、「そんなの話が違う。それでは、困る」と人に訴えることをしませんでした。
なぜですか・・・祈って、祈って、神様に示された地だからです。だから、彼は、神様を信じることを選んで、宣言し、祈り続けました。
神様には、どんなことでもできる。神様には、できる。神様には、法律すら変えることができる。

その日から、10日間、ずっと、宣言しながら、祈り続けました。
彼は、こう証ししています。
宣言し、祈り始めてから10日目、今でも忘れません。ご飯夕食を食べながら、ニュースを見ていると、そのニュースは、その地域の全ての法律がひっくり返って、住宅でも、どんなことでもできる土地に変わる・・・もし、このニュースが、購入前だったなら、土地の値段は、3倍に跳ね上がっていたことでしょう。

皆さん、私たちも、主のみことばを、心に信じて、宣言し、祈り続けましょう。
主のみことばは、必ず、実現すると、信じて、宣言して、祈るのです。
このみことばの宣言の祈りは、何か大きな犠牲を払わなければできないことではありません。お金もかかりません。労力もそこまで必要ではありません。時間にしても、一分もかからないでしょう。・・・しかし、たった一つ必要なのは、信仰です。

信仰とは、選択です。感情ではありません。ああ、このみことばなら、私でも従えそうだから、ああ、このみことばなら、私の現実にも、実現しそうだと思えるから、信じる・・・そのように、私の思いで信じるのは、信仰ではありません。
私の思いとしては、とても信じられないけど、私の神がそう言われるなら、私は信じることを選びます。私の思いを下ろして、神のことばを信じることを選びます。自分を捨て、主に従うことを選びます。・・・それが、信仰です。
9-10節
 そのとき、主は言われた。「息に預言せよ。人の子よ、預言してその息に言え。『神である主はこう言われる。息よ、四方から吹いて来い。この殺された者たちに吹きつけて、彼らを生き返らせよ。』」
 私が命じられたとおりに預言すると、息が彼らの中に入った。そして彼らは生き返り、自分の足で立った。非常に大きな集団であった。

神様は、息に向かって、「殺された者たちに吹きつけて、生き返らせよ」と、宣言しなさいと、エゼキエルに命じました。・・・普通の感覚では、馬鹿馬鹿しくて、そんなこと宣言しないでしょう。

しかし、エゼキエルは、自分の感覚に従うのではなく、信仰によって、主に従うことを選びました。主に従って、みことばを宣言したとき、その通りになりました。
今週、私たちも、自分の感覚に従うのではなく、信仰によって、主に従って、みことばを宣言しましょう。

現実的には、無理だ。あの人にはできても、私には無理だ。そのように、現実を見るのでも、自分や人を見るのでもなく、主と主のみことばを見て、信じることを選んでください。
不可能な現実を思い巡らす代わりに、主と主のみことばを思い巡らすことを選んでください。
イザヤ書 55章11節
そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。
主のみことばは必ず、実現します。必ず、実現する主のみことばを口から離さず、昼も夜も口ずさむ人は、幸いな人です。その人のためには、主が、その人の人生に、みことばを実現してくださるからです。

神様は、あなたが、神様を信じて、みことばを宣言するのを待っておられます。
たった数十秒にも満たない宣言の積み重ね、小さな信仰の従順の積み重ねが、不可能の壁を打ち破ります。問題の山を動かします。

もし、あなたが諦めてしまったとしても、神様は決して、あなたを諦めません。
つまずいてしまったとしても、神様は、あなたを引き上げ、再び、あなたと一緒に進もうとして、待っておられます。
主は言われます。
申命記 30章14節
まことに、みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。

まことに、みことななる神、イエス様は、いつもあなたのすぐ近くにおられます。
みことばには力があります。あなたの言葉では、解決できなくても、イエス様のみことばには、解決できます。
あなたの言葉が、相手に伝わらなかったとしても、イエス様のみことばには、相手を変える力があります。
信仰によって、イエス様と一緒に、みことばを宣言することを選ぶなら、神の力が、あなたを変え、相手を変え、現実を変えます。
今週、共に主を信じて、みことばを宣言し、祈る、従順のいけにえを、主にささげましょう。
そうすることができるように、聖霊様の助けを祈り求めましょう。

 

主よ、みことばを宣言し、祈ることが、無駄に思えて、祈らなかったことを赦してください。どうか、主よ、私たちを、信仰によって、あなたのみことばを宣言し、祈る者に変えてください。
あなたが諦めていないのに、自分で諦めてしまう不信仰から、今日、解放してください。
どうか、宣言すべき、みことばを、私たち一人一人に与えてください。
死人さえも生き返らせる、いのちのみことば、絶望の闇に打ち勝つ光のみことば、それぞれの現実に、神様の癒し、勝利、救いを与える、みことばを、一人一人に与えてください。
難しい現実よりも、主のみことばを信じることができるように、否定的な思いや人の言葉よりも、主のみことばを信じて、あなたと共に宣言し、祈ることができるように、聖霊様、どうか、私たち、一人一人に力を与えてください。
主よ、私たちにはできなくても、私たちを強くしてくださるあなたが私たちと一緒ですから、私たちは、必ず、できることを信じ感謝します。どうか、みことば通り、私たちを癒し、救い、勝利を与えてください。主イエスの御名によって、祝福してお祈りします。アーメン。