【237】2024/4/21 主日礼拝 『見てでも、信じなさい』 ヨハネの福音書<14:9~14> 斉田 基 牧師

 

最初に、皆さんに、お聞きしたいと思います。
皆さんは、イエス・キリストを信じていますか。 本当に、信じていますか。
イエス様を信じるとは、イエス様のことばを信じて、従うことです。
自分の言葉よりも、人の言葉よりも、その他のどんな言葉よりも、聖書のみことばを信じて、従う決心をすること、自分の思いよりも、神様の思いに従って生きることを決心すること・・・それが、イエス様を、本当に、信じる、ということです。
・・・どうでしょうか。それでも、イエス様を、本当に信じることを選びますか。
・・・「アーメン。信じます。」と、心から告白する人は、神様の恵みに満たされた人です。
・・・「信じたい、従いたいけれども、正直に言って、疑いがある。100%信じて、従うことはできないかもしれない」 という人も、神様の恵みを受けたからこそ、信じたい、従いたいという思いが与えられました。
「いや、別に信じたくもないし、従うなんて有り得ない。私には、恵みなど必要ない」・・・そのように、頑なに神様を拒む人に対しても、神様は、今も、恵みを注ぎ続けておられます。
神様は、ご自分を拒む人にも、いのちの時間を与えてくださり、その人が、悔い改めて、神様の恵みを受け入れるのを、忍耐をもって待っておられます。

神様の願いは、すべての人が、神の恵みを受け入れ、その恵みの力によって、神様を信じ、従うようになること・・・今も、神様は、私たちと一緒に、ここに、おられます。
今、この時にも、神様が、ここにいる私たちすべてに、溢れるばかりの恵みを与えてくださることを、主イエスの御名によって祝福します。
12節
 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。

皆さん、このイエス様のみことばを信じますか。これを信じことは、物凄いことです。
・・・すなわち、イエス様が、ピリポに言われたように、私たちも、自分のことをよく知っている親しい家族や友だちに、
「あなたは、こんなに長い間、私と一緒にいるのに、まだ、私のことを知らないの?
私を見ると、イエス様が見えるでしょ。私のうちにイエス様がおられるのが、まだ、信じられないの?・・・もし、私の言うことが信じられないなら、私が行うわざ、私の生き方を見て、イエス様を信じなさい。」 ・・・そう言えちゃうぐらい、物凄い人生を、私たちが生きるように、神様がしてくださることを信じること、それが、このみことばを信じる、ということです。
・・・どうでしょうか。皆さん、このみことばを信じることを選びますか・・・感謝なことに、イエス様は、「言葉だけで信じられなければ、わざを見てでもいいから信じなさい」と言ってくださいました。

ある女性は、クリスチャンホームで育ち、教会にも通い、イエス様の話を聞いて、イエス様のことは大好きには、なりましたが、本当には、信じてはいませんでした。まさか、イエス様が、今も生きていて、私に、個人的に、関わってくださる神様である、とは、信じていませんでした。
彼女は、すい臓炎、胃潰瘍、腸カタルなど、内臓の病気を抱え、13年間、内臓が痛くない日が1度もないという苦しい日々を過ごしていました。
ある時、導かれた教会で、イエス様は、2000年前と変わらずに、今も癒しをなさるという証を聞いて、礼拝が終わると、「悔い改めが必要な人、イエス様を受け入れる人、病の癒しが必要な人は、前に出てください。」という招きがあったので、彼女は、毎週、毎週、前に出て、祈ってもらいました。・・・ところが、いつになっても、癒されません。

3ヶ月ぐらい経ったころ、仲の良い友だちが、「隣の町の教会の特別集会で、癒しの賜物を持った方が来られるから、連れて行ってあげる。」と言ってくれました。
彼女としては、常に内臓が痛んで、すぐに疲れてしまうので、正直に言って、行きたくありませんでした。しかし、友だちが、彼女のことを、本当に大切に思って、そう言ってくれていることが、痛いほど分かったので、行くことにしました。

特別集会が始まり、癒しの賜物を持ったその方は、まず、ギターを弾きながら、カントリースタイルの賛美を歌い始めました。
実は、当時、彼女が、この世で一番嫌いな音楽は、カントリースタイルでした。
それを聞いた瞬間、「もう帰りたい」と思いましたが、彼女を思って、必死になって連れて来てくれた友だちを思うと、帰れませんでした。
それで、一生懸命、我慢するのですが、そのカントリースタイルの賛美が5、6曲も続きました。
彼女にとっては、拷問でした。

