【241】2024/5/19 主日礼拝 『主に立ち返るなら』 使徒の働き<2:32~39> 斉田 基 牧師
今日は、ペンテコステを記念して、神様に、礼拝をささげています。
ペンテコステとは、イエス様が、イエス様を信じ、従う者に与えると約束された、聖霊なる神様が、私たち、主イエスの信仰に生きる者たちに、与えられた記念日です。
聖霊なる神様のおかげで、私たちは、イエス様を信じることができました。
聖霊様のおかげで、イエス様が十字架で死なれたのは、私のすべての罪を赦すためであったこと、イエス様は、いのちを与えるほど私を愛してくださったことを知りました。
聖霊様のおかげで、よみがえられたイエス様が、今も、私と一緒にいて、助けてくださることが分かるから、イエス様を主と告白し、喜んで、イエス様のみことばに従うことができます。
何よりも、聖霊様こそが、あなたが救われて、永遠のいのちを持つ、神様の子どもとされたことを証明してくださるお方です。
今日、イエス様を信じる信仰によって、聖霊様が、皆さんに、救いの確信を与え、救いの喜びで満たしてくださることを、主イエスの御名によって、祝福します。
33節
ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです。
今、あなたがたが目にし、耳にしている聖霊・・・とあるように、この時、イエス様を信じていない人たちが、聖霊様のことを、目にし、耳にすることができました。
つまり、イエス様を信じていない人でも、聖霊様を見聞きすることができたなら、イエス様を信じている私たちは、なおのこと、聖霊様を見聞きすることができます。
それでは、聖霊様を、どのように見分ければよいのでしょうか。・・・イエス様は、「あなたがたは彼らを実によって見分ける。」と言われました。・・・すなわち、彼らの生き方や、彼らの人間関係に、どんな実が結ばれているかによって、見分ける、ということです。
ガラテヤ人への手紙 5章22-23節
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
皆さん、皆さんの生き方、人間関係には、どんな実が結ばれていますか。・・・愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制・・・これらの聖霊様の実が結ばれているなら、あなたは、間違いなく、聖霊様に導かれている神様の子どもです。
しかし、聖霊様の実が結ばれていないなら、それは、聖霊様の導きに従わないで、自分の思いに従っている、すなわち、肉に従っているということです。
ローマ人への手紙 8章13-14節
もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬことになります。しかし、もし御霊によってからだの行いを殺すなら、あなたがたは生きます。
神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。
もし、私たちに、愛、喜び、平安など・・・聖霊様の実が結ばれていないなら、それは、聖霊様の導きに従わず、肉に従っている・・・そして、そのように、肉の思い、自分の思いに従う、生き方を続けるなら、死ぬことになると、神様は、警告してくださいました。
主イエスを信じているにも関わらず、聖霊様の導きに従わないで、自分の思いに従って生きることを選ぶことは、できるでしょうか。できないでしょうか。・・・残念ながら、できてしまいます。
主イエスを信じて、バプテスマを受けたにもかかわらず、愛、喜び、平安など、聖霊様の実が結ばれていかない人、主イエスを信じた後も、その生き方が、聖霊様の力によって、少しずつでも、ゆっくりでも、全く、変えられて行かない人・・・それは、聖霊様の導きに従わないで、自分の思いに従い続けているということです。
・・・そして、そのように、聖霊様の導きに従わない生き方を続けるなら、あなたは死ぬことになると、神様は、愛をもって、警告してくださった。
・・・神様の警告は、絶対に、軽んじてはいけません。・・・神様の警告を軽んじた、祭司エリと、二人の息子ホフニとピネハスは、悲惨な結末を迎えました。彼らと同じように、神様の警告を軽んじては、絶対にいけません。
ある男性の証です。彼は、バプテスマを受けてから、現在で8年になりますが、ずっと、信仰生活から離れていました。
ギャンブル中毒、アルコール中毒、様々な中毒になって、彼の家庭は崩壊していました。
そのように、自分の思いに従って、やりたい放題していたのに、彼の心は全然、満たされない、むしろ、どんどん虚しくなっていく。
そんなある日、「そうだ、昔、妻と一緒に見た、あの綺麗な川を見に行こう」と、何故か、突然、思い立って、東京から、静岡県の三島という町まで、歩いて行くことにしました。
