【236】2024/4/14 主日礼拝 『みことばを慕い求める』 ヨハネの福音書<10:27> 斉田 基 牧師

 

ヨシュア記 1章8節
このみおしえの書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさめ。そのうちに記されていることすべてを守り行うためである。そのとき、あなたは自分がすることで繁栄し、そのとき、あなたは栄えるからである。

先週、このみことばを分かち合いましたが、このみことばを聞いて、行う、チャレンジを、されたでしょうか。・・・「一つのみことばでもいいので、そのみことばを昼も夜も、口ずさみましょう。」と、分かち合いました・・・皆さん、イエス・キリストは、こう言われました。
ルカの福音書 6章46-48節
 なぜあなたがたは、わたしを『主よ、主よ』と呼びながら、わたしの言うことを行わないのですか。
 わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行う人がみな、どんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。
 その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せても、しっかり建てられていたので、びくともしませんでした。

イエス様は、できないことをしなさいとは、命じません。
先週、分かち合ったみことばにおいて、主が命じられたことは、ただ一つです。・・・それは、みことばを昼も夜も口ずさみなさい。原文の意味には、黙想しなさい。みことばを考え、みことばを思い巡らしなさい。という意味が含まれます。

みことばを口ずさむことができない状況もあるでしょう・・・しかし、そのような状況でも、思い巡らすことはできます。やろうとさえ思えば、できます。・・・ただ一つ必要なのは、主を愛し、主のみことばに従う、私たちの信仰の決心です。

もちろん、肉の弱さのゆえに、主に従いたかったのに、従えなかった・・・という時もあるでしょう。しかし、イエス様は、ご自分を見捨てた弟子たちをも、決して見捨てず、いつも彼らのために、信仰がなくならないように祈ってくださった・・・同じように、イエス様は、私たちのためにも、いつも、祈ってくださることを、心から主に感謝します。

主イエスを信じる信仰は、神様の一方的な恵みによって、私たちに与えられます。信仰の始まりは、恵みです。しかし、信仰が始まった後の、信仰の成長は、神様の恵みだけではなく、私たちの神様に対する愛の従順が必要です。

神様は、いつも恵みを限りなく注いでくださいますが、その恵みを受けて、その恵みの力によって、みことばを聞いて行う、私たちの従順がなければ、信仰は成長しません。
・・・そういう意味で、信仰の成長は、私たち次第です。・・・・私たちの信仰を成長させてくださるのは神様ですが、神様が私たちの信仰を成長させるために、私たちの従順が必要です。
神様は、私たちが、子どもの信仰から、成長していくことを、切に願われます。
ガラテヤ4:3
 同じように私たちも、子どもであったときには、この世のもろもろの霊の下に奴隷となっていました。

イエス・キリストを、本当に、信じたとき、私たちは、神の子どもとして、新しく生まれました。私たちは、もうすでに、神様の子どもではありますが、信仰が成長しない限り、私たちは、この世のもろもろの霊に、奴隷にされてしまう。
・・・すなわち、罪の誘惑に打ち勝てません。したいと願っている、良いことを行うことができない。逆に、したくない悪を行ってしまう。・・・嫌なこと、苦しいことがあると、その苦難の洪水によって、すぐに、信仰がぐらつき、倒されてしまう。

そのように私たちが倒され、傷つき、疲れ果て、奴隷にされてしまうことを、神様は、願っていません。神様の願いは、私たちが信仰によって、勝利することです。イエス・キリストの信仰こそ、世に打ち勝った勝利の信仰です。
神様が、私たちに与えてくださる、信仰の勝利とは、どんな勝利でしょうか。
ヨハネ14:12
 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。