やっと賛美が終わり、その男が、みことばを語り始める頃には、・・・彼女の言葉ですが・・・もう、反吐が出るほど、彼のことが嫌いで、嫌いでしょうがない、こんな人の話がいいはずがない。
それで、みことばを聞いてはいても、全然、入って来ない。
彼女の思いは一つです。ただただ、友だちのために我慢しよう。
そして、みことばの時間も終わり、「病気の人は、前に出てください。」
・・・友だちのために、出なければならない・・・仕方なく、彼女は、こんな人の祈りが聞かれるわけがないと思いながら、前に出て行くと、何と彼は、彼女の前で、「あ、しまった。油を持ってくるの忘れてしまった」と言い出しました。
すると、彼女の後ろの方にいた、おばさんが、「あ、私、持ってます」 「じゃあ、ちょっと、貸してください」 そんなやり取りをするので、彼女は、まるで、自分がバカにされているように感じました。
その後、祈ってはもらいましたが、彼がどんなに真剣に祈っていても、彼女は、この人の祈りが聞かれるわけがないと思っていたので、彼女は、彼の祈りなど、全く聞こうとせず、ただ、祈りが終わるまで我慢し、ああ、やっと終わった。自由だ。フリーダム・・・そして、家に帰りました。

その翌日、彼女は、とても気分よく起きて、1日を過ごし、その次の日も、気分よく過ごし、3日目に、「あれっ、そういえば、私、全然、痛くない。今まで、13年間、痛みがなかった日など、一日もなかったのに。どうして・・・ああ、そういえば、あの時、癒しを祈ってもらった。」
それまで、彼女は、イエス様の話を、どんなに聞いても、信じられませんでした。しかし、イエス様のわざ、イエス様の癒しを、自分自身で体験して、初めて、イエス様は、本当に、私を愛し、私を助けてくださる力ある神様なんだと、心から信じました。

それからというもの、彼女は、もっともっとイエス様のことを知りたくて、自分が参加できる祈祷会、聖書の学び会、あらゆる集会に行って、聖書のみことばを一生懸命、覚えて、ただただイエス様に夢中になりました。
ある修養会に参加したとき、その修養会は、3日間、とにかくイエス様と一緒に過ごす修養会。料理もしない、子どものことも考えない、他のことは何もしないで、とにかく、イエス様に集中する修養会でした。
彼女は、修養会で、生まれて初めて、はっきりと主の御声を聞きました。
「やっと2人になれたね」
その声を聞いた瞬間、彼女は、泣き崩れました。修養会でみことばを聞く時間も、その他の時間も、聖霊様に満たされて震えるほど、1分1秒が恵みの時でした。・・・特に、最後の日、聖餐式で、パンを口の中に入れた時、パンが喉を通って、食道を通っていく、本当に不思議な感覚と一緒に、「ほらね。わたしが、今あなたの中に入ったでしょ」と、再び、はっきりと、イエス様の声を聞きました。・・・彼女は、こう証しています。
「私は、あんなに頑なで、高ぶっていたのに、こんなにも神様に愛されていると、実感させてもらった神様の恵みを、心から感謝しています。」
皆さん、かつて、どんなにみことばを聞いても、彼女は信じませんでした。しかし、そんな彼女でも、信じることができるように、神様は、素晴らしい恵みを体験させてくださいました。
11節
 わたしが父のうちにいて、父がわたしのうちにおられると、わたしが言うのを信じなさい。信じられないのなら、わざのゆえに信じなさい。

わたしが言うのを信じなさい。信じられないのなら、わざのゆえに信じなさい。と言われたイエス様の、私に対する、あなたに対する願いは、私が、あなたが、イエス様を、本当に信じることです。
イエス様の話だけで信じられないなら、イエス様のわざ、神様であるイエス様しかできないような、癒し、奇跡、恵みのわざを体験してでもいいから、とにかく、イエス様を信じなさい。

ですから、私たちは、正直になりましょう。信じられないなら、「イエス様、信じられません。どうか、私でも信じることができるように、イエス様のわざを、神様の恵みを、私に、体験させてください。」と、祈り求めてください。イエス様は、私たちの祈りを喜んでくださり、恵みで答えてくださいます。

しかし、本当には信じられていないのに、本当に信じるためには、神様の恵みが必要なのに、その恵みを祈り求めようとしないなら、イエス様は、悲しまれます。
・・・もちろん、体験しなくても、イエス様のことばを聞くだけで信じられるなら、それが、ベストです。見なければ信じない者よりも、見ずに信じる者は、幸いです。
しかし、見なければ信じられないにもかかわらず、見ようともしないで、信じないままでいるよりは、見てでも、信じる方が、遥かに幸いです。
ですから、私たちは、自分自身のためにも、そして、まだイエス様を信じることができていない家族や友人たちのためにも、イエス様のわざ、神様の恵みを祈り求めましょう。