それが、今年の2月、真冬に、箱根の山を超えて歩いて行きました。
ついに、思い出の川まで、来てみると、その日は、雨で、その川は、全然、綺麗には見えませんでした。
失望した彼は、お金もなかったので、再び、箱根の山を越えて、東京に帰ろうとしましたが、何と、その夜、箱根の山は大雪でした。
それで、彼は、前に進むこともできず、コンビニの前で、どうしようかと、考えていると、3人の大学生が乗った車が来ました・・・彼は、大学生に、もし東京に行くなら、乗せて行って欲しいと、お願いすると、大学生は、乗せてくれました。
しかし、あまりの大雪のため、車でも進むことができなくなり、ホテルに泊まることになり、なんと、学生は、彼の分まで、宿泊代を出して、部屋を一つ取ってくれました。
それで、彼は眠りにつきましたが、1つの夢を見ました。
その夢の中で、3人の学生のうちの1人が、なぜか、彼の実家に来て、ドアを開けようとしている姿を見ました・・・彼は、 「ああ、ここに来られたんですね」と言うと、その学生が振り返り、彼の姿を見て・・・「あなたの横に何かいますよ」と言いました。
それで、パッと、自分を見ると、黒い影が、前からも、後ろからも、彼を掴んでいるのが見えました。次の瞬間、自分を取り囲み、掴んでいた黒い影が、体中を激しく摩り出した、その瞬間、目を覚ましました・・・彼は、本当に怖くなって、「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。神様、赦してください。私を、この状態から救ってください。」 祈り始めました。
今まで、ギャンブルも止められず、酒も止められず、ずっと家族に迷惑をかけ続けて来た、一つ一つのことを、彼は、涙を流しながら、神様の前に悔い改めました。また、家族にも、謝罪のメールを送り、両親、兄弟など、迷惑をかけた人たちにも、謝罪のメールを送りました。
次の日の朝、学生たちは、11時まで泊まってチェックアウトする予定でしたが、彼は8時に、その学生たちの部屋を、ノックして、「すみません。もうこれ以上、迷惑をおかけしたくないので、私は歩いて帰ります。東京に帰ったら、必ず、このホテルの代金を、振り込みます。本当に、お世話になりました。」 と言って、そのホテルから出発しました。
すると、昨日までは、あまりにも憂鬱で、全く綺麗に見えなかった景色が、その朝、外に出た瞬間から、美しく輝いていました。
その日、彼は、箱根の山を5時間かけて、小田原まで歩きましたが、その間中、「主よ、感謝します。主よ、感謝します。ハレルヤ!イエス様、ありがとうございます。」 内側から溢れてくる感謝が尽きませんでした。
そのように変えられた彼は、再び、教会に通うようになりました。・・・しかし、最初のうちは、彼の家族は、「どうせ、これは、一時的なもので、また、すぐ悪くなる」と思っていました。
しかし、それから数か月経って、現在に至るまで、彼の心は日々、新しく恵みを受け、家族に対しても、周りの人々に対しても感謝し、誠実に接し続けています・・・その生き方を見て、家族は、「神様は、本当に、お父さんを変えてくださったんだ」と・・・家族の目に見えるほど、彼には、聖霊様の実が結ばれています。
彼自身、2月から、ずっと、毎日、自分のうちに聖霊様が働いてくださるのを感じながら、異言で祈り、祈りとみことばの生活を続けていると、先週、証ししておられました。
彼は、神様から警告を受けたとき、それを軽んじませんでした。彼は、へりくだって、神様の警告を、真剣に受け止め、悔い改めました。・・・まさに、今日の箇所で、使徒ペテロを通して語られた、主のみことばを聞いた人々と同じです。
36-38節
ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
皆さん、私たちが、聖霊様を受けるために、必要なのは、悔い改めて、イエス・キリストを信じることです。
何を悔い改める必要があるでしょうか・・・イエス様を無視して、イエス様と関係なく、自分の思いに従って生きて来た生き方です。
悔い改めるとは、心の向きを変えることです。自分の思いに従って生きることをやめ、イエス様と一緒に生きることを決心して、心の方向をイエス様に向けることです。
Ⅱコリント人への手紙 3章15-16節
確かに今日まで、モーセの書が朗読されるときはいつでも、彼らの心には覆いが掛かっています。
しかし、人が主に立ち返るなら、いつでもその覆いは除かれます。
モーセの書、すなわち、聖書のみことばを聞いても、彼らの心には覆いがかかっている・・・主イエスを信じて、信仰生活を続けるすべての人が、必ず、聖霊様の実を結ぶわけでも、生き方が変えられるわけでもありません。
心に覆いが掛かったまま、どんなにみことばを聞いても、何も変わりません。