イエス・キリストの信仰とは、イエス様が行ったことを行い、さらに大きなわざを行うようになる信仰・・・つまり、信仰が成長するなら、私たちも、イエス様のように、勝利の人生を生きます。
信仰が成長するなら、罪と死の力に打ち勝ち、復活されたイエス様の力、聖霊様の力を、私たちも受けます。
神様は、私たちの信仰が成長すること、切に願っておられます。そのために、主を愛し、主のみことばに従う、私たちの愛の従順を、神様は、求めておられます。

ですから、私たちは、まず、一つの従順から始めましょう。昼も夜も、主のみことばを口ずさみ、思い巡らす従順です。
私の、あなたの従順と共に働いて、神様は、あなたに、みことばを聞いて悟る恵みを与え、30倍、60倍、100倍の祝福を与えてくださることを主イエスの御名によって祝福します。
ヨハネの福音書 10章27節
 わたしの羊たちはわたしの声を聞き分けます。わたしもその羊たちを知っており、彼らはわたしについて来ます。

主イエスを信じた私たちは、主の羊であり、主は、私たちの羊飼いです。
羊の特徴は、羊飼いの声を聞き分け、羊飼いについて行くことです。
イスラエルは、日本と違って、羊が食べることができる緑の牧場は、ほとんどありません。その緑の牧場を、羊が、自分で見つけ続けることは、不可能です。・・・ですから、羊が生きるか、死ぬかは、その羊が、羊飼いの声に聞き従って、ついて行くかどうかで、決まります。
羊は、羊飼いの声に聞き従いやすい動物ですが、ヤギは、従いにくい動物です。

皆さん、羊とヤギの見分け方を、ご存じでしょうか。
羊飼いは、羊とヤギを一緒に飼うことがよくあります。羊とヤギの見た目は、よく似ているので、見た目だけで、見分けることは難しいのですが、その性格を見れば、簡単に見分けがつきます。

羊には、戦う武器がなく、最初から戦おうとしませんが、ヤギには、戦う武器があって、怒りやすく、好戦的です。・・・羊は草食ですが、ヤギは雑食なので、羊飼いから離れてしまっても、ある程度、自分で生きることができます。
羊は、羊飼いに従いやすく、群れになりやすいですが、ヤギは、羊飼いに従いにくく、群れから離れやすい。すなわち、ヤギは、とても自己中心的な性格です。

羊には、そもそも、急な斜面を登る力もありませんが、ヤギには、その力があるので、羊飼いに従わないで、自分勝手に急な斜面を登って行き、時には転落して死んでしまうこともあります。
つまり、羊飼いの声に聞き従わない不従順によって、羊飼いに守られていない状況に、自分から突っ込んで行くことを好む性格が、ヤギにはあります。

羊飼いは、羊の群れとヤギの群れを分けますが、それでも、ヤギは、羊の群れに紛れ込もうとします。羊飼いは、草しか食べることができない羊に、まず、食べさせますが、そこにヤギは紛れ込んで、横取りして食べようとします。
ヤギが、羊の群れの中に入ると、ヤギの自己中心的な性格が、羊の性格にも悪い影響を与えるので、羊とヤギを分けることが、羊飼いの大切な働きの一つです。

皆さん、私は、イエス様に出会う前までは、ヤギでした。いや、正確に言えば、信仰が成長する前までは、ヤギでした。今でも、信仰が倒されてしまうなら、そうなります。
ヤギのように、何でも自分で判断して、自分が良いと思うことを選んで生きて来ました。
自分で、自分を満たそうとして、それでも、満たすことができない虚しさを感じて、今度は、自分を満たしてくれそうな物や人を探して、それでも、満たされないと、自己憐憫に陥って、私はみじめだと・・・もう、全てが、自分、自分、自分、本当に自分のことばかりでした。