なぜ、主イエスは、「わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。」と言われたのでしょうか。
それは、イエス様を信じる、私が、あなたが話す言葉だけでは、イエス様を信じない人がたくさん、いることを知っておられたからです。
イエス様を信じる、私が、あなたがた行うイエス様のわざを見なければ、信じない人たちをも、イエス様は、救いたい。一人も滅びて欲しくない、すべての人が、イエス様を信じる信仰によって、永遠のいのちを受け、救われて欲しい。・・・これが、イエス様の願いです。

だからこそ、このイエス様の願いを、自分の願いとした弟子たちは、ただ、みことばを宣べ伝えさせてください、と、祈るのではなく、次のように祈り求めました。
使徒の働き 4章29-31節
主よ。今、彼らの脅かしをご覧になって、しもべたちにあなたのみことばを大胆に語らせてください。
また、御手を伸ばし、あなたの聖なるしもべイエスの名によって、癒やしとしるしと不思議を行わせてください。」
彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した。

私たちも、「愛する人が、イエス様を信じる信仰によって、救われて欲しい」 このイエス様の願いを、私の願いとして、「みことばを大胆に語らせてください。主イエスの御名によって、恵みのわざを行わせてください」と、祈り求めましょう。・・・そのように、主と心を一つにして、祈り求める、私たちの祈りを通して、聖霊様が臨みます。

聖霊様が臨むときに、イエス様が行うわざを、私たちも行うようになる。
主イエスは、「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。」
・・・すなわち、イエス様が、父なる神様のもとに行って、私たちに、聖霊様を送ってくださり、私たちが聖霊様の力を受けることによって、私たちも、イエス様のわざを行う、ということです。

だからこそ、私たちは、イエス様のみことばに従って、聖霊様を待ち望みましょう。愛する人がイエス様を信じて、救われるという、イエス様の願いを、私たちも願い求めて、聖霊様を待ち望みましょう。
ルカの福音書 24章49節
 見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。

皆さん、「The CHOSEN」 という、アメリカのテレビドラマをご存じでしょうか。
イエス・キリストを中心に聖書時代を描いたドラマシリーズですが、アプリで、無料で視聴することもできます。50の言語に翻訳され、これまで、何億人もの人が視聴し、何百万人もの人が、神様の恵みを体験しています。
そのドラマで、十二弟子のヤコブとヨハネの父である、ゼベダイの役を演じた、ニック・シャクールの証を紹介します。

彼の祖父は、レバノンで、ギリシャ正教会の神父をしていました。彼も、ギリシャ正教徒として育ちました。・・・しかし、彼の家族は、戦争によって破壊され、彼は、心に深い傷を負いました。その後の人生も、困難に、困難が続き、彼の心は石のように固くなっていました。
イエス様に夢中になっている人を見ると、彼には、理解できず、馬鹿にしていました。
「The CHOSEN」で、俳優として、ゼベダイを演じていたある時、彼は、心の中で、「神様、どうせ、あなたは存在しないけどね」・・・そう言った瞬間、突然、心に、とてつもない虚しさを感じました。
まるで、自分の中にブラックホールのような穴が開いて、吸い込まれそうに感じたそのとき、「今、神を呼び求めなければ、状況はもっと酷くなる」と、心の中に、声が聞こえました。

ちょうど、その時、撮影セットの建築設計士の二人が、ある聖会に、彼を招待しました。
「何それ?」と聞くと・・・「ええと、みんなで祈って・・・」  「ああ、そうですか。」・・・彼が心の中で、「まぁ、行かないかな」と思った瞬間、再び、心の中に、「行くべきだ」と聞こえました。

それで行ってみると、何と、バレリーナのようにクルクル回って賛美する人がいるは、体を左右に揺らしている人はいるは、「ああ、これは大変なところに来てしまった」
しかし、礼拝が始まって一時間ぐらいしたとき、彼は頭を垂れて祈りました。
「神様、あなたがおられるなら、私が、家族から受け継いだ、この呪いのような心の重荷を取り去ってください。主よ、この苦しみが何か分かりませんけど、とにかく、取り除いてください。」
そのように、心の中で祈っていると、彼を招待した人の息子が、彼のところに来て、彼の肩に手を置いて、こう言いました。
「あなたのために祈っていたら、神が、こう伝えなさいと言われました。今日、ここに、あなたが来たので、神があなたの家系の呪いを砕いてくださった。」

それを聞いた瞬間、彼は、なぜ、そんなことが分かるのかと驚くと同時に、彼の心に深く深く突き刺さっていた杭のようなものが打ち砕かれるのを感じて、その場に、泣き崩れました。
しばらく放心していると、再び檀上に上がった牧師が、「今、みんなで、跪いて祈り、偶像を手放しましょう。」と言いました。