その覆いは、主に立ち返るなら、取り除かれる。すなわち、心を主に向けて、イエス様と一緒に生きることを決心するなら、心に掛けられた覆いは、取り除かれます。
沖縄に、山城テモテさんという方がおられます。
彼は、14歳から28歳まで、薬物中毒でした。警察にも5回、捕まったことがあります。
しかし、彼のお母さんは、忠実に祈る人でした。
家出していた彼が、家に帰って来るのは、いつも、お金がなくなった時・・・
ある日、家に帰ってみると、いつもは鍵がかかっているのに、なぜか、その日は、開いていました。彼は、ラッキーと思って、家に入り、財布を探しました。・・・その時、奥の部屋から、大きな叫び声が聞こえました。
「おお、主よー、私を赦してください。この子を、こんなにダメにした、私を赦してください。」
お母さんが、涙を流しながら、彼のために、大声で祈っていました。
皆さん、薬物は、恐ろしいです・・・そんな母親の姿を見ても、彼は、今がチャンスだ・・・財布を見つけて、お金を全部抜き取って、薬を買いに行きました。・・・そして、お金が尽きると、また、家に戻ってくる・・・そんな生活を続けていました。
5回目に警察に捕まった時、彼は26歳になっていましたが、それまで、十年以上、何も言わなかったお母さんが、「これが最後のチャンスです。教会に行きなさい。」と、初めて言いました。
彼は、とにかく、刑務所から早く出たい一心で、「分かった」と言いました。
刑務所から出て、教会に通い始めた彼が、気づいたことがありました。それは、彼にとって、教会は、貯金箱だということでした・・・当時、その教会の姉妹たちは、財布の入ったバッグを、みんな同じところに置いていた・・・そこから、彼は、何度も、何度も抜き取った・・・教会は、彼が、盗んでいることを知った後も、2年ぐらい、彼のことを、忍耐しました。しかし、彼のために、教会の多くの兄弟姉妹が傷つき、教会は分裂の危機に陥りました。
ついに、主任牧師が、彼を呼んで、話をしました。・・・その時、彼は、思いました。「ああ、これで、教会からも追い出される。教会って言っても、神の愛、兄弟姉妹の愛って言っても、どうせ、こんなもんだ」
しかし、牧師は、彼を追い出すのではなく、更生させるために、いろんな施設や病院などを勧め続けました。
何故か、彼も、彼で、牧師の勧めには従って、一応、勧められたところには行って見ました・・・しかし、すぐに、ダメだったと言って、教会に戻って来るのです。・・・実は、彼の考えていたことは、「どうだ、お前たちのやっていることは、無駄なんだよ。こんな人間が変われるわけないだろ・・・それを証明してやる。」・・・そのように、彼は、教会を試していたのです。
最後に、牧師は、ハワイのティーンチャレンジという施設を勧めました。
ハワイと聞いて彼は、「やった。薬がたくさんある」・・・とにかく、行ってみると、その施設は、薬中、アル中、博打中毒など、様々な中毒に苦しんでいる人たちのためのクリスチャンの施設でした。・・・そこでは、医療的な治療は、一切しません。カウンセリングもしません。
そこにあるのは、聖書のみことばだけでした。・・・みことばを覚え、主を賛美し、主に祈る・・・それだけでした。・・・・他に何もすることがないので、彼には、退屈で仕方がない。逃げたいと思っても、ハワイのことは何も分からないので、逃げ出すこともできない・・・そんな生活の中で、彼にとっての唯一の楽しみが、金曜日のムービーナイトでした。
しかし、ムービーナイトを楽しむためには、1つだけ条件がありました。それは、課題として出された、暗唱聖句のみことばを覚えること・・・
それで、彼は、映画を見たい一心で、一生懸命、みことばを覚えました。
ある時、次のみことばが、課題として出されました。
Ⅱコリント人への手紙 5章17節
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
このみことばを見た瞬間、彼は、腹の底から怒りが沸き上がって来ました。
「誰でも!?本当か。俺でもか。お前、俺が何したか知らんだろ。俺が、どういう生き方してきたか、知らんだろ。こんな俺でも、キリストに会ったら、変えられるって、いうのか!」
・・・もう腹が立って、腹が立って、仕方がなかったのですが、それでも、映画は見たかったので、わめき散らしながら、みことばを口ずさんで、歩いていました。
神様に対して、イライラしながら、「誰でもって、どういうことだ。証明してみろ、証明しろよ」・・・怒りに満ちて歩いていると、
突然、天の色が変わって、天から何かが降りてきて、彼を包み込んで、今まで感じたことがない温かい気持ちになりました。
その時、どういうわけか・・・Are you ready?・・・ 英語で、 「準備はできた?」と聞かれました。