そのように、自分という囲いを作って、神様が、私に近づくことを、無意識に、拒んでいました。神様なんか意識する暇がないぐらい、自分のことばかり意識していました。・・・そうすることによって、神様を無視し、拒んでいたことを、イエス様に会うまでは、分かりませんでした。
皆さんも、同じような経験をしたことがあったかもしれません。
イエス様を信じて間もない時は、本当にイエス様について行って、大丈夫だろうか?・・・何度も、安全を確認しながら、少しずつ、ついて行って、「ああ、イエス様は、本当に、美味しい緑の草を食べさせてくれた。美味しい水を飲ませてくれた。ああ、あの危険からも、この危険からも守ってくれた」・・・何度も、体験していく中で、本当に、イエス様は、私にとって、良い羊飼いなんだと、イエス様に信頼する信仰が成長していきました。
これが、信仰から信仰、勝利から勝利、栄光から栄光へと、私たちが、イエス様と同じ、神様の子どもとして、成長していく、信仰の成長です。

羊は、羊飼いの声に聞き従って、ついて行くことを通して、少しずつ、羊飼いとコミュニケーションが取れるようになって、羊飼いの意志が、羊に伝わるようになります。
同じように、祈りとみことばによって、私たちは、少しずつ、イエス様とコミュニケーションが取れるようになり、イエス様の心が、私たちに伝わるようになる・・・これが、信仰の成長です。

アメリカのある教会で、牧師が、「今日は、クリスマスプレゼントをイエス様にささげましょう」と、チャレンジしました。・・・貧しい兄弟姉妹が多かった教会だったので、牧師は、続けて、「イエス様にささげます、という信仰で、いくらいくらと、紙に書いて、ささげましょう。」と、チャレンジしました。

一人の貧しい婦人は、「私も、イエス様にささげたい。」と思って、100ドルと書いて、ささげました。その後、家で、料理をしていたとき、小麦粉がなくなったので、急いで、近くの1番安いスーパーで、小麦粉を買って来ました。
その小麦粉の袋を開けてみると、今まで見たことがない、紙切れが入っていました。「おめでとうございます。賞金100ドルが当たりました。」
それを見た瞬間、彼女は、「ああ、これは、イエス様へのプレゼント!イエス様は、私のささげたいという小さな信仰を受け入れてくださった。」と、本当に感動して、喜んで、ささげました。

皆さん、神様は、私たちの小さな信仰を、この上なく喜んでくださるお方です。愛する主にささげたい、私たちの思いに、主は、大きな恵みで答えてくださいます。
お腹を空かせた5000人以上の人々のために、イエス様が食べ物を求めたとき、少年は、自分の持っていた5つのパンと2匹の魚をささげました。
イエス様は、その小さなささげものを、この上なく喜んで、天を見上げて、神をほめたたえ、そのわずかなパンと魚で、すべての人を満腹にする奇跡を行われました。

イエス・キリストは、昨日も今日も、いつまでも変わらないお方です。
自分の持てるわずかなものをささげた少年をこの上なく喜ばれた主は、今も、私たちが信仰によって、ささげている、この礼拝を、この上なく喜んでくださいます。
ささげるものがなかったにもかかわらず、主にささげたいという信仰によって、100ドルをささげた婦人を、この上なく喜ばれた主は、今日、私が、あなたが、愛する主に何かをささげたい、何か主が喜ばれることをしたいと願う、あなたの信仰を、この上なく喜んでくださいます。

昨日も今日もいつまでも変わらない主は、今日も、あなたの愛の従順に、偉大な恵みのわざで、答えてくださいます。そのように、主の恵みを一つ一つ体験して行くとき、信仰が成長します。
信仰の成長は、主を愛する私たちの信仰と、その信仰にあふれるばかりの恵みで答えてくださる主との共同作業によって、実現します。
主に養われるだけの羊のままでいるのではなく、主と一緒に羊を養う者として成長して欲しい・・・それが、主の私たちに対する願いです。
ヨハネ21:16
 イエスは再び彼に「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか」と言われた。ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの羊を牧しなさい。」