彼は、「いや、私には偶像などない」と思いました、その瞬間、心の中で、非常に強い声が聞こえました。
「あなたには偶像がある。・・・俳優のキャリア、両親、弟、妹、友人、銀行口座、車・・・いろいろなものを上げられた後に・・・それらが、わたしよりも前に来ている」
・・・その声を聞いて、彼は、跪いて祈り、生まれて初めて、心からすべてのものを神様にささげました。
「主よ、今まで、あなたについて聞いてはいましが、しかし、今は、あなたと一緒になりたいです。」・・・彼が、祈り続けていると、10人ぐらいの人が周りに集まって、彼のために祈ってくれました。・・・その中の一人の人が油を、彼の額と手につけて、彼のために異言で祈り始めました。

すると、つま先から頭のてっぺんまで、炎のようなものが通って行くのを感じ、自分が燃やされていくのを感じました。
救急車を呼ばなければと思うほど、フラフラになりながら、彼が感じていたのは、恐れでした。主に対する聖なる恐れです。・・・ああ、このお方が望むなら、私のいのちなんて、いつでも取ることがおできになる・・・そう実感しました・・・主を恐れるとは、こういうことなのかと、生まれて初めて体験しました。
熱く熱く燃やされて、もうこれ以上、体が耐えられないと思ったとき、何か、水の中に入れられたように、海の中に沈められたように感じ、みんなの祈りが、くぐもって聞こえたかと思えば、次の瞬間には、そこから引き上げられて、すべてが静かになり、完全な平安を感じました。
今まで、自分の中にあった怒り、苦しみ、重荷、痛みすべてが消えていました。
もはや、自分が、今までの自分とは全く違うように感じられました。
それからというもの、彼は、主が私のうちにいてくださり、私の周りにもいてくださる、私が主を呼ぶと、すぐそばにいてくださる・・・それほど近くに、神様を感じるようになりました。

しばらくして、撮影の時に、以前、彼を、その聖会に誘った撮影セットの建築設計士の二人が、彼が、神様に出会って、変えられたという証を聞きつけて、彼のところに来て、こう言いました。
「あなたは、私たちが、セットの壁に、聖書のみことばを書いているのを知っているだろう。
あれは、現場のスタッフの一人が、神様から、壁に、みことばを書くようにと言われたことから、始まったんだ。」
それで、彼は、「ああ、その話なら聞いている。」
すると、彼らは、「それじゃあ、誰の家から、それが始まったかも、知ってる?」
「それは、知らない」
すると、彼らは、「ゼベダイの家」から始まったんだ。
「何だって」
「あなたの家から始まって、他の人物の家にも、みことばを書くようになった。
撮影セットを建設する前から、みんなで集まって祈り、俳優が聖霊を受けて、イエス様の福音を広めるための種になるように、そう祈っていたんだ。」・・・そう言って、彼らは、目に涙をためながら、「あなたが、その種なんだ」

彼は、こう証ししています。
私は、「どうせ、神などいない」と思っていました。・・・イエス様に夢中な人を馬鹿にしていました。頑なに心を閉ざし、神様から離れた私を、それでも、神様は、追いかけて来てくださった。
もし、「自分はダメな人間だから、神様に受け入れられない」と思うなら、あなたが、ダメな人間だからこそ、神様はあなたを求めています。神様はあなたを良いものに造り変えてくださいます。
この神様の素晴らしさを、一度でも、体験したら、もう後戻りはできません。」
そう証しておられました。
皆さん、彼は、神を求めようとは、思っていませんでした。むしろ、神様に対して、頑なに心を閉ざしていました。
しかし、彼ではなく、彼の代わりに、彼が神様に出会うことを祈り求める人たちがいました。

見ずに信じられないなら、体験せずに信じられないなら、見てでも、体験してでもいいから、信じて欲しい、一人も滅びることなく、主イエスを信じる信仰によって、救われて欲しい・・・このイエス様の願いを、自分たちの願いとして、祈り求めていた人々の祈りと共に働いて、神様は、彼に、恵みを体験させ、聖霊様を与えてくださいました。

皆さん、もし、私たちも、同じように祈り求めるなら、
もし、私たちも、・・・主の願いを、私たちの願いとして、主と心を一つにして祈り求めるなら、聖霊様が臨まれます。

主の願いを私たちの願いとして祈るなら、聖霊様が私たちに臨み、私たちは力を受けて、イエス・キリストを証しするようになります。
主と心を一つにして祈る、私たちの祈りと共に働いて、聖霊様が、愛する人に働きかけ、救ってくださることを信じることを選んで、共に祈り続けましょう。

今日も、主のみことばを信じることを選んで、祈りましょう。
主を愛し、主のみことばに従うことを選んで、聖霊様を祈り求めましょう。
使徒の働き 1章8節
しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。