彼は、とても腹が立っていたので、「準備なら、できてるよ。さっさと出て来いよ。こんな暖かいの、いらんわ。お前が、神か、お前が、イエス様か、はよ出せや」・・・そう言った瞬間、彼は、意識を失いました。
3日後、意識を取り戻した後、分かったことですが、彼は、激しい発作を起して、止まらなかった。救急車で運ばれ、病院でも、三日間、手足を全部拘束されていた・・・いわゆる悪霊現象が、彼に激しく現れ続けていたそうです。
ティーンチャレンジの兄弟姉妹たちは、彼が、意識を取り戻すまで、三日間、24時間、交代で、彼のために、祈り続け、また、ティーンチャレンジを支えている教会の牧師たちが、彼の病室に、交代で訪れては、彼のために祈ってくれたそうです。
3日目に、目を覚まして、正気になった彼は、窓の外を見て、驚きました。
生まれてから28年間、一度として、綺麗だと思ったことがない、お花が、考えられないほど美しく見えたそうです。・・・それまで、ずーっと背負わされていた、心の重荷が、全部、消えてなくなっていました。・・・自分でも説明できないぐらい、心が透き通っているように感じた。
その日から、すべてが変りました。御言葉が喜びになりました。イエス様という方を、もっと知りたい・・・・イエス様に話しかけながら、祈るようになりました。それまで、できなかった賛美ができるようになり、むしろ、主を賛美することが喜びになりました。
その後、神様は、彼の人生を、どんどん回復してくださり、そのうち、彼に献身の思いが与えられ、牧師になり、2007年から、沖縄で、初のティーンチャレンジの働きを始めました。
現在、彼は、最初のセンターを、次世代の牧師に任せ、今年の7月から、新しく、二つ目のセンターを開こうとして準備しています。
最初のセンターに入るためには、お金が必要でした・・・しかし、7月に新しく開く、二つ目のセンターは、無償でやりたいと願って、今、準備しているところです・・・と、彼は、証しされていました。
皆さん、彼の人生を変えたのは、聖霊なる神様です。
かつて、彼が、2年間、教会に通っていたとき、彼は、何も変わることができました。
その2年の間、彼は、教会のすべての礼拝、すべての祈祷会に出席し、聖書のみことばも、ずーっと聞いてはいたので、神様について、イエス様について、聖霊様について、知識としては、知っていました。
しかし、そのように、神様について、知識的に知るだけでは、彼の生き方は、全く、変わらなかった。
しかし、ティーンチャレンジの生活で、彼は、みことばを口ずさむ生活をせざるをえませんでした。その他にすることがなかった。
主を愛しているからではなく、ただ、映画を見て、楽しみたいから、彼は、みことばを口ずさんでいました。
心が伴わないどころか、彼は、主と主のみことばに対して、腹を立てながら、みことばを口ずさみました・・・皆さん、なぜ、神様は、彼のように、口先だけで、外側の行いだけで、みことばに従った彼に、救いの恵みを与えてくださったのでしょうか。
もちろん、神様が、それでも、彼を愛しておられたからではありますが、それだけではなく、彼のために、心を尽くして、祈っていた人がいたからです。
母親は、諦めずに祈り続けていました。教会の牧師や兄弟姉妹たちも祈りました。ティーンチャレンジの兄弟姉妹や牧師たちも祈りました。彼のために、多くの祈りが積み上げられていました。
その祈りに、主は答えてくださり、彼に恵みを与えてくださった。・・・そして、今や、彼でなければ、届くことができなかった多くの人々に、主の癒し、解放、救いの恵みが届けられています。
皆さん、このことを覚えてください。あなたが、主に信頼して、誰かのために祈った、一つ一つの祈りは、決して無駄ではありません。諦めずに、主に信頼して、祈り続けるなら、必ず、答えられる時が来ます。
Ⅱ歴代誌 7章14節
わたしの名で呼ばれているわたしの民が、自らへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求めてその悪の道から立ち返るなら、わたしは親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒やす。
主は、わたしの名で呼ばれているわたしの民が、と言われました。
主イエスを信じて、主の御名で呼ばれているのは、私であり、あなたです。まだ、主を信じていない家族や、友人たちではなく、主イエスを信じる私たちが、彼らのために、へりくだって祈り、主の御顔を慕い求めて、悪の道から立ち返るなら、主は、親しく天から、私たちの祈りを聞いて、私たちの罪、彼らの罪を赦してくださり、彼らを癒し、救いの恵みを与えてくださる。
・・・今日、みことばを信じて、みことば通りの赦し、癒し、救いの恵みを求めて、愛する人々のために、とりなし祈る時間を持ちましょう。