かつて、イエス様は、ペテロに「あなたはペテロです。わたしはこの岩の上に、わたしの教会を建てます。よみの門もそれに打ち勝つことはできません。」と宣言されました。
岩の上に建てられたイエス様の教会とは、イエス様の羊である私たちの群れです。

イエス様は、ペテロには、あなたは、ペテロ・・・すなわち、岩だと言われましたが、この岩とは、砕かれた岩の破片という意味・・・つまり、大きな岩ではなく、小さな岩、すなわち、石です。その上にイエス様の教会が建てられる大きな岩ではなく、ペテロ、あなたは、石だと、言われました。

・・・どういうことでしょうか。・・・羊飼いは、羊たちを緑の牧場に導くために、荒野を旅します。それで、荒野で、野宿するとき、羊飼いは、狼から羊を守るために、石を積み上げて、羊の囲いを作ります。そのように、羊飼いと一緒になって、羊を守る囲いの石の一つが、ペテロ、あなただと。

主は、ペテロに言われました。
「あなたはわたしを愛するか。わたしの羊を牧しなさい。わたしと一緒に羊を守りなさい。
わたしは、あなたに、この働きを任せたい。
この働きを、わたしは、あなたと一緒にしたい。
あなたは、わたしを愛するか。この働きを、わたしと一緒にしてくれるか。」

イエス様のこのみことばに、ペテロは、どう答えたでしょうか。・・・ペテロは、殉教の死に至るまで、イエス様を愛し、イエス様のみことばに従う愛の従順によって答えました。・・・そのペテロが、今日、私たちに、次のように、勧めています。
Ⅰペテロの手紙 2章1-5節
ですからあなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。
あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。
主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。
あなたがた自身も生ける石として霊の家に築き上げられ、神に喜ばれる霊のいけにえをイエス・キリストを通して献げる、聖なる祭司となります。

養われるだけの乳飲み子が、成長して、生ける石、すなわち、主と共に働く聖なる祭司となるために、純粋な霊の乳である、みことばを慕い求めなさい。
みことばを慕い求めることによって、成長し、救いを得なさい。

皆さん、神様が私たちのために、願っておられるように、私たちも、信仰の成長を願うでしょうか。・・・そのためには、主を愛し、主のみことばに従う、私たちの愛の従順が必要です。
ですから、今週、一つの従順から始めましょう。

昼も夜も、主のみことばを口ずさみ、思い巡らす従順です。
一つのみことばから、始めてください。
その一つのみことばを、昼も夜も、口ずさみ、思い巡らすことを、チャレンジしてください。

これは、物理的にできないことではありません。やろうと思えば、できることです・・・主を愛し、主のみことばに従う信仰の決心をするなら、できることです。
その信仰のささげものを、今週、主にささげましょう。私たちは、今週、共に励まし合い、とりなし祈り合いながら、愛の従順を主にささげていきましょう。

弱さのゆえに失敗しても、諦めないでください。私たちのことを絶対にあきらめることなどできないイエス様が、いつも、とりなし、祈ってくださいます。
イエス様のとりなしは完全です。イエス様を信じる私たちを、完全に救い続ける力があります。
何度、失敗しても、また、イエス様を見上げ直して、何度でも、チャレンジしてください。

諦めて、やめてしまうことだけが敗北です。
イエス様のとりなしは完全です。どんなに取り返しがつかない大きな失敗をしたとしても、何度失敗したとしても、諦めずに、もう一度、イエス様に信頼し、主を愛し、主に従うことを選ぶとき、主は、あなたを癒し、あなたを回復し、力と勝利を、主は、あなたに与えてくださいます。

私たちの愛の従順と一緒に主が働いてくださり、溢れぶばかりの恵みを与えてくださいます。
私たちの、昼も夜も主のみことばを口ずさみ、思い巡らす従順と一緒に、主が働いてくださり、みことばを悟る恵みを与えてくださり、30倍、60倍、100倍の祝福を与えてくださることを、主イエスの御名によって、祝福します